第7話


「日曜日に皆で遊びに行く事になったんだけど、至も行くよね?」


そう笑顔で聞いてきたのは、他でもない麗香だ。


 一緒に遊びに行くことを本当に楽しみにしているというような純粋な笑顔。大抵の男の人は一発で落ちそうな、思わず見とれてしまう程の表情を向けられて――




 ――僕は少なくない苛立ちを感じた。


「私が計画したんだよ! 最近は至が塾の時間増やしちゃったからちょっと寂しくて……一緒に楽しもうね!」


普通に聞けば可愛らしいそんな言葉も僕には傍若無人なものにしか聞こえない。


 なんで僕が断ることをかんがえていないのだろうか。そんなに暇な奴だとでも思われているのだろうか。麗香の自分勝手な考え方に苛立ちは増す一方だ。


「至はいいよなぁ。新子さんからこんなに想ってもらえてさぁ」

「あぁ、羨ましいったらないね」

「相良君の事もちゃんと考えてあげててさ、麗香ちゃんってやっぱり優しいよね!」


周りからもそんな声が聞こえてくる。


 僕が日曜日に麗香たちと遊びに行くのはもう全員に周知された事のようだ。


 なんで僕の予定を勝手に決められなければならないのか。


 僕は麗香の所有物じゃない。


「……ない」

「え? どうしたの至?」


「あ~ごめん麗香。日曜日は別の予定があるから無理だよッ」


伝え方にはこれでも気を遣った。


 行くわけないだろ! と叫びたい気持ちを理性で押さえつけて、いつも通りの穏やかな声で、いつも通りの緩やかな口調で、やんわりと行けない事を伝えた。


 なんでそうしたかと言えば、感情をそのまま言葉にしてしまったら麗香にどんな反応をされるか分からないからだ。


 両親の前で泣かれた時の事を思い出す。


 今この状況であんな事になったら、クラスに居づらくなるのは間違いない。


 だからこそ穏便に済ませようと気を遣った。




 そのはずだったのに、僕は一瞬身体が震えるほどの恐怖を感じた。


 無理だと伝えた瞬間に麗香から表情が消えた。


 周りを魅了するような笑顔は消え失せて、吸い込まれそうな黒い瞳に穴が開きそうな程見つめられた。


 僕は動けなかった。


 麗香も動かない。


 ただその真っ黒な瞳だけがせわしなく動いていて、僕の全身を舐めわすようにとらえている。


 想像したように泣くでもなく、怒り出すでもなく、ただ僕を見つめてくる麗香。


 こんな表情は今まで一度も見た事はなかった。


「……ってなに?」

「え? な、なに?」


まるで動いていないように見える麗香の口から、呟くような低い声が漏れて来た。


 聞き返すとまっすぐに目を見つめられ、黒々としたその瞳が怖くなった僕は目をそらした。


「予定ってなに?」

「僕にも友達と遊びに行く約束くらいあるからさ」

「学校にいる至の友達には、そんな予定ないはずだけど?」


さらりとそんな事を言われて震えそうになる。


 まさか確認したわけでもあるまいし、なんでそんな事をはっきりと言えるのか理解できない。ただ麗香が納得していない事は確かだ。


「塾の友達だからね、学校の人は関係ないよ」

「……へぇ、塾の」


麗香はかみしめるように呟いた。そこまでは考えていなかったのかもしれない。


「いくら麗香からの誘いでもさ、先に約束してた人に悪いでしょ? だから今回は仕方ないと思うんだけど」


畳みかけるように正論で武装する。


 先に約束していたのに他の人と遊ぶから、なんて理由でキャンセルするのはいくら何でも酷すぎるだろう。麗香もそれを否定はしないはずだ。


「……」

「……」


相変わらず無表情で見つめてくる麗香。何を考えているのかまったく分からない。


 もしかしてここまで言ってもまだ何か納得していないのかと身構えた時――


「そうだったんだね! そういう事なら仕方ないかぁ。うん、残念だけどまた今度にしようね至!」


――今までの能面のような表情が幻だったかのように、麗香はまたいつもの笑顔に戻っていた。


「え? あ、あぁ、そうなんだ! ごめんね麗香」

「いいのいいの、そんなに気にしないで、でも次は一緒に遊んでくれると嬉しいな」

「そ、そうだね、予定がなければもちろん僕も参加するよ」

「約束だからね! じゃあ皆、至は残念だけど私たちは予定通りに楽しもうね」


思わず拍子抜けしそうになる。


 今の麗香にはさっきまでの不気味な空気は感じない。


 前の時のように泣きだしたりもしないで、すぐにこちらの言い分を認めてくれた。


 何か不穏なものを感じた気がしたけれど、考えすぎたと自分に言い聞かせる。だって普通は予定があれば仕方ないで終わる話だ。つまりこれが普通なんだ。


 麗香も、もう大人になったのかもしれない。そう考えれば、変に警戒するのが馬鹿らしくなってきた。


 クラスメイトたちとはしゃいでいる麗香を見て、安心した僕はホッと胸をなでおろした。





「ぅ、ぅぅ、まさかホラー映画だったなんて」

「ごめんって、そんなに苦手だとは思わなくて」

「むしろ速水さんはああいうの平気なの?」

「結構見るから……あ、ひ、引かない?」

「引かない引かない! すごいなぁって思うよ」

「そ、そっか……ならよかった」


待ちに待った日曜日の午後、僕は予定通りに速水さんと一緒の休日を過ごしていた。


 少しだけ警戒していた麗香もあれからは特にごねるような事もなく、きっと今日はクラスメイトたちと遊んでいるに違いない。


 心配事もなくなって今は思う存分速水さんとの休日を満喫していた。


 塾以外で会うのは今日が初めてだった。


 待ち合わせ場所に行くと、時間より早く着いたのに先に速水さんが待っていてくれて、慌てながらも嬉しかった。


 いつもとは違うシチュエーションで会う速水さんは、なんだか普段よりも可愛らしく見えた。


 いつもは制服な分、私服姿も新鮮だったし、塾ではない場所でも速水さんがいるという事実に自然と胸がドキドキしてくる。


 喋りながら適当に歩き、速水さんが観たがっていた映画を一緒に見て、それから少しこじゃれたレストランに入って、二人で早めの夕食を食べた。


 両親が厳しい速水さんの家では、午後の時間を自由にするだけでも相当大変だったみたいで、僕のためにそこまで頑張ってくれたのかと思うと胸が熱くなるのを止められなかった。


「もし成績落ちたらヤバイかも」

「えぇ?! だ、大丈夫?」

「平気平気。最近さ、勉強に身が入るっていうか、なんか調子いいんだよね。相良君と話すようになって、前より休憩とか多くなったのに、なんか不思議だけどね」

「あ、僕も最近すごく調子いいよ! 速水さんがよく教えてくれるし、絶対成績上がってると思うんだ」

「このまま二人で遠くの大学でも目指しちゃう?」

「う、速水さんのレベルの大学となると、僕はもっと死ぬ気で頑張らないとね」

「あはは、いつでも勉強付き合ってあげるわよ」

「頼もしいかぎりです」


食後もずっと話をしていると、どうでもいいチャットで僕のスマホが揺れて時間が表示された。


 それを見た速水さんが今までの楽しそうな表情を曇らせる。


 どうやらもう時間のようだ。


 僕たちは名残惜しさで動かない身体を無理やりに動かして店を出た。


「あ~あ、もう時間かぁ……ホントは一日中一緒にいたかったな」


思わず漏れた。そんな表現が適格かもしれない。


 周りには人がいない。暗くなった静かな帰り道で速水さんがボソッとそんな事を呟いた。


 言った本人がすぐに顔を真っ赤にして口を押えていた。


 言われた僕の顔も多分負けないくらいに赤くなっているに違いない。


 僕たちの間に沈黙が流れる。


 ただ嫌な感じはしない。


 熱に浮かされたような、ドキドキして、それでいて心地いい感覚。


「また、二人きりで会いましょう。僕も速水さんともっと一緒にいたいです」

「……約束だからね。また何とかして時間作るから、絶対一緒に過ごしてよね」

「はい、約束です! いつでも言ってください、僕の時間は速水さんのためにあけておきますから」


熱くなる心のままに言葉を紡ぐ。


 熱のこもったような瞳で見つめられる。


 その瞳から目を離せないでいると、何かを期待するかのように速水さんが瞼を閉じた。


 目を閉じた速水さんに、少し見惚れる。


 綺麗だった。


 僕はひきつけられるように顔を近づけていき、もう唇が触れそうなところまで顔を近づけた。



 

 けれど、それ以上は行けなかった。


 ただの意気地なしなのかもしれない。けれど、僕は速水さんの事をもっと大切にしたいと思った。


 キスは出来なかったけれど、その代わりに速水さんの手に指を絡ませると、少し驚いたような表情で速水さんは目を開けた。


「……してくれないの?」

「その、速水さんを大切にしたくて、もしよければ、今度、ちゃんとプレゼントとか、伝えたい言葉とか、考えて来るから!」


失望されたかもと思ったけれど、そんな事は杞憂だとすぐに分かった。


 手を強く握り返されて、肩に体重がかかってくる。速水さんの全てが愛おしかった。


「約束、破ったら承知しないわよ。楽しみにしてるからね」

「うん。僕も次に会える時が楽しみだよ」


少しでも別れる時間を伸ばしたくて、僕たちは寄り添ったままゆっくりと帰り道を歩いた。

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