伊田家 第二十八話 寛太の道_1
川を進むのは失敗でもあったし、正解でもあった。
平面ではない森林を流れる川を進んでいくと、次第に川が谷のようにかなり下の方を流れるようになっていく。
対岸は川に合わせて低く。自分が歩く場所との高低差が大きくなるに連れて、進む岸を間違えたかな、と思い始めていた。
そして、寛太は自分の運に感謝する。
日が高かったために、自分の目の前で地面が陥没していることに気がついた。
「っと、崖……か?」
足元の草もあり、薄暗かったら気づかずに滑落していただろう。
右手を流れる川の本流に、左側の山から合流してくる小さな流れが地面の一部を削っていて、草むらの中で唐突に一〇メートル近い落差の割れ目が出来ていた。
割れ目を挟んだその向こうは、寛太が歩いてきた高さと同じ程度の高さ。端が草で隠れていて、前ばかりを見ていたら気づかずに落ちていたかもしれない。
崖の手前で、ビニール紐を胸くらいの高さで木から木へと横に張る。
木、三本ほどに渡して巻きつけて、同じように腰くらいの高さにも横に張って、立ち入らないようにした。
改めて出直した時や、別の誰かが探索に出たときに、ここで事故に遭わないように。
そして、その真ん中にある木の幹に、
『足元 危険』
と刻み込む。
薄暗い時間にここに来ても、とりあえずこれを見れば注意するだろう。
時間の無駄にはなったが、寛太はそこから一時間ほど引き返して、川の反対岸を進むことにした。
崖自体は飛び越えられなくもないが、この先にも同じような地形があるかもしれないと考えたのだ。
川の右岸と左岸で高低差が広がる前の分岐点になる場所まで戻り、そこの目印の木に、
『左、崖あり 右に進む』
そう文字を刻んだ。
「なんだかゲームみたいだな」
ヒントやアドバイスが書かれた看板や、情報を教えてくれる村人。それを製作している気分になる。
寛太が子供の頃に遊んだゲームでは、そういった親切なコメントがなく手探りで進めるものが多くあった。
それらは途中で進行できずにやめてしまったりして、それ以降はゲームに打ち込むことも少なくなったが、最近は芽衣子と一緒に遊ぶこともあった。
「最近のゲームなら、オンラインマニュアルとか次の進行とか案内があったりするのに」
今の状況は、寛太の子供時代よりさらに昔の世代の、説明書も満足にないパソコンゲームのようだった。説明書きを作っているのが現状なのだ。
ひとつひとつの発見を、後で見た時にわかるように書き記す必要がある。
「無駄にはならないだろう。あっさり日本に帰れて無駄になってもいいんだけどさ」
日本に帰ってしまえば不要になる労力。
それならそれでもいい。芽衣子にソフトクリームを買ってやれる方がいいと思う。
「丸山高原のソフトクリームか。先月の春休みのことなのに」
家から車で二時間ほどの高原に、天気の良い休みに家族四人で行ったのは、四月始めのことだった。
もうはるか遠い昔の出来事のように思えた。
芽衣子が高熱から回復して言ったのは、その高原で食べたソフトクリームのことを思い出したからなのだと。
「やっぱり、何とか帰る方法を探さないと」
どうにか生きていけるとは言え、不便でもあるし、文明的でもない。
こんな状況にいつまでも芽衣子を置いていたら可哀相だ。ゲームやTVもないし、オシャレだって出来ないのだから。
分岐点まで引き返したという徒労感で、そこで休憩しながら独り言が多くなっていた寛太は、よしっと立ち上がる。
ロスした時間を取り戻そうと、少し早足になって進むのだった。
探索二日目の日暮れも近くなってきた頃。
穴を掘っているデカリスに気がついた。
(……巣を作ってるのか?)
一生懸命に木の根元あたりを掘っているデカリスは寛太の気配に気づいていなかった。
川は、相変わらず左岸は崖のように高くなっていて、右岸は水が流れている場所と、大小の石がごろごろと転がっている川原になっている。
その川原と森の境あたりの、木の根元。
寛太が歩いていたのも、森と川の間の辺りの比較的平坦になっているエリアだったのでその動物に気づいた。
森で何度か見かけたが、木の上にいるか、すばしっこく逃げていくので捕らえたことがないデカリス。
殺す必要はない。
だが、仕留めれば食べることはできる。
持っている食料は限られている。ある程度は木の実などで自給自足するつもりもあった。
狩猟は、そこまで本格的に考えていたわけではない。
「……」
寛太は少しだけ息を整えて、デカリスまでの距離を目測で確かめた。およそ二〇メートルほど。
穴を掘る作業を数秒間続けて、少し休む。また数秒間掘って、休む。
そのサイクルを観察しながら、掘っている時に少しだけ距離を縮めてみる。
掘る作業の間、土の中に頭を半分以上突っ込んでいるせいか、足音に気がつかない。
次の掘る動作に入った瞬間に、寛太は駆け出した。
「――っ!」
掘り始めてから、物音に気がついて振り向くデカリス。
迫り来る寛太に気がついて、即座に木を登ろうとしたその丸い胴体に向けて寛太は槍を突き出した。
どすっと低い音が槍を握った手から伝わってくる。
『ピギィィッ!』
激しくもがくデカリスは、後ろ足の太腿あたりを貫かれ、登りかけた木に繋ぎとめられていた。
悲鳴とも威嚇とも取れる声を上げるデカリスに、寛太は静かにごめんなと呟いてその頭を鍋底で叩いた。
『キュ……』
短い鳴き声を上げてくたりと力が抜けたデカリスの後ろ足を、持っていたビニール紐で縛る。解けないように硬く結んだ。
脳震盪を起こしているが、まだ心臓が動いている。そのまま逆さにして川辺まで持っていった。
逆さに吊るされて頭のほうに血が上っていったデカリスの首の動脈を、ステンレス製ナイフで切った。
勢いよく流れ出した血を川の水に流してしまう。
源次郎を手伝ってウシシカと、鳥も二度ほど解体した。その時の手順を模倣してみた。
しばらく血を抜いてから皮を剥いでみる。ナイフを使ってやってみたが、いくらか皮の方に肉が多く残ってしまう。
下手なリンゴの皮むきみたいな状態だが、寛太が食べるのに不足のない程度の肉は十分に取れた。
そのまま川辺で、適当な大きさの石を集めて簡単な竈を作って火を起こすことにする。
日も暮れてきたので、今日はここでキャンプだと。
先ほど、デカリスを仕留めた際に抜いた槍は、獲物で手が塞がっていたので仕留めた辺りの地面に突き刺して置いてきていた。
燃やす燃料を取るついでに槍を回収に行く。
「こう、失敗してもいいと思ってる時はうまくいくんだよな」
必死なときほどうまくいかない。
そんな自分の空回りに思いを馳せながら、槍を置いてきた辺りまでくると、
「…………」
何か、奇妙な感覚を感じた。
静かに、地面に突き刺さった槍に手を伸ばす。
『ギッギギィ!』
槍に触れた寛太に、すぐ近くの木の枝に足をかけて空中ブランコのような姿勢で威嚇の声をあげる敵があった。
即座に槍を地面から抜き、軽くその敵に向けて突く。
『ウコゥッ!?』
逆さの姿勢から器用に体をくねらせて回避する、石猿。
寛太の胸くらいまでの大きさの、少しだけ赤っぽい毛並みの石猿だった。
「またお前らか」
毒づいて、瞬時に周辺を見回した。
左手の川と、右手の森。森にも木々が密集している場所とそうでない場所がある。
川原側には敵の姿はない。それを確認すると同時に、寛太は木々の間隔が広くなっている方に駆け出した。
いるとすれば、
『ギギャァアアアゥ!』
大音声と共に飛んできた塊を避ける。
寛太が急に迫ってきたせいで狙いが少しズレていた石の塊が、最初に寛太に牽制していた石猿のいる木にぶつかってその石猿を驚愕させていた。
木々の間隔が広い側。つまり視界が開けて投石のしやすい方角に、最初に見た石猿より頭二つほど大きい二メートルはありそうな大石猿がいた。
『ウコッコッココゥ!』
外した投擲に慌てたように次の石を構えなおす大石猿。
その判断が遅い。構えている間に、間合いを詰めた寛太の槍がその喉に突き刺さった。
『ブゴォ、ボ……』
口から血泡を吹いて、息絶える大石猿。
「どうだぁ!」
槍を引き抜いて、周囲をぐるりと睨みつける寛太。深緑の森の中、最初に牽制してきた石猿の他にもう一匹を見つける。
睨み付けられた石猿は、びくりと震えてから、慌てて森の奥へと逃げていった。
見送っていると、もう少し小さい石猿がまた二匹合流して、同じ方角へと逃げ去っていった。
ボスがやられたので群れの子分が逃げ出したのだろう。全部で五匹の群れだったらしい。
「……赤っぽい毛並みのはメスかな?」
石猿の毛色は全体的に白っぽい茶色だが、若干赤みがかったものがいた。
ボスになるオスと、それに従うメスが数匹。後は独り立ちする前の子供という群れを形成しているのかもしれない。
自分のハーレム以外とはうまく集団生活が出来ないから、それ以上の大きな群れにはなりにくいのかと。
槍についた血を川で洗いながら、寛太はそんな風に推測した。
日も暮れてきた。明るいうちにこの辺りを縄張りにしている石猿に対処できたのは幸いだったかもしれない。
火を起こして収穫のデカリスの肉を焼いて食べてみた。
「うん、結構いける」
塩味だけだが満足できる味だった。自分で捕った獲物だったので、プラス補正で美味しく感じるのかもしれないが。
火を焚いた簡易キャンプの傍の大きな岩に、今ほど思いついた石猿の生態についての推論を、他の石を使って書いてみたりする。
――石猿の群れ。ハーレム形成について。
揺れる炎の光の中で、また誰かが訪れた時にヒントになるように。
「ああ、最初に牽制する役目と、動きを止めた相手に別の方向から投石で攻撃するみたいな連携をしているんだよな」
前回の襲撃の時、日呼壱や健一から聞いていた襲撃のパターンがあった。
それを知っていたから、あの瞬間にボスの大石猿がどこかにいるのだろうと咄嗟に閃いたのだ。
投石するなら、射線が取れる配置にいるはず。
走った方向は適当だったが、止まっていたら狙い撃ちだ。どこから飛んでくるにしても投石を避けられればそれでいい。
そんな対処方法についても合わせて、岩に書き込んでいくと、結構な文字数になっていた。
水流で滑らかになった岩肌に、日本語で石猿についての情報が削り込まれている。
この川原あたりも、過去には水の底だったのか、今でも雨季などになれば川底になるのかもしれない。
そうしたら、寛太が削りつけたこの情報も、また埋もれてしまうのか。
「……まあ、なんだ。夜になるとマイポエムとか書きたくなるってやつか」
岩に刻んだ石猿情報の最後に、あくまで経験からの推測だが、と書き足してみた。
デカリスの肉は一食で食べきれないほどの量があったので、火を通した後に手持ちのビニール袋に入れてリュックにしまった。
「今日はなんだか冒険した感じだぞ」
崖に行く手を阻まれたりデカリスを狩猟したり石猿と戦ったりと、本当にゲームで体験するような一日だ。
もっと高揚感もあっても良さそうだとも思ったが、疲れていた体は満足感の中で速やかな休息へと寛太を導いた。
夢を見たような気がしたが、朝の日差しに目を覚ました時には記憶に残っていなかった。
◆ ◇ ◆
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