第12話
「そういえば雨狩君にメールのアドレス教えてなかったね」
「えっ!? あっ、いえ、その、そうでしたね」
「お父さんのことで辛いことあったら、メールで教えてね。家族みたいに一緒に考えるよー」
雨狩はその言葉に胸が痛む。
(どうしてこの人はこんなにも無邪気で優しく、親子の距離を分かりながら協力してくれるのだろうか?)
井田達とは違う気がした。
それがすごく新鮮で、嬉しい気持ちになれた気がする。
錯覚かもしれないが、スマートフォンを雨狩も取り出した。
「はいっ! 交換だよ♪ 他の人に見せちゃダメだからねー」
「……ええ、何かあった時には連絡を入れますね」
「暇だったら何でも言って良いよ。私もそうするよ~。テニスの事なら何でも聞いてね」
「テニス?」
「うん、あたしね。プロのテニス選手目指しているんだ!」
那内は輝いた眼でそう雨狩に言う。
自信と喜びにあふれた表情だった。
(眩しい……那内さんは僕と違って、自分のやりたいことや夢がある。僕には無いものを持っていてそれが……凄く、羨ましい)
雨狩はそんなことを考えながら、那内の話を聞くことにする。
「凄くかっこいいプロの女子テニスの選手が居てね! 実際に朝に練習しているところを見かけて、ボール拾ったら話してくれたんだよっ! こんなカッコいい人になりたいな~って思って、それからプロを目指すようになったんだよ~!」
「那内さんは行動力があるんですね。その人は、何かの大会で大きな成績を残したくて、費用を節約して練習していたのかもしれませんね」
「たまたま実家にオフで帰って、軽く練習してたらしいよ! その人の夢は確か、プロテニスプレーヤーの夢の舞台を目指しているんだよ。私もだけどね!」
雨狩は楽しそうに話す那内を見る。
勉強への衝動か気分転換になっていることも忘れているのか、雨狩は彼女を微笑ましく見る。
「……それでね、グランドスラムって言う。えーとね、テニスの世界の4大大会があるんだ」
「ええ、確かイギリスやアメリカ、それにフランスとオーストラリアで開かれるって言う……」
「あぁー! 雨狩君知っているんだ! すごーい、博識だよー。周りのテニス部のみんなあんまり詳しくないんだよー」
「知っていると言っても、表面上の情報だけで実態は違うと思うんですが、那内さんの情熱には意味を成しませんよ。そのプロの人はグランドスラムと言う四冠達成を目指して、日々練習しているのですね?」
「うんっ! 言葉じゃなくて、眼がそう言っているって感じでカッコよかったな~! だから私も私なりに頑張ってプロになろうと思うんだ!」
那内は履いているゴツいスニーカーを、椅子の下から上下に子供の様にブンブンと動かしながら楽しそうに話す。
(本当にテニスが好きなんだな、人の影響もあるけど、生きる楽しみというものを持っているんだな。そこに惹かれたのかも知れないな)
「あっ、ごめん。話しすぎちゃったね。勉強も大事だよね」
「休憩を提案したのは僕ですから、お気になさらずに」
「雨狩君~。そんなこと考えなくても良いのに~、優しいけど硬いなぁ~」
「すいません。今日の分まで残りを教えますので」
「うんっ♪」
勉強を再開しながら、雨狩は心の隅であの謎の男の不安を感じていた。
だが口に出さずに、不安な気持ちを押し殺して那内に教える。
※
閉館時間が近づいてきた。
残っているのは受付と雨狩たちの三人であり、受付は席に座ってパソコンを操作している。
(これからは那内さんが帰るときに僕が付き添わなければいけないな。あの男がまたやって来るかもしれない。謎も多い。いつ来るかは分からないが、今は安心していいのかもしれない)
ちょっとだけ目が疲れた雨狩は、那内に自分が即興で作成した問題を解かせている間に大きな窓でも眺めた。
(暗くなってるな。何事もな……)
そう思った時に、窓越しにそれは現れた。
「っ!?」
雨狩はその姿に言葉が出なかった。
それはあの時の男ではない人とは違う生物、いや生物と言うより異形。
下半身はタツノオトシゴの形をしており、宙に浮いている。
色は紫と緑と黒のマダラをしており、それらの色が虫のようにカサカサと動いている。
腕は片方しかなく、脊椎動物のムカデのような形をしており、上下に動かしている。
頭は牛の顔そのものであり、両目が縫い付けられており、そこから赤い血が流れている。
口は人間の口を両頬まで伸びている横長さであり、人差し指半分ほどの唇が笑みを浮かべたまま牛の顔に無為やり取り付けられているように見える。
まさにこの世のものとは思えない、異形。
それがゆっくりと近づいてくる。
「那内さん! ここから北井さんの家まで走って! 早く! あいつがくる!」
雨狩は立ち上がり、那内の肩を叩き、大声で叫ぶ。
「えっ! ど、どうしたの? 大きな声はみんなに迷惑……なに、あれ……」
那内はその異形に言葉を失う。
二人は恐怖で足が震えていた。
その異形が突然離れるように窓から離れていく。
離れた理由はすぐに判明した。
異形を追うように手に炎を出している成人した女性の姿が映っている。
フォギーベージュの髪型が印象的な炎を出している女性。
右手が大きな髑髏の小手のようなものを付けており、その先端に三本の大きな茶色の爪が取り付けられている。
その女性はこちら見て、何事も無かったかのような素振りで見るのを止める。
そしてすぐに異形の後を追うように、窓から見えなくなる。
数分も経たない出来事だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます