二_034 不正解の選択
――何をやってるんだ、僕は。
昨日から何度目になるのか、ヤマトは自分に問いかける。
問いかけというのは正しくない。答えを求めているわけではなく、ただ現状から目を背けたいだけだから。
(ただ柔軟体操していただけだったのに)
昨夜はロファメトさんちに泊めてもらった。
食事は美味しかったと思う。少なくとも大衆食堂で食べたものとは違い、香草や胡椒などの味付けもきちんとされていた。
伊田家での食事の記憶と比べればどこか物足りなさを感じるのは仕方がないことだが。
「う、うぅ……つええ……」
ヤマトの周囲には数名の男が転がっている。
昨日も見たような光景。
手の甲に青黒い丸印――奴隷の印を刻まれた男たちが倒れ、呻いていた。
手の入れ墨は奴隷の印。奴隷から解放されたらその丸に斜めの線が二本引かれるらしい。元奴隷という痕は残ってしまうことになる。
昨日、ギャーテがラッサの目の届かないところで教えてくれた。そういう扱いをしてくれと。
ヤマトがどう対応するかは別の話だ。彼らはヤマトの奴隷ではない。
ここロファメト邸の庭は何の飾り気もないのが好ましい。
さすが七枝と呼ばれる名家というところか、庭に芝生が植えられている。海岸端で手入れも大変だろうが、かなり広い。
小さな運動場というくらいの広さがあるのではないだろうか。
潮風対策なのかほとんどが石造りの町だったが、こうして緑の場所もあるのはヤマトを安心させてくれる。
日本でもそうだが、庭を作り維持管理するというのはかなりの労力――財力を必要とする。
ただの芝生だとしてもここでは水撒きだって一苦労だろう。
見晴らしの良い広い庭というのは、外からの侵入者を発見しやすい為だとラッサが言っていた。
今はそうでもないが、治安が悪かった時期もあったのだと。
その意図とは逆に、内側から……逃亡奴隷などを発見しやすいようにということもあるのかもしれない。
そんな庭に、別に逃亡を企てたわけでもない忠実な奴隷を叩き伏せて立ち尽くすヤマト。
「……」
なんでこうなったんだろう。
◆ ◇ ◆
昨夜は、決してラッサの部屋に招かれたわけではない。
もしかしてそんな展開になっちゃうかもしれないという期待は、顔に大きな傷跡のある彼女の父親を見た瞬間に完全に消去した。
(ロファメトさんに関わったらダメだって言われてたじゃないか)
ボンルを脅かしていた船乗りダナツ・キッテムも強面だったが、本物は一味違う。
何がホンモノなのかと言われたら、本当のその筋の人ということなのだが。
ラッサの父親、ロファメト・アウェフフは怖かった。
ゾマーク・ギハァトを追い払った礼に家に滞在させると紹介された際、ただ無言で頷いただけだったが。
左頬の大きな古傷がひくりと痙攣したのを見た。あれは怒りではなかったのか。
(ちょっと動けなかったもん。ビビって)
相手の威圧感に緊張して動きが固くなるなど、ヤマトには久々の経験だ。
ほんの少し、娘さんに対してエッチな期待をしていた後ろめたさがあったのかもしれない。ほんの少しだけれど。
それでも食事と湯浴み……そう、ここではお湯が使えた。アスカに知られたら激怒されそうなので言わないが。湯浴みをしたら、ついぐっすりと眠ってしまった。
グレイが一緒だったとはいえ、見知らぬ家で熟睡とは油断しすぎだと反省する。
反省して、起きて庭先で柔軟体操をしていた。
風呂に入りゆっくり眠れたことで疲労はすっかり解消している。
そんなヤマトを見つけたラッサが、何をしているのかと興味を示して一緒に柔軟体操をしていたのだが。
(柔らかくって、ちょっといい匂いがして……)
正直なところ気になってしまった。家族以外の年の近い異性とこんなに近くで接触したことがないので。
女の子というのは柔らかい。知らなかった。
アスカとはいつも一緒だったわけだが、あれを女の子と分類することはなかったし。
(うなじとか、アスカのは別に普通にうなじだけど、うわぁぁうなじぃって感じだよね)
誰に同意を求めているのか。グレイだろうか。
昨晩のロファメト父とは別の意味で体が固くなってしまって、困るところだった。
(ギャーテさんも他の奴隷の人たちも、ラッサの護衛やりたいんだな)
いちゃいちゃしていると思われたのだろう。
奴隷の人たちが現れて、稽古をつけてくれと言い出した。奴隷と言う割りには遠慮が無い気がするが、ヤマトには気にならない。
その中には昨日の面々もいる。
聞けば、今の彼らには水汲み以外の労役はなく、後はラッサの傍についているように言われているらしい。護衛の当番のようなものだろう。
「ヤマトならこれくらいまとめて相手に出来るんでしょ」
そんなことを言ったことはないはずなのだが。
ラッサの迷惑な一言により、多対一の構図で組み手をすることになったわけで。
結果とすれば、まあ何とかなったというか。
まとめて相手にするのはさすがに無理だ。怪我をさせずにというのが無理。
最初に掴みかかってきた相手を、払い巻き込みの変形で残りのメンバーに向かって投げて、その体を利用して分断した。
「っつぅ……すげえ、なぁ」
腰をさすりながら立ち上がるギャーテ。
彼が最後に投げられた奴隷だ。昨日のヤマトの立ち回りを唯一まともに見ていた彼は警戒していた。
他の面々が倒されて、自分だけ何もしないわけにもいかないと思ったのだろう。
「ううん、ギャーテさんが最初から来てたらもっと困らされてた」
「負けたとは言わないんだな」
力と勢いだけの他の奴隷と違い、ギャーテだけはヤマトの足捌きに注意を払いつつ間合いを詰めてきた。
無手での対人戦闘では特に、間合いの取り方が特に肝要になる。
自分の得意な距離で、自分のやりやすい呼吸で戦うことで自然と優勢に運べるのだと。逆に相手のテンポをずらすことでも出足を挫くことも出来る。
父母やアスカと、飽きることなく組み手をしてきた成果が活かせた
「一瞬で距離がなくなった。ありゃあなんだ?」
「SYUKUCHI……なんて言ってみてるけど、父さんはKAGEROUって呼んでたかな」
縮地という言葉を使ってみたかったのだが、父はそうは言わなかった。
ベタ足の状態から、前後左右どの方向にでも足の指の蹴りだけで半歩ほど動く移動術。
田んぼの泥の中で足腰を鍛えているうちに、ふと出来るようになったのだと言っていた。足の裏の筋肉を鍛えて、ほとんど予備動作なしに半歩だけずれることが出来るようになっただけなのだが。
組み手の時には、こういうのも使って駆け引きをしていた。なるべく相手に悟られないよう、予備動作を極力抑えるよう工夫もしている。
その単純な小手先……足指先の技を使ってみたら、思った以上に有用だった。
森で魔獣を相手にする時にはあまり役に立ったことがなかったが、人間相手だとかなり使える。
間合いを掴み損ねる。〈
「残像とかいうのを達人がやるって話は聞いたが」
似たようなことをする人は存在するらしい。
魔術による肉体強化が出来るのなら、もっと効果的な技の使い手がいてもおかしくない。
「でもギャーテさんも、素人じゃない感じだったけど」
まだ腰を落としているギャーテに手を差し出すと、彼は少し困ったような顔をしてからヤマトの手を取った。
昨日も、ラッサは倒れた奴隷に手を差し伸べたりはしなかった。奴隷と主とは明確に隔たりがあるのだろうが、ヤマトには関係のない話だ。
「昔、探検家みたいなことをしていたことがあったから、な」
その時に多少の戦闘訓練をしていたのだろう。
ギャーテにどんな事情があって奴隷になっているのか知らないが、生まれながらの立場というわけではないことは知れた。
「ちょっとばかり腕が立つと思って身の程を知らなかった頃だ。本物の探検家になるような奴は、きっとお前みたいな……」
立ち上がったギャーテが軽く服を払う。
それまで黙って見ていたラッサがヤマトに近づき、軽く小首を傾げて見せた。
「うちの……使用人の中だとけっこう強いんだけど、ヤマトって本当にかなり強いのね」
けしかけた当のお嬢様は悪びれた様子はない。ただ本当に感心しているだけ。
この程度は戦闘と呼ぶにも値しないというように、何でもないという風に見える。
「あのギハァトの棘頭の見る目は間違ってなかったってことかしら」
「ゾマーク・ギハァトだったっけ? 隙があれば問答無用で斬りかかってきそうな感じだったけど」
「斬られた人もいるわよ」
あっさりというラッサにヤマトの表情も硬くなる。手下は鞘を付けたまま攻撃してきたのだがゾマークは違った。
ゾマークは人殺しを躊躇しないのだろうか。昨日も一度襲われたわけだが、寸止めや峰打ちのつもりはなく、受け止めなければ本当に斬られていたのか。
「ダメなんじゃないの? その、人を斬ったりするのは……」
「普通はダメよ。当たり前でしょ」
当たり前らしい、よかった。
「流れ者の腕自慢と勝負をして斬ったのよ。何度かね」
「……」
余所者だったからあまり問題にならなかったのかもしれない。
――腕自慢の流れ者、か。
該当者がいるような気がする。ここに。
流れ者と言われればそうなのだが、腕自慢のつもりはない。
(……いや、ちょっとはあるけど)
嘘だ。それなりに腕に自信はある。
この旅の中で、ヤマトは自分の実力について、この世界の平均値を上回っていることを自覚している。
「ヤルルー・プエムの直属兵士とゾマーク・ギハァトの前に立ちはだかった流れ者の若い男なんて、あいつからしたら斬りたい相手ナンバーワンでしょうね」
「ですか?」
「でしょうね」
やはり昨日の選択肢は間違いだらけだ。
しかしあの状況でどうしろというのか。吠え掛かったグレイを引き取って立ち去ればよかったのか。
そんなことをすれば、ラッサがどんな目に遭っていたと。
「あそこで関わらなければ、いつも通り私があいつらの話に付き合わされて、いやな気分で時間を浪費するだけだったんだけど」
「……」
見過ごすのが正解だった。
放っておいてもそれほどひどいことにはならなかったのなら、見過ごすべきだった。漫画的な展開なら間違いなく割って入るのが正解なはずなのに。
人生の選択に解説はつかない。だから後悔するのが常と言える。
けれど、とも思う。
(そっちが正解って知っていたとして、僕はそうしたんだろうか)
そう考えてみると、結局は一緒だったのかもしれない。
「……ヤルルー・プエムの直属兵士?」
ふと、聞き逃しそうになった気になる言葉を聞き返す。
ラッサは短く、そうよと答える。
彼女の声はすっきりとよく通る。小鳥の鳴き声のように。だがその意味はわからない。
何が
「直属っていうのは、普通はその、本人の傍にいるもんじゃないの?」
「そうよ」
もう一度、短い言葉。
ヤマトの言葉を肯定する。
「だからいたんじゃない。直属兵士が」
「どうして?」
「あなたが言ったんでしょう。普通は本人の傍にいるものだって」
ヤルルー・プエムというのはこの町を支配する御三家の一つ、プエム家の当主。
ノエチェゼのトップスリーに数えられる重鎮のはず。
それほどの人物があの場にいたのに気がつかなかった。
(っていうか、僕があの兵士をあしらったところを見られちゃったのか。心象悪いかなぁ)
「もしかして、気づいてなかった?」
「そうだね。どこにそんな偉い人がいたのか」
「散々笑われてたじゃない」
確かに笑われていた。世間知らずだと自己紹介したことで、とても楽しげに。
ゾマークと、兵士たちと……赤帽子のチンピラに。
はあ、と溜め息をつくラッサ。
ギャーテ達も、あちゃあという顔で頭を押さえている。
「本当に何も知らなかったのね。あの赤い帽子はプエム家の当主の証なのよ」
「……あの、酒場で町娘とかに絡んでいそうな、性格が悪い感じの?」
「それ」
あれがこの町の重鎮の一人、ヤルルー・プエムなのよ、と。
ラッサの印象もヤマトの印象と変わらないということだが。
「安っぽいチンピラにしか見えないから、普段からプエム当主の赤帽子を被るようにしたって噂よ」
そんなこと言ってもらわなければわからない。
そういえば港でも兵士を叱りつけてる時もいたし、ゾマークも赤帽子とは対等な感じで話していたようにも思う。決して下に見たような言動はしていなかった。
「……それなら、それなりに偉そうな感じでいてもらわないとわかるわけないじゃんか」
「本人に言ってみるといいわ」
ゾマークと一緒になって騒ぎを囃し立てていたチンピラが町の偉い人だなんて、思いも寄らないとはこのことだった。
御三家に関わることなんてない。
そう言っていたのは誰だろうか。無責任な。
無責任なその発言を鵜呑みにしていたから、まさか偉い人と直接関わり合いになるなんて思いもしなかったのだし。
ましてやその偉い人に対して敵対的な行動を取ってしまうことになるとは。
(昨日のキキーエ商店のことに続けて、プエム家も敵に回したとかになったら……やっぱりマズイよなぁ)
失態だ。
続けての失態で、失点だ。
昨日の状況を整理して思い返していると、食事を用意したからと呼ばれた。
だけどせっかく用意してもらった朝御飯も、憂鬱な気持ちでは美味しく食べられない。
(その代わりに仲良くなったのが、近づくなって言われてる奴隷商人とか……僕、色々とすごいんじゃあないか)
全力で逆走している。サイコロの目がことごとく逆を示すのは、ある意味神がかっているのではないだろうか。
こういう才能を活かせる職業があるかもしれない。なんだろう、囮とか? そういう役柄は嫌だなぁ。
そんな風に憂鬱な顔で食べている姿をラッサに見られなかったのはよかったかもしれない。
彼女は父と食事をするのが決まりごとだということで、ヤマトは部屋に運んでもらった食事を一人で食べた。
いや、一人ではない。グレイも一緒だった。
食べ終わって部屋に篭っているのも性に合わない。
再び庭に出たヤマトは知っている顔を見つけることになる。
白服の兵士の襟を掴みんで首を絞めるように吊り上げている、見覚えのある人物を。
◆ ◇ ◆
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