第472話 ネイサンの墓参り
王宮を出て近衛騎士が近くからいなくなったところで、アイザックは貴族達に取り囲まれた。
「エンフィールド公、素早い対処お見事でした」
「必死に動いただけですよ」
ウォリック侯爵に褒められたが、彼の言葉は素直に受け取れなかった。
今にも「さすがは未来の婿殿」とか言い出しそうな顔をしていたからだ。
とはいえ、いくら彼でも今日はそんな事を言ってこなかった。
「エンフィールド公、よくマイケルを殴ってくださった。本来なら私がやらねばならぬ事でしたのに」
「お気になさらずに。あれは
「もちろん、忘れてなどおりません。ロレッタ殿下。息子が愚かな事をしでかしました事、心よりお詫び申し上げます。また後日、正式にお詫びに伺います」
「ええ、落ち着いてからの方がいいでしょう」
ロレッタの言う「落ち着いてから」というのは、自分のためであるし、ブランダー伯爵のためでもあった。
お互いに動揺しているのは明らか。
この状態で話し合っても、お互いのためにはならないという判断である。
動揺はしていても、そのくらいの判断力は残っていた。
「エンフィールド公、私はそこまでおかしな報告書は出しておりません。詳しく調べたところ、軍の繰越金と大規模な臨時徴税を一度行えば、来年度までは国庫が持たせられるとわかりました。陛下があのような判断を下されたのは、王室の私財を売却せずに戦費を賄えるとわかったからではないでしょうか」
今度はアダムズ伯爵が話しかけてきた。
彼もブランダー伯爵と同じくらいに焦りを見せていた。
ファーティル王国を巻き込んでしまったのは、自分のせいではないとわかってほしいのだろう。
「王室の私財を売り払う覚悟を持っていたというのであれば、それだけの決意があったという事でしょう。いずれにせよ、ファーティル王国への侵攻を実行されていたかもしれません。アダムズ伯の責任ではありません。あなたはあなたの役割を果たした。謝る必要などありません」
アイザックは、アダムズ伯爵の責任を追及しなかった。
これは甘やかしているわけではなく、厳しい追及をして、彼に寝返らせないためだ。
簡単に「責任を取れ」と言えば、責任から逃れるために裏切りかねない。
今はまだ、厳しい処分を避ける時だった。
「エンフィールド公――」
「エンフィールド公――」
次々に貴族がアイザックに話しかけてくる。
アイザックは彼らを心配させないよう、対処に自信があるような態度を見せながら対応していった。
――その姿こそ、本来ジェイソンに求められていた、人の上に立つ者の姿なのかもしれない。
ロレッタは、そう感じずにはいられなかった。
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「あのような馬鹿に好き勝手させてしまい、申し訳ございませんでした!」
屋敷に着き、応接室へ入ったところでアイザックが土下座して謝った。
使用人もいるのにもかかわらずである。
これにはロレッタも面食らった。
「エンフィールド公は、私達を助けてくださいました。謝る必要などありません」
今度はロレッタがアイザックに許しを与える番となる。
だが、彼女はアイザックに謝ってほしくなどなかった。
しかも土下座までするなど、好きな相手にしてほしくない。
先ほどまで見せていた毅然とした態度を見せてほしいと思うくらいであった。
「エリアス陛下を救うためとはいえ、彼らを泳がせていたせいで、ロレッタ殿下の身を危険に晒してしまいました。元外務大臣として、リード王国を代表しお詫び申し上げます」
モーガンも謝罪する。
しかし、アイザックのように恥も外聞もなく土下座したりはしない。
彼は片膝をつき、深く首を垂れる。
ランドルフも同様の姿勢を取った。
「おやめください。正式な謝罪は、ヘクター陛下にしていただかなくてはなりません。ここで皆さんに謝罪されても、私も困ります。それに、私はまだ動揺しています。他の者達も同じでしょう。今は形式ばったやり取りよりも、普段通りの対応をしてくださった方が休めるので助かるのですが……。エンフィールド公も頭を上げてください。あなたのそんな姿は見たくありません」
「はいっ」
ロレッタは顔を上げてくれと頼んだが、それは失敗だったと感じずにはいられなかった。
土下座の状態から顔を上げたアイザックの顔が、許しを請うために媚びを売る表情をしていたからだ。
――大きな失敗をして、厳しい処罰をしないでほしいと愛想笑いを浮かべる小物。
ロレッタも、今までに何度か見た事のある顔である。
先ほどまでの威厳など欠片も残っていない。
だが、アイザックの情けない姿を見た事が寂しいのではない。
(きっと私に嫌われるために、こんな顔を見せているのだわ……)
アイザックは、すでに結婚している。
ロレッタと結婚する事になれば、妻の立場は自然と一段落ちるものとなるだろう。
――妻を守るためにロレッタに避けられようと、わざと失望されるような情けない表情をしている。
それでアイザックに避けられていると実感させられる。
その事が何よりも寂しかった。
「今回の事は、ジェイソン陛下とマイケル外務大臣と――」
そこまで言葉にして、ロレッタは口籠る。
――リード王国の責任だと言っているのと同じだったからだ。
後々、ジェイソン達を権力の座から引き摺り降ろすとしても、今は彼らが国の代表である。
しかも、彼らを泳がせているのはアイザック達だった。
そうなるとアイザック達、貴族にも責任があるという事でもある。
意図しようがしまいが、アイザック達を責める言葉になってしまうのだ。
ロレッタは言い直す事にした。
「――今回の事は、私がどうこう言えるものではありませんのでヘクター陛下とお話ください。身の安全の約束をしてくださるだけで、今は結構です」
これは自分一人で交渉できる問題ではない。
そう考えたロレッタは下手な事を言わず、祖父に問題を押し付けた。
彼女はニコラスに視線を送る。
その視線の意味を読み取ったニコラスは、アイザックの隣に移動する。
「助けてくださってありがとうございました。アイザック兄さんは、今できる事を精一杯してくださったのだと僕達もわかっています。感謝しているのに、そのような姿を見せられては僕達も心苦しい。胸を張って堂々としてくださいとは言いませんが、もう少し普通にしてください」
そう言って、彼はアイザックを立たせようとする。
アイザックもここまで言われては、大人しく立つしかない。
「我が国の騒動に巻き込んでしまい、申し訳ございませんでした。殿下の身の安全は、私共が保証致します。また危険が及ぶようであれば、その時は最終的な解決手段も厭わず、行使するとお約束します」
「エンフィールド公にそう言っていただけると心強いです」
アイザックに「武力を使ってでも守る」と言われて、ロレッタは少しだけホッとした。
先ほどまでのアイザックの姿は幻滅してしまうようなものだったが、今のアイザックの姿を見れば、あの姿は忘れられそうだった。
「あの……、どうされたのですか?」
帰宅を出迎えていたパメラ達が状況についていけず質問する。
ロレッタに謝罪をしなければならない事態になったという事はわかっていたが、いきなりアイザックの土下座から始まったので、それ以上先の事を思考できなかったのだ。
「実は王宮で――」
モーガンが彼女達に説明する。
説明の始まり、マイケルの行動に触れた時点で彼女達は絶句した。
パメラやリサ、ルシアは信じられないと目を丸くしていたが、ファーティル王国出身のマーガレットは、怒りで顔が紅潮していた。
「私にはその恐ろしさがよくわかります」
パメラがロレッタに近付き、そっと抱きしめる。
彼女もジェイソンに殺されそうになったので、その言葉には説得力があった。
「パメラさん……」
ロレッタは素直にパメラに体を預けた。
安心したのか、すすり泣く声も聞こえる。
その様子からは、同じ恐怖を味わった者同士以上の関係の深さが読み取れる。
「二人は親しかったのか?」
アイザックは、隣にいたニコラスに尋ねる。
「あの、その……」
ニコラスは言い辛そうに口籠ったが、避けられる話題ではないので意を決して話す事にした。
「パメラさんは、陛下の婚約者だったので……」
「あぁ、王族と王族の婚約者としての付き合いがあったというわけか」
「その通りです」
パメラは未来の王太子妃だった。
隣国の王女とも、今後の事を考えて深い付き合いをしていたはずだ。
目に見えないところでのサポートが期待できるかできないかの差は大きい。
こういった点でも、ジェイソンがパメラではなくニコルを選ぶなどあり得ない事だった。
「お前も怖かっただろう。さぁ、こい」
「えっ、いや、恥ずかしいんですけど」
「いいから」
アイザックがニコラスを抱きしめる。
続いて、彼の婚約者のソフィア、他の留学生と順番に抱擁していく。
その様子を「なぜ彼らだけ!?」と、パメラの腕の中からロレッタが食い入るように見ていた。
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ロレッタ達がウェルロッド侯爵家の屋敷に滞在するようになって三日後。
アイザックは、側近だけを連れて出掛けた。
王都を離れる前に、行っておかねばならないところがあったからだ。
「墓地の中に大勢入って騒がしくするわけにはいかない」
多くの護衛を墓地の外で待たせ、ノーマン、マット、トミー、アーヴィン、ハキムの五人だけを同行させる。
そう、アイザックはネイサン達の墓参りにきたのだ。
彼らは罪人であるため、ウェルロッド侯爵家やウィルメンテ侯爵家の墓地には葬られなかった。
貴族の罪人向けの墓地へと葬られた。
平民と違って、罪人とはいえ死体を打ち捨てられる事はないが、誰も墓参りにこないような場所である。
墓守が気が向いた時に落ち葉を掃除する程度の場所。
そこにネイサン達は葬られていた。
ノーマン達も「閣下が足を運ぶような場所ではない」と止めたが、アイザックが強く望む以上は止められない。
腐った落ち葉の匂いが立ち込める中、墓守の案内で目的の場所へ向かう。
ネイサンとメリンダの墓は、近付いたらすぐにわかった。
そこだけ綺麗になっているからだ。
明らかに人の手が入っている。
おそらく、ランドルフが頼んでいるのだろう。
案内の終わった墓守が立ち去ると、アイザックは彼らに祈りを捧げる。
祈り終わると、ノーマン達に向き直った。
「兄上を殺した時、こう言われたよ。『殺さずに済む方法もあったんじゃないか?』とね。当時は自分の安全のために殺すという選択を選んだが、今思えば他の方法もあったんじゃないかと後悔したよ」
突然の胸中の告白に、ノーマン達は黙って聞き入っていた。
「だけど、殺してしまった以上、後戻りはできない。だから、こう決めたんだ。ネイサン・ウェルロッドは、つまらぬ男に殺されたのではなく、偉大な男に殺された。歴史に残るくらいの男に殺されたのだから、負けても仕方ない。世間がそう思うくらい、兄上の分もしっかり生きようとね」
「閣下は、すでに歴史上の人物です!」
マットが即答した。
アイザックは、すでにエルフやドワーフとの交流再開を果たしている。
それだけではなく、戦争においても名の知れた相手に勝利を収めていた。
リード王国史だけではなく、他国においても歴史に名を残す実績を残していた。
マットは「アイザックが自分の実績を誇っていない」と思い、そうではないと伝えようとしていた。
アイザックも彼の気持ちがわかり、小さく笑う。
「ありがとう。でも、本番はこれからだ。私はまだ立ち止まったりはしない。その道中で、お前達の命を失うような厳しい戦いに身を投じさせる事もあるだろう。だが、ついてこい。その命、歴史の表舞台で有効に使ってもらう」
「はっ!」
五人ともアイザックに向かって最敬礼をして応えた。
今でも「アイザックの側近」として名前を残せるかもしれない。
だが、このまま従えば「アイザックの側近」というその他大勢ではなく「一個の英傑」として名前を残せるかもしれない。
一人の人間として、一人の男として、彼らの心を燃え上がらせていた。
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