伊田家 第十五話 数比べ



「大丈夫か、日呼壱?」


 そうこうしていると、吠え声を聞いた健一と源次郎が庭から駆けつけてきた。

 源次郎の手には猟銃が、健一の手には庭先にあった白い石槍がある。

 警戒すべき事態だという吠え声だと聞こえたからだ。

 増援の存在に日呼壱は、自分の膝の震えが収まっていくのを自覚する。助かった、と。



 数的優位になった日呼壱たちに対して、大石猿が歯を剥き出しにした。威嚇ではなく、笑ったように。


『ウウーックコココココゥッ!』


 静かな森に、大石猿の喚声が響く。

 それに合わせるかのように、日呼壱に手を出そうとしていた猿も鳴く。


『コッコッコッコッコゥ』

『コココッココゥ!』

『ウーッコッコッコッコゥ!』


 それだけではない。

 日呼壱が見ていた猿の他に、別の鳴き声がこだました。


 聞こえた方を見れば、新たに二匹の猿が、憎々しげな顔で木の裏から顔を現す。

 数的不利を嫌って、隠れていた仲間を呼び出したのだろう。新たな猿は、最初に見た猿と同じ程度の大きさのようだった。



(隠れていたまま襲った方が脅威だったろうに)


 目先の有利不利を嫌って単純な行動を取っただけなのか、別の狙いがあるのか。


『ウォフッウォフッ!』


 興奮したかのように軽く二度ジャンプして吠える大石猿。

 己の群れを自慢しているかのようだ。


(しょせん獣程度の知能か)


 裏があるのではなく、持っている力を誇示したかっただけらしい。自分たちの方が数が多いと。



「日呼壱、下がれ」


 健一が槍を構えて新しく現れた猿たちを威嚇しつつ声を掛けた。

 木々の中では、猿の身軽さは脅威になりそうだ。

 するすると枝を伝って頭上を攻められては、十分な対応が出来そうにない。

 日呼壱は健一の言葉に従い、警戒をしつつすり足で伊田家の敷地側に寄っていく。


『ガァァゥ!』


 距離を詰めようとした猿の一匹に、狼が一歩踏み込んで咆哮を浴びせる。猿は慌てて大石猿の足元に逃げていった。

 他の二匹は、じりじりと日呼壱たちを囲むように、木々を伝って横に展開する。


 庭から降りてきた健一たちと、そちらに寄りつつある日呼壱と狼。

 半分開いた扇状に包囲しながら、にじり寄る四匹の猿の群れ。

 包囲されつつあるが、その中心側の日呼壱は、健一たちのいる伊田家敷地の赤土のエリアあたりに来ることが出来た。



「怪我はないか?」

「ああ。そいつ、石投げてくる」


 短く答える。坂の上には寛太も駆けつけてきていた。


 伊田家の庭から赤土エリアに降りる周辺には木々がない。なだらかな斜面になっている。

 その辺りなら、猿たちも平面的な動きしか出来そうにない。

 猿たちの包囲も自然と狭まってくる。


『ギィィッ!』


 大石猿が、その左腕を軽く振る。

 腰が入っていないサイドスローのようなモーションで、手にしていた石を投げつけてきた。

 集まりつつあった伊田家の人々の中央あたりに。避ければ他の誰かに当たるかもしれないような場所にコントロールして。


「ふんっ!」


 健一が、持っていた槍の柄尻――槍でいうところの石突でその石を払い落とす。


『ウギッ!?』

「遅いっ」 


 石の重さを考えれば言うほど遅くはなかったが、バッティングセンターでなら小学生向けの九〇キロ程度の速度。多少山なりの軌道で向かってきた塊だ。

 野球のボールに比べれば五倍ほどもある大きさの的を叩き落す程度なら、元野球少年の健一に難しい芸当ではなかった。かつて少年野球は田舎の子供の遊びの定番だった。



「……しびれた」


 ただ重さはある。打った衝撃で手に痺れが残ったらしい。落ちた様子からしても、猿に打ち返すまでは出来そうになかった。

 石塊と接触した白い槍については、欠けるどころか傷ひとつついた様子もない。



 大石猿にしてみれば、投石はこれまでの経験で最も有効な攻撃手段だった。

 獲物が集まっているところにこの重量の石を投げつければ、大抵は何かしら被害を受ける個体が出てくる。

 この森に存在する他の戦闘能力の高い獣でも、まともにぶつかれば筋肉組織に損傷や骨にヒビが入ったりするはずだ。


 獣の豪腕で叩き落したとしても、かなりの重量の石をそれなりの速度で投げつけられていたら、その腕に痛みが残る。

 致命傷にはならなくとも一定のダメージを与えることが出来るはずだった。


 もっと早く投げつけることも出来るが、そうするとコントロールが甘くなる。当たらなければ意味がない。

 大石猿には、足腰を使った投球モーションなどという技術がない為、これより適した攻撃手法はなかった。今までそんな技術を磨く必要がなかった。


 初めて見る、人間という、道具を使いこなす生き物。

 彼らは大石猿の攻撃手段をあっさり見切って、ダメージのない方法で切り返したのだ。

 仮に、健一が真正面からその石の重量と速度の力を受け止めていたら被害もあっただろうが、飛んでくる塊をはたき落とすような形になったのも幸いだったと言える。



『ウギッギッ?』


 他の猿たちも、ボスの攻撃の不発に動揺するかのようにキョロキョロとお互いの顔を見合わせる。

 これまでの狩りで投石を避けられることはあっても、打ち落とされた経験はない。

 過去にない状況に加えて、見たことのない獲物と、森の強者である狼が群れを為している。

 どうするのかと大石猿の顔色を窺う。



『ウッキキギィィ!!』


 大石猿が声を荒げた。

 群れの中で、ボスとしての力を疑われるのは問題が多い。

 本能を中心にして生きている獣としての感覚でそれを察してか、大声を上げて今度は自らが踊りかかるように獲物へと襲い掛かった。



  ◆   ◇   ◆

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