第458話 この世界の果てまでを君に

「なぜだ? お前なら力を貸してくれると思っていたのに」

「もちろん殿下のお手伝いをさせていただく事に関しましては、やぶさかではございません。ですが、先に状況を詳しくお聞かせ願えますか? でなければ『引き受けられない』という返答しかできません」


 そうは言うが、アイザックには引き受ける気などさらさらない。

 どう考えても、ジェイソンが引き起こした騒動の後始末を任される事になるだろう。

 王族に信頼されたという栄誉を得られるどころか、ただの罰ゲームでしかない。


 それ以前に、宰相など引き受けてしまえば、ジェイソンの側に付いたと思われてしまう。

 そうなれば、アイザックも悪の一味と見られる事になるだろう

 周囲の信頼を一気に失ってしまう悪手である。

 ジェイソンのもとで役職に就くのは自殺行為。

 無職こそ正義であった。


 アイザックの返事を聞いて、ジェイソンは考え込む。


「ねぇ、ジェイソン。アイザックくんに話して相談した方がいいんじゃないかな?」


 そんな彼に、心配そうにニコルが話しかけた。

 すると、ジェイソンは今にも泣き出しそうな情けない顔をする。


「君は私よりもエンフィールド公を信頼しているというのか?」

「ううん、そうじゃないよ。ジェイソンの事を信じてるし、みんなの事も信じてる。でもね、他の人の意見を聞いてみるのって大事だと思うの」

「それもそうか。やはり君は賢い女性だね」


 フフフッと笑うジェイソンに笑顔を返すが、アイザックの目にはニコルが不安を感じているように見えた。


(うん、まぁ……。お前が馬鹿なだけだよってつっこみたくはなるし、気持ちはわかるな)


 だが、ジェイソンをこのようにしたのはニコルである。

 自業自得として受け入れてもらおう。


「何が聞きたい?」

「ではまず、陛下と何があったのか? それと、どう対応されたのかを伺いたいですね」

「なるほど……」


 またしてもジェイソンが考え込む。

 すると、今度はウィルメンテ侯爵に話しかけた。


「ウィルメンテ侯。私に協力すると約束してくれるか?」

「……すでにフレッドが殿下に協力しております。どのような状況になっているのか存じませんが、すでにウィルメンテ侯爵家も一蓮托生。手伝わせていただきます」

「それはありがたい」


 ジェイソンは味方ができたと喜ぶが、実際は違う。

 ウィルメンテ侯爵も「表向きはジェイソンの味方をする」という方向性で話をすると、事前に決めていたのだ。

 ジェイソンの考えを否定すれば、どんな事をされるのかわからない。

 そこで「まずは、この呼び出しから無事に帰るのを優先しよう」と取り決めていた。

 だから、彼もアイザックを気にせずに発言する事ができたのだった。

 そうとは知らず、ジェイソンは満足そうにうなずく。


「では話そう。昨日、父上に不当な言い掛かりをつけられたのが発端だ」


 アイザックとウィルメンテ侯爵は「本当に不当な言い掛かりなのか?」という疑問が頭に浮かんだが言葉にはしなかった。

 まだ本当の事である可能性もあったからだ。


「ニコルと結婚する事は認めてもよかったが、パメラに冤罪を着せて別れようとするなど許し難い行為だと言われたよ。エンフィールド公が庇ったからうやむやになったものの、パメラが罪人である事は明白だ。あんな女を王太子妃にできるものか!」


 ジェイソンの言葉を、ウィルメンテ侯爵は冷や汗をかきながら聞いていた。

 疑わしいところがあるのかどうかは彼にはわからない。

 それでもわかる事がある。


 ――パメラはアイザックの妻となったという事だ。


 ウィンザー侯爵家の反乱を抑えるためだとはいえ、妻になった以上、彼女を侮辱する事はアイザックにとっても面白くないはず。

 今後、ジェイソンへの厳しい対応が予想される。

 それがフレッドの段階で止まればいいが、ウィルメンテ侯爵家にまで延焼してはたまらない。

「もうやめてくれ」と願っていた。


 だが、アイザックはイラついてはいなかった。

 ジェイソンの今後を考えれば、報復する機会は十分にあるからだ。


「……それだけですか?」

「!?」


 それ以上にアイザックは呆れていて「それだけか?」と聞き返してしまった。

 その反応を見て、ジェイソンは焦りを感じる。

 彼の中に残っていた理性が「これだけではまずい」と知らせた。


「いや、違う。父上自身にも大きな問題があった。それはリード王国を平和にし過ぎた事だ。リード王国は平和で豊かな国だ。だが、それは同盟国の犠牲の上で成り立っている。我らも大国の義務を果たすべき時がきたのだ。なのに、陛下はわかろうとしなかった」

「と言われますと?」

「我が国は積極的に動いていく。圧政に苦しむ他国の民を救うのだ!」

「なんと!」


 またしてもウィルメンテ侯爵が驚く。

 ジェイソンの言葉は「他国を侵略する」と言っているのも同然だからだ。

 今までの国家方針とは大きく異なる方針転換である。

 いくら何でも、そんな方針が受け入れられるはずがない。


(だから、エンフィールド公に宰相を任せようとしたのか)


 ジェイソンも難しいという事はわかっているのだろう。

 そのため、貴族を説得するためにアイザックを引き入れようとしたのだと、ウィルメンテ侯爵は考えた。

 ジェイソンが、そう考えるのもわかる気がした。

「わかっていましたよ」と言わんばかりに、アイザックが落ち着いた態度を取っていたからだ。

 つい頼ってしまう気持ちも理解できる。


 アイザックは確かにわかっていた。

 わかってはいたが、それでも軽い衝撃は受けていた。


(あのやり取りが本当に行われたのか!)




『ここから見える風景が私のものなのねっ』

『そうだ、全て僕達のものだよ』

『けれど……、地平線の先には他の国があるのよね』

『フフッ、君は欲張りだな。この国の王妃っていうだけじゃ満足できないのかい』

『全部私のものって言ったじゃない。見える範囲だけじゃ全てじゃないわ』

『フフッ、いいよ。この世界の果てまでを君に贈ろう』




 ゲームでなら「世界をプレゼントしたいほど愛している」という意思表示でしかない。

 だが、現実の世界では違う。

 そんな理由で戦争を始められても、ただの迷惑行為でしかなかった。

 それがわかっているからか、ジェイソンは「他国の民を救うため」という大義名分を使ってきた。

 しかし、それが取ってつけたようなものだというのがバレバレである。

 本当は「ニコルとの結婚を認められなかったから」というものだろう。

 アイザックは、めまいを感じる。


「そこで私が卒業したこの機に、国内を改革しようと動き始めたのだ。父上と母上は強く反対するので、やむなく捕らえさせた。近衛は私の思想に同調してくれていたので簡単だったよ」

「なるほど、そういう事だったのですか」


 今度はアイザックが悩む番である。

 いや、正確に言えば悩むではなく泣きそうになっていたという方が近いかもしれない。


(なんで……、なんでこいつはそんな事ができるんだよ!)


 この感情は国王夫妻を幽閉した事に対するものではない。


(俺は子供の頃から必死になって根回しを頑張ってたんだぞ! なのに、こいつは『近衛に頼んだら上手くいった』とか……なんなんだよ! 俺の努力ってなんだったんだよ!)


 ――それはジェイソンに向けられた嫉妬だった。


 パメラを手に入れるために長年苦労してきたのに、ジェイソンは二年前から近衛騎士団を説得しただけで、エリアスを幽閉する事に成功した。

 いくら主人公であるニコルと結婚するためとはいえ、ジェイソンは神に愛されているとしか思えない。

 地道に頑張ってきたのが馬鹿らしく思えて、アイザックは泣きそうになっていたのだった。

 だが、今は泣く時ではない。

 ジェイソンに味方だと思わせつつ、自分の望む方向へ誘導するべき時だ。

 過去を振り返っている暇などない。


「やはり宰相職は辞するという事になりそうですね」

「新しい国を作るには、お前の力がいる。だから最高の職を用意しようというのに、なぜ断る? 何が不満だ?」


(お前の下で働く事がだよ!)


 もちろん、そんな事は言えないし、表情にも出せない。

 それっぽい事を答える事にした。


「まず、ウィンザー侯に宰相を辞してもらうという件。これは私が説得すれば可能でしょう。ですが、周囲に与える影響が大きなものとなります。不安や不満を抑えるための根回しが必要です。そちらも私がやりましょう」

「やってくれるか」

「しかしながら、一時的に抑えればいいというものではありません。殿下に重く用いられた者はともかく、そうでない者達はウィンザー侯のもとに集まる事になるでしょう。それでは私がウィンザー侯を抑えた意味がありません。継続的に国内の不満を抑えるのは、宰相としての役割を果たしながらの片手間でやれる事ではないでしょう。ですので宰相に就任する事はできません。ですが諸侯への根回しは私にお任せください。私は陰ながら殿下を支えさせていただきます」

「そういう事ならば仕方がないか」


 ジェイソンもアイザックの説明を聞いて納得はしたが、渋々といった様子を見せる。

 ウィンザー侯爵や他の貴族の説得をやってくれるのは助かる話だった。


「来週、ニコルとの結婚式がある。その時に父上が病のために退位し、私が即位すると皆に発表するつもりだった。その時に人事の刷新も発表したかったのだがな……。誰か推薦したい者はいるか?」


 とはいえ、宰相がいなくては困る。

 何か代案を考えなければならない。

 だが、アイザックは違うところに反応した。


「病のためですか……。殿下、一つご忠告が」

「なんだ?」

「病というのは名目上の事とすべきです。病のため崩御なされた、という事にはならない方がよろしいでしょう。私も兄を殺して以来、周囲の見る目が変わりました。殿下には同じ思いをしていただきたくありません」


 これはエリアスを心配してのものではない。

 ウィルメンテ侯爵への「私は忠臣ですよアピール」と「他の貴族が暴発して、反ジェイソンの旗印を奪われては困る」というのが動機だった。


「私が親を手にかけるような男だとでも?」


 しかし、ジェイソンは違う。

 ただのアピールだとは考えず、不機嫌になる。


「いいえ、そうは思いません。念のための忠告です。親殺しだと思われたくないという意思を確認できただけで十分です。ところで、ウィルメンテ侯にはどのような用件があったのですか?」


 アイザックは深刻に受け取らず、ジェイソンを軽くあしらった。


「ウィルメンテ侯には元帥を任せようと思っていたのだ。元々、フィッツジェラルド伯は繋ぎの元帥。戦える軍にするために、より実戦に向いた者を元帥に任命したいと考えている。どうだろうか?」


 最後の言葉は、ウィルメンテ侯爵に向けられたものだった。

「どうだ?」と聞かれても困る。

 ウィルメンテ侯爵も「魅力的な提案だ」などとは思えなかったからだ。

 元帥になれば、誰がどう見てもジェイソンの腹心だと見られる。

 最悪の場合、エリアスを幽閉した共犯者だと思われるかもしれない。

 彼にも、ただの罰ゲームだとしか思えなかった。

 

 だが、残念な事にウィルメンテ侯爵は断る理由が思いつかない。

 せいぜいが「フィッツジェラルド元帥に悪い」というくらいだったが、それでは辞退する理由には弱い。


「光栄な事ですが……」


 理由もなく断れば、どうしても疑われるだろう。

 裏工作が得意なアイザックのように「陰ながら支える」とも答えられないので、返答に詰まってしまう。

 これにはアイザックも焦る。


(元帥になれば王国軍を動かせる。けど、いざ戦闘という時に『ジェイソンに味方する奴を元帥だなんて認めない』と反旗を翻されたりしたら……。それにウィルメンテ侯が元帥になったら、ウィルメンテ侯爵領の軍をフレッドが率いる事になる。だとすると、元帥になってもらう旨みよりも損失の方が大きい。なんとかして邪魔したいところだけど……)


 もしジェイソンが「私を支持してくれたら領地を与える」などの交換条件を出していれば、そこを突いてどうにかできたかもしれない。

 だが「元帥に足る人物だと信頼しているから任せたい」というストレートな要求なだけに断り辛い。

 下手な断り方をすれば「お前が簒奪者だから嫌だ」と言っているように受け取られかねないからだ。

 アイザックとしても助け舟を出してやりたい。

 とはいえ、すぐにアイデアが思い浮かばなかったので、時間を稼ぐ事にした。


「なるほど、なるほど。そういう事ならば案がある……と申し上げられたらいいのですが……。いい案が思いつきそうですが、今すぐにとはいきません。少し時間をいただけますか? ウィルメンテ候にも影響するかもしれませんので、元帥就任の話もお待ちいただけませんか?」


 本当なら「この件に関しましては、一旦持ち帰らせていただきます」と言って帰りたいところだった。

 しかし、明確な答えもなしでは帰らせてくれないだろう。

 せめて、これまでに得た情報を整理する時間がほしかった。


 ウィルメンテ侯爵は、アイザックによって元帥の話を逸らすチャンスを得た。

 アイザックが考えている間に、違う話題にして、ついでに情報を得ようと考える。


「殿下、我らを信用してくださっているのはありがたいと思っています。ですが、他の者達は不安に感じているでしょう。それと同じように、私も不安に感じている事がございます」

「なんだ?」

「近衛騎士団です。彼らは殿下に協力しているとはいえ、その理由が不明では私もどこまで踏み込むべきなのか悩んでしまいます。彼らが殿下に従う理由をお教え願います」


 彼は、あわよくば近衛騎士団を味方に付けた理由を聞き出そうとしていた。

 理由がわかれば、こちらから違う条件を出して寝返らせる事ができるかもしれない。

 今のジェイソンなら話してくれそうな気がしたので、聞くだけ聞いてみようと思ったのだった。


「特別な条件は提示していない。彼らの働きに見合った爵位や領地といった正当な報酬を提示しただけだ」


 思ったよりも素直に話してくれた。

 だが、その内容にウィルメンテ侯爵は頭を抱えたくなった。


 ――近衛騎士団に平民が含まれるのはなぜか?

 ――団長や隊長クラスにも平民が選ばれるのはなぜか?


 その大前提が、ジェイソンの頭から抜けているからである。


 かつて二つの公爵家が王位を奪い合った時代。

 あの混乱には近衛騎士団も大きく関わっていた。

 当時は指揮官に貴族出身の者しか選ばれなかった。

 しかし、それがよくなかったのだ。

 家の都合に合わせて付く公爵家を変え、王宮内の警護を甘くして暗殺者の侵入を見過ごしていた。


 暗殺の応酬が飛び交う暗黒期が終わると、近衛騎士は貴族との縁を切るように強制されるようになった。

 次男以降だけではなく、本来ならば当主になれた嫡男であってもだ。

 そのため魔法の才能があるというだけで、家を継ぐ事ができなかった者もいた。


 ――なのに、貴族出身という事で出世が早いというわけでもない。


 近衛騎士には名誉がある。

 子爵家の貴族年金と同等の俸禄がある。

 貴族ではないものの、男爵家に次ぐ地位を用意されている。


 ――だが、貴族ではない。


 平民出身の者は欲で動いた者もいるかもしれないが、貴族出身の者は「本来自分が受け取るはずだったものを取り返す」という者も少なくないのかもしれない。


 もちろん、欲に負けた者ばかりではないだろう。

 しかし、これで一つわかった事がある。


 ――ウィルメンテ侯爵達には用意できないものだという事だ。


 領地はともかく、侯爵家が勝手に爵位を与えるわけにはいかない。

 これは王家でなければできない事だ。

 代替案を用意するのは簡単ではない。


(他国を攻めるのはニコルのためじゃなく、近衛騎士に領地を与えるためでもあるのかもしれないな。だとすると、戦争を推進する方向で動いた方が従わせやすいかもしれない。そうなると――)


 だが、この質問がアイザックの思考にいい刺激を与えた。

 本来はウィンザー侯爵領を分け与えるつもりだったのかもしれないが、それはアイザックが防いだ。

 戦争はニコルのためだけではなく、寝返った近衛騎士達のためにも必要な行動だとわかった。

 ならば、ジェイソンに戦争を回避するという考えはないはず。

 戦争をするという方向で誘導すればいい。

 それもジェイソンにとって都合が良いと思う方向へ。


 ウィルメンテ侯爵は話を逸らそうとしただけだが、その行動は今後のリード王国に大きな影響を与える事となった。

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