四_051 聖都の料理人
――おばあちゃん、もっと砂糖を入れちゃだめ?
――入れすぎても美味しくないのよ。
――お酒を入れるのに?
――香りづけと、ミルクの匂い消しね。
――氷水は?
――ウシシカのミルクも鳥の卵もちょっと濃すぎるのよね。
――?
――この方がうまく泡立て出来てよく固まるみたいなの。
――ふうん。
――甘いのが良ければ、食べる時に蜜をかけるといいわ。
――うん、そうする。シャルルも喜ぶかな?
――シャルルは蜜はいらないんじゃないかしら。
ああ、あれは。
おばあちゃんがアイスクリームを作ってくれた時のことだ。
畑で作る砂糖大根も、少しずつしか作れない蒸留したお酒も。
手間を掛けた分だけ美味しいんだと言っていた。
あれを食べる時は、みんな子供のような笑顔になる。幸せな顔。
猫たちも、好みの違いはあるけれど、皿に乗せたアイスクリームをぺろぺろと食べているものもいた。
キラキラした幸せな日々。
あの頃は、永遠にそんな日が続くのだと疑いもしなかった。
◆ ◇ ◆
ヤマトたちの体は、この世界の人々とやはり少し違う。
三半規管の鋭敏さが違ったりして、思った以上の影響を受けてしまった。
そういうことなのだろう。
意識を失ったアスカとふらつくヤマトを慌てて連れ出したフィフジャに、ヤマトからたぶん平気だと伝えた。
アスカも、大聖堂を出て歩いているうちに意識を取り戻す。
「お、とう……?」
「気が付いたか、アスカ」
「良かった、アスカ。大丈夫? ごめんなさい私が」
安堵の声を漏らすフィフジャと、涙声のイルミ。
「あれ……フィフ?」
「大聖堂で気を失ったんだ。気分が悪いことはないか?」
「……うん、そっか」
フィフジャに背負われたまま、その体から力が抜ける。
「ちょっと目が回っただけ、だと思う。うん」
ヤマトも同じような症状だった。
年幼く敏感なアスカの方が強く影響を受け、気を失ってしまった。
感覚が鋭いのも良いことばかりではない。
夜目が利く魔獣にLED電灯の光を間近に食らわせたことがあったが、こういう感覚なのかもしれない。
地球でも閃光手榴弾だとか、目まぐるしい光の明滅で失調する事例もあったと聞く。
「ごめんなさい、アスカ。私が無理に連れていったから」
「ううん、違う……不思議なところでびっくりしちゃったみたい」
謝るイルミに気にしなくていいと答えながら、
「あんなに綺麗なの、見たことなかったから」
気遣うような言葉が出てくるあたり、本当に心配はなさそうだ。
よかったと頷くイルミ。エンニィは大聖堂から出てすぐにどこかに姿を消してしまったので、ここにはいない。
大聖堂から出てきた際、警備の衛士たちが不思議そうな顔をしたが、イルミの顔を見て納得したように苦笑していた。
また中で寝ていたのか、とか。
そんな理解をされてしまうのはどうなのか。とりあえず大聖堂が立ち入り禁止ということではないのは事実らしい。
――貴方達も昼寝でしたか?
そんな質問をされて答えにくい様子のフィフジャだったが、背中のアスカが寝入っているように映ったのだろう。
衛士の交代前にイルミーノラークと共に大聖堂に入ったのかと、そう判断してくれたようでそれ以上の質問はなかった。
「アスカ、歩けるか?」
「……ううん、このままでいい」
珍しく甘えるようなことを。
実際に本調子ではない可能性もあるが、答える前に少し迷った様子にも見えた。
たまには子供らしいのもいい。
大聖堂から教会ポルタポエナ近くの道路あたりまで来ると人通りも多くなっていく。
背負われているのが恥ずかしくなったらしく、その辺りで歩くと言って降りた。
やはりただ甘えていたのだろう。
「イルミって何者なの?」
ヤマトの質問に、イルミが小首を傾げる。
「私が、なんです?」
「サナヘレムスならどこに入っても怒られないのは、普通じゃないと思うんだけど」
どうなのかとフィフジャに目を向けると、同感だというように頷いた。
「私だって入ってはいけない所もありますよ」
そう言って指を折りながら、
「皆様の寝室や、調理場。ポルタポエナの三階より上とか地下だとか」
「三階より上は賓客用の応接室らしいな。地下階は教会の事務方の作業場だ」
他人の私室や賓客用の部屋に出入りするのはもちろんダメだろう。
作業用の執務室にイルミが出入りするのも、仕事をしている人に迷惑な気がする。調理場も同じ理由だろうか。
「深緑卿の御苑や黄の樹園にも入ってはいけないんですから」
「……」
カリマ・セスマムコーレが管理する治癒術士たちが生活する場所。
隔離されている印象だったが、ヤマトがうっかり迷い込んでしまった。完全封鎖されているのではなく軟禁という意味合いのようだ。
そうした入ってはいけない場所があるにしても、イルミへの対応は色々と甘すぎるような気がする。
「それにしたって、大聖堂の中で寝てたりしたら怒られるんじゃないの? 普通は」
「ヘレムの教えに沿っていれば他は自由にしていいとコカロコ様が仰いますから」
黄の樹園の話を避けて再度質問するけれど、やはり優遇されすぎている。
「私の他にも何人かそういう人はいるそうですよ。お会いしませんけど」
他にもいるのか。
詮索するつもりはないが、きっと血筋的な何かなのだろう。
本人もわかっていないようでもあるし。ヘレムの子だから、とかそんな感じで。
イルミにとっては当たり前の生活で、疑問に思うこともない。
傍から見れば不自然に感じても、彼女にとっては不自由に感じることではないのだから。
「イルミーノラーク!」
彼女の名を耳にするのに、こんな強い感情を込められたものは初めてだ。
非常に強い焦り、あるいは怒りというか。
「どこに行っていたんですか! 心配させないで下さいよ」
「そんなに怒鳴るんじゃないよ、フゲーレ。
「いいえ、セルビタ。私がいけないの、ごめんなさいフゲーレ」
元居たコカロコ大司教の管理区域の建物近くに戻って来たところで、年若い少年が駆け寄ってきて怒鳴った。
それを後ろからきた中年女性が窘めるが、イルミの方が謝る。
「大聖堂を見に行きたくなって、つい」
「昼の時間だってわかってるでしょうに」
「やめなって言ったよ、フゲーレ。まあ巫華様も言っといてほしかったね。残ってたクックラちゃんに聞いても知らないって言うもんだから」
クックラは知っていたはずだが、しらを切ったのか。
ヤマト達が秘密の道に行くと言っていたから内緒にしたのだ。
エンニィはしばらく一緒に旅をしていた間柄なので素直に伝えたが、まだよく知らないこの二人には言っていいかわからずに。
「ごめんなさい、セルビタ。お昼が一番きれいだと思って」
「あたしは構いませんがね。ふらっと姿を消すのも珍しくないのに、フゲーレの馬鹿が騒ぐもんで」
「だけど……」
「お前は巫華様に文句言える立場じゃないんだよ。半人前のくせして」
ごつんと、フゲーレと呼ばれる少年の頭が鈍い音を立てる。
恰幅のいい中年女性セルビタの拳を受けて、首が凹むように沈んだ。
「あだっ」
「セルビタ、あの……ふふっ」
止めようとしたが、フゲーレの歪んだ顔が面白かったらしく笑いを漏らすイルミ。
コカロコ大司教周辺の食事関係を担っているセルビタと、見習いのフゲーレ。
彼女はただの料理人というわけではない。立場的には助祭長に次ぐくらいの位置付けになるらしい。
高い信頼があるから、大司教などの食の世話を出来る。
他の町なら、各地の教会の責任者である神父よりも序列では上なのだとか。
地方の支店長よりも偉い、ということなのだと理解している。
「……もう冷めてしまいましたからね」
口を曲げて、憎まれ口のようにそんなことを言う。
それは仕方がない。時間を外してしまったのはこちらなのだから。
「わかっています、本当にごめんなさい」
「温めなおしゃいいんだよ、巫華様が気になさることじゃあない。さっさとおやり」
フゲーレは不満げにセルビタの顔を見上げ、また拳が握られるのを見て速足で去っていった。
その姿に、またイルミの口からくすくすと声が漏れる。
妙なドタバタはあったが、気分は明るい方向に戻ったようで良かった。
アスカも、ごはんと聞いてお腹を擦っている。
体調に問題はなさそうで、フィフジャと目を合わせてひとまずこちらも安心する。
見ればわかるが、フゲーレはイルミのことが好きなのだ。
だから過剰に心配もするし、ああして嫌味なことも言ってしまう。
イルミの方はわかっていないかもしれないが、上司のセルビタは当然わかっているはず。
ただ、教会の序列ではそれなりに高い位置にあるはずのセルビタが、イルミのことを
やはりそれはイルミが普通の出自ではないことを示しているし、フゲーレの想いが叶うこともないのだと思う。
それでも好いていること自体が悪事ではない。
こういう場合、わかっていないイルミの方が罪深いような気がしてしまう。イルミが悪いわけではないのだが。
「大聖堂はどうでしたかね、大森林の探検家様方」
ヤマトたちはコカロコの客人として扱われているので、セルビタはこちらにも敬意をもって接してくる。
口調はそこまで畏まったものではないが。
「すごかったです、とっても。あんなに綺麗なガラスは初めて見ました」
「ああ、そうでしょうとも。神様が作られた世界で一番きれいな建物なんですからね」
やはり自慢げに。
サナヘレムスに住む人たちにとっては、この町の美観は誇りなのだろう。
教会の聖職者たちも、時間を決めて町の清掃活動などをしている。神への感謝と共に町の美観を保つために。
「超魔導文明じゃないんだ」
ぽつりと、アスカが呟いた。
神が作った建物。聖都。
これまでの旅で見て来た不思議な建物や何かは、大抵は超魔導文明が作ったと言われていた。それとは違うのかと。
「当然、人間にこれだけの町を作るなんて出来やしません……と、探検家様方はサナヘレムスの歴史を知らないんでしたかね」
やや心外というように言いかけセルビタだったが、こちらの事情を考えて頷く。
ほんの少しだけ苛立ちを見せたあと、物を知らない田舎の子供だから仕方がないというように納得したようだ。
ゼ・ヘレムの信徒にとって、神の御業と超魔導文明の技術とを混同されるのは不愉快なのかもしれない。
非礼な言動と受け止められても無理はない。激昂しないのは、セルビタも聖職者として他者を責めないことを旨としているかも。
それにしてはフゲーレには容赦なく拳を落としたが、弟子に対しては違うのか。あるいはイルミを笑わせようとわざとやったとも思える。
「それならちょうどいいわ」
間を取り持つようにイルミが首肯する。
「子供向けに聖都の歴史を綴った本があるから、明日からそれで文字の読み書きをしましょう」
準成人と呼ばれる年齢になってから、童話で文字の読み書きを練習する日がくるとは思わなかったけれど。
そんな形式で世界の常識と文字が覚えられるのなら、一石二鳥ということでいいのだろう。
◆ ◇ ◆
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