二_031 世間知らず_2
「よく飼いならされてるじゃねえか、銀狼か?」
「……」
グレイをそんな風に評されて気分が悪いけれど、感情的になるわけにはいかない。こういうやり取りも隙を作ろうという彼らの手段なのだろう。
日中の往来で刃を向けられるとは驚いたが、命のやり取りに不慣れなわけではない。
やると言うのならやる。相手がその気なら――
「ゾマークよぉ」
「あぁ、今日のところはその銀狼に免じてここまでにしといてやるぜ」
「そうだよね、そう簡単には……あれ?」
なんだかわからないが、赤帽子が声をかけたら穏便にお引取りいただけるようだ。
坊主にも訓練だとか教育が必要だとかで襲ってくるのかと思っていたのに。
「日が暮れても帰らないってなると
赤帽子がぼそりと付け加えた。なるほど、大事なことだ。
大波砕きというのは何だろうか。
「その坊主に感謝しとけよ、ラッサ」
「あんたにそんな呼び方をされる覚えはないんだけど、私もいい加減に帰りたいからそれでいいわ」
ゾマークに向けて面倒くさそうに言って、周囲でまだ倒れていた男どもを
特に助けようとはしない。最初に立ち上がった男が、他の二人を介抱していた。
本当に護衛だとかそういう意識ではなく、虫除けに連れていただけの関係のようだ。
「じゃあまたな、ラッサ」
「……」
赤帽子からの言葉に、彼女は否定も何もせずに口を噤んで立ち去る背中を見送っていた。
否定したところで、この町で暮らす以上はまた絡まれるのが明らか。
そういう物分りが良さそうなタイプの女の子には見えないのだが。
(アスカと同じと言うか、気が強そうだから)
苦手だなぁ、とヤマトは感じてしまう。
改めて見れば、身なりが良いこともあるが顔立ちが整った平均以上の外見値のお嬢さまだと思う。
アスカとは違ったタイプだけれど、美少女と言ってもいいのではないだろうか。
(妹が基準とか、僕がイヤすぎる)
今まで他に比べる相手がロクにいなかったのだから仕方ないが。
実際に、アスカの見かけはこの世界の標準よりかなり整っている。これまで見た限りでは。
「さあ、行くわよ」
「……って、僕?」
「他に誰がいるのよ? ああ、この魔獣もいたわね」
いや、あなたの連れもいるでしょう?
と言いたかったヤマトだが、どうやら彼女の中では護衛の三人は人数の勘定に入らないらしい。
不憫な感じがするが、男たちは気にした様子もない。
彼女を庇って痛い目に遭ったはずなのに、労いの言葉もないことを疑問にも思わないとは。
「銀狼のグレイ。僕の弟みたいなもんだ」
『ウゥ?』
何か疑念の色を含んだ声だったが、気のせいだろう。グレイがいくら賢くても人間の言葉はわからないはず。
「そう、グレイね。いい名前……なんじゃないかしら」
褒めるつもりがあるのかないのか、口にしてみてから変な名前、と思った様子。
「ええと、それで僕はヤマト。イダ・ヤマトって言うんだけど」
「そう。私はラッサ……ってさっき聞いてたわね」
「よろしく、ラッサ」
下ろしていたリュックサックを拾って背負いながら挨拶を交わす。
ゾマークにはそんな風に呼ぶなと言っていたけれど、ヤマトはいいだろうか。
「助けてもらったお礼に、今夜はうちに来るといいわ」
「何もしてないし、そもそも女の子の部屋になんか行けないよ」
「誰が私の部屋に来いなんて言ったのよ! バカじゃないの! バカなの?」
断ろうと思っただけなのに、顔を赤くして怒られた。
真っ赤に見えるのは夕焼けに照らされているせいだろうか。日が完全に消える直前の空は、本当に美しい茜色になるから。
「あいつが言ってたでしょ、感謝しろって。恩人をそのまま帰したらうちの名折れになるのよ」
「うーん、そうなのか? でも、帰らないと……帰れないんだけど、まあ……」
帰り道がわからないし、どんな顔をして帰ればいいのかもわからないのだった。
自分の状況を思い出して、ずんと沈むヤマト。
ラッサはふぅと息を吐いて、
「食事と寝床くらいは用意するわよ。どうやら計画性のない旅人のお坊ちゃんって感じなんだから」
「……そう、だね。その通りだね、うん」
言われたことを頭の中で反芻して、反論の余地がないことにさらに落ち込む。
「一応、連れがいたんだけど……」
「あ、ごめんなさい。つらいことを聞いたわね」
ヤマトの表情に何かを察したラッサから、しおらしい謝罪の言葉。
何を謝られたのか咄嗟に理解できなかった。
(つらいこと……? 何で喧嘩別れしたことを知ってるんだろう?)
そう考えて、自分の勘違いに気がつく。
いや、ラッサの勘違いだ。
「違う違う。死んじゃったとかそういうんじゃなくて、ええっと……」
「紛らわしいわね。そんなつらそうな顔しといて」
「いやその……」
苛立っている様子を隠そうともしないラッサは、やはりアスカと似ている気質だ。
こういう相手には素直に話した方がいい。面倒くさいから。
「はぐれたって言うか……道がわからないっていうか」
「……はあ」
ラッサは、わざとらしいほど深く溜め息を吐いてみせる。
呆れた、と。
「別に確認するまでもないけど、あなたが迷子になったのよね」
「どうして確認の必要がないのかわからないけど、そういうことになるかな」
「本当に世間知らずのお坊ちゃんなのね。エズモズあたりの豪商の子かしら」
違うけれど、詳しく話すわけにもいかないので黙っていることにする。
そんな風に勝手に解釈してもらっておけばいいだろう。
「どこで落ち合うとか決めてなかったの?」
「泊まってた宿なら……ああ、もしかして案内してもらえたりする?」
「なんていう宿?」
「……」
知らなかった。
というかあの宿、名前なんてあったんだろうか。
沈黙するヤマトに、ラッサの目が細く鋭くなっていく。
「……で、宿の主人の名前は?」
「ええっと……」
あの宿の主人に名前なんてあったんだろうか。
いや、あったに決まっているが聞いていない。フィフジャは聞いていたかもしれないが、ヤマトは覚えがない。
フィフジャとアスカに頼りきりで、何も考えていなかった。
「ああ、下働きの人の名前だったら……確か、ダタカ? だったかな」
「ふざけてるの? もしかして私、バカにされてる?」
「真面目だってば」
やれやれ、という擬音が耳に聞こえるくらいゆっくりと、噛み締めるように首を振られた。
「この町でずっと暮らしていればそれなりに名前と顔は頭に入るけど、下働きの名前なんて覚えてるわけないでしょう」
「普通そうだよね」
「お黙りなさい」
ぴしゃり、と。
切り捨てるように言い放ってから、彼女はそっとグレイの頭を撫でた。
――愚かな主人で大変ね。
――いつものことだから。
なぜかそんな意思疎通が見られる。
「もういいわ。ギャーテ、ダタカとかいう下働きがいるような宿を知っている者がいないか聞いておいて」
「はあ、お嬢様。ただ俺らには宿に用事がないんで、期待しないで下さいや」
「仕方ないわ」
「ありがとう、ギャーテさん」
とりあえず礼を言っておく。ギャーテは先ほどヤマトに注意を促した護衛の一人だ。
礼を言われたギャーテは少し面食らったように瞬きして、小さく頷いた。
居心地悪そうに頭を掻く左手の甲に青黒い刺青の丸模様が見える。何か間違えたのだろうか。
「本当に、世間知らずなのね。危なっかしいから、連れが見つかるまでうちにいなさい」
「いや、でも……」
「そうした方がいい……です。坊主……ちゃん」
ギャーテが変な言い方をする。
先ほどまでとは違い距離のある感じだ。言い回しは明らかに間違っているが。
「じゃあ行くわよ、グレイ。っと……イダヤマト?」
「ヤマトでいい」
グレイの名前はすんなり出てきたが、ヤマトの名前は抜けてしまったらしい。
「そう、ヤマト。私もラッサでいいわ。あなたも家名が先なのね」
家名、という言葉は初めて耳にしたが、文脈から意味はわかった。
まだこの世界の言葉は知らないものも多いが、会話の中でも一つずつ理解していける。
言語習得には現地での会話が一番の手段だという話は、地球でもここでも変わらない。
「そうなんだ。僕の地元では標準的……らしいけど」
「そうなの? うちの出自と近いのかしら」
そんなはずはないのだけれど。
ノエチェゼは色々な地域から集まった人々が作った町だというから、文化的にも雑多なのだと聞いた気がする。
「ええと、ラッサの家ってお金持ちなのかな?」
どういう風に聞いたものかと思いながら、結局直球で尋ねてしまう。
彼女は気を悪くしたようでもなく、まあねと軽く頷いた。
「お金が欲しいのかしら?」
「いや、そうじゃないんだけど」
「そう、そうでしょうね」
嘘です欲しいんです。
むしろ金に困ってここにいるんです。
(って言えないよな。この流れで)
ラッサはヤマトをどこかのお金持ちのぼんぼんだと思っているので、お金に困っているのだとは思わないのだろう。
ヤマトもつい流れで受け答えてしまったが。
「世間知らずなヤマトは知らないでしょうけど、うちはノエチェゼではけっこう有名なのよ」
「へえ、そうなんだ」
お金の云々の会話で失敗したかと思っていたヤマトは、ラッサの言葉を上っ面で受け流すような答えを返す。
気のない返事。
そんなことより僕はなぜさっきお金が欲しいと答えなかったんだ、僕のバカ。とか。
上の空の雰囲気を感じたラッサは、むっとヤマトに厳しい視線を向けた。
「あ、いや、その……」
「ロファメト・ラッサーナよ」
両手を腰に当て、やや屈んだ姿勢から上目遣いに睨むラッサは、ちょっと可愛かった。
「知らないかしら?」
澄ました顔より、こういう挑戦的な仕草の方が魅力的だな、とか。
ヤマトがそんな風に思って少し挙動不審に視線を泳がせたのを見て、ラッサは勝ち誇ったような笑顔を浮かべた。
「し、知ってる。うん、ロファメト……?」
──知っているのか、ヤマト!?
頭の中に誰かのナレーションが響いた。
ああ、聞いたことがある。
──奴隷商人のロファメトには近づかない方が。
「……ロファメト、さん?」
「ラッサでいいって言ったわ」
確かに言われた。
護衛だと思っていた皆さんも奴隷なのか。納得する。
そりゃあ護衛じゃないとも言うし、倒れていても特に助けもしないでも不思議はない。
どうしてこうなったのか。
いや、大体全部自分の所業だとはわかっているが。
動揺したヤマトの様子に、さも嬉しそうに腰に手を当てたまま笑うラッサの姿を、もうだいぶ暗くなった夕陽が照らす。
何かヤマトのコメントを待っているようで、その姿勢から動かない。
何と言ったものか。こういう時はどうすればいいのか。
お宅の家の子とは遊んじゃいけませんって保護者から言われているんで――というわけにもいかない。
(ええと、クックラが髪を切った時にはちゃんと褒めろって怒られたっけ)
保護者の言葉の中で役に立ちそうなのはこれくらいか。
「……笑っている方が可愛いと思うよ、ラッサ」
もうこうなれば破れかぶれだ。
どうせ今日は裏目を引く日なのだから。
◆ ◇ ◆
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