四_092 狼問題と後門の虎



「殺してほしい」


 ぽつりと言う。

 暗い通路の中で。


「そう頼まれた」

「……」


 まだ幼かったはずのフィフジャに、彼を庇護していたカリマが頼んだ。


「殺してくれ、と」

「そう」


 カリマ・セスマムコーレは狂っている。

 ミドオムが言っていたことは本当だ。



 治癒術士はカリマのことを不死の研究の成果のように言っていた。

 不死身の肉体。

 それがどういう苦悩なのかアスカにはわからない。知りようがない。


 とにかくカリマは死を願い、フィフジャにそれを依頼した。

 おそらく精神的にかなり病んでいたのだろう。そんなカリマを見て、コカロコはフィフジャを教会から出したのか。


 一の司とか呼ばれるラボッタに預けた。

 カリマから頼まれた死の願いは、彼らには話さなかったのかもしれない。



「森で」


 隠し事。というか言えなかったことを、暗がりの中で呟く。


「君たちに会って、思ったんだ」

「……」

「彼女を殺せるのかもしれないと」


 アスカ達に、殺させるつもりだったのか。


「だけど君らに……君らは、人を殺せるような人間じゃない」


 だから迷い、サナヘレムスに来るのを嫌った。

 カリマや治癒術士に顔を合わせたくないという気持ちもあっただろうが。

 来る理由があって、けれど悩み、葛藤の末に流れに任せてここまで来て。


「僕が最初にカリマ様に会った時に様子がおかしかったのって」

「……ヤマトが彼女を殺すかもしれないと。まさか着いていきなり会うとは思わなかったから、何もかも最初から仕組まれていたのかと考えた」

「そんなわけないじゃん」


 考えすぎだ。

 最初にヤマトがカリマに会ったのは迷子になっていただけ。

 やたらと動揺していたのは、ヤマトがカリマを殺すのではないかとか、隠していた後ろ暗い気持ちを知られたと思ったからなのかもしれない。


 カリマとの邂逅が済み、カリマは死なずヤマトも殺人者などにならず。

 安堵して、サナヘレムスに滞在することを承諾したのか。




 運命のいたずらだとか、神様の予定通りだとか。

 偶然、フィフジャが大森林でアスカ達と出会い、その兄妹が不死の教母を殺す宿命を背負っていた。なんて。


 出来すぎている。

 けれどフィフジャの主観ではそう見えたのかもしれない。



 大森林の奥地で不思議な子供を見つけた。

 フィフジャ自身も、予言の子だとか呪い子とか呼ばれる誕生日の生まれで、奇妙な宿縁を感じて。


 とりあえずリゴベッテまで連れてきたものの、どうするべきか迷っていた。

 彼にとっては育ての母の願いを叶えるべきか。

 まさかアスカ達に人を殺してくれとも言えなくて。

 フィフジャ自身もカリマを殺したいなどと思っていなかった。だから。



 話していてくれたなら、と思わないわけでもない。

 だけど、相談されても何か出来たとは思えない。

 その時点でアスカにとってカリマは見ず知らずの誰かで、義理でも何でも母を殺すなんて駄目だと答えるしかなかった。


「……」


 殺してくれというのが一つ目の約束だったとして。

 もう一つはなんだったのか。

 殺す約束を果たす為にヤマトを連れてきた。

 別の約束の為にアスカを?


「……」


 訊くのはやめた。

 言い終える前にフィフジャが強く否定した。

 悲鳴のように。拒絶のように。


 アスカが女だから、なのだろう。

 親が子に願うことならわからなくもない。聞く必要はない。

 とりあえず今は違う・・のだろうし。



「ま、フィフ自身が決めたんならいいんじゃない」


 声音がつい軽くなってしまう。

 フィフジャが、カリマより自分たちを選んだことで気が軽い。

 単純だと思うけれど、ヤマトだって似たようなものだろう。


 逆だったら、きっともやもやしていた。

 同じフィフジャが決めたことでも、こっちを選んでもらえなかったら絶対に納得などしていない。



「きっと、さ」


 慰めのつもりではないが、ふと思った。


「あの人も、こうなるのを望んでいたんじゃない?」


 追ってこなかった。

 魔術を当てなかった。

 逃げ道を……進むべき道を教えてくれた。


「……どうだろうな」

「……」


 たぶん彼女は、本当に母親だったのだ。

 血の繋がりとかではなくて、フィフジャの未来を願う本当の母親だったと。



「外が近いぜ。お喋りはやめとけ」

「……」


 先頭を行くミドオムに言われて口を閉ざした。


 隠し通路はなだらかに下がったり上がったり曲がったり。

 空気穴などもあったが行く先はわからない。見えない。

 人生なんていうのも、まあそんなものか。




「……ここか」


 ヤマトが呻く。


 曲がりくねった道を進んだら断崖でした、とか。

 そんな人生もあるのだろう。ただの隠し通路だけれど。


 どこかの庭の上。高い建物の横腹が終点。

 樹木の梢に近い。建物で言えば三階くらいの高さ。

 さすがに飛び降りるには高すぎる。


 開けっ放しの口から雨など吹き込まないのかとも考えるが、どこかに水抜きの穴もあったかもしれない。

 この隠し道自体がカリマの浴室から湿気を逃がす換気口だった可能性もある。


「こんなこともあろうかと、ってね」


 フィフジャを連れて町から逃げ出すつもりで来たのだ。

 荷物は持っている。フック付きのワイヤーロープも。


「あー、狼問題じゃんこれ」

『グゥ?』

「ううん、グレイじゃなくて」


 羊と狼を順番に向こう岸に渡します、とかいう。

 殺人狂ミドオムを先行させるのも後ろに残すのも不安。


「俺が先に行く。その後がお前だ」

「へいへい」


 フィフジャ、ミドオムの順番に降りた後、ヤマトがクックラを背負って降りた。

 ヤマトに向けて荷物を投げ落とし、残ったグレイとアスカ。


「グレイ、平気?」


 問題ないという様子を見せたグレイにロープの端を咥えてもらって下まで降りた。

 グレイは少し助走してから、やや離れた樹木の梢近い枝に飛び乗り、別の枝にジャンプして器用に降りてくる。

 さすがにアスカでも真似できない。


 グレイが降りてくるのを見て気づいたが、樹木の葉が多種になっている。

 一つの木に複数の葉っぱ。接ぎ木を重ねたのだろう。

 なんの意味があったのかわからないが。



「んで、あんたまだ着いてくるの?」

「黄の樹園を出るまでな。お前らまたどこで騒動起こすかわかんねえし」

「あんたに言われるのほんっとに腹立つ」


 腹は立つけれど揉め事が少なくないのも事実。

 いくつかの原因は言っているこの男のせいなのだけれど。


 地図もあるが、やはり見知らぬ場所だ。

 ヤマトはこの場所を知っていたらしい。教母の裏庭とか。

 とはいえ、夜明け前の暗がりで慣れない場所。フィフジャも本調子ではないから、ミドオムの案内があるのは悪くない。


「治癒術士はいない、な」

「あっちに集まっているんだろう。衛士も」


 位置関係で言えば、元の建物から隣の区画。カリマの住まいからは反対側に出た。

 正面側で騒ぎを起こしたのが、結果的に他を手薄にしてくれたか。


 敵の警戒にグレイの耳を頼りつつ、なんとか南へと抜けた頃には少しずつ空が白み始めていた。



  ◆   ◇   ◆



「よお」


 サナヘレムスの北側に出入口はない。

 実際には大聖堂の裏側にも大門はあるが、閉鎖されている。見張りもいる。


 町を出るのなら南の正門か東西にいくつかある通用門。

 それ以外は大きな壁に囲われているというのも、さすが神が作ったという町だ。


「遅かったじゃねえか」


 だから、南に向かおうとするのはわかっていただろう。


 町を出る前にできればイルミに挨拶をと思ったのが悪かったのか。

 そうでなくともこの男なら待ち構えていたかもしれない。


「ちぃと寝ちまったぜ」

「そのまま寝ていればよかったのに」


 師に対して、フィフジャの言葉は冷たい。



 ラボッタ・ハジロ。

 どういうつもりか、ヘレムの陽だまりでアスカ達を待ち構えていた。


「……」


 意味もなく、というわけでもないのだろう。


「治癒術士なんざ当てになると思っちゃいなかったが」


 たった一人で。

 まだ頭ものぞかせていない太陽の光が、まるで巨大な壁のように立ち塞がる男を横から照らす。


「どれも捕まえられねえってのも情けねえな」

「困るんだけどなあ、一の司」


 ミドオムが前に出た。


「俺はこいつらを守れって命令受けてるんだよ」

「知ったことじゃねえ」


 はっと笑う。


「俺は誰の命令も聞いちゃいねえからな」

「じゃあなんだよ?」

「興味があんだよ。その娘に」


 指されたのはアスカだ。

 どいつもこいつも。


「……変態」

「おとなしくここにいるってんなら手荒な真似はしねえつもりだったが」


 荷物をまとめて夜明け前に揃っているアスカ達を見て、溜息を吐く。


「逃げるつもりなら、ちぃと強引にでも引き留めることになるぜ」

「勝手なことを」

「なあフィフジャ」


 文句を言おうとした弟子に、師が笑う。


「ズァムーノでこいつらをよく見つけてきたな。お望み通り、お前は好きに生きろや」


 このタイミングで師弟としての繋がりを断つようなことを。



「だから」


 フィフジャの表情が強張り、身構えた。

 ミドオムは相変わらず薄笑いのまま、それでも半歩下がる。


「好きに生きて、好きに死ね」


 アスカもヤマトも荷物を放し、グレイがクックラを後ろに引いて下がった。


「魔導の探求の糧になるんなら、才能からきしのお前を育てた甲斐もあったってもんだ」


 どこまでも身勝手なことばかり。

 変人で自分勝手な危険人物。

 聞いていた通りの男で、その関心が悪い形でアスカに向けられた。


 聖堂都市サナヘレムスで生活していれば、この男の手の届く範囲のこと。

 だから今まで強引なことはせずにいた。

 治癒術士どもにアスカたちのことを吹き込んだのもラボッタだったのか。


 残るなら、手荒なことはしないと言う。

 だがこちらはつい先ほど大きな騒ぎを起こし、教母カリマ・セスマムコーレと決別してきたところだ。

 この町に残ればどういう扱いを受けるか。

 最悪、連続殺人事件の犯人と見做され捕縛。そして治癒術士の餌食になりかねない。



「……殺すぞ」


 息を飲みながらフィフジャが呟いた。

 カリマに対してそう宣言出来なかったフィフジャが、ラボッタに対して。

 いや、聞かせたのはアスカ達に対してか。

 腹を括り挑むしかない。話し合いが通じる相手ではない、と。


「出来なきゃお前らが死ぬだけだ。俺ぁ嬢ちゃんだけ生きてりゃいい」


 ラボッタの方は元からそのつもりだ。

 彼は他人の命をなんとも思っていない。殺人行為を楽しむミドオムとも違う。


「嬢ちゃんを置いて逃げるって道もあるか。しかしまあ……」


 にやりと笑った。


「勝てると思ってんなら、せっかくだ。見せてやるよ」


 多対一で、決してラボッタ優位ではないはずだが。

 怯む様子などまるでなく、むしろこの状況を面白がるように。


「世界最強の力ってやつを、な」


 かつて教会を相手に一人で戦ったという。

 生きる伝説が、アスカ達の道に立ち塞がった。



  ◆   ◇   ◆

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