三_10 水乙女_2



 代償術が使い勝手が悪いと言ったのはフィフジャの師匠だったか。

 ラボッタ・ハジロとかいう名前の魔導師と呼ばれる人で、リゴベッテではけっこうな有名人らしい。


 あまりその名を出すなとフィフジャからは言われている。有名な名前というのは厄介事も招きやすいのだとか。

 そういえばフィフジャ自身も、ノエチェゼでフィフジャ・テイトーとは名乗っていない。

 ケルハリと喧嘩になった時も、彼がその名を知っていたからという理由のようだったけれど。


 それは今は関係ない。代償術が世間一般で非効率的な魔術もどきと認識されていることは事実らしい。

 使う人間も少ないし、確かに何でも出来るというわけでもない。半端な力という印象もわかる。


「使い方次第よね」


 半端な力でも出来ることはある。

 ちょっと温めたり、ちょっと冷やしたり。

 先ほどのやり取りで少しイヤな気持ちになったので、それを忘れる為に自分に課した職務に没頭する。


 海水を掻き回す。

 樽に汲んだ海水に片手を突っ込んだまま、軽くバシャバシャと遊ぶ。


(水を動かさない方が効率いいかな?)


 落ち着きを失くしていた右手の動きを止めて、集中してみた。


「……」


 左手には鍋の蓋を持っている。

 最初はアスカが持っていた鍋を使っていたが、もっと大きいものをと要求したら厨房の大鍋の蓋を用意してくれた。いつも使っている鍋の予備らしい。

 右手に力を、左手にも力を。


 ――ん。


 熱めのお風呂という感じだろうか。

 バケツに水を汲んで真夏の日差しの下に置いておくと、案外とすぐに減ってしまう。

 沸騰するほどではない温度でも蒸発するのは早まる。


 樽に汲んだ海水を温めて、湯気が立つその上に金属の鍋の蓋を斜めに掲げる。

 温まった海水の代わりに左手の鍋の蓋が冷える。

 凍り付くほどの温度ではない。冷蔵程度の温度だから、触れている手が凍傷になるほどでもなかった。


 加湿した空気を冷却すればどうなるのか。

 難しい話ではない、結露して水滴が出来るのだ。


 除湿器という家電製品がある。少し能力が大きいものだと、十リットル以上のタンクが数時間で満杯になったりする。

 湿気を取り除こうとし続けて室内で運転させた場合の話でそういった数字を出せるわけだが。

 加湿しながらそれを行えば、短時間でどれだけの水を確保できるのか。


 海水の入った樽から少しずらして斜めに構える鍋の蓋の下には、別の空樽がその結露した水を受けとめている。短時間でもそれなりの量に。

 水不足だと困り顔の彼らにアスカが実験した成果は、船乗りたちに彼女を海の聖女と崇めさせるほどの信仰心を生み出していた。



「無理すんなよ、嬢ちゃん」


 船の影でそれを行うアスカに船員たちが声をかけていく。

 珍しい魔術で真水を作ってくれる可愛い少女ということで、水乙女と呼ばれるようになった。

 別に望んだわけではないのだが。


(……まあ、私に似合っていないとは言わないけど)


 悪い気分ではない。

 いや、それなりに嬉しくて、つい張り切ってしまっている。


(綺麗で可愛い感じだよね。ズァムナの巫女に水乙女。次は何て呼ばれちゃうかな)


 さらなるランクアップも目論んでいた。


 船の影で水を生成しているのには理由がある。強い日差しでアスカが参ってしまわないようにということと、他の船の連中に見つからないようにと。

 技術を秘匿したいというギュンギュン号の思惑もあるし、アスカの有用性を知った他の船が何か悪さをしないとも限らない。

 だから船の影で、船員が汲んでくる海水に手を突っ込んでいるのだ。

 アスカがやりやすいように適度な高さの椅子や台まで用意された。気分はちょっとしたお姫様だ。


「疲れていないか?」


 フィフジャがやってきた。クックラも一緒で、簡単に食べられるように固めて焼いたものを持っている。


「大丈夫……はむ」


 クックラが差し出したそれにかぶりついた。

 決して行儀が良いとは思わないが、仕事中で手が離せないので許容範囲のはず。


「んぐ……ありがとう、クックラ」

「ん」


 もう一口で食べきってしまう。口の中が満杯になってしまった。



「そんな代償術の使い方があるとはな。俺も知らなかった」

「んん……んむ」

「いや、いいから食べててくれ」


 食事中に話しかけてしまったとフィフジャが苦笑を浮かべてアスカを促した。

 その左腕にはまだ生々しい傷が残っている。おそらく跡になってしまうだろう。

 アスカの為に負った傷だと思えば申し訳ない。彼はそんなことを言わないが、やはり申し訳ない。


「アスカも少しは休んだ方がいいだろう。俺が代わろうか」


 フィフジャがそう言ったところで、彼の後ろにぬぅっと人が姿を現す。

 数人の船員さんたちだ。その中の一人は肩に大きく包帯を巻いたコデーノという白耳鼬に噛まれた男だった。

 数人でフィフジャの首に手を回し、仲良さげに肩を組む。


「何言ってくれてんだ、兄さん」

「そうだぜ、兄さん。いくら兄さんでも水乙女の仕事に横入りはいけねえや」

「だな。それぞれ役割分担ってもんがあらぁ」


 船乗りというのはそれぞれ持ち場があるものだ。もちろん複数の持ち場をこなせるが、与えられた持ち場を完璧に遂行することを求められる。

 そういう気質なので、役割分担というものには厳しいようだった。



「お前ら……」


 フィフジャが半眼で彼らを見据えた。

 アスカはクックラと顔を見合わせる。何が始まるのだろうか、と。


「どういうつもりだ?」

「どういうつもりって、兄さんよ」

「聞きてえのはこっちだぜ」

「まったくだ」


 船員たちの気持ちはブレない。

 フィフジャが見かけによらず強者であることは、先の戦闘で知ったはずだが。

 しかし彼らが怯むことはなかった。

 この青空のように明らかなことをなぜ理解できないのかと言うように、フィフジャに諭す。



「野郎の手ぇ突っ込んだ水と、水乙女の手から滴る水。どっちが飲みてえかって話だろ」

「聞くまでもねえやな。野郎の手なんざ女の足よかヤだぜ」

「そうそ……いんや、足ってんなら……そうか、足なあ」

「お前らな……」


 船員たちの目がアスカに向いた。

 バカな目をしている。輝くほどバカな顔だ。


「嬢ちゃん、疲れたなら足で――」

「フィフ、疲れたから交代ね」

「んのぉぉぉぉぉ!」


 バカの相手をするのは疲れるのだ。




 フィフジャは使えなかった。

 代償術が使えなかったとかそういう意味ではなくて、役に立たなかったというか。

 足手まといというか、本当に。


「本当に魔術の才能ないのね」


 げえげえと船縁で吐いているフィフジャに、いっそ感心してしまっているアスカだった。

 吐くまでやることもないだろうに。


「……」


 フィフジャに魔術の才能がないというのは聞いている。世間で魔術士として認められるようなことが出来ないことはわかっている。

 火種の魔術が使えないことで、その発展の光弾の魔術も使えない。

 そういうことだと思っていたのだが。


「う、ぶげぇえ」


 それだけではなかった。

 フィフジャには魔術の才能がない。


 アスカは、海水を沸騰させない程度の出力で、蓋を凍らせない程度の力で、適度にやっていた。適当な加減というか。

 持続しなければならなかったし、沸騰させたら火傷してしまう。


 いつもフィフジャが代償術を使う時に傷んでいることだし、アスカも水蒸気を発生させた時には自分の手が傷んだ。

 別に常に全力を出すこともない。自転車を全力で漕ぎ続けるのではなくて適度な力加減で進めるように。


 アスカと同じことをフィフジャがやろうとしたのだが、そういう調整がとても難しいらしい。

 彼は、百かゼロかという使い方以外はの調整は得意ではないのだ。

 それすら得意ではないのか。とにかく魔術的な才能が極めて低い。


 師匠に呆れられたと言っていたフィフジャだが、彼の弟子にあたるアスカでも少し、何というか、やはり呆れてしまうほど才能がなかった。


「吐くまでやらなくてもよかったのに」


 代役を務めると言い出した意地だったのかもしれないし、アスカにいい所を見せようとしたのかもしれない。

 だが、出力調整に手間取った挙句にこの有様。


「フィフ……休んだ方がいいよ」


 正直、邪魔なので船室に帰っていてくれと。

 そこまで言わないだけの恩義は感じているのだが、素直に言った方がいいだろうか。

 ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返すフィフジャの背中を見ながらアスカは悩むのだった。

 つい先日の恩がなければ言葉の鋭さで止めを刺したかもしれないところだ。



  ◆   ◇   ◆

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