四_087 見えざらぬ神の手_2



「フィフ」

「……アスカ、か」


 驚きはない。むしろ納得したような声音。呆れたような、安堵したような。

 狭くもないが広くもない部屋。

 別に豪華ではないがちゃんとした寝台と、カーテンの下がった奥に地下の下水に繋がるトイレらしいものも見える。

 室内に石造りの水受けもあって、綺麗な水が流れ出ていた。


 ちょっとした宿というか、普通の町の宿よりずっと良い造りだ。

 囚人を閉じ込める牢にしては整いすぎているようにも思うが、他にそういう部屋がなかっただけかもしれない。



「良かった、フィフ」

「俺は大丈夫だ。そっちは何もなかったか?」

「平気よ」


 眠っていなかったのだろうか。いつもは寝起きがいい方ではないのに。

 この状況で寝ぼけられても困るだけなので別にそれでいいけれど。


「俺のことはいいから、君らはこの町を出ろ」

「私がそれにうんって言うと思う?」

「全然思わないが……俺は……」


 久々に見るフィフジャは、それほど疲弊している様子はない。

 ただ時折、痛そうに顔を歪める。


「足をやられた。折れている。とても一緒に行けない」



 たぶんフィフジャはずっと考えていたのだろう。

 ヤマト達が大人しく逃げ出すとは考えられない。

 どうにかしてここまで来ることを予想して、頭の中で何度もこの状況を繰り返していた。


 アスカが言うだろうこと。ヤマトが言いそうなこと。

 予想していた状況だから、唐突なはずなのにひどく落ち着いて受け答えが出来る。



「知ってるのよ」


 フィフジャがそう言うだろうことを、アスカもまた想定していた。


「バナラゴ・ドムローダから聞いたもの。クックラ」


 なぜこんな危険を冒してまでクックラを連れて来たのかと。


「戸を閉めて外を見張っておくよ」


 想定通りだ。

 フィフジャが足を折られているのだと聞いていた。


 捕まって十数日。

 骨折した足が治るまでには足りない。

 足を折って横になっていたから、変な時間に睡眠を取っていたのか。だから夜中に起きていたのだ。


「……そうか」


 フィフジャが反論しないのを聞きながら廊下に出た。これもまた、お互いに想定の内のことで。

 今さらここでアスカと問答しても時間の無駄だと、フィフジャもわかっているのだろう。


 クックラが治癒術を使えば光が溢れる。

 治す間の痛みがどれほどになるのかわからないが、声も漏れるかもしれない。

 戸を閉めておいた方がいいが、その間に誰かが来て閉じ込められたらたまらない。


 グレイとヤマトが廊下に出た。


「……ありがとな」

『クゥ』


 グレイがいてくれて助かった。頭を撫でて、扉の向こうから微かに響く苦悶の声に顔を顰める。



 手が疼く。

 斬り落とされ、繋がった指が痛みを思い出す。


 兇刃狂ゼフス・ギハァト。

 あの剣閃。踏み込み。強烈な力。

 今思い返しても神技だと思う。他で見たことのない強敵だった。


 治癒術でくっついた指だけれど、痛みは忘れない。

 あの男の一撃と共に。



 ほどなくクックラが出て来た。

 治癒術はそれなりに疲労もするというけれど、治りかけの骨折を治すのに疲労困憊というわけでもないようだ。


 クックラの頭を撫でて感謝を伝えると、少し照れたように背中に下がっていた黄色いヘルメットを取ってぎゅっと被ってしまった。

 この先も危険があるかもしれないのでそれでいい。


 フィフジャとアスカも続き、もうこの場所に用事はない。

 クックラも連れてきたのは治癒術だけの為ではない。サナヘレムスから去るつもりで来た。

 漫画の展開なら俺に構うなとか何だとかもっと悶着しそうだけれど、実際に助けに来ている以上今さらだ。

 フィフジャが協力的で助かる。



 しかし。


「ほほっ」


 耳に障る嗤い声。


「狙った獲物がこうも見事にかかるとは」

「神の御導きでありましょうや」

「まこと、我らに道を示しておられる」


 笑う三人。

 トゥマカ、アルテラ、ウェエナとか呼ばれていた治癒術士。

 それだけでなく十数名の、似たような連中が。


 フィフジャが囮だったのだから、こういう事態もあり得る。

 わかってはいた。

 これもまたサイコロを転がしたつもりはない。互いに想定通り。


「クックラ、中に。フィフの傍にいて」


 建物の中にクックラを庇い入り口をフィフジャに任せる。怪我を治したばかりでまだ本調子ではないだろうが、そうも言っていられない。


 荷物を置いて、愛用の槍を強く握りしめた。

 アスカも、二本のダガーを手に前に出る。


「……グレイ」


 声を掛けたのは、腹を据える為だ。


「容赦するな。殺していい」


 言葉がわかるわけではないだろうが、ヤマトの覚悟は伝わるのではないか。


 グレイは、どういうわけか人間に対してあまり攻撃的ではない。

 ヤマトやアスカの敵と見做せば牙を剥くが、他の魔獣に比べて人間への攻撃性が低い。

 友好的な魔獣。

 どうしてかこの世界の人々は、銀狼は決して人に懐かない凶悪な魔獣だと思っているが、そんなことはなかった。


 今は、魔獣本来の力を発揮してもらわなければならない。

 トゥマカたちを含めて二十ほどの治癒術士。

 殺さずに抜けられるとは思わない。だが――



「退かないなら、殺すことになる」


 殺して進むなら、道を切り開けるだろう。

 あの時フィフジャと戦った治癒術士のレベルなら、アスカとグレイが一緒ならどうにかなる。後先を考えないなら。

 もっと数がいることさえ想像していた。


「威勢の良いことを」


 トゥマカが笑い、皆を促した。

 手を掲げて、


「そなたらは殺さぬよ」


 安心しろと、まるで安心できないことを言う。


「都合よくつがいゆえ、増やせばまたより多くの恵みを得られようぞ」


 どこまでもおぞましい。

 研究材料として。

 贄として。

 食物として、というのが何となくそれらしい。


 殺さず逃がさぬようにだと思う。治癒術士から魔術の光弾がひとつ、ヤマトの足を狙って放たれた。

 その速さに驚くほどのことはなく、手にした槍でそれを散らす。続けてアスカの足を狙ったものも。


「なんと!?」


 頭の中に描いた兇刃狂の剣閃に比肩するほどの速さで。

 軌道は大体予想していたのだから、そこまで難しい話ではない。


「神様みたいな何かが見たいなら見せてあげるよ」


 十の光弾を叩き散らして言った。


「神技なら見たことがある。やってみせようか」


 彼らは見たことがないだろう。神速の剣を。

 神を見たいと言うのなら、ヤマトの知っている近しいそれを再現する。


「死んでもいいって言うならかかってくればいい。そうでないならどいてくれ」


 この問答は甘えなのだ。

 出来れば殺したくない。そういう自分を自覚した上で、腹を据える為に言った。


「僕は誰も殺したくなんかないんだ」

「ヤマト……」


 苦々しいフィフジャの声に、小さく頭を振った。


 フィフジャ、気にしなくていい。

 アスカを守る為なら、僕はやりたくないことでもやらなければならない。

 それが兄の責任なのだと思うから。



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