第450話 法律の原則

 アイザックの説明に、ほとんどの者達は賛同した。

 だが、パメラとリサの二人は理解はしながらも、微妙な表情を隠せずにいた。


「後日、ちゃんと結婚式はするからさ」

「ええ……」

「でも……」


 アイザックの提案。

 それは「この場で僕と結婚しよう」というものだった。

 そうすれば公爵夫人として、過去の罪は問われなくなる。

 貴族が集まっているので、パメラだけではなく、リサも一緒に結婚しようとアイザックは考えたのだ。

 だが、これには問題があった。


 ――結婚するならば、盛大に式を挙げて祝いたいというものだった。


 アイザックとしては「助かるんだしいいじゃないか」と思うのだが、パメラとリサはそうではないらしい。

 結婚式に重きを置いているようだ。

 重要な日だとはわかっているが「命と天秤にかけるほどではない」というのがアイザックの認識だった。


 しかし、彼女達は違う。

 一世一代の晴れ舞台にかける情熱は、アイザックの想像を越えるものだった。

 そう簡単に考えを切り替えられなかった。


「なら、私だけではどうでしょうか?」


 パメラもリサの反応を感じ取って、自分だけと言い出す。

 だが、これにはアイザックが渋る。


「うーん……。パメラさんだけだと、先に婚約していたリサの立場がなくなるんじゃないかって思ってさ。やっぱりリサも大事だし、ここで妻として紹介しておきたかったんだよね」


 ――パメラは命を救うため。

 ――リサは面子を保つため。


 アイザックはアイザックで、二人の事を考えて行動している。

 結婚式自体はちゃんとやるつもりだったので、なぜ渋るのかが理解できなかった。


「アイザック、今回はパメラさんだけでいいでしょう。リサがあなたの妻になるという事は、すでに誰もが知っています。今すぐ結婚を発表しようだなんて焦らなくてもいいじゃないの。今回は必要な事だけをやりなさい」


 アイザックのデリカシーのなさを見るに見かねて、マーガレットが口を挟んだ。


「あなたは式典に呼ばれる事が多かったけれど、普通の貴族なら結婚式が大人になってから最初の晴れ舞台になるのよ。大切な思い出になる日だという事を考慮してあげてね」


 ルシアがマーガレットの言葉を補足する。

 アイザックがあまり結婚式を重視していないのは、より大きな式典に何度も出ているからだと考えたのだ。

 もちろん、パメラの危機であることはわかっている。

 だが、もう少し配慮を見せてほしいという気持ちもあった。

 アイザックならば、それができるはずだと思っていたからだ。


「そのお言葉だけで結構です。今は結婚式がどうとか言うことのできる状況ではありませんもの。喜んでアイザックさんの案に乗ります」

「パメラさん……」


 ルシアが哀れんだ目でパメラを見る。

 彼女も卒業式のあとを楽しみにしていたはずだ。

 だというのにジェイソンに別れを告げられ、アイザックによって大事な日が台無しにされようとしている。

 なのに、彼女は健気にも前向きに対応しようとしていた。

 彼女はこのような娘を、あのような形で振ったジェイソンへの怒りを覚える。


 パメラの意思を確認して、リサは彼女の手を取った。


「アイザックは気遣いができる時もありますけど、結果だけ残せたらいいって考えている時もあります。私もまだ慣れなくて……。こういう時、一人だと心細いでしょう? 私も行きます」

「リサさん……。ありがとうございます」


 リサがサポートに回ると伝えると、パメラは嬉しそうな笑みを見せた。


(思った通り優しそうな人。小姑とかお局様みたいな意地悪な人にはならなさそうね)


 その笑みには、結婚生活での不安の一つが解消された安堵も含まれていた。

 アイザックとリサの関係を考えれば、二人の中に割って入るのは厳しいものがある。

 リサが最愛の妻の座を賭けて勝負してくるようなタイプでない事に、パメラは心底安心していた。


「では行きましょうか」

「そ、そうだね……」


 パメラとリサが前向きに参加してくれる気になったのは嬉しいが、アイザックは釈然としないものを感じていた。

 ウィンザー侯爵が前向きに協力してくれていれば、他の手段を取る余裕もあっただろう。

 なのに、自分だけが空気を読めない扱いをされてしまっている。

 だが、義理の祖父となる「ウィンザー侯爵の方が悪い」とはなかなか言えない。

 不満を飲み込み、パメラを救うための行動に移る。


「皆さんにお知らせがあります。ただいまウィンザー侯爵家当主ジェローム、ウェルロッド侯爵家当主モーガン、バートン男爵家当主オリバーの立ち合いのもと、この場での結婚が認められました。パメラ・ウィンザーとリサ・バートンは、ただいまをもってエンフィールド公爵夫人になりました」


 アイザックの発表を聞き、会場がどよめく。

 その意図がわからなかったからだ。

 しかし、一応はめでたい事なので拍手を贈る。

 中には複雑な思いをしながら拍手する者もいた。




 ロレッタは悔しがっていた。

 アイザックの様子から、ジュディスはともかくアマンダには興味がなさそうだった。

 アマンダは有力なライバルとは言えず、ジュディスであれば第一夫人の座に割り込む余地がある。

 そう思ったから一年待ったのだ。

 なのに、ウィンザー侯爵という有力者の孫娘と結婚してしまった。

 これならば待たなければよかったと後悔していた。


 アマンダは自己嫌悪に陥っていた。

 パメラを救うための行動だとはわかっている。

 わかってはいるが「パメラは危険な目に遭っただけで、なぜアイザックと結婚できるのか?」と考えてしまうのだ。

 もしフレッドと婚約が続いていて、ニコルと結婚するために自分を殺そうとした時、アイザックは結婚してくれたのだろうか?

 きっと助けにきてくれる。

 だが、結婚までには至らない気がする。

「なぜパメラだけ……」と嫉妬してしまい、そう考えてしまう自分に気付いてしまったのだ。


 ジュディスは深く後悔していた。

「こうなってしまったのは私のせいだ」と思っていたのだ。

 アイザックが王家に反旗を翻すと考え、占いの結果を話してしまった。

 しかし、それは間違いだった。

 おそらくあれはウィンザー侯爵家が反乱を起こし、ランカスター伯爵家やウェルロッド侯爵家が彼らに味方した未来だったのだろう。

 占いの結果を話してしまったせいで、アイザックは未来を変えようと動いている。

 そのせいで、彼との結婚が遠のいてしまった。

 こんな事なら、何も言わない方がよかったのではないかと思ってしまう。


 ティファニーは素直に祝っていた。

 アイザックの気持ちは嬉しい。

 だが「男として意識し始めた」としても、今さら受け入れると伝えるのも難しい。

 それならば、一人の女の子を救おうとしているアイザックを応援するべきだ。

 少しだけ「もっと早くアイザックの想いを受け入れていたら、どうなっていたんだろう」という寂しさは感じていたが、それだけだった。


 ブリジットは今すぐにではなく、数年後に結婚の話をする事になっているので余裕を持って見ていた。

 ティファニーやリサと結婚するならともかく、パメラとここで結婚する理由を「なんでだろう?」と考えていた。

 アイザックの結婚相手が誰であろうと焦る気持ちはなかった。

 周囲の大人達が「子供ができれば、母親の気持ちは子供の方に移る。その時が狙い目だ」など、時間に余裕のあるエルフの強みを活かした方法を提案していたからだ。

 アイザックの一番になるのは結婚してからでいい。

 今は時が来るのをジッと待っている段階である。

 森で獲物がくるのを待っているのに比べれば、先が見えている分だけ気が楽だった。



 拍手が落ち着くと、アイザックはジェイソンに向き直る。


「ジェイソン、パメラさんは僕の妻となった。公爵夫人にだ。これで過去の罪は公爵家の特権により許される」

「王族に対する罪は別だ」


 アイザックは、やれやれと首を振る。


「さっき君が言ったじゃないか。ニコルさんとは・・・・・・・まだ結婚していない・・・・・・・・・と。だからまだニコルさんは王族じゃない。男爵家の当主でしかないんだ」

「だが、結婚すれば違うだろう」

「それは違う。不遡及は法律の原則である。そうですよね、クーパー大臣?」

「えっ!?」


 突然話を振られ、クーパー伯爵は驚いた。

 しかし、法務大臣という立場にある者の意見を求められているのだと、すぐに驚きから立ち直った。


「確かにその通りです。例えば、今日から盗みは禁止という法を施行した場合、昨日まで盗みを働いていた者達を処罰してはいけないというものですね。法律なくして刑罰なし。過去の罪を裁くために、新しく法律を作って処罰するというのは原則としてするべきではないという理念です」


 アイザックが何を言わんとしているのかを察し、必要だと思われる事を彼は補足した。


「クーパー大臣のおっしゃる通り、あとから裁くのは許されない行為。パメラさんは僕の妻になった。公爵夫人も王族に対する罪以外は許される。だから、ニコルさんに対する罪の疑いがあったとしても、それは完全に許される事になる。それはニコルさんが君と結婚しても同じ。パメラさんが本当に何かしていたとしても、それは王族に対してではなく女男爵に対する罪だ。それも僕と結婚する事で許された。今後、彼女を責める事はできない」


 クーパー伯爵の補足を受け、アイザックはジェイソンに「もうパメラの事を責める理由はなくなった」と教える。

 監視の方はすでにエリアスから許しを得ているので、そちらの理由も使えない。

 これでパメラを追及できなくなるのだが、それは普通の者ならばの話だ。

 ジェイソンは、ニコルに魅了されているのでどんな行動を取るのかわからない。

 最後の仕上げが必要だった。


「ジェイソン。君がパメラさんを殺したかった理由、僕にはわかるよ。怖かったんだね」

「怖い? 何を恐れるというんだ?」


 アイザックの言葉に、ジェイソンは首をかしげる。


「君の愛を取り戻そうとして、パメラさんがニコルさんに報復するのを恐れていたんだろう? だから、亡き者にしようとした」


 その言葉は、結婚の祝福ムードだった会場に冷や水を浴びせる事になった。

 場が一気に静まり返る。


「でももう大丈夫だ。パメラさんは僕の妻になった。もしジェイソンの愛を取り戻そうとすれば、それは夫である僕への裏切り行為になる。だからそんな事はさせない。パメラさんには・・・・・・・、ニコルさんに何もさせないと約束する。だから、みんなの前でもう二度と過去の事を持ち出して処罰しないと約束してほしい」

「それは……」


 ジェイソンが口籠った。

 その反応を見て、アイザックは自分の考えが正しかったと思った。


 ――パメラ、アマンダ、ジュディス。

 ――彼女らが命の危険がある別れ方をされるのに対し、ティファニーやジャネットが軽い別れ方なのはなぜか?


 それは伯爵家以上と、子爵家以下の権力の違いによるものだろう。

 子爵家ならば報復は難しいが、伯爵家以上ならば容易い。

 領地持ちの伯爵家ならば、男爵家の娘を殺しても問題にすらならないはずだ。

 それほどまでに権力の強さに差がある。

 だから、パメラ達は殺されそうになったのだと、アイザックは考えていた。

 実家の力を恐れて。


 そこでアイザックは、パメラと結婚する事でジェイソンの心配を解消しようとした。

 人妻となった身で、ジェイソンの愛を取り戻そうとすれば、非難されるのはパメラの側である。

 ニコル個人への報復自体はありうるが、それは必死にパメラを守ろうとするアイザックの努力を無に帰すものである以上、実行に移せばパメラ自身やウィンザー侯爵家の名声に傷がつく。

 実質的には報復などできないように仕向けたのだ。


 ――それらをアピールし、パメラの身の安全を皆の前で約束させる。


 さすがにジェイソンも、皆の前で約束した事は破れないだろう。

 破ってくれても反逆の口実となるのでかまわない。

 アイザックとしては、どちらに転んでもかまわなかった。

 だが、ジェイソンは考え込んでいる。

 そこで、ニコルに声をかける事にした。


「ニコルさんはどうかな? パメラさんはもう二人の結婚生活の邪魔をする事ができなくなった。君にしてみれば怖い思いをさせられた相手かもしれないけど、もうそんな事はできなくなったんだ。これからの事・・・・・・を考えて、過去の事を水に流してくれてもいいんじゃないかな?」


 ――これからの事。


 それは王太子妃となったあとの事だ。

 王太子妃になろうとも、社交界で孤立しては寂しい生活となる。

 ここでパメラを許し、今後手出しをしないと約束した方がいい。

 アイザックは、それを匂わせてニコルに譲歩を要求する。


「……ジェイソンくん、約束してあげてもいいんじゃないかな?」


 ニコルは、アイザックが言わんとするところを察してくれた。

 ジェイソンに許してあげてもいいという意思表示する。


「フフフッ、本当に君は優しいんだね。わかった、アイザック。今後、パメラに過去の事で罪には問わないと約束しよう」

「ありがとう、ジェイソン」


(本当にありがとよ)


 ジェイソンは、パメラに手を出さないと約束しただけではない。


 ――ニコルの言いなりだというのも皆に見せてくれていた。


 聡明な王太子はいなくなった。

 今は魅力的で気品や知性を感じられる容姿・・をした女の言いなりでしかない。

 ジェイソンへの――王家への忠誠心を持つ者でも、失望させるのに十分な姿のはずだ。

 これは次へのステップに大きな影響を与えてくれる。


「では、僕からはもう言う事はない。二人の幸せを祈っているよ」


 そう言い残すと、パメラとリサの二人を連れて家族のもとへ戻った。

 そして、皆で帰ろうとする。


「少しお待ちになって」


 またアイザックを制止する声が聞こえてきた。

 今度は聞きなれない声だった。

 声が聞こえた方に振り向くと、王妃のジェシカがいた。


「ジェイソンとネトルホールズ女男爵の事は……。解決してくださらないのですか?」


 ――ジェイソンとニコルを放置して帰ろうとしている。


 その事に疑問を持ったのだろう。

 アイザックとしては解決するわけにはいかないのだが、そう答えるわけにはいかない。

 前もって用意していた言い訳を使う。


「ジェイソン殿下は友人ですし、誰かと結婚すると言われるのであれば祝福致します。ですが……。その人との結婚に反対だなどとは臣下として申し上げられません。臣下が王族の婚姻に口出しすれば、断絶する前の公爵家のように王家を混乱させる事になりましょう。王族の婚姻は王族内で解決していただくべきだと思うのですが……」


 ――公爵家による王位簒奪。


 それは正当なる王位継承者を暗殺し、王位を乗っ取っていただけではない。

 娘を強引に娶らせ、外戚として権力を振るおうとしていた者達もいた。

 以来、王家の婚姻は臣下が口出しするべきではない問題だという不文律となっていたのだ。

 ジェシカは同盟国から嫁いできた王女。

 リード王国の細かいところを知らなくても仕方がない。


 だが、口出ししてほしかったと思っているのは彼女だけではなかった。

 エリアスも「不文律なんてどうでもいいから解決してから帰ってくれ」と思っていた。

 しかし、それは難しいだろうという事もわかっていた。

 アイザックは指折りの忠臣である。

 王家の問題にまでは口出ししてこないだろうと思っていたからだ。


「エンフィールド公の言う通りだ。ウィンザー侯とは後日面会する。その機会を残してくれただけでよしとしよう。ジェイソンとは私達で話をするべきだ」


 だから、エリアスはジェシカをなだめた。

 ウィンザー侯爵の反乱を未然に防いでくれた。

 それだけで十分である。

 あとは親の役目を果たすだけだ。

 

「エンフィールド公、大儀であった。ウィンザー侯もすまぬ事をした。また後日話し合おう」


 そう言って、エリアスは卒業式を解散させる。

 彼はジェイソンやニコル、ゴメンズを連れて王宮へ帰っていった。


「やれやれ、大変な事になってしまった」


 モーガンが呟く。

 こうなるとわかってはいたが、実際にジェイソンの凋落ぶりを見ると驚きが勝る。

 そこまで一人の女のために変わるのかと思ったが、すぐ近くにアイザックがいた。

 身近に好例がいるだけに、一人の女のために変わるのだろうと思うしかなかった。


「あの……、ウィンザー侯。とりあえず、私にも話をする機会を作っていただければありがたいのですが……」


 恐る恐るといった様子で、ウィルメンテ侯爵がウィンザー侯爵に声をかける。

 フレッドがニコルの後見人になっていたせいだ。

 あれではパメラの処刑を望んでいるとしか思えない。

 ウィルメンテ侯爵家の総意ではないと説明をしておきたかった。


「よかろう、私も聞いておきたい事がある」


 ウィンザー侯爵は、ウィルメンテ侯爵に機会を与えた。

 フレッド個人の暴走であったとしても、ウィルメンテ侯爵家に大きな恩を売る機会である。

 腹立たしいところはあっても、当主としてこのチャンスを無駄にはできない。

 それに今は他に気になるところがあったからだ。


「ところでエンフィールド公。結婚は認めたものの、それだけだという事を忘れてもらっては困る。パメラの嫁入りは結婚式の後だという事は忘れないでもらおう。それまでは、そちらのリサと同衾するのもやめていただきたい。その点はわかっていただけているでしょうな?」

「も、もちろんですとも」


 アイザックは視線を逸らす。

「ちょっとだけなら結婚したからいいかな?」と考えていたが、先にウィンザー侯爵によって釘を刺されてしまった。

 しかし、最初に誰と子作りするかの順番も重要なので仕方がない。


「今後の事を話し合いたいので、僕達もウィルメンテ侯と一緒に話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「ならば、当家も参加させてほしい」


 アイザックの言葉に、ウォリック侯爵も乗ってきた。


「ならば、我が家に集まっていただこうか」


 ウィンザー侯爵は、ウォリック侯爵も含めて話そうと決めた。

 今後の事を話すのに、ふさわしい面子である。

 王家がどのような結論を出すのか待つ必要などない。

 こちらはこちらで話を進めておこうと、ウィンザー侯爵は乗り気になっていた。

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