(5)太平道という組織
天井と、明かりが見えた。
暗い洞穴の中に、明かりがいくつか灯っている。その明かりの灯火が、何処か優しく感じられた。
懐かしい夢を見たものだと、張世平はふと感じてから、自分が寝かされていることに気付いた。
起き上がる。一度頭を振ったとき、違和感を覚えた。
身体がヤケに軽いのだ。疲れが消し飛んでいる。そんな印象を持った。
「ここは……?」
「おう、やっと目が覚めたか」
聞き覚えのある声が、横からした。
声の方へ振り向くと、蘇双がいた。こちらは少し、疲れた表情をしていた。
「蘇双殿。ここは?」
「どうやら、目が覚めたようだな」
しわがれた声が、扉の向こうからした。
扉を開けて、一人の男が、護衛に引きつられて入ってくる。
歳は、見る限りで蘇双とほぼ一緒だろう。黄色の麻布で出来た服に身を包み、長髪に長い髭を蓄えた男だった。
だが、見た瞬間に汗が噴き出るのを感じた。気が、生半可ではないほど巨大だったからだ。
今までこれほどの気を放つ人物に、張世平は会ったことがなかった。極めて異端な存在であると、張世平は直感した。
同時に、眼にも桁外れの覇気を感じた。
『英雄』、そう呼ぶに相応しい男なのだと、心底思った。
ただ一点だけ、何故か、気の中に陰りが見えた点だけが、気にかかった。
「やれやれ。賊に襲撃された街から救出できたのは、結局お前達くらいだった。もう少し我らの部下が早く展開出来ていれば、もう少し救えたのだがな」
歯ぎしりしながら、男が言った。
純粋な男なのだと、心底思った。同時に何故か純粋すぎるとも思ってしまった。
「いや、俺達はそれによって助けられました。あなたが責任を負うということもないでしょうに」
「いや。私は、もっと人を救わねばならぬ。大賢良師と名乗っているならば、なおのことよ、商人よ」
ほぅ、と蘇双が唸った後、蘇双は頭を下げた。
「助けていただいたことには感謝いたします。俺は蘇双。で、こちらが」
「張世平と申します」
大賢良師が、自分達をじっと見た。
その時、更に気が大きくなった。
この人は何なのだと、一度つばを飲み込んだ。
「ふむ、なるほど、蘇双と張世平か。名を聞いたからには、私も名乗らねばなるまい」
大賢良師が、一度息を吸って、大きく吐いた。深い呼吸であることが、何処か不思議さを醸し出していた。
「私は
太平道。確かに、あの救ってくれた亜音の肩にもそんな文字が入っていた。
その長と、この男は言った。
しかし、まさか宗教勢力が軍事用の機刃を持っているなど、張世平は思いもしなかった。
いったいどのような組織なのか、気になって仕方がなかった。
「さて、ここで知り合い、生き残ったのも縁だ。そこでおぬしらに聞きたい」
「何なりと」
「おぬしら、国を変える意志はないか?」
何を言っているのだと、一瞬、我が耳を疑った。蘇双も同じだったようで、肺腑を突かれたような、そんな表情をしていた。
「何を持って? まさか、乱ですか?」
「出来ればその手段は使いたくない。だが、状況次第では、やむなしと、私は考えている」
蘇双の問いに、大賢良師は静かにそういった。
何処か一瞬、諦めにも似た感情が、眼によぎったのを張世平は見て取った。
達観しすぎている。それがこの陰りの理由なのかと、一瞬思ったが、何かが違うような気がした。
何なのかは、もう少し見る必要があるだろう。
「商人よ、ぬしらは、今の世をどう思う?」
「正直申せば、不平だらけですな。我ら商人は、商売あがったりです。役人や宦官は賄賂以外に用はないと、我々を考えているようにしか思えません」
「ほぅ、蘇双とやら、おぬしは随分不満を口にするな。で、張世平とやらは、どう思うのだ?」
そう言われて、一瞬答えに窮した。
確かに、不満は多い。だが、果たしてこの人の前で全てをさらけ出していいものなのか、少し警戒したのもあった。
乱。その言葉が、異様に脳裏をよぎったからだった。
少し考えたが、自分の今出せる答えはこれだけだ。
「不平、不満、様々な物が去来しますが、同時に不思議な出会いもある。そんな世であると、私は思います。私が蘇双殿と旅をしているのも、その出会いがあったからです。あなたとの出会いも然り。その出会いがあるからこそ、商売は初めて出来る。あなたもまた私にとっては商機の一つなのかも知れない。そう今は感じております」
蘇双と、大賢良師が、少し唸っていた。
「悪い答えでしょうか、蘇双殿?」
聞いたが、不適に蘇双が笑った。
「いや、なかなか上出来だ。お前も商人が板に付いてきたな。三年前はまだ荒削りだったがな」
「なるほど。おぬしらの縁は三年ならばそこそこに長いのだな。それは何よりだ。それだけの絆を持っているならば、見せたい物がある」
来るが良い。そう言って、張角が踵を返した。
自分も、寝台から立ち上がって、張角の後をついて行く。しかし、蘇双が先導していた。
「蘇双殿、ひょっとして、高鳴ってますか?」
「ん? まぁ、そうさな。俺の気でもでかくなったか?」
「なかなかに、大きいですよ、今のあなたの気は。そういうのは、嫌いではないです」
実際、蘇双の気が大きくなるのは、自分にとっては望ましかった。気が大きくなっているときは、それだけ生気が大きくなる。
今の蘇双の目は輝いている。だが、宗教のそれに取り憑かれている眼ではないことは、よく分かった。
何かをしようとしている。そうとしか思えなかった。
だから何をやるのか、張世平には非常に気になって仕方がなかった。
そう思いながら、洞穴の中を進む。
洞穴の中はかなりの数の灯火が灯っているほか、各所に画面付きの小型端末が置いてあった。
そこには様々な情報が配置されている。機刃の整備状況まで書いてあるくらいだった。
「まるで軍の基地ですね」
「ああ。それもそうだろう。ここは半ばそれだからな」
蘇双と共に、怪訝な顔をした。
何故宗教組織が軍事力を持っているのか、やはり気になって仕方がない。
「その顔を見るに、やはり疑問に思っているようだな。まぁ、これを見てみれば分かる」
言うと、張角が一つの部屋の前に来た。
扉を開く。
光が、一気に広がった。思わず、眼を細めた。
光に目が慣れると、そこは非常に広々とした石造りの床がある場所だった。
しかし、その直後、呆然としてしまった。
そこには、何万もの農民がいた。いや、元農民、と言った方が正しいかもしれない。
何故そう思うのかと言えば、服装だ。確かにありきたりな農民の服を、皆して着ている。ただ、特徴的なのは、皆が黄色の頭巾を巻いているというその一点につきる。
服装だけならば、別に問題はなかった。
問題は、手に持っている得物だ。
皆農具ではなく、槍を持ち、戦闘訓練に励んでいる。
それを指揮しているのは、張角によく似た顔をした、二人の男だった。一人は張角より細く、もう一人は張角の二倍近くの体つきを持った筋骨隆々とした男だった。
張角が入ると同時に、先ほどまで調練をしていた手が、一斉に止まり、張角を拝み始めた。
大賢良師様。皆口々にそう言っている。
人を惹きつける魅力も、桁外れだ。これだけの勢力を結集させるのも、さぞ苦労しただろうと、想像に難くなかった。
「兄上か。その商人が、馬元義が救助した者達か?」
細い身体付きの男の問いに張角は頷いた。
「商人ねぇ。で、一人は竜人か。なるほど、こりゃ面白い組み合わせだな、大兄者」
筋骨隆々とした男が、豪快に笑いながら言った。
「人に縁あり。我らもそうであろう」
二人とも、張角の言葉に頷く。
「そういえば自己紹介がまだだったな。私は
細い身体付きの男-張宝の眼が、少し不気味に輝いた。
気の大きさは、確かに大きいが、張角ほどではなかった。
「俺は
筋骨隆々の男-張梁が、また豪快に笑った。この男の気も、張宝とほぼ同等だった。
しかし、これくらいが普通な物で、張角だけが異質なのだと、張世平は思った。
「なかなかの数ですな。ですが、あなたのことだ。これだけで全兵力、というわけではありますまい?」
「そうだな。これで全てではない。全国に百万、それが我ら太平道の信者だ」
また、別の男が調練を受けていた農民の列をかき分けて出来た。
全身に傷を負っている。眼も片眼が焼けただれた跡があったが、ヤケにしっかりした足取りで歩いている。
服装は、幹部と言ったところなのか、張宝や張梁ほどではないにしろ、そこそこの物を着ていた。
しかし、百万人の宗教組織ときた。これまで聞いたこともないような規模だ。目が飛び出そうになった。
それを治めるのは、張角程の気量がないと難しいのかと、思わざるを得なかった。
それとも、自分はその張角の気に惹かれているのだろうか。それが張世平には分からなかった。
英雄とは何であろう。
確かに、張角は英雄であろう。だが、英雄と一言で言っていいものなのか。
こういった者は、まだいるのだろうか。何故か、胸の中にそんな想いが去来した。
「ああ、馬元義殿もいらしていたのですか」
「覚えていてくれたか、商人。あれから三日も経ったからな。それに、その竜人も清々しい顔で何よりだ」
我が耳を疑う発言だった。まさか三日も自分が寝ているとは、思いもしなかったからだ。
しかし、何故蘇双はこの馬元義という男の名を知っているのか、気になった。
「気になる、という顔をしているな。まぁ、お前が知らなくても当然だな。俺も救助された後に名を聞かされたからな。お前が刺されそうになった時にその機刃を後ろからぶっさした機刃に乗っていた男、それが馬元義殿さ」
なるほど。どうやらこの人が本当に命の恩人らしい。
そう言われると、頭を下げ、そして自分の名前を言っていた。
「なるほど。では改めて張世平とやら。君に自己紹介をしておこう。私は馬元義。この太平道の大司教という大任を、大賢良師様から仰せつかっている」
大司教ということは相当上の役職だ。そんな男が機刃に乗っていたということが、何よりも驚きだった。
「この傷、驚くかね?」
「確かに、それもあります。しかし、あなたは大司教という職にありながら、機刃を駆って賊を駆逐した。何故、そのようなことを?」
「私は、元々漢軍の出身でな。それで機刃が使えるのだ。辺境の反乱で重症を負ってな、それで捨てられた。ところが、大賢良師様が私に癒やしの術を施した。それでここまで身体が動くようになったのだ」
「癒やしの術、ですか?」
「そうだ。おぬしとて分かるだろう。身体が軽いことが」
確かに、起きたときにやたら身体が軽いのは気になっていたが、そういうことだとは思わなかった。つまり張角がその癒やしの術を施していたことになる。
これを何人に施しているのか、まるで見当が付かないが、少なくとも相当数に施したのだろう。それが信者の拡大に繋がった可能性は高いと、張世平は見ていた。
「癒やしの術、というのは?」
「単純に言えば、気の巡りをよくする事で、自分の持つ自己回復作用を高める物、ということだ。私にはそれが使える」
張角が、なんてことがないように言った。
その術が使える者がいれば、家族は死ななくて済んだのだろうか。
その考えだけは、なかなか抜けそうにない。どちらにせよ、もう過去のことだ。
「なるほど。そういった力ですか。しかし、気に関しては竜人のみが見えるのかと思っておりましたが」
「いや。私は竜人のようにその気の流れを可視化することは出来ん。あくまでもそうではないかと気の流れを予測することが出来るだけだ。だからこそ蘇双、おぬしと共にいる張世平は、生半可ではなく貴重な存在よ。私とてそばに置きたいくらいだ」
「残念ながら、それは出来ませんな。張世平と俺とは盟約を結んでいる故」
「分かっておるよ。おぬしらの縁を切ろうというつもりはない」
揺さぶりをかけているのだろうか。少し、そのことが疑問に感じられた。
蘇双の袖を、少し引っ張る。
「蘇双殿、ひょっとしたら、張角殿は何かをほしがっているのでは?」
「やはりお前もそう思うか。で、お前が見る限り、気はどうだ?」
「桁外れですね。気になる点はありますが、ね」
ふむ、と一度蘇双が考えた後、ぽんと手を叩き、そして、張角に拱手した。
「いいでしょう。張角殿、我らは信者になることはありませんが、私達の持つ輸送網があれば、いくらでも武具の調達は出来ます。もちろん、機刃の部品さえも、ね」
提案としては最適解だと、張世平は思った。
しかし、張角は思ったよりも渋い顔をしている。出来る限り乱を起こしたくないというのは、本当なのだろう。
「いいではないか。なるほど、商人らしい。俺はこの提案、乗ってもいいと思うぞ」
張梁が、また笑いながら言った。
「我らの信徒にはならずとも、味方はする、か。まぁいいだろう。兄者、この者の提案、飲むことは十分にありかと。これから先、信徒がより増えないとも限るまい」
ふむと、張角がまた考え込む。
少し、張角が黙っていた。
一度、張角が目を閉じる。
また、深く息を吸って、吐いた。
目を開く。
少し、侮蔑に近いような感情が、見て取れた。
「いいだろう。了承しよう。武具及び機刃の部品調達、おぬしらにも任せることにしよう」
ため息を吐きながら、張角が言った。
「お任せを」
蘇双は、静かに言ってから頭を下げ、再度拱手する。
自分もまた、それに習っていた。
張角の気が、少し陰りを増した。
だが、あえて黙った。
何かあるなと、思わずにはいられなかった。
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