二_030 世間知らず_1



 銀狼の帰巣本能は頼りになる。


 大森林で祖父の健一や父日呼壱はそんなことをよく言っていた。

 実際にヤマトが大森林で迷子になったのは物心つく前の一回だけで、銀狼の帰巣本能を体感したことはなかったけれど。


(迷子の時はシャルルが迎えに来てくれたんだっけ? 二世ドゥゼムの方だったかな。三世トロワはまだ生まれてないはずだ)


 その時は猫が連れ帰ってくれたのだと祖母は言っていた。

 とにかく、グレイが迎えに来てくれて一安心。

 銀狼は迷う素振りもなく、日が沈んだけれどまだ赤い空の下、石畳の上を歩いている。


「……」


 こんなに歩いたのだろうか? やみくもに走っていたからよく覚えていない。

 周りの町並みが見覚えがあるのかないのかわからないのは仕方ない。似たような建物で、時間帯が違うせいで判断がつくわけもないか。


 アスカたちと喧嘩別れした商店の方に向かっているのではなく、宿の方に向かっているのかも。だとすれば距離感も何も全然あてにならない。



「……グレイ?」


 前を歩くグレイに声を掛けてみる。


『クゥ……』


 振り返らず、小さく鼻を鳴らした。

 そしてグレイの歩みが止まる。


「お前、もしかして……迷った?」

『ォン……』


 銀狼の背中が小さく見える。


 ここは大森林ではない。大都会……とまでは言わないが、多くの人が暮らす町だ。グレイの嗅覚でも、雑多な人が多く行き交う中で目的の相手を探すのは困難なのだろう。



「ああ、いい。ごめんな。お前のせいじゃないから」


 顔を上げないグレイを見ていると少しおかしくて、よしよしと撫でる。

 一人きりだと泣きたくなったかもしれないが、グレイがいてくれて心に余裕がある。できた。


 どうしようもなくなったら一度町を出てしまってもいいかもしれない。入り口から入り直した方が自分の現在位置を把握しやすいか。

 グレイがいれば野宿になっても何も問題ないだろうし。


「とはいえ、本当にどうするかな」


 真夏の空は、太陽が落ちてもまだしばらく明るい。

 逢魔おうまとき、とか言うのだったか。それは日が落ちる前のことだろうか。


(お化け……)


 ふと頭に浮かんだ言葉を、ふるふると頭を振って払う。

 別にヤマトはお化けが怖いとか思っているわけではないが、怖くないかと言うのであればまあ普通程度には。

 真夏の夜に一人きりとなれば怪談話の定番ということになってしまう。


(一人じゃないし)


 今は頼りになる相棒がいる。

 その相棒は、今はぴんっと耳を立てて、どこか中空を一点に見据えているのだが。


「……?」


 そういえば猫も、時折何もいない空間をじいっと見つめることがあった。

 それはまるで、その方向に何か見えないものがいるかのようで……



「グレイ?」

『ウォン!』


 不意に駆け出すグレイ。

 慌ててヤマトもそれを追う。置いてきぼりはごめんだ。


 今の一声も、ヤマトに行くぞと号令をかける合図だった。一応は置いていかないつもりはあるのだろう。銀狼の駆け足はまともな人間より遥かに早いけれど。

 全力疾走ではないので、ヤマトなら追いつかないまでも一緒に行けるスピード。


『ウォンッウォンッ』


 大通りを駆け抜け路地へと抜ける銀狼と少年を、ぶつかりそうになった人が慌てて避ける。

 避けて過ぎ去った後、今の魔獣なんなのと小さな騒ぎになっているのも聞こえるが、それは仕方ない。


(もしかしてグレイ、誰か知り合いの匂いとか……ボンルさんとかを見つけたのかも)


 ボンルの体臭なら、多少離れていてもグレイなら気づくかもしれない。

 かなり臭かったから。

 などと失礼なことを考えているうちに、どうやら目的地に辿り着いたようだった。



『ウウゥゥ』


 低く構えて牙を剥くグレイ。

 その背後には、少女……というには少し年齢が高めの、だが女性というほどまでもない年齢の女の子がいた。



  ◆   ◇   ◆



「なんなの?」


 ヤマトと同い年というくらいだろうか。彼女は自分の前で盾になろうとするグレイの姿に困惑の声を上げる。

 グレイは彼女を守るような立ち位置。


 彼女の周辺には三人の男が倒れて呻いていた。

 それはグレイの所業ではない。ヤマトも見ていたが、グレイが辿り着く以前に既に倒れていたのだから。



「なんだ、面白そうなのも飼ってんじゃねえかよ」


 グレイが対峙する相手から発せられたのは、さも楽しそうな声音。


「ユエフェン大陸の犬とかいう奴か?」

「知らないわ」


 グレイを挟んでの二人の会話。

 庇われている女の子と相対しているのは、いかにも反社会的な雰囲気の数人の男だ。ゴロツキとかチンピラとかそういう。

 その連中に、彼女の連れていた男三人がやられたのだと見て間違いないだろう。


 倒れているのは少女の護衛らしい三人。

 それをやったのが、赤い帽子とツンツン頭の二人を中心としたゴロツキグループ。


 倒れて呻いている男たちの手の甲には、青黒い色の丸が描かれている。

 刺青なのだろうか。全員の手にあるからお揃いのようだ。こちらも決して柄が良いという雰囲気でもない。

 そんな二つのグループがどうして暴力沙汰になっているのか、というのが問題だが。



「僕の相棒だ」


 とりあえず、声を掛けてから進み出る。

 状況はわからないが、グレイが庇おうとしている女の子の方を庇うのが正解か?


(今日は色々間違えてるからな)


 何かするごとに裏目に出る。そんな日なのかもしれない。


(これは僕じゃなくてグレイが選んだことだから)


 とりあえず自分に言い訳して、腹をくくる。

 この状況で女の子を助けないという選択が正解だとしたら、そんな世の中が間違っている。たぶん。


「どういう事情なのかわからないけど、女の子に対して褒められた扱いじゃなさそうだから」

「はん、助っ人気取りか。この町のもんじゃあねえな、坊主」


 長い髪をつんつんと立てさせた若い男が、グレイと並んで立ちはだかるヤマトを小馬鹿にするように鼻で笑った。

 その隣の赤い帽子の中年男がひひっと笑う。

 釣られたように他の手下連中も声を洩らした。


「なんだなんだ、格好いいじゃねえか若いの」

「余所モンが、誰を相手にしてんのかわかってねぇな」

「うん、確かにそうなんだけどさ」


 否定できないし、する必要もない。事情を話してくれたら案外とヤマトの早とちりなのかもしれないし。

 とりあえず、事情を把握しているだろう女の子の顔色を窺う。


「ええっと、君は困ってた?」

「困るというほどでもないけど、いつもいつもイヤになるとは思っているわね」


 うんざり、といった様子で溜め息混じりに言う彼女からは、それほどの危機感は見えない。


「もしかして僕、余計なお世話だったかな?」

「そうでもないかしらね。早く帰りたいし」


 何でもないことのように言う。絡まれて帰りが遅くなるのが疎ましいと。

 もしかして独力で解決できたのだろうか?



「ええと、君は見かけによらず凄く強くて、この人たちを軽くやっつけられちゃったり?」

「はぁ?」


 心からの疑問の表情。

 次には呆れた顔と、やはり鬱陶しそうな様子に変わった。


「この状況でそう言えるほど自信家じゃないわよ。馬鹿なの?」

「がははは、面白いな小僧。なんだ、護衛じゃなくて新しく道化でも雇ったのか?」


 赤い帽子の男から大笑いしながら聞かれると、女の子は沈痛な面持ちで無言で頭を振った。


「道化って?」

「ぶっ、お前本物かよ? なんなんだ、今日はずいぶんとおもしれえな」


 いつもならフィフジャが教えてくれる。知らない言葉だったから聞いただけなのに、今度はつんつん頭にひどく笑われた。

 やはり今日は選択肢を間違える日らしい。



「あのねえ、あなた。私を助けたいのか恥を掻かせたいのか、どっちなのよ」

「悪気はないんだ。ただ、ええっと……世間知らず? なんで」

「っくぅ、わぁっはははっ! 小僧面白すぎるだろお前」


 赤い帽子の中年男を筆頭に爆笑されてしまった。もしかして気のいい船乗りなのかもしれない。

 そういえばどこか見覚えがあるような気がしなくもない。



「おい、坊主……」


 倒れていた男だった。

 腹を押さえながら、膝を着いた姿勢でヤマトに何かを伝えようとする。


「油断するな。そいつらはギハァトの――」

「っ! 待てグレイ!」


 仕掛けた側からすれば、ちょっとした威嚇のつもりだったのかもしれない。

 ゴロツキの手下の一人。会話に気を取られたヤマトを隙ありと見ての仕掛け。


 石畳を蹴り、鞘のついたままの剣でヤマトの脇腹を狙って突いてきた。

 数歩離れていた為にその最初の踏み込みの段階でグレイが反応し、それに対してヤマトが制止を掛けた。


(グレイだとやりすぎる)


 事情もわからないのに相手に大怪我をさせたりしたら不味いかもしれない。

 少なくもと倒されていた男たちも、呻いてはいたが目立った外傷はなかった。今も剣を抜き放っていないのだから殺し合いではない。


(ギハァト?)


 なんだっけ、と頭の片隅で考えながら、咄嗟にリュックサックを背中に抜き落とす。

 リュックを抜く一瞬だけ宙に浮かせた槍を再び手にして、くるりと身を返しながら相手の突きを受け流し懐に入った。


「んなっ!?」


 男の左顎先に右の掌底。

 それを寸止めにした状態で、つんつん頭と赤帽子に視線をやる。



(あのつんつん頭が中心って感じだったからな)


 取り巻きの雰囲気から、彼が集団の中心人物だと見えた。一番強いのかもしれないが、そういうものを見抜く能力はヤマトにはない。

 赤帽子の中年男は、つんつん頭の太鼓持ちのような役割かと見えた。


「やめようよ、こんなの意味がない」

「……」


 軽く、とんっと顎を突いて、突っかかってきた男を相手側に押し戻す。

 ふらふらっとたたらを踏んで、男はつんつん頭に背中からぶつかった。


 訓練された実戦派の喧嘩剣法といった印象だったと思い返す。荒事を専門とした武闘派集団。

 決してド素人という動きではなかったし虚を突いた仕掛けも悪くない。

 しかし実戦ということなら、日々を森の環境で過ごしてきたヤマトが劣るはずがなかった。不意に滑空して襲ってくる皮穿血ほどではない。



「本当におもしれえガキだな、てめぇ」


 ぶつかってきた男を軽く横に押し流して、つんつん頭は改めてヤマトを見る。にやにやしてはいるが、先ほどまでとは少し違う。

 値踏みするようにつま先から頭まで、ヤマトのスペックを測るように眺めた。



「やめろ、坊主。相手が悪い」


 先ほどヤマトに彼らの情報を伝えてくれた男が、腹をさすりながら立ち上がり、ヤマトの肩に手を置いた。


「ギハァトって?」

「ギハァト一家。ノエチェゼ最強を名乗る戦闘集団。そいつはそこの三男、ゾマーク・ギハァトだ」

「おいおい間違ってんぞ、こら」


 つんつん頭、ゾマーク・ギハァトが手にしていた曲刀で男を指し示して訂正を促す。

 ちっちっち、と。


「ノエチェゼ最強じゃねえ。ズァムーノ最強だって決まってんだろうが。世間知らずかてめえも」


 見事な曲刀だ。やや幅広なので和風の刀と言う印象ではないが、それでも今まで見てきた武器とは比べ物にならないほど良い造りをしている。

 武器で勝敗が決まるわけでもないが、やはりこれだけの逸品を持っているのは相応に実力もあるのだろう。

 戦闘――荒事で生計を立てる程度の実力がある。


「そういえばそんな話を聞いたっけ」


 ギハァト一家は、ノエチェゼ最強だったか何だったか、そんな触れ込みで。


(ええっと何だっけ? どっかの偉い人に雇われてる、とか)


 そんな説明を聞いたはずだ。

 だが、この一日でいくつか多くの家柄の話を聞いたので、何がどうだったか覚えていない。

 関わり合いになることはないだろうと思っていたから、記憶しておく必要性を感じなかった。



「って、あの時港にいた人だ」


 先ほど見覚えがあるかと思った理由に辿り着く。

 太浮顎だいふがくの騒ぎの時、このつんつん頭は港で赤い兵士を殴っていた。大矢を外した兵士に体罰を与えていた人と、その時も隣にいた赤帽子。

 場末のゴロツキみたいだと思った相手だった。

 だとすれば、御三家の一つの赤い……プエムだったか、武闘派っぽい感じの家の所属のはず。


(やっぱり敵に回すのはあまり良くなかったんじゃ……)


 どうにも、今日は裏目ばかりが出る日のように思う。



「それにしたって、どうして御三家の人がこんな女の子襲ってるのさ?」

「人聞きが悪いぜ、坊主。俺たちぁその情けない護衛どもに、そこのお嬢様を守る訓練をつけてやってるだけだ」


 物は言い様というのか、本気でこの街中で襲撃をしているわけではなく、親切にも最強のギハァトの看板で訓練をしてくれているのだと。


「別に護衛じゃないわ。一人だと面倒が多いから連れてるだけよ」


 そういうのを護衛と言うんじゃないだろうか。

 どうやらこのお嬢様も普通の家柄ではない様子。最初からそんな風情ではあったけれど。


「もしかして君も、御三家の……チザサだとか、ヘロ? とかのお嬢様なの?」

「はあ……あなたが世間知らずなのは十分にわかったけど、そんなわけないでしょう。だったら兵士でも連れて歩くわよ」


 違った。

 彼女がいいところの家柄なら、プエムの一派と険悪になっても差し引きゼロになるかと思ったのに。

 中々うまくいかないものだ。というかヤマトの引きが悪いのか。


「チザサやヘロの家の誰かに直接こんなことしたら結構な問題になるし」

「そう、か。そうだよね」


 ノエチェゼの御三家と呼ばれるのだから、その家族に表立って争いごとを仕掛けてお咎めなしということもあるまい。

 それが御三家同士であっても、意味もなく喧嘩を売るわけにもいかない。

 下手を打てば、自分たちの既得権益が損なわれるかもしれないのだから。



「坊主、お前かなりおもしれえな」

「そうかな?」


 つんつん頭……ゾマーク・ギハァトが何かに納得がいったように頷いた。

 しばらくヤマトと女の子のやり取りを黙って見ていただけなのに。


「抜けてるようで、俺が動いたら対応できるように常に備えてやがる」

「そりゃあまあ、死にたくないし」

「はっ!」


 ヤマトの返答に、まさに我が意を得たりといった風に短く笑う。


「それだよ、その根性だ。中々甘っちょろくねえところがおもしれえ」


 気に入っていただけたようで何よりだ。

 それならプエムの家にうまく取り成してもらってお金とかもらえないだろうか。

 でも雇われたりして自由がなくなったら船に乗れない。やはり取り成してもらうのはいらないので、穏便にお引取りいただけないだろうか。


 ヤマトの気持ちが伝わったのか、ゾマークの天を突くような髪が揺れ――



「――っ!」

「へえ……」


 荷物を置き槍を手にしていてよかった。

 でなければ斬られていた。後ろの女の子を庇って。


 髪が揺れたと思った次の瞬間にはヤマトの目の前で振りかぶるゾマークの姿があった。名刀なのかもしれない彼の片刃を槍で受け――


「ふっ」

「っとぉ」


 受け止めた刃を滑らせてヤマトの足を狙う動きを察知して、先んじて押し返しながら槍を返した。

 今度はゾマークがヤマトの攻撃を避け、続けて噛みついてきたグレイからさらに一歩後ろに跳んで元の位置に戻る。


「待てグレイ!」

『グゥゥ』


 追撃しようとしたグレイを止める。

 さっきまで笑っていただけの赤帽子も、頬のゆるみはそのままだが目の光り方が違う。グレイがゾマークに攻撃したら横から反撃を受けたかもしれない。


 手下とは明らかに違うレベル。

 ゾマーク・ギハァト。ズァムーノ大陸最強の一家だというのはあながちホラ話でもないのかもしれない。



  ◆   ◇   ◆

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