第259話 女官─居場所

 


 ジルがジラルド学園の3年生の時に皇子様が入学して来た。

 噂通りの……いや、噂以上の格好良くて素敵な皇子様に学園の女生徒達が狂喜乱舞した。

 皇宮にいる皇子様が同じ学園にいる……同じ屋根の下にいるのである。

 運が良ければ平民達でさえお近づきになれるかもしれないと皆が夢見てしまうのであった。


 その頃に流行った小説の『王子様とその辺の娘の恋物語』は庶民棟の女生徒達を熱狂させ、貴族棟の令嬢達に囲まれた2歳年下の皇子様を見ながらクラスメート達は毎日の様に妄想話に盛り上がっていた。


 勿論ジルも皇子様に憧れる気持ちは例外では無かった。

 貧しさ故に奨学制度で入学出来たジルは、成績が落ちれば退学になる事から勉強しないわけにはいかなかったが……


 そう言えば……

 あの本のヒロインと王子様との出会いは図書館だったっけ……

 そんな淡い期待を胸に学園の図書室に通った。

 しかし……図書室に居るのは庶民棟の女生徒達ばかりだった。



 その後ジルは学園を首席で卒業をして奨学制度を利用して文官への道を進む。


 文官養成所には平民女性としては初めての入所であった。

 必然と貴族達との壁を自ら作り上げて自分の居場所を作らなければやっていけなかった。



 文官養成所を修了する頃、皇子様の側近のクラウド様から直々に自分の下で働かないかと声を掛けられ、学生時代に憧れた皇子様の側にいる事になったのである。


 初めて自分の居場所が孤独では無くなった。

 あの雲の上の人が直ぐ側にいて、あの素敵な笑顔で話し掛けられ、あの誰もが羨む皇子様の横に並ぶ事が出来る存在になったのである。



「 彼女は刺繍とオペラ観劇とお茶をいれるのが苦手なんだ 」

 皇子様がクラウド様にそう言っているのを聞いた。


 刺繍なんかした事も無かったが、自宅に帰っては来る日も来る日も練習したら、刺繍したハンカチが売れる程に上手くなった。

 オペラをこっそりと観劇に行ったらすっかりハマってしまい、今では休日の楽しみになってしまっている。

 お茶の入れ方を一生懸命練習して美味しくお茶を入れる事が出来る様になった。

 たまに皇子様から直々にお茶を頼まれる事もある程になった。


 私は、彼女の苦手な事を上手くやる事でこっそりと優越感に浸った。



 公務で女官長が居ない時は皇子様の世話は私がした。

 皇子様が上着を脱げばそれを受け取り、皇子様の香りのする上着をずっと手に持つことが出来、上着を着るときは袖を通すのを手伝えるのである。

 その時の……周りからの羨望の眼差しで見られる事が快感だった。


 最近はクラウド様の代わりを務める事も増えた。

 そうすると皇子様は、意見や助言を私に求めて来る事もあるのだ。

 皇子様に認められるのはこの上もなく幸せな事だった。

 だから……前もって公務の内容も懸命に勉強した。

 勉強をすればする程にクラウド様は代わりを任せてくれる様になった。



 そんなある日の公務で皇子様がやたらと時間を気にしていた。

 その日はお妃教育の日だった。


 私は彼女が皇宮に来るのが嫌だった。

 彼女が来ると私は執務室から追い出され、また最近では皇子様はサロンに足を運んで執務室から居なくなるからである。



 だから……

 あの日皇子様は柱の影にいる彼女に気付いていない様だったので私もわざと知らない振りをした。


 皇子様に仕事の話を話し掛ける。

 皇子様と平民の私が階段上で並び、階段下から貴族の彼女が私達を見上げているのを見ると……


 とてつもない恍惚感に包まれた。



 今回の視察に女官長が同行しないと聞いて喜んだのもつかの間、まさか彼女が同行するとは……




 私は彼女が嫌いだった。

 そして……

 彼女といる時の皇子様も嫌いだった。


 王女様といる時の皇子様は素敵で好きだった。

 皇子様と王女様……

 舞踏会での2人のダンスは素晴らしかった。

 金髪の皇子様と銀髪の王女様のダンスは本当に美しく、どちらも背が高く見栄えのする、まるでお伽噺を見ているかの様な素晴らしいお2人だったのに……



 彼女の前では素敵な皇子様が崩壊し、デレデレと媚を売るような皇子様になる事が嫌だった。


 それに皇子様は彼女にだけ優しい。


 彼女が荷物を持っていたら持ってあげるのだ。

 皇子様なんだから荷物なんか持たなくても良いのに……

 荷物を持ってる皇子様なんか見たくない。

 勿論私が荷物を持っていても皇子様が持ってくれる事は無い。



 公務をしている皇子様の側にいる時こそが私の居場所。

 特別で無くても良いし、特別になれなくても良いからどうか私の居場所を取らないで欲しい。



 2日目の朝の事、クラウド様が席を外した時に皇子様に言ってみた。

「 殿下……私には居場所がありません……平民の私は貴族の彼女達とは話も出来ませんから…… 」

「 そうか……同じ馬車に乗る様にしたのは迂闊だったな 」

 クラウドに相談すれば良いよと優しい皇子様は言ってくれた。


 皇子様と婚約者様が口論になった事は何だか気分が良かった。

 それも……

 皇子様は彼女より私の意見を尊重してくれたのである。



 だけど……

 貴族と一緒に居るのが嫌だと言った私に、皇子様は何故彼女に同行する様に言ったのだろう?





 ***





 今、馬車に揺られ眠りこけている彼女を見る。


 夜の帳が下りる頃に診療所を発った馬車はナニアとローリアとジルとレティを乗せ、グレイとロンは馬車の横を騎乗して駆けている。

 次の宿に向かって馬車はカラカラと静かに走る。



 皆で何かを成し遂げると言う事の達成感を初めて体験したジルはこの日あった事を考える。



 彼女の言葉が走馬灯の様に駆け巡った。


「 平民平民って、私はさっきみたいに女だからって馬鹿にされて来たわ。だけどそんな差別に挫けた事なんか1度も無いわ! 」


 彼女は公爵令嬢。

 我が国の最高位の貴族であるのに……

 差別をされる場所なんかに居なくても良い筈なのに、彼女は馬鹿にされても差別される場所に居るのだ。



「 私の周りにも平民は沢山いるし貴族も沢山いる、皆努力をして頑張っているわ!そこには平民も貴族も関係ない! 皆が自分の仕事に誇りを持っているわ……医者がこんな事で諦めたら助かるものも助からないのよ!」


 誇り……

 その誇りの為に、あんなに小さな彼女が凄い剣幕で歳上の医師に怒りをぶつけていた。



「 それに……今年は庶民病院の平民医師がローランド国に視察として派遣されて行ったわ、時代も変わって来てるのよ 」


 平民の医師が……

 時代は変わって来てるの?



「 差別する奴はどんな奴にでも差別をするんだから、そんな低俗な考えしか出来ない奴のクダラナイ言葉をずっと胸に持っててどうするの? 」


 気が付くと涙がボロボロと零れていた。


 刺さっていた棘が涙と一緒に抜けていく様な気がした。

 物心が付いた時から泣いた事なんて無かった。

 泣く事は負ける事だと思っていたから……


 涙を流す事がこんなにも心が洗われるとは……


 そして……

 心の底から笑った事も無い。

 お腹を抱えて笑う事がこんなにも心が豊かになるとは……


 眉毛ボーン……

 ああ駄目だ。

 ジルは静かに肩を揺らし泣きながら笑った。


 皆が寝てるのに笑ったら駄目だ!

 駄目だと思うと余計に笑いが込み上げてくる。


 ジルはこれから暫く地獄の様な時間と戦わなければならなかった。





───────────────────




これで女官シリーズは終わりです。

次は騎士シリーズです。


読んで頂き有り難うございます。

 

 






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