第485話 横槍
「エッカート男爵戦死!」
「オークウッド子爵の部隊が、敵部隊に囲まれつつあります!」
ウリッジ伯爵のもとに悲報が続けて入ってくる。
「最初の接触で、このざまか」
――ウリッジ伯爵軍に襲い掛かるつもりだったブランダー伯爵軍と、王国軍を防ぐために布陣していたウリッジ伯爵軍。
やはり準備の差が結果に出てしまっている。
側面から味方だと思っていた相手に奇襲を受けた影響は大きい。
兵士の士気にも多大な悪影響を与えてしまっていた。
指揮官の気迫だけでは、どうしても押し負けてしまう。
「やむを得ん。騎兵をオークウッド子爵の部隊の支援に回せ!」
ブランダー伯爵軍の騎兵を迎え撃つのに温存しておきたかったが、そうも言っていられない。
包囲された部隊を見捨てて、彼らが攻撃を受けている間に態勢を立て直すという方法も取れる。
だが、それでは一気に士気が崩壊しかねない。
不利な状況だからこそ「味方を見捨てない」という姿勢を見せるのは必要だった。
「王国軍の騎兵が動き出しました!」
「どちらに動いている?」
「まだわかりません! 前線方向へ向かっているようです」
「そうか……。引き続き、監視を行え!」
(まずいな。フィッツジェラルド元帥の働き次第では、時間稼ぎもできなくなるかもしれん)
あの王国軍を率いているのがフィッツジェラルド元帥ならば、ブランダー伯爵軍に攻撃してくれるだろう。
だが、もしもジェイソンが直卒していたらわからない。
ジェイソン派の部隊であれば、こちらを攻撃してくるかもしれないのだ。
油断はできない。
(元帥、頼みますぞ)
この戦いの勝敗は、フィッツジェラルド元帥の働きにかかっている。
ウリッジ伯爵は、裏工作が上手く進んでいる事を願うばかりだった。
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「前方で戦闘が始まりました!」
「そうか、やはりブランダーが裏切ったか」
キンブル将軍の部隊からも、ブランダー伯爵がウリッジ伯爵へ攻撃を仕掛けたのを確認された。
「将軍、今仕掛ければ勝てますぞ」
近衛騎士の隊長は、キンブル将軍が
しかし、キンブル将軍は違う。
近衛騎士達という邪魔者の扱いに困り、喜ぶどころではなかった。
「いや、まだその時ではない」
「なぜですか! 私には将軍のような実戦経験はありませんが、それでも今が好機というのはわかります。さぁ、命じるのです。突撃せよと」
「そうではない。しばし待て」
キンブル将軍は、ただ待てと言うのみで動こうとしない。
動くはずがなかった。
そんな彼に痺れを切らした隊長が動く。
「ならば、近衛騎士団が動く! 我らが先陣に立ち、一気呵成に突破口を開くぞ! 総員――」
「裏切り者共を始末しろ!」
「なにっ!?」
隊長の命令に被せるように、他の誰かが指示を出した。
キンブル将軍達は「我らの事か?」と凍り付いたが、すぐにそれは違うとわかった。
――ある者は風の魔法で首を切り落とされ、ある者は組みつかれて馬から引きずり降ろされる。
近衛騎士団の中で、一方的な殺戮が始まったからだ。
「な、なんだ? お前ら、何をする!」
隊長は戸惑っているうちに氷の槍で胸を貫かれて絶命した。
「まて、俺はエリアス派だ! 前王陛下派だ」
中には、すぐに殺されず、誰を支持しているかを聞かれている者もいる。
おそらく、彼らがどちらに付いているのかわからなかったものなのだろう。
つい先ほどまでは仲間だっただけに、問答無用で皆殺しにはしなかったようだ。
どちらかわからない者には確認し、反撃してくる者はすぐさま数人で囲んで殺すという行動が、そこら中で行われていた。
「俺も前王陛下派だ! みんながこういう行動をするって知ってたら、俺だって協力したさ。一言くらい聞いてくれればよかっただろ! なんで誰も聞いてくれなかったんだ? こんなの初耳だぞ!」
「……お前嫌われてるからな」
「はぁ!? それも初耳だぞ!」
「誰に忠誠を捧げるのか?」という問題は軽いものではない。
近衛騎士団の間で、かつてないほど大きな亀裂が発生していた。
辛いが、これもすべては国のため、王家のためである。
いつかは直視するべき問題だった。
キンブル将軍達が見守る中、やがて事態は収束する。
同行した近衛騎士団は、総勢二百九十八名。
そのうち――
死亡、三十七名。
負傷、二十一名。
この状況でも支持を明らかにせず捕縛された者、十三名。
心に深手を負った者、二名。
――という結果を経て、同行していた近衛騎士団のジェイソン派は一掃された。
騒動が収まると、一人の近衛騎士がキンブル将軍に近付いた。
「キンブル将軍、この場にいる近衛騎士団の膿は出しきりました。残った近衛騎士団員は、閣下の指揮下に入ります」
「了解した。エリアス陛下のために動いた諸君らを信用しよう」
返事をした時に、キンブル将軍は話しかけてきた相手の顔に気付いた。
「おぬしは昨日の……。今回は言えたようだな。よくやった」
「はい!」
かつて「裏切り者を捕らえろ」の一言が言えず苦しんだ近衛騎士。
そんな彼が、先ほどは「裏切り者共を始末しろ!」と号令をかけた。
一つの大仕事をやり遂げた満足そうな顔をしているかと思ったが、彼は苦渋に満ちた顔をしていた。
「仲間を手にかけたのは辛いだろう。だが、おぬしらは正しい事をしたのだ。今は辛くとも、いつかは胸を張れる日がくる。その時がくるのを私も待ち望んでいる」
キンブル将軍は、彼に一声かけてから、次に取るべき行動に移る。
「私の部隊とスタンリー将軍、ゴードン将軍、ラッセル将軍の部隊は、本陣に向かって南北に延びる横陣を敷く! グラッドストン将軍の部隊はブランダー伯爵軍と正対し、主力の背後を襲撃されないように牽制せよ! 包囲網の一角が裏切ったのだ。我らで包囲網の穴を塞ぐぞ!」
キンブル将軍は、矢継ぎ早に指示を出す。
「ラムゼイ男爵!」
「はっ!」
呼ばれて、一人の騎兵が返事をした。
「第一騎士団の出番だ! ブランダー伯爵軍の側面に攻撃を仕掛けろ! ウリッジ伯の支援を行え!」
「了解!」
第一騎士団は、
魔法を使える近衛騎士団を除いた、一般兵の中では最強の戦力を持っている。
彼らにブランダー伯爵軍を側面から攻撃してもらえば、ウリッジ伯爵もかなり楽になるはずだ。
それに、兵士達の中にもジェイソン派がいるかもしれない。
ジェイソン派の兵士が混乱を生み出すかもしれないので、無駄に多くは援軍に送れなかった。
だが、彼らなら単独でかき乱してくれるはずだ。
「ウォリック侯とウィルメンテ侯に使者を送れ。ブランダー伯が起こした戦闘に、我らが関係していると思われたらかなわん。味方だという事をしっかりと知らせるのだ」
キンブル将軍は、今この状況でやらねばならない事に指示を出していった。
一番避けねばならないのは、ジェイソン派の部隊だと思われて攻撃される事だ。
攻撃された事により、身を守るためにエリアス派と戦い始め、やむなくジェイソン派として戦うという状況だけは避けねばならない。
「どちらの味方か」と旗色を表明しておくのは、最も重要な事だった。
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「第一騎士団、出番だ! 初陣の者もいるだろうが安心しろ。相手はエリアス陛下を裏切ったブランダー伯だ。遠慮せずに暴れていいぞ」
ラムゼイ男爵の言葉に、多くの者達が安堵した。
いくら逆賊とはいえ、仲間だった者達と戦うのは避けたかったからだ。
ブランダー伯爵軍に攻撃を仕掛けると聞き、誰もが「よかった」と思っていた。
「とはいえ、奴らに攻撃を仕掛けるのは我々だけだ。多勢で動くと、そのまま突破して逃げようとしているとエリアス陛下派に誤解されかねないからだ。そのため、数的不利な状況での攻撃となる。だが必死に戦っているウリッジ伯を支援しなければならない。足を止めるな! 手が震えて槍を扱えなくとも、馬を前に進ませろ! 仲間からはぐれるな! 腕が動かない者は、それだけを忘れるな。いくぞ」
第一騎士団は精鋭揃いである。
――しかし、それは演習での事。
二十年前の戦争を経験した者など半数にも満たない。
初の実戦では、槍を振るえない者も出てくるだろう。
そこでラムゼイ男爵は、馬を走らせ続けるようにと命じた。
馬が正面から走ってくるだけでも、人間は死の恐怖を感じてしまう。
――それが馬鎧を装着した軍馬だったらどうなるか?
その突進を避けようと、歩兵は恐慌状態になるだろう。
だが、それも騎士たちが集団行動を取れていればこそだ。
馬上の身とはいえ、孤立してしまえば、四方八方から槍で突かれてやられてしまう。
怖じ気づいた時こそ、仲間とはぐれないよう前に出ていかなければならなかった。
孤立を避けるというのは基本的な事だが、基本だからこそ緊張で忘れてしまう者も出る。
だから改めて言う事で、思い出させたのだった。
第一騎士団は、まずブランダー伯爵軍とウリッジ伯爵軍が戦っているところを目指して移動した。
いきなりブランダー伯爵軍の本陣を狙えば、こちらがエリアス派だと気付かれてしまう。
奇襲には「ウリッジを攻撃するんだな」と、少しでも長く思わせておく必要がある。
そのため、ウリッジ伯爵軍の者達を不安にさせるだろうが、どちらか判別のつかない動きをしていた。
前線までまもなくというところで、ラムゼイ男爵は槍を振り上げる。
「突撃!」
彼が振り下ろした槍で指し示したのは、ブランダー伯爵軍の最前線部隊。
その後列だった。
前線後方の部隊に突撃する事で、最前線で戦っている歩兵に背後に回り込まれたという恐怖を与える効果もある。
これは誤ってウリッジ伯爵軍の兵士を傷つけないためと、混乱した兵士に攻撃されないためでもあった。
ラムゼイ男爵は先頭で槍を振るう。
先頭を進むのは、彼も初めての体験だった。
(突入した時の兵士の顔。一生忘れられそうにないな)
彼も二十年前の戦争に参加していたが、その時は騎士の一人だった。
部隊の流れに合わせて馬を走らせていただけで、敵の兵士など気にする余裕などなかった。
だが、今回は違う。
部下を奮い立たせるため先頭に出た事により、敵兵の表情までハッキリと見えてしまう。
槍の穂先が鈍りそうだったが、手を抜けば死ぬのは自分であり、部下達であった。
余計な事は考えないようにして馬を駆り、槍を振るった。
ブランダー伯爵軍を突破した時、深く呼吸をする。
しかし、すぐにそれをやめた。
部下にみっともない姿を見せるわけにはいかないからだ。
部隊指揮官として、格好をつけなければいけない。
(若い頃から、もっと実戦経験を積めていればよかったのだが……)
リード王国は平和な時代が長かったので、こればかりは仕方がない。
実質的に初の実戦のようなものとはいえ、部下に見栄を張る辛さをラムゼイ男爵は実感していた。
再度突入するため、ブランダー伯爵軍から距離を取って態勢を整えようとした時。
近付いてくる騎兵に気付いた。
(南から? ウォリック侯の兵か?)
旗を見て、ウォリック侯爵家の兵だとわかった。
あちらはこちらに気付くと、勢いを増して近付いてきた。
そして、ラムゼイ男爵は気付いた。
――自分達が狙われていると。
「待て、我らは前王陛下派だ! エリアス派だ! エリアス派だぞ! エリアース!」
彼は必死に叫んだ。
同士討ちで死ぬなど、最も避けたい事だったからだ。
彼の必死さが伝わったのか、南からやってきた騎兵の勢いが目前で弱まる。
「ラムゼイ男爵。いくらなんでも陛下の名を呼び捨てにするのはいかがなものかな?」
ウォリック侯爵家の騎兵を率いていたのは、ウェリントン子爵だった。
彼はなんとも困ったという表情を見せていた。
ウェリントン子爵の声に咎めるような色はない。
むしろ、軽口といった声色だった。
彼も味方殺しをせずに済んでホッとしているのかもしれない。
「もう少し早く突撃体制を解除していただけたのなら、必死になって呼びかけなくてもよかったのですがね。ウェリントン子爵」
「敵に殺されるならともかく、味方に殺されるなど真っ平ですよ」
「王国軍が包囲網の外側にいたのだ。真っ先に狙うのも無理はないだろう。しかし、貴公らが味方という事は、接近中の部隊はフィッツジェラルド元帥が率いているのか?」
「いえ、キンブル将軍です。元帥閣下に軍を託されました」
――なぜフィッツジェラルド元帥ではないのか?
ウェリントン子爵は、そう聞き返そうとしたがやめた。
ラムゼイ男爵の暗い表情と「託した」という言葉から、だいたいの事が察せられたからだ。
「あの部隊が味方だというのなら、ブランダーに専念できるな」
「ならば、本陣への突撃をどうぞ。我らはサポートに回らせていただきます」
「ほう、いいのか?」
「かまいません。我らはすでに一度突撃しておりますので」
手柄を譲るという申し出に、ウェリントン子爵は飛びつきそうになった。
だが、ギリギリで思いとどまる。
(手柄はほしい。だが、本当にそれでいいのだろうか?)
――この状況で一番重要な事は何か?
それは単純な勝利ではない。
敵を倒しておしまいではないのだ。
王都のエリアスを救ってこそ、勝利といえる。
わずかな敵であろうと、逃がしてはならない。
王都に伝令を送られたら、エリアスの身に危険が及ぶかもしれないからだ。
それに、ラムゼイ男爵達を信用し過ぎてもいけない。
彼らの中に裏切り者が混じっている可能性もあった。
ブランダー伯爵同様、ギリギリまで味方のフリをしているかもしれない。
ならば、ウェリントン子爵が取るべき行動は一つである。
「ありがたい申し出だ。しかし、我らは落穂拾いに回らせてもらう」
「落穂拾い? あぁ、脱走兵は厄介ですからな」
ラムゼイ男爵は「何を言っているんだろう?」と思ったが、すぐにウェリントン子爵が言いたい事を理解した。
間もなく、ブランダー伯爵軍は崩壊する。
その時、逃げる兵士達を襲撃するか、降伏させて回ると言いたいのだろうと。
「本当によろしいので? ブランダー伯の首があれば、伯爵への陞爵も望めるでしょうに」
「手柄はほしい。だが、それ以上に陛下の安全を確保せねばならん。王都にこの状況を知らせるわけにはいかんのだ」
「ならば――」
「自分達がやる」と言おうとして、ラムゼイ男爵は口を閉ざした。
もしウェリントン子爵にその気があったのなら、すでに頼んできているだろう。
だが、それをしなかった。
その気がないというわけだ。
(私……ではなく、第一騎士団の中の誰かが裏切っている可能性を考えているというわけか)
ラムゼイ男爵もウェリントン子爵が考えている事に気付いた。
彼自身はエリアスに忠誠を捧げているが、周囲からは疑われてしまうのは無理のない事。
特にこの状況では、疑われて当然である。
「――我らはブランダー伯の本陣付近を襲撃。指揮系統を混乱させてやりますよ。そのあとは東側からウリッジ伯の支援を行います。もしブランダー伯が逃げ出したら、捕らえるのはお任せします」
「了解した。第一騎士団が味方についてくれた事、頼もしく思う」
お互いの役割を確認して、第一騎士団はまた戦場へと戻っていった。
残ったウェリントン子爵はというと。
「本当によろしいので?」
騎兵の隊長から非難めいた視線を向けられていた。
誰だって手柄は立てたい。
それを第一騎士団に譲ったウェリントン子爵に、彼等は不満を持っていた。
「私が信用しているのはお前達だ。第一騎士団ではない。ここで王都への伝令や脱走兵を逃がさない事が、エリアス陛下救出に重要な事だ。地味ではあるが、信用できぬ者には任せられん仕事だ。華々しい活躍ばかりが手柄ではないぞ。きっとエンフィールド公ならわかってくれるだろう」
「はっ、申し訳ございません」
隊長は引き下がった。
ウェリントン子爵の言う事にも一理あったが、それ以上にアイザックの存在が大きい。
功績となる働きかどうかがわかりにくい文官ですら、高く評価していたのだ。
アイザックは平民を大事にしているので、脱走兵が野盗になる前に狩るのを評価してくれるはずだ。
そう思ったので、大人しく引き下がったのだ。
「ジェイソン派が治める街を攻める機会もあろう。その時は優先して戦場に出してもらえるよう頼むと約束する。今は耐えてくれ」
ウェリントン子爵も、みんなに理解してもらえるとは思っていない。
だが、今回は「エリアスの救出」という大義がある。
表立って不満を漏らす者はいないだろう。
しかし、裏ではわからない。
次の機会をアピールする事で、兵士達の不満を最小限にしようとしていた。
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