第608話 アイザック流苦肉の策

 新年度の人事が発表された。

 それから二ヶ月かけて、ギルモア子爵はファラガット共和国の首都デューイに到着した。

 まず彼の大使着任に驚いたのは現任の大使だった。


(なぜ陛下は、こんな者を大使に任命されたのだ? しかも単身赴任とは? 婦人間の交流も重要なのだぞ)


 同じ外務省所属の官僚として、ギルモア子爵の経歴はよく知っている。

 しかも現地採用の大使館員以外の職員まで総入れ替えである。

 このような人事は、アイザックが外交の重要性をなにも知らない馬鹿か、ファラガット共和国に喧嘩を売る目的があるかのどちらかだろう。

 大使はまだアイザックと会った事がないものの、噂で聞く限りでは前者はないはずだ。

 ならば、ファラガット共和国に対して対応が変わるという事だろう。


(今年中にはロックウェル王国を編入するという噂が流れている。ならばファーティル王国への不満をファラガット共和国にぶつけさせて発散させるつもりか? だがこのような露骨な人事をすれば、ファラガット共和国に戦争の準備をする時間を与える事になるぞ? 陛下はなにを考えておられるのだ?)


「こちらは陛下からの手紙です。まずはご確認を」


 大使が不思議に思っていると、ギルモア子爵がアイザックからの手紙を渡してきた。

 彼との挨拶もそこそこに、まずは手紙に目を通す。

 前半はこれまでの働きに感謝する言葉や、帰国しても功績に見合った相応のポストを用意しておく事などが書かれている。

 これは一般的なもので「まず確認してほしい」と話の最中に渡されるほどのものではなかった。

 だが後半には「現状のままであれば、ファラガット共和国に侵攻する可能性が高い」と書かれていた。


「はぁ?」


 大使の視線が手紙とギルモア子爵の間を何度も往復する。

 その姿を見て、ギルモア子爵は「そうなるのも当然だろう」と思う。

 そして少しだけ悲しみが混じった笑みを見せた。


「だから私が大使に選ばれたのですよ」

「あぁ、なるほど……、そういう事か。貴公も大変だな。では引き継ぎをどうする? 通常通りのものでいいのか?」

「事態が動くまでの間は通常業務を行うつもりなので、通常通りの引き継ぎでかまいません」

「なら、まずはこの国の要人を紹介していこう。一応赴任前に学んでいると思うが、この国は平民の国だ。『たかが平民が、分をわきまえろ』という態度を見せぬようにな」

「ええ、よくわかっていますとも。私も彼らと仲良くするためにきたのですから」


 ギルモア子爵は満面の笑みを見せた。

 その笑顔に一片の嘘偽りもなかった。



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「なんだ、あの新任の大使は! 喧嘩を売っているのか!」


 ファラガット共和国大統領テッド・フランクリンは激怒した。

 彼の声が会議室に響き渡る。


「なにが『リサ殿下が所有される真珠は他の王妃殿下も羨むもの。私から献上できればいいのですが、新任の大使の懐具合ではなかなか……』だ! あそこまで露骨な賄賂の要求をされたのは初めてだぞ!」


 ギルモア子爵は「自分の金では買えないが、私の実績のためにお前が真珠を用意してくれるよな?」と、賄賂の要求を露骨なまでにほのめかしていた。


 ――それも彼と会ったその日のうちに。


 一国の大統領相手に、あまりにも無礼極まりない態度である。

 これまでにも「平民」と見下してきた貴族はいたが、赴任早々にあそこまで露骨に賄賂を要求してきた者はいない。

 状況が許すのなら正式に抗議文を出し、さっさと国外退去処分にしてやりたいところである。

 だが、そうできない理由もあった。


「アルバコア子爵、あなたが持ってきた情報通りのようだな」

「フランクリン閣下のお役に立てたのならば光栄です。ですが今はまだ・・・・無位無官の身。アルバコア子爵と呼ばれる必要はありません」


 ――ヒュー・アルバコア。


 彼はテッドと初めて会った時、アイザックからの密命をすべてを伝えていた。

「防衛を強化してほしいというのは、アイザックからの要望だ」という事や「上手くいけば貴族に復帰できる」という事も含めて。


 彼がもたらした情報により、ギルモア子爵への厳しい処分は思いとどまるしかなかった。

 リード王国はロックウェル王国の要請により、ファラガット共和国に戦争を仕掛ける可能性が高い。

 だがアイザックとギャレットは戦争に乗り気ではなく、ヒューを送り込む事によって戦争を回避しようとしていた。


 しかし表向きは戦争の準備を整えておかねばならない。

 そこでギルモア子爵を送り込んできたのだ。

 彼を戦争の火種とするために。


「不快ではあるが、あれほどわかりやすい者を送り込んでくださったのだ。アイザック陛下には感謝せねばならんな」


 いくらギルモア子爵が失礼な振る舞いをしようとも、彼はアイザックが任命した大使である。

 国外退去処分になどしようものなら、それはそれで「我が国の面子を潰された」と宣戦布告の大義名分に使われるだろう。

 そうならないよう、あそこまでわかりやすい人物を送り込んできたのだ。

 できるだけ戦争を避けたいのはファラガット共和国側も同じであるため、見えている罠に引っかかるわけにはいかない。

 あのような罠にかかる愚か者だと思われれば、好機と見て本気で攻め込んでくるだろう。

 ギルモア子爵に関しては腹が立っても適当に要求を飲み、適度に機嫌を損ねないようにしておかねばならなかった。


「アルバコア氏から持ち込まれた情報が正しかったという事ですか。間違っていてほしかったのですがね。要塞の建設と防衛に就かせる兵士の駐留費用でいくらかかるか」


 財務大臣のアラン・メイヒューが肩を落とす。

 国境付近に要塞を作るとなれば、当然大金がかかる。

 財務大臣としては頭の痛い話題だった。


「そのついでというのもなんですが、私の滞在費用も工面していただければ助かります。私はアイザック陛下より密命を託された身。帰国した際には、皆様が戦争回避に尽力してくださったと必ずや伝えますゆえ」


 そんな彼に、ヒューは自分達に必要な要求を突きつける。

 高価な家財道具を路銀や宿代として売却しようとしても、金に困っている元貴族だという事を、なぜか商人達にはあっさりと見抜かれてしまっていた。

 それゆえに足元を見られて安く買い取られてしまい、今では家族揃って安宿に泊まっている始末である。


 これは当初、テッドに「リード王国を追放されたのは自業自得だろう? そんな意趣返しの出まかせを信じられるか」と相手にされなかったからである。

 ヒューは、これまでずっとアイザックが放つ二の矢を待っていた。

 日に日に家族からの「働きに出ろ」という視線が厳しくなる中、ようやくギルモア子爵が赴任したという知らせが入った。


 こうして事態が大きく動いたのだ。

 ファラガット共和国の政治家達にも忠告を信じてもらえた。

 だからこうして「戦争を回避する方法を伝えた者として正当な報酬をくれ」と要求したのだった。

 生活がかかっているため、彼もみっともないと思っても黙っている事はできなかった。


 アランは露骨なまでに嫌そうな表情を見せる。

 彼は判断を求めてテッドに視線を投げかける。


「戦争での出費を考えれば、滞在費を用立ててもいいのではないか? メイヒュー大臣の商会も西部を中心に活動していただろう? 戦争になって商売ができなくなる事を考えれば安いものだ」

「まぁ、そうですね。では国賓待遇とはいきませんが、高級官僚と同程度の給与と官舎を用意する方向で調整しましょうか」

「ありがとうございます! アイザック陛下には、皆様の事をよしなにお伝えします!」


 アランもテッドの言い分に納得し、滞在費を支払う事を認めた。

 彼は財政を任されているため、必要のない出費を嫌う。

 だが今回のように功労者に報いるためという理由がある時までは渋りはしない。

 彼はただ財布のヒモを締めるだけの政治家ではなく、必要があるかないかでしっかり判断するタイプだった。


「とはいえ要塞建設費用は、どこにどの程度の規模のものを建設するのか次第で確保が難しくなります。短期間で建設するなら人足も多く確保せねばならないので予算もより多く確保せねばなりません。これは簡単には調整できませんよ」

「ならば奴ら・・にやらせればよかろう。安価かつ早期に建設できるだろう」

「マーロウ大臣! その話はそこまでだ。今は部外者がいるのだからな」


 テッドに咎められた発言者は、エルドレッド・マーロウ。

 ファラガット共和国の国防大臣である。

 そして彼は、大臣という以外に特殊な事情を持つ人物だった。


「申し訳ないが、アルバコア氏には別室でお待ちいただきたい」

「国防に関する事ですので、部外者には話せないというのはよく理解しております。それでは」


 ヒューが退席しようとするところに、エルドレッドが声をかける。


「アルバコア子爵。今度、ねぎらいを兼ねて我がマーロウ伯爵家・・・に招待しよう。他国の貴族とも交流を深めておきたいのでな」

「喜んで伺わせていただきます」


 そう、マーロウ家の者は貴族かぶれだった。

 これはファラガット共和国が独立する際、大きな商隊を持っていたマーロウ伯爵家がグリッドレイ公国に移動しなかったからである。

 彼の祖先は爵位よりも権益を手放さない事を選び、ファラガット共和国に残った。

 だが爵位は捨てたが、貴族であるという誇りまでは捨てなかった。

 世代交代が進むにつれ、それを隠す事なく、出自を誇るようになっていた。

 当初は世間に鼻つまみ者扱いをされていたが、あくまでも自称扱いに過ぎない事と、マーロウ家の規模が大きく無視できない存在になっていたため完全に排除される事はなかった。

 それから彼らは堂々と名乗るようになっていったという特殊な事情があったのだ。


 ヒューが一礼してから退室する。

 それを確認してから、テッド達は溜息を吐く。


「奴らの事は極秘事項だ。奴らとの友好を深めるアイザック陛下に知られたら、それこそ本当に戦争へと発展しかねんぞ。口を慎みたまえ」

「そうでしょうか? アイザック陛下の動きを見るに、エルフ達を上手く道具として利用しているようにしか思えませんが」

「それが間違いだったらどうする?」

「その時は、我がマーロウ伯爵家が鍛えし葬送騎士団をもってリード王国軍を打ち破るのみ!」

「リード王国は十万を超える兵を動かせるのだぞ。定員割れの我が軍で勝てるはずがない、戦おうという考えはやめてくれ。あとその騎士団を名乗るのもだ。この国には貴族の私兵など存在しない。葬送騎士団という名前をつけただけのただの警備兵だという事を忘れずにな」


 ――葬送騎士団。


 これはマーロウ家が持つ、千名ほどの私兵集団だ。

 表向きは商隊の護衛や倉庫の警護という名目で保有しているが、実質的には軍のようなものである。

 他の者達も規模は違えど、警護兵という名の私兵を持っていたので黙認されていた。

 しかし、名目は重要である。

 騎士団ごっこ・・・・・・とわかっていても、こうして公言されては困る。

 だがそんなごっこ遊びの延長だとしても、マーロウ家の者達は軍事に関して造詣が深かった。

 だから国防大臣を任されていたのだった。


 エルドレッドが指をパチンと鳴らす。

 すると彼の秘書がテーブルに地図を広げた。


「アルバコア子爵が初めて警告に訪れた時から私は防衛計画を考えていた。国境の北部と南部は大軍を展開するのが難しいため、既存の防衛拠点で対応できるだろう。ならば中部、交通の要衝に要塞を築けばいい」


 エルドレッドは地図の一点を指す。

 そこは南北ニ十キロの間に、東西を結ぶ主要な街道が数多く通っている場所の近くだった。


「ここに要塞を築けば、攻略するまでは先には進めない。放置しておけば後方からの襲撃や、輸送部隊を狙われるからな」

「そこは平地では? 私は軍事に詳しくないが、それでも平城では簡単に攻め落とされやすいという事くらいは知っている」

「大丈夫だ。以前に『あなたが考える難攻不落の城塞コンテスト』で最優秀賞を与えた作品がある。あの要塞は軍事知識を見る者なら一目で驚異的な存在だとわかる。実際に作る予算もなかった上、人の手では建設に時間がかかるので作れなかったが、この状況ならば作る事もできるだろう」

「それで不十分だったら?」

「リード王国は同盟国の国内で略奪をせぬよう、数カ月分の食料を運ぶそうだ。しかしそれは隣国を助けに行くための輸送部隊に過ぎない。ファーティル王国とロックウェル王国の二か国を通過するだけで、軍が食料の大半を消費するはずだ。アイザック陛下に『要塞を攻め落とすまでに数カ月はかかるので攻められない』と言い訳をする口実を与えてやればいいだけなのだろう? 仮に戦争になったとしても、国境付近の要塞で時間を稼げば、あちらが飢えに耐えきれなくなって撤退するしかない」


 テッドの質問に、エルドレッドはフッと余裕の笑みを見せながら答えた。 

 エルドレッドが自信満々に答えるので、悔しいながらも他の者達は彼の事を頼もしく感じた。


「……ロックウェル王国では大軍を支えるだけの食料を提供できないとはいえ、我が国の西部で略奪されれば食料を確保できるのでは?」

「いや、そんな事をすればロックウェル王国への食糧供給が滞る。食料不足による治安の悪化は望まないだろう」

「希望的観測では危険だ。本当は攻めてくるつもりで、油断させるための嘘かもしれんぞ」

「攻めてくるのなら、なぜ防衛を固めさせようとするのだ?」

「気に食わない貴族を戦死させる目的でもなければ無謀極まりない事だな」


 出席者達の間で様々な意見が飛び交う。

 

「私の意見を聞いてもらいたい」


 そう言って、アランが場を静かにさせる。


「アイザック陛下は統治に関しては・・・・・・・、とても良識的なお方だそうだ。マーロウ大臣が言われたように、戦争を避ける口実を作れば、ロックウェル王国の者達をどうにかしてくれるだろう。あちらとしても一地方となったロックウェル王国の整備に力を入れたいだろうからな」

「では本当に攻めてくる可能性は低いと?」

「あぁ、そう思っている。よく考えてみるといい。あちらは捨て駒同然の者を二人使っただけだ。それだけでロックウェル王国内の過激派を抑える口実を得ようとしているのだぞ。要塞の建設で金を使うのはこちらで、あちらは一銭の無駄金も使わない。そこまでコストパフォーマンスのいい計画を思いつくような人物が、戦争などという浪費をするだろうか? 戦争を起こすなら、ロックウェル王国内の経済を立て直してからのほうが勝利の確率が高い。なので戦争になるのはまだまだ先になると思うのだがどうだろう?」


 アランの考えは、出席者達を黙らせた。

 確かにアイザックは効率のいいやり方で戦争を避けようとしている。

 リード王国が失っても惜しくない駒を使っている。

 正式なルートで要請すればファラガット共和国に貸しを作る事になるが、この方法ならファラガット共和国が自主的に防衛拠点を作るという形になる。

 戦争になろうがなるまいが、リード王国はささいな被害で済む。


 一方、要塞建設にかかる多大な出費はファラガット共和国に負担させようとしている。

 だが将来的な不安に対処するため、その要塞もけして無駄にはならない。

 ファラガット共和国にとっても大きな出費となるが、大きな損失とはならないだろう。

 将来の事を考えれば、要塞建設の予算を計上してもいいと思える程度には理解できる。


 もちろん戦争で儲ける者もいる。

 軍需産業の他、食料や衣服などを取り扱う商人達だ。

 しかし、それは一部の者達である。

 国という大きな枠組みで考えれば、戦争による出費のほうが大きい。

 アイザックが噂通り知的で理性的な人物なのであれば、まずはロックウェル王国の立て直しからというのも信憑性が高い考えだった。


「マーロウ大臣が言ったように、奴らを使って要塞を短期間で建設すれば、我が国の底力を見せられるので威圧にもなるか……。それにあちらの要望を叶えておけば、今後の関係も良好なものになるだろう。とりあえず要塞の新規建設に関する賛否を確認したい」


 テッドが評決に話を進める。

「まずは建設地や建設費用を確認してから」という条件をつけるものが多かったが、現時点では賛同する者が多かった。


「ではマーロウ大臣。まずは建設候補地を目視で確認してもらえるか?」

「お任せを」


 マーロウ大臣が力強くうなずく。

 彼としては、新しい要塞の建設は新しいおもちゃを買い与えられるようなもの。

 もし本当に戦争になったとしても、きっと役に立つはず。

 必ずやこの計画を進めるつもりだった。


 ――すねに傷を持つ者を使ったアイザック流の苦肉の策。


 それは静かに、だが確実に進み始めていた。

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