40 婚約の内定

「ご機嫌よう、シャーロット嬢」


「王妃殿下、ご機嫌麗しゅうございます」


 わたくしは一瞬だけ目を見張ったが、狼狽した姿を周囲に気付かれないように王妃様に向かってカーテシーをした。


「うふふ、驚いたでしょう?」


「えぇ、とってもびっくりしましたわ」と、わたくしは胸を押さえた。

 本当に驚いたわ。まさか王妃様が直接領地へいらっしゃるなんて……。


「今日はロッティーに大事な話があって母上とともに来たんだよ」と、ハリー殿下が満面の笑みで言った。なんだかそわそわしているご様子だわ。一体どうしたのかしら?


「大事な話……ですか?」と、わたくしは目をぱちくりさせる。


「そうだよっ! 僕たちの婚約が決まったんだ!!」と、ハリー殿下は大声で叫んだ。


「えっ……!?」


 わたくしはあまりの衝撃に二の句が継げなかった。

 今、なんて?

 頭が真っ白になって、目がチカチカして、意識がどこかへ吹き飛んで行きそうだった。


「ヘンリー」現実から引き戻すように王妃様の厳しい声が応接間に響いた。「まだ確定ではないでしょう。きちんと順を追って説明しなさい」


 ハリー殿下はちょっと口を尖らせて、


「分かったよ、母上。――ロッティー、残念だけど実は僕達の婚約はまだ内定の状態なんだよ。兄上次第なんだ」


「第一王子殿下が、ですか?」


「そうなのよ」王妃様が頷く。「エドワードのほうにモデナ王国の王女との婚約話が出ているってシャーロット嬢も聞いたと思うけど、その話が上手く運んでいてね。そろそろ正式に決まりそうなの」


「そ、そうなのですか!?」


 わたくしは目を丸くした。

 まさか男爵令嬢を溺愛しているあの第一王子が他の女性との婚約話をすんなり受けるなんて、にわかには信じられないわ。


「……男爵令嬢の件は国王陛下がとってもお怒りでね、この話は陛下の主導で進めているの。だからエドワードにはもう選択の余地はないわ」王妃様はまるでわたくしの心を読んでいるかのようにニッコリと微笑んだ。「陛下ははじめはシャーロット嬢との婚約話を進めるつもりだったんだけど……ほら、あんな事件があったでしょう? なのにヨーク公爵家にこれ以上無理強いするのはこちらとしても申し訳ないから、他国の姫との婚約のほうを進めたというわけよ」


 わたくしはあのときのことを思い出しみるみる顔を紅潮させて、


「あの……その節は申し訳ありませんでした」と、深々と頭を下げた。


「あら、シャーロット嬢が謝ることはないわ。悪いのはエドワードでしょう?」


 周囲にはひた隠しにしているあの事件の真相は、第一王子がわたくしに根拠もなく「娼婦」などと高位貴族の令嬢を侮辱するような言葉並べて、口汚く罵ったことになっていた。

 アルバートお兄様がそう仕向けたらしいけど、第一王子は特に反論はしなかったみたい。どうやら彼も前回の人生のことは秘匿にしておきたいようだ。


「その……わ、わたくしのほうこそ第一王子殿下に無礼を……」


 あのときは激昂してつい声を荒らげてしまったけど、曲がりなりにもこの国の第一王子なのよね……。下手をすればわたくしが不敬罪で処罰されていたところだわ。そう考えると、王家の寛大な処置にひたすら恐縮した。


「別に構わないわ。誰がどう見てもエドワードが悪いから。だからシャーロット嬢はもう気にしないでね。こちらこそ、ごめんなさいね」


「恐れ入りますわ。国王陛下と王妃殿下の慈悲深い取り計らいに感謝いたします」


「母上、もういいだろ。ロッティーにこれ以上嫌なことを思い出させないでくれ」


「そうね。この話はもうおしまいにしましょう。――さ、今度はシャーロット嬢のお話を聞きたいわ」


 わたくしたちは歓談の時間を楽しんだ。

 王妃様は前回の人生と変わることなく、とても素敵な方だった。わたくしも晴れて王太子妃になった暁には王妃様のような存在になりたいわって憧れていたっけ……とぼんやりと昔のことを思い出した。




「公爵、シャーロット嬢と二人で話がしたいのだが……」


 一時間ほどたった頃、出し抜けにハリー殿下が切り出した。


「もちろんです、殿下。シャーロット、殿下を庭に案内して差し上げなさい」と、お父様は頷いた。

 これまでとは異なるこの反応にちょっと感動した。やっとお父様にハリー殿下とのことを認めてもらって、嬉しさでいっぱいだった。お母様も笑顔でわたくしたちを見送ってくれて、祝福された気分だわ。


「はい、お父様。では、殿下。こちらへどうぞ」


 ハリー殿下はわたくしの手を取り、二人で庭へと向かった。





「なんだか……想像より薔薇の比率が高い気が……」


「どうやらダイアナ様の影響をかなり受けているようで……」と、わたくしは苦笑いをした。


「あの二人は本当に相思相愛のようだね」


「えぇ。王都にいたときはお兄様から毎日ダイアナ様との惚気話を聞かされて、うんざりしていましたのよ」


「ははっ、それは災難だね。そういえば僕も前の記憶では兄上から毎日――」と言ったところで、ハリー殿下は慌てて口を閉ざした。


「男爵令嬢との惚気話、ですか?」


「いや……その……軽率だった……ごめん」


「いいえ。第一王子殿下のことは本当にもうなんとも思っていませんし、ハリー殿下が謝ることはないですわ。ま、前回の人生のわたくしでしたら悋気で怒り狂っていたでしょうけど」と、わたくしはいたずらっぽく笑った。


「あぁ~、たしかにあのときのロッティーは怖かったなぁ」と、ハリー殿下もくつくつと笑った。


「もうっ、殿下まで笑うことないじゃないですか!」


「ははは、ごめんごめん」


「……それにしても、よく国王陛下がわたくしたちの婚約をお許しになりましたね」


「あぁ、いかに王家と言えどヨーク家を敵に回すのは避けたいからね。図書館での一件をアルバート公爵令息がかなり強く抗議したので、父上も未来の国王と未来のヨーク公爵の仲が拗れるのは避けたかったのだろう」


「まぁ! お兄様が!」


 わたくしは目を丸くした。たしかに「心配するな」とはおっしゃっていたけど、まさかこんなに動いてくださっていたとは……。お兄様には感謝してもしきれないわ。





 わたくしとハリー殿下はしばらく無言で庭を見て回った。

 久し振りに彼と会えて話したいことはたくさんあるのに、思い掛けない婚約の話に気持ちだけが昂って言いたかったことも頭の中からすっぽりと抜け落ちてしまった。


「……シャーロット」


 ハリー殿下が囁くようにわたくしの名前を呼ぶ。


「は、はいっ!」


 名前を呼ばれただけでにわかに緊張感が襲ってきて、わたくしは覚えず姿勢を正した。


 殿下はしばらく黙り込んだあと真っ直ぐにわたくしを見つめて、


「前にも話したが、僕は前回も今回もずっと君のことが好きだ。だから今日はやっと婚約まで結ぶことができて、本当に嬉しく思う」


 自身の顔がみるみる上気していくのが分かった。


「わ……わたくしも嬉しいです……その……好き、です…………」


「そうか」と、ハリー殿下はニコリと微笑んだ。「僕もロッティーが好きだ」


 またもや静かな時間が二人の間に流れる。風で薔薇の葉がざわめく音だけが響いた。

 わたくしの心は周囲とは反比例して爆発しそうだった。ど、どうしましょう……。ドキドキして上手く言葉を紡げないわ。さっきからずっと顔が熱い……。



 気が付くと、ハリー殿下の顔がわたくしの眼前まできていた。

 鼓動がどんどん高鳴って、このまま加速して消えてしまいそうだった。

 おもむろに目を閉じた。

 わたくしとハリー殿下は二度目のキスをした。

 今度は、ゆっくりと。

 

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