三_14 舞う暴威_2
太浮顎。
ノエチェゼの港で見た時にもヤマトは感じた。大きいと。
一丈七尺と表現するのか、五メートルを超える巨体を空に浮かばせて、鋭い牙のみならずその質量自体が凶悪な武器になる。
港で見たものよりまだ大きい。六メートル以上あるのではないかと。
そんなものが集団で、二十匹を超える数が島から飛び立つのを見て、熟練の船乗りたちも言葉を失っていた。
小浮顎の襲撃が止んでいる。
太浮顎の動きに脅威を感じたのは人間だけではないらしい。小浮顎や白い廻躯鳥も、太浮顎の姿を確認して遠巻きに旋回していた。
強大な太浮顎が襲うのであれば、巻き添えにならずにお零れに与ろうというかのように。
魔獣たちは知っているのだ。この太浮顎の猛威がどれほどの破壊力を有しているのかを。
この船団の進路を塞ぐ強大な暴力の塊に、誰もが息を飲むのだった。
「一応聞くけど、あれの弱点は?」
いつの間にか船尾から前の方に来ていたアスカの言葉に、誰もが呆けていた自分に気が付く。
ゆったりと、というように見える羽ばたきで迫ってくる巨体に、アスカは戦意を失っていない。
「寒さ以外で」
むう、と顔を歪めるフィフジャ。
地球のワニと同じなら寒さに弱いかもしれないが、今ここで吹雪など期待できるわけでもない。有効な手段で何かないのかと。
「長い距離は飛べないはずよ」
答えたのはサトナだ。
あれだけの巨体では、長距離を飛ぶことは難しいことは理解できる。
だから島に近付くまで襲ってこなかった。
問題は、今も船は島に近付きつつある進路だということ。
「水に弱いわけじゃないけど体が冷えると動きが鈍くなるって。あと地面から飛ぶ時には一度海に潜って勢いをつけないと飛び立てないはず」
「わかった。動きを止めたらフィフ、お願い」
代償術を頼む、ということだろう。体が傷むと躊躇していられない。
フィフジャは頷くが、決して明るい表情ではない。一匹二匹なら目途が立つが、やはり数が多すぎる。
「あの島ぁ過ぎたら帆を張るぞ」
ダナツが指さすのは島より少し遠く。
ヤマトの目で見る限り、少しだけ海の色が濃い気がする。
「あそこからは深いと思う。全速力で逃げるしかないわね」
「ああ、誰が食われてようが海に落ちてようが構わず行く」
あそこまで生き延びていれば、後は逃げるだけだと。
そこまでに犠牲になった者を助けている余裕はない。ダナツの視線がサトナの足元に向いたのは仕方がないことだ。
「俺が食われていても構うんじゃねぇぞ」
船長としての命令だったが、父親としての気持ちは言葉にならなかった。
見る間に迫ってきた太浮顎の体当たりで船縁の木材が砕け散った。
大きく船が揺れる。巨体がぶつかったのだから当然だが。
船に乗り込んだ太浮顎に船員たちが一斉に攻撃を仕掛ける。投げられた手斧は、硬い鱗に阻まれたのか当たり方が悪かったのか、表面で弾かれた。
「どべぇっ!」
振り払われた尻尾で、船員が数人薙ぎ払われる。
重い一撃。
質量があるというのはそれだけで強い。
機敏な動きではないが、船のような限られた空間では手が付けられないような力を有している。
「負けるか!」
再度振るわれる尾に、ヤマトの手斧が叩き込まれた。
「ぅっぐううううぅぅっ!」
全力で力を込めて踏ん張るが、太浮顎の力に押し負けて弾き飛ばされた。
太い尾に突き刺さった手斧はそのまま手から離れ、払いのけられたヤマトの服がずたずたに裂けた。
胸にも、広範囲に擦り傷を。。
ざらっとした表皮で服ごと少し削られてしまった。
「く、つぅ」
「ヤマト、大丈夫かい!」
平気だと手でメメラータを制した。傷そのものは浅い。平気でないことがあるとすれば武器を失ったことくらい。
太浮顎にも痛みはあるのか、尻尾に刺さったままの手斧を気にするように体を揺するが、深く食い込んだそれは抜けなかった。
致命打にはなっていない。甲板という不安定な足場でなければ、もっと切れ味の鋭い武器だったら、あの尻尾を切断できたかもしれないのに。
ないものを願っても仕方がない。
足元に転がるのは、先ほど太浮顎の体当たりで砕けた辺りにあったロープくらいか。
「……これでも」
使い道はある。
己を傷つけたヤマトを敵と認識して睨む太浮顎と、ロープを手にしてにらみ合うヤマト。
「後ろから!」
アスカの叫び声。
ヤマトの背後から大口を開けて飛び込んでくる太浮顎。
鋭い牙がびっしりと生えた大きな口が、ヤマトを背中から捕えようと――
「わかってる!」
跳び上がる。
太浮顎のように飛ぶことは出来ないが、跳ぶことなら出来る。
太浮顎の動きは決して素早いものではない。小浮顎よりも遅いし、あまりの巨体の為に急な方向転換も出来ない。
「よっと」
ヤマトが立っていた場所を通りすぎて甲板をそのまま過ぎていく太浮顎。
その先には、ヤマトが正対していた最初の一匹がいた。
『ギュアァァァ!』
突っ込んだ勢いのまま別の太浮顎と激突する。
質量が大きいことが武器になるのであれば、それを利用することも出来る。太浮顎同士の衝突エネルギーは決して小さくない。慌てて止まることだってできない。
「よし!」
衝突でふらつく太浮顎に、ヤマトが手にしていたロープを巻き付けた。
体にではなく、その翼に。
四枚の翼の根元をロープで巻いて、反対側をアスカに投げた。
「うん!」
「せえのっ!」
思い切り引っ張る。
ヤマトとアスカの
荒縄が翼の根元に食い込み、ぶちぶちという感触を残しながら引きちぎった。
『ギエェェェァァァッ!』
悲鳴を上げる一匹の背中から大量の血が吹き上がる。
この巨体を支える翼の付け根なのだから、かなり太い血管が通っていて当然。
次の一匹というか、尾に手斧を指されたままの太浮顎が、体勢を立て直してヤマトに襲い掛かろうと足に力を籠めた。
「させるか!」
横から飛び込んできたフィフジャの持つ手斧が、その目玉あたりに深々と突き刺さる。
のたうち回る巨体にフィフジャも弾かれたが、頭へ食らわした一撃は尻尾への攻撃と違って十分な有効打だった。
「負けてらんないね!」
「ああ」
ボーガはどこにあったのか船を漕ぐ
その一撃で櫂の方も折れているが、太浮顎は海に叩き込まれて姿を消す。
折れた櫂を手にしたボーガに、今度は正面側から別の太浮顎が口を開けて飛び込んできた。
「ボーガ!」
サトナの悲鳴。
「ぬううぅ!」
大質量の巨体が牙を剥いて迫る中、ボーガは折れた櫂を縦に構えた。
その顎に捕えられたのは、つっかえ棒のようになった櫂と、食らいついてきた勢いのまま後ろに吹き飛ばされたボーガ。
構わずに噛み千切ろうと口を閉ざすと、口の中でつっかえていた半分の櫂ごとボーガの腕を噛み砕く。
「ぐぅっ」
『ギェェッ!?』
噛みついた直後に、太浮顎は再び口を開いて嫌うように船べりから海に逃げていった。
口内に折れた木が突き刺さったのだろう。痛みで口を開けてくれたおかげでボーガの腕は食い千切られなかった。
血塗れの腕で立ち上がるボーガ。
「ボーガ! 中にいけ!」
「ぐ、う……だが」
「邪魔だってんだよ!」
船首から吹き飛ばされたボーガはダナツのやや後ろにいた。ダナツに怒鳴られ、反論しかけたところにメメラータからも怒号が飛ぶ。
食い千切られなかったものの、その両腕には無数の牙が突き刺さっており、どくどくと血が溢れていた。
ボーガは歯を食いしばり、痛む手でドアを開けて船室へと急いでいった。
ケルハリに治療してもらえばまだ戦えると、そう思っての急ぎ足か。
だがボーガの戦線離脱で、状況はより厳しくなってしまう。
他の船の状況もひどい。
ギュンギュン号とは別にそれなりの戦力も有しているが、惨状という他にない。
太浮顎の顎に捕えられた船員が、空の上で断末魔を上げながら複数の太浮顎に食い千切られていた。
サブマストを圧し折られている船もある。
甲板に乗り込んだ太浮顎に決死の覚悟で手持ちの武器を叩き込む船員たち。
「ミシュウ! ミシュウ、しっかりして!」
泣きながら光弾を叩き込む若者がいる。叩き込まれる太浮顎の口には別の若者が咥えられている。
叩き込まれる光弾を鬱陶しそうに尻尾で振り払うと、太浮顎は一度海に飛び込むとその勢いで空へと舞い上がった。上顎と下顎で捕らえた獲物を噛み直して。
「……ネフィ、サ……」
状況は最悪だった。
正直なところを言えば、ヤマトやアスカにとっては決して限界ではない。
太浮顎の動きは大振りで、巨体なので姿を見失うこともない。
避けて攻撃を加えるというだけならまだ当分は続けられる。なかなか有効打になりにくいとは言え、太浮顎とて不死身ではない。
落ちている折れた船材の破片でも、攻撃後の動きを止めた太浮顎の目に突き刺すことは出来るし、翼の付け根は柔らかく攻撃が通る。
繰り返して一匹ずつ倒すことは出来るが、その数がまだ十よりかなり多い。
ヤマトたちが無事でも、船が致命的な損傷を受けたり航行するための船員がいなくなってしまったら意味がないのだ。
「あとどれくらい!?」
進行方向を確認するサトナに聞くが、頭を振られた。
メインの横帆を畳んでいて速度が出ない。かといって今帆を張って、そこに太浮顎が突っ込んだらどうなるのか。
ヤマトはメインマストを見るが、張られた索具のロープと青空と、悠々とはばたく太浮顎の姿があるだけだ。
ジリ貧というところか。
削られながら、ここを離脱できるタイミングを待つしかないのか。
――いやああぁぁっミシュウゥ‼
すぐ斜め後ろを並走する船から叫び声が聞こえた。
また一人削られる。
食われる。
大海原の空を舞う巨大な魔獣の群れに飲み込まれ、散っていく。
「こんな……」
状況に歯ぎしりしながら、サトナを抱きしめてジャンプした。
サトナを狙って飛び込んできた太浮顎。ヤマトには手持ちの武器がなかったので、引き付けたところで全力でジャンプした。
「ひゃあっ!」
「ごめんっ」
声をかけている余裕がなかった。
船首辺りからマストに向けて斜めに張られたロープを掴み、飛びかかってきた太浮顎を避けた場所に降りる。
船の揺れには慣れた。
地上と変わらないとまでは言わないが、それに近い動きが出来る。
波に合わせられたらもっと出来るかもしれない。それくらい海に慣れてきたのに、まだヤマトの力は足りない。
今ほどサトナを狙った太浮顎に対して、アスカが牽制した横からメメラータが斧を叩き込んだ。
荒い息で肩を揺らすメメラータ。彼女もかなり消耗している。
「た、助かったよ、ヤマト」
メメラータが礼を言うのはサトナのことだ。
彼女の代わりに守ってくれたと。
当のサトナは、放心したように島の向こうを見ているが。
「大丈夫だった?」
どこか怪我をしたのか、それとも何かまずかったのか。
「あ……あ、違う……」
ヤマトが訊ねると、サトナは弱々しく首を振る。
ゆっくりと、手を、島の向こうを指さして。
「何か…来る……っ!」
ジャンプした時に見えたのか。
ヤマトは足元の太浮顎に気を取られていて見えなかったが。
太浮顎の脅威が去っていない船首だというのに、この瞬間だけ時間が止まったかのように静けさが支配する。
島の向こう。
まだ決して近いとは言えないその方角から何か来ると、それが視認できたというのかと。
「まさか……」
ヤマトの背筋に冷たいものが流れた。
メメラータの顔も青い。応急手当を終えたのか、船室からボーガも顔を出した。
「……ネレジェフ、か?」
指を差した方角は西側。そちらを見てフィフジャが口にした最悪の存在。
それは程なく他の船からも視認できた。
海面を、ジェット噴流でも起こすかのように爆発的な水飛沫を巻き上げながら、猛烈な速度で迫ってくるそれを。
間違いなくこちらを、ギュンギュン号を目指して加速しながら突っ込んでくる水飛沫に、誰かが呟いた。
「
初めて聞く名前だった。
「凶鳥だ」
◆ ◇ ◆
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