二_053 チザサの当主_3



「っと、子供をからかうのはまあこれくらいで。叔父さん、今後のことを相談しときましょうか」

「それが用件か」

「それも用件です。他にもありますが」


 なんだろうか。からかうことだろうか。人をからかうのが趣味だという話だったのでそうかもしれない。

 悪趣味だ。妹とは少し違うが、厄介な趣味であることは同じだ。



「嵐が収まったらそれなりに混乱するからね」

「ヒュテ……おぬし、わしを舐めておるのか?」


 不意に、アウェフフが低い声で問う。

 機嫌が悪くなったというのも違う。声の調子が日常から非日常に切り替わったような。


「からかっているのかも」


 対するヒュテの様子は変わらない。

 雰囲気の変わったアウェフフの正面に座っていながら大した胆力だ。知り合いだとはいえ、少しは緊張感が増してもよさそうなものなのに。


「……試されておるのか。ワシが耄碌もうろくしたかどうかと」

「おっと、怖い顔になってますよ。ああ、悪い顔は生まれつきだったっけ」

「やかましいわ」


 深く息を吐くアウェフフ。

 悪戯好きな親戚の悪ガキと叔父といった雰囲気に戻る。


「ワシは隠居ではないぞ」

「よかった。現役で」

「ふん、耄碌扱いしたくせに言いよるわ」


 ヤマトには意味が分からない。

 ラッサの顔を見るが、彼女も何の話なのかわからないらしく首を振る。


「純真さも悪くはないんだけどね」

「どういう意味?」


 苛立つラッサの声に、ヒュテはアウェフフを見て頷いた。


「嵐が過ぎた後では手遅れということじゃよ」

「手遅れって、何が?」

「準備が、じゃ」

「まあだと既に後手に回ってるけどね」


 だから何が、とさらに苛立つラッサに落ち着くようにとヒュテが両手を広げる。

 落ち着かせたいならちゃんと説明すればいいのに。


「ヘロが戦争を仕掛けてくるってことさ」

「……え、っと?」


 説明されても理解ができないこともある。

 あまりに唐突に、現実感のない言葉を聞かされても。



「お前の世代では仕方があるまい。ワシとてワシの婆さんから聞かされた話じゃからな」


 そう言ってアウェフフは座るように促した。

 ラッサと、ヤマトに。

 どうしたものかと思うが、ヒュテが座る場所を詰めてくれたのでそこに二人で座った。


「今から八十年ほど前にも抗争があったという話じゃ」

「ええっと、そういう話は聞いたことがあるけど」


 ラッサは知っているらしい。ヤマトはもちろん知らないけれど。


 そういえば日本でも、父や母が生まれる数十年前に戦争があったとか。だが戦後に生まれ育った世代では戦争というものに実感を持つことは難しかったような話を聞いた。


「そもそもノエチェゼは平和な町というわけではない。均衡が崩れては抗争を起こし、疲弊したら沈静化する。そういう歴史を繰り返してきておる。この数十年は静かすぎたという話じゃ」


 荒くれものの町だったと聞いている。

 言われればそうなのだろうと納得できるが、この町で生まれ育ったラッサにはやはり実感が涌かない様子だった。



「そろそろ、誰かが何かを始めてもおかしくない。人口が増えておったしの」

「今の町の人口は統計よりかなり多いんだ。意図的に隠してる部分もある」


 それも関係があるのか。ヤマトにはうまく結びつかないけれど、彼らが言うのなら無関係ではないのだと思う。


「仕掛けるのであれば気の抜けるタイミングじゃ。交易船の出航は年に二度の大仕事になる。皆の意識も自然とそれに集まるし、一仕事終われば気も緩む」


 注意がそれに集まれば、悪事を企む人間には好都合。

 悪事かどうかヤマトにはわからないとしても、何か争いごとを仕掛けるというのは悪事と判断していいだろう。


「均衡も崩れかけておったからの」

「親父の代で結構失敗続きだったからね。母さんがいなかったらとっくに破綻してたかも」


 ヒュテの言う母というのは、アウェフフの姉ということで間違いないのだろう。


「本来は姉が婿を取ってロファメトを継ぐという話だったんじゃがな。だからワシは海に出られたのだが、まあチザサの先々代と先代には当主としての資質がなかったというか。見かねてうちから嫁に行ったわけじゃ。あのままでは抗争以前に自然消滅じゃったと」

「あはは、笑えないよねぇ」


 笑ってるじゃないの、という目でラッサがヒュテを見ていた。



「それでしばらくは保たせてみたものの、やはり歪みは大きい。ひび割れは簡単に塞ぐことはできんからの。もしかしたらヒュテをジョラージュの当て馬のように育てたのは、対立をそこに集中させようという意思だったのかもしれん」

「いや、あれは親父の逆恨みっていうか、自分が何度もやり込められたヘロに対する復讐心だよね」

「そんな様子でヘロとチザサは遠くない将来に争うだろうというのは誰の目にも明らかじゃった。そこでこの騒ぎじゃよ」


 スカーレット・レディによる襲撃事件……ではあるまい。

 キキーエの不正が明るみに出たことで、このまま抗争激化に舵を切ることを決断した。町の関心が交易船に向いている隙に。


「後手っていうのは」

「もともと準備はしておっただろうが、おそらく今朝のうちからあちこちに根回しやら人手を集めたりしておるだろうよ」

「だったら、ヒュテはこんなところにいる場合じゃないじゃない」


 こんなところ、とラッサが言うのは自分の家なわけなのだが。

 確かに、ここでのんびりしていていいのだろうか。ヘロが攻撃したいのはヒュテ・チザサの本拠地のはず。

 ヤマトには集団での戦闘行為というものがよくわからないが、襲撃があると予測できるのなら備える必要があるのではないかと。


「その辺は大丈夫。開戦は少なくとも船出の後だからさ」

「そう……なの?」

「というか出航直後かな。今、混乱が起きると港も被害があるだろうからね。それはお互いに大損になっちゃうんだよ」


 交易船はノエチェゼの町にとって大きな稼ぎになるので、船出は見送りたいと。

 そこで気が抜けた相手にすかさず攻撃を仕掛ける。そういう算段なのか。


「規律正しい軍隊でもないんじゃ。混乱が起きれば船の方を略奪するバカも出てくる」


 火事場泥棒というやつだ。

 町中で戦闘行為があればそういう混乱も発生する。


「ちゃんと備えているよ。うちの兵士には、嵐の間はゆっくり休むように言ってある」


 そんなことでいいのだろうか。

 戦士は休息も仕事のうちだと言うけれど、ヒュテの様子からはあまり危機感を感じられない。


「うちも、今日までで人手は戻してある。多少の手助け程度はなる」

「それを期待しているんで。何しろ、うちの兵士は練度は高くても数が少ないから。まあ資金が不足して養いきれなかったんで仕方ないけど」


 そう言ってまた笑うヒュテ。


(本当に、笑いごとじゃないんじゃないかな)


 危機感がない。ヤマトにもっと用心しろと言っておきながら、当人にはあまり困った様子が見えない。

 困っていない状況ではないと思うのだが。


「まあそういうわけじゃな。これから先はしばらく荒事になるから、お前は外を出歩くでない」

「……はぁい。どっちにしても明日からは嵐だけど」


 ラッサが渋々と言った風に返事をする。

 そういえばラッサと最初に会った時にも出歩いていたが、何か用事があったのだろうか。


「働きに出ている奴隷どもが無理な扱いを受けていないか見て回るなども、な。町にいる連中は既にあらかた呼び戻してあるが」


 そういうわけだったらしい。

 奴隷を管理するロファメト家の一人としての仕事と言えなくもない。

 それをヤルルー・プエムが捕捉して絡んでいたということで、ヤマトが現れたのはそういう場面だった。



「勝てるの?」


 ヤマトは気になっていることを聞いてみる。

 ヒュテとアウェフフに。

 二人は視線を交わしてから、軽く頷いた。


「その質問は意味がないぞ」

「勝つしかないわけだからさ」


 脳筋な答えに聞こえる。

 理屈や策を無視して、精神論で言っているような気がする。


「まあこやつが考えていない分はワシが考えてやるが」


 どちらかといえば、見た目ではより脳筋なアウェフフの言葉が不安だ。

 ヒュテの方は、気楽な様子で笑っているだけ。


「……」

「おぬしの心配することではないわ。まあ、ラッサーナを娶ってロファメトの一員として戦うというのなら歓迎するが」

「そいつはいい。優秀な人材は一人でも人手はほしい所だからね。銀狼もいるんだっけ」

「え、ええと、それは……」

「お父様! ヒュテも、そういう冗談はやめて」


 ラッサに怒られてしまった。

 男三人で顔を合わせて、怒られちゃったと肩を竦めた。

 もちろん冗談なのだろうが、そういう冗談が出る程度の余裕はあるのか。


(もともと予測してたみたいだし、僕があれこれ心配しなくてもちゃんと準備は出来てるってことかな)


 今回のこれはヘロが動きそうなタイミングの確認と、ラッサへの状況説明という意味合いが強い。ついでにヤマトがそこにいただけで。

 ヘロの戦力がどれほどのものかわからないが、ロファメトの奴隷も協力するのなら簡単に負けることはないかもしれない。

 ジョラージュよりもこのヒュテの方が上手という話なのだから、大将同士の比較ならこちらに軍配が上がるのではないか。



「あれ、銀狼って……僕のこと知ってるの?」


 この場にグレイはいない。寝泊まりしている部屋の辺りで待っているはず。

 ヤマトたちが戻る前に先に会っていたのかもしれない。


「そりゃあもちろん。俺は君と話すのが目的で来たんだからさ」

「?」


 話が見えない。

 用件は、と聞かれていた。ノエチェゼの動乱に関わる話し合いに来たのではなかったのか。

 そういえば他にも用件があるような感じのことを言っていた。


「君だろう。黒鬼虎の毛皮を持ち込んだっていう探検家っていうのは」

「え、あ……ああ、うん。そうだけど」


 銀狼を連れた余所者の探検家が黒鬼虎の毛皮を売り込みにきたという話なら、たぶんあちこちに伝わっている。キキーエがその話を広めているのだから。

 ヒュテは、戸惑うヤマトに商売人のような笑顔を浮かべて言った。


「その黒鬼虎の毛皮を買いたいんだ」

「あ……え、あ……」

「出来ればうちの厳しい懐事情を考慮して安くしてくれると助かるんだけど。よければラッサつけるから」

「ヒュテ!」


 度を過ぎたからかい文句に、とうとうラッサの鉄拳が振るわれた。



  ◆   ◇   ◆

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