第3話 Episode.3

(ここが115階……)

エレベーターに表示された3桁の数字を見て、私は息を吐いた。いくらこのエレベーターの上昇スピードが早いといえども115階に行くまでに結構時間がかかる。

扉が開くと私はすぐにエレベーターから降りた。

115階にはアンドロイド保管庫以外には何もないようであった。

保管庫はルームAからルームGまであった。ルームEを探して、まるで一面灰が被ったかのような真っ白な廊下を歩く。

曲がっても曲がっても同じ景色が延々と続くせいで、自分が今どこにいるか分からない。同じ所を延々と回っているのか、ちゃんと先に進めているのかも分からない。無味乾燥な空間が無限に広がる場所にいるうちに段々気分が悪くなってきた。

(ここの社員になったからには、この景色に慣れないといけないわよね……)

そう思いながらふらりと角を曲がろうとしたとき、音もなく誰かが現れた。よけきれずその人にぶつかってしまう。

「おっと、ごめんね」

そう言って私を支えたのは整備服を着た髪の長い女性だった。工具箱を持ち、クリップボードを小脇に抱えている。

「大丈夫かい?」

その女性がこちらを見て薄く笑った。中性的な顔立ちのその女性の顔をよく見れば、バーコードが印刷された左の頬とは別に右頬に罰印のような傷があった。

「君がセオの言っていたセクレかな?」

声も中性的だ。もしかしたら女性ではないのかもしれない。

「そ、そうです。あなたがエンジーニさんですか?」

そう尋ねると彼女が頷く。

「ああ、そうだよ。ボクがここの整備士Mechanicさ。これからよろしくね、セクレ」

帽子を取ってエンジーニが軽くお辞儀をした。まるで俳優であるかのように無駄のない、絵になる動作だった。

「こちらこそよろしくおねがいします」

私も頭を下げる。そんな私の顔をエンジーニが覗き込んだ。

「君、あまり顔色がよくないね。どこかで休んだ方が良いかな」

頭の中がぐるぐると回っているかのような感覚に襲われていた私は、エンジーニの優しい声かけに返事もろくに出来ず、黙ってこくりと頷いた。


エンジーニに支えられながらゆっくりと廊下を歩く。

ルームGと書かれた扉の横にあった小さな機械にエンジーニが右手の甲をかざすと、電子音がして扉が開いた。

セオが同じようなことをしていたのを思い出す。どうやらアンドロイド達は、端末のかわりに右手にチップが埋め込まれているようだ。

保管部屋は円形だった。アンドロイドが上にも奥にも何層にもつらなっている。皆同じような白い服を着て、その目蓋は優しく閉じられていた。

目が散るほどおびただしい数のアンドロイドがいるのが目に入ってきて、さらに目眩がひどくなったのがわかった。辺りを見回すとまるで自分以外の全てが回転しているような気がしてくらくらしてくる。

「少しそこで待っていてくれるかな。ここのアンドロイドだけ検査したらすぐに……」

彼女の言葉がフェードアウトでもしたかのように途中で聞こえなくなる。

(あ……)

私は自分でも気づかぬままに意識を手放したようだった。


ふと目を覚ませば、薄暗い視界の中で目の前に白く細長い物がいくつも垂れ下がっているのが目に入ってきた。ぎょっとして目をこらすと、それは天井からぶら下がったチューブであることが分かった。

ゆっくりと体を起こし、辺りを見回す。どうやら私は白い台の上に寝かせられているようだった。

(ここ、どこ……?)

見たこともない場所だ。自分がここに来るまで何をしていたか、どうしてここに来たのかなどを考えるも頭がいまだぼうっとしていてうまく働かない。

なんとかエンジーニと会ったところまでを思い出したところで、靴音がしたのに気づいた。

「やあ、起きたかい?」

聞き覚えのある声にはっとして振り返れば、薄暗がりからエンジーニが現れた。彼女は私の方を見て困り顔を作っていた。

「君がいきなり倒れたからびっくりしたよ」

「すみません」と頭を下げる。きっとここまで運んでくれたのだろう。

目が慣れてくるといろいろな機械が部屋の中に置いてあるのが分かった。ここは一体何をする場所なのだろうと視線を巡らして、やけに肌寒いのに気づいた。

ふと視線を落として自分の体を見て、私は目を丸くした。天井から垂れ下がったチューブの先についたベルトが私の腕や足のあちこちに取り付けられているのが目に入ってきたのだ。

しかも、今の私はスーツを身につけておらず、下着姿になっていた。

(ど、どうして?いつのまに服を……?)

困惑したようにエンジーニを見る。その視線を受けて彼女が笑った。

「君の調子が悪そうだったからね。すぐにでも検査をしないとと思って」

そう言ってエンジーニが近づいてくる。手に持っていた工具箱から工具を取り出し、彼女が微笑む。

「大丈夫。すぐにボクが直してあげるよ。だから、心配しないで……」

そう言って優しく私に触れようとする彼女の手から逃げるように私は体を縮こまらせた。それからできる限り彼女から距離を取ろうとして、白い台の上で対角線上に後ずさった。

「あ、あの、私、アンドロイドじゃ……」

そう自分の体を抱いて怯えたように言うとエンジーニがいたずらっぽく笑った。

「ふふ、知っているよ。ジョークだよ、ジョーク。びっくりしたかい?」

彼女の言葉に顔が真っ赤になるのが分かる。ガードンといいエンジーニといい、ここのアンドロイドは結構意地悪らしい。

私が怒ったようににらみつけるとエンジーニが困ったような顔をして両手をあげた。

「ごめん、もうしないよ。だからそんなに睨まないで」

工具をおいて私に近づくと、体のあちこちに装着されたベルトを外す。

「あの、服を……」

小さな声で彼女に話しかける。下着を着ているとはいえ、さすがにこの格好でいるのは恥ずかしい。

「ああ、そうだったね。はい、どうぞ」

そう言ってエンジーニがスーツを手渡してくれる。私がお礼を言ってそれを受け取ったのと同時に扉がノックされた。

「エンジーニ、セクレを見かけませんでしたか?」

扉が開いて入ってきたのはセオだった。視線をめぐらし、台の上にいる私に目を止める。

何度も言うが、私は今下着姿だ。そして同性のエンジーニならともかく、セオは異性で、しかもCEOだ。

自分の顔が耳まで真っ赤になるのが分かった。

「おや、セクレここに」

いたのですか、とセオが言い終える前に私は「見ないでください!」と叫んでいた。


スーツに着替え終え、顔を真っ赤にして俯く私を見てセオが腕を組んだ。

「私は人間ではなくアンドロイドなのですから、気になさらなくてもいいのですが」

「それはそうですけど……」と私は言いよどむ。そうは言うが、見た目はやっぱり人間の男性なのだからあんな姿を見られたら恥ずかしいものだ。

「それにしてもあなた、どうしてここにいたのですか?クリンと一緒にいたはずでは……」

そういぶかしげな顔をするセオに私はここまでの出来事を話した。

私の話を相づちを打ちながら聞いていたセオがため息をついた。

「全く、彼女には注意をしておかなければなりませんね」

そうやれやれといった顔をするセオに私は慌てて口を開く。

「いえ、私が一人でいいと言ったんです。彼女は何も……」

「そうかもしれませんが、彼女が与えられた仕事を放棄したのは事実です」

そうきっぱりと言うセオに私は顔を青くする。このままではクリンが怒られてしまう。

(どうしよう……)

何を言おうかと考えている私と、そんな私を見ながら腕を組むセオを見比べ、エンジーニが口を開いた。

「まあまあ、そんな怒らなくてもセクレが他の従業員に会えたんだから結果オーライじゃないか」

そう言うエンジーニをちらりとセオが見る。エンジーニがその視線を受けて薄く笑った。

「さて、新しい従業員にも会えたことだし、すこし休もうかな。お茶でも飲まないかい?」

エンジーニの言葉に少し考え込んでから「いいでしょう」とセオが賛同する。

「よし。じゃあ、後から紅茶を持って行くから、君たちは先に応接室に行っていてくれないかな」

「分かりました。行きましょう、セクレ」

エンジーニの言葉に潔くセオが頷く。私が返事をするのを見てエンジーニがまた薄く微笑んだ。


セオと共に応接室に向かう途中でクリンと会う。彼女は私を見てほっとした顔をしたあとに、セオに視線をずらして気まずそうな顔を作った。

「クリン、私はあなたにセクレを案内するように頼んだのですが」

冷めた口調でセオが言う。怒りを露わにしておらず、敬語ないせいか余計に怖く感じられる。

「す、すみません。急ぎでやらなければいけない仕事があるのを忘れていまして」

そう言ってしょんぼりするクリンを見てセオがため息をついた。

「まあいいでしょう。……私はエンジーニの手伝いをしてきます。今度はちゃんと彼女を応接室に連れて行くように」

クリンが返事をするのを見届けて去って行くセオとすれ違うようにガードンが歩いてきた。ポケットに手を入れたままちらりとセオを見る。

「あれ?説教はいいんすか?」

そうからかうように言うガードンを見てセオが足を止める。

「……あなたには今度きちんと時間をとってお話しします」

クリンに対して注意していたときとは比べ物にならないくらい低く底冷えのする声に私は身を震わせるが、ガードンのほうは至って平気なようだ。

「はあ、そうっすか……」

いかにも面倒くさそうな顔をするガードンに特に怒ることもせず、セオはゆっくりと歩いて行った。ガードンがこちらに歩いてきて、しゅんとしているクリンに話しかける。

「クリン、何かあったんすか?」

私と警備室で話していたときとは全く違う優しい口調でクリンに声をかける。クリンがぱっと顔を上げた。

「な、なんでもないんです!私がおっちょこちょいなのが悪いので……。ガードンさん、心配してくれてありがとうございます」

そう言って笑うクリンを見て「それならいいっすけど……」と納得がいっていない顔でガードンが頷いた。

「何かあったら俺にすぐに言ってくださいね。クリンのためならどこにでもすぐに飛んでいくし、相手が例えセオでも守るんで」

そう言って胸を叩くガードンを見てクリンが

「はい!ありがとうございます、ガードンさん!」

と花が咲いたように可愛らしい笑みを作った。

それを見てガードンが柔らかい笑みを浮かべる。それはまるで子供を見る親のような、慈愛に満ちた笑みだった。

私はその様子を眺めて、ガードンがクリンのことが好きなのに気づいた。

(アンドロイドも恋をするのね……)

そう思いながら二人を微笑ましく眺めている私の方にクリンが振り向いた。

「そうだ、セクレさん。早く応接室に行きましょう!」

そう言ってにっこりと笑うクリンとは対照的にガードンが冷ややかな目線を私に向けた。「あんたも来るの?」と言いたげな目だ。

(私のことは本当に嫌いなのね……)

私は肩身がせまく思いつつも頷いた。


「エンジーニさんが入れる紅茶は、とってもおいしいんですよ」

うきうきしているクリンが私にそう話しかけた。

応接室のソファにはエンジーニとセオを除いた全員が集まっている。クリンの話では、セオが全員にメールを送ったとのことだった。

「セクレさん。どうですか、この会社は」

クリンが私の顔をのぞき込む。クナーもクリンの横で身を縮こまらせ、私の顔を不安そうに伺っている。

「そうですね……。ちょっとまだ社内の風景には慣れませんが、皆さんと一緒にこれから働けると思うと嬉しいです」

そう言う私を見てクリンが嬉しそうな顔をした。

「そうですか。それならよかったです!」

それから

「セクレさん、他のアンドロイドさんはなんて言うか分からないですけど、私には敬語を使わなくていいですからね!」

と付け足した。その言葉に私は頷く。

「わかったわ。じゃあクリン、あなたも私に敬語を使わないで」

そう言うとクリンは少し困った顔をした。

「えーっと、それは……。なんとなく、セクレさんには敬語を使わないと、って思ってて……。しばらく敬語でもいいですか?」

自分だけ敬語を使わないというのは変な感じがしたが、クリンが本当に困った顔をしていたので、私は笑って

「いいわよ。好きなように言ってちょうだい」と言った。

そう言うと「ありがとうございます!」とクリンが花がさいたように笑った。

その笑みを可愛らしく思って見ていると、ふとどこからか視線を感じた。

顔をあげるといつの間にか向かいに座っていたガードンが射るようなまなざしを私に向けていた。

『早くここから出て行ってくれないっすかね?これ以上ここに居座るなら、俺、あんたのことを殺しちゃうかもしれないっすよ?』

警備室で彼に言われたことを思い出して、背筋がぞくっとするのを感じた。

『殺す』なんて相当憎んでいる相手にしか使わない言葉だ。何故初対面の彼にそこまで言われなければならないのか私には皆目見当がつかなかった。

(私、彼になにかしてしまったのかしら……)

彼は監視カメラで常に私のことを見ていられる。気づかぬうちに彼の癇に障るようなことをしてしまったのかもしれない。そう思ってここまでの行動を思い出しているとがちゃりと扉が開いた。

「やあ、お待たせ」

エンジーニがおしゃれなトレーに紅茶をのせて入ってきた。その後ろからセオが現われる。

「今日はハーブティーだよ。ゆっくり香りを楽しんでね」

セオが私から見て左手に、エンジーニが右手に座った。

鮮やかな色をした紅茶が入ったカップがソーサーと共に私の前に置かれる。それと共にハーブティーのいい匂いが体の中に染み渡ってくる。

どこかで嗅いだことがあるような、安心する香りだ。私はカップを持ち上げしばらく香りを楽しんだあとゆっくりと喉に流し込んだ。

「どうかな?気に入ってくれた?」

私が紅茶を飲んだのを見届けて、エンジーニが尋ねた。

「とてもおいしいです。ありがとうございます」

そう言うとエンジーニはまたかすかな笑みをみせた。

「それならよかったよ。また飲みたかったらボクに言って。いつでも作ってあげるから」

さらにエンジーニが女性なのか男性なのか分からなくなってきた。もしかしたら髪の長い男性なのかもしれないし、一人称が『ボク』の女性なのかもしれない。ただ面と向かって聞くのはマナー違反の気がしたためやめておいた。


全員が紅茶を飲み終わり一息ついたのを見計らってからセオが口を開いた。

「さて、全員揃ったことですし、セクレが来てから初めての会合を開きましょうか」

彼の言葉に全員が体勢を整えた。いや、ガードンだけはまだ足を組んでいた。

「会合といっても、明日の業務の連絡だけですからそんなにかたくならないでください」

そう言ったあと、セオは私の方を見た。

「セクレ、明日からワークロボット社は事業を再開します。今日はもう帰っていただいてかまいません。明日、9時15分前に社長室に来てください。場所はもう分かりますね?」

「はい」と私は返事をした。

「それならいいです。では今日はこれにて解散とします。私は社内を見回ってから出入り口を施錠するので、あなたたち従業員は早めに家に戻ってください」

セオがそう言って立ち上がった。それを合図とするように他のアンドロイド達も思い思いに動き出した。

クリンが紅茶のカップを集め出す。私もそれに従った。

紅茶がもう入っていないのにもかかわらずカップが温かいのは、きっとソーサーの機能のおかげだろう。

「ねえ、クリン」

小声で私はクリンに声をかける。

「なんですか?」

「社長は、いつも一人で社内の見回りをなさるの?」

私の質問に一瞬クリンはきょとんとしたあと

「はい、そうですよ」と言った。

「でも、社内の様子は監視カメラでガードンさんが見ているんじゃ……」

「そうなんですけど、最後の点検はセオさん自身でやりたいそうなんです」

そう言ってクリンが微笑んだ。

「セオさんはとても働き者なんです。皆尊敬してるんですよ。セオさんが頑張っているから、私も頑張らなきゃって思えるんです」

クリンの可愛らしい笑みを見ながら私は考える。

一人でこんなにも広い建物を点検するなんて、考えただけで気が遠くなりそうだ。

アンドロイドは人間と違って面倒くさいといった感情はないようではあるけれど、きっと大変に決まっている。

私はティーカップ集めを切り上げて、立ち上がると応接室から出て行こうとするセオを追いかけた。

「あ、あの」

セオが怪訝な顔で振り返る。

「なんです?」

相変わらず話を早く切り上げたいときのような素っ気ない返事には慣れないけれど、私は臆さず言葉を紡いだ。

「私も社内の見回りをお手伝いします」

そう言うとセオが不可解な面持ちで

「何故です?それはあなたの仕事ではありませんが」と言った。

「こんなに広いと、一人で見回るのは大変ではありませんか?せっかくセクレになったのですから社長の仕事を少しでも手伝いたいと思いまして」

セオがこちらの真意を探るかのようにじっと私を見た。無表情ではあるが、彼は驚いているのだと感じた。

「手伝ってもらえばいいじゃないか」

沈黙を切り裂いたのはエンジーニだった。セオがエンジーニの方を振り返る。

「君一人だけだと大変だろうって前からボクも思ってたんだ。せっかくセクレが来てくれたんだから、頼ってもいいんじゃないかな」

セオは何も言わなかった。エンジーニの方を向いているためどのような表情をしているか全く分からない。

「……分かりました」

しばらくたったあと、セオが呟いた。そして私の方を見る。

「しかし、あなたは体調が悪かったはずですが」

そう言われ「今はもう大丈夫です」と答える。強がりではなく、本当にエンジーニの紅茶のおかげで今は気分が良くなっていた。

「そうですか……。では、あなたは10階以下を見てきてください」

この建物はかなり高い。10階など全フロアの1/100にも満たないだろう。

「え、でもたったの10階がなくなっただけで、社長の仕事量が少なくなることは……」

「かまいません。あなたにどこかで倒れられる方が困りますから」

そうきっぱり言われ(確かに)と私は納得する。

「全て見終わったら社長室の前に来てください。いいですね?」

「はい」

私の返事を聞くと、セオは踵を返して応接室から出て行った。私も後に続く。

「セクレ、ありがとう」

エンジーニの声がした。振り返ると応接室にいた皆がこちらを見ていた。

私は軽く会釈をすると応接室を後にした。

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