第436話 カイの悲痛な叫び

 帰りのホームルームが終わり、廊下に出たところでティファニーが待っていた。

 彼女は意を決した様子で、アイザックに話しかけてくる。


「ねぇ、私……。今日ハンカチを持ってきてるんだ」

「そ、そう……」


 ティファニーは「アイザックが自分の事を好きだ」と思いこんでいる。

 できるだけ早い段階で「それは違う」と説明できていればよかったが、彼女はチャールズの事を忘れられていない。

 なので説明は後回しでいいと考えていた。


 だが、後回しにしていたツケが回ってきた。

 彼女はアイザックの気持ちに応えようとしているのかもしれない。

 アイザックに緊張が走る。


「渡した方が……いいかな?」


 ――しかし、光明が見えた。


 ティファニーは、まだ踏ん切りがついていないようだ。

 モジモジとしてハンカチを渡してこようとしない。

 この絶好のチャンスを逃すまいと、アイザックは動く。


「ティファニー。君はまだチャールズの事が忘れられないんだろ? やり直そうと告白してみたかい?」

「ううん、まだ……。冷たく突き放されたらと思うと声もかけられなくて……」

「だったら、ハンカチを渡す相手は僕じゃない。チャールズだ。あいつは……、ホームルームが終わったらすぐに教室を出ていったけど、まだ校内にいるんじゃないかな。今なら帰る前に会えるんじゃないか?」


 十中八九、ニコルを探しにいったのだろう。

 だが、そこには触れなかった。

 彼女のやる気を削ぐ事になるだけだからだ。

 アイザックは余計な事は言わず、ティファニーの肩をポンと叩いて「行ってこい」という意思表示をする。


(アイザックの馬鹿! せっかく勇気を出したっていうのに……)


 ティファニーはアイザックの対応に不満を持っていた。

 渡した方がいいか尋ねたのは、彼女の心がアイザックに傾き始めたからである。

 しかし、今まで従兄弟や幼馴染としか思っていなかった相手だ。

 今になって自分からハンカチを渡すのは恥ずかしい。

 だから、アイザックから「欲しい」と言ってほしかった。

 だが、悪い気はしない。


(学生最後のバレンタインデーなのに、自分の事じゃなくて、私の事を考えてくれているんだ)


 ティファニーの心に、アイザックの優しさが染み渡る。

「最初から婚約者という関係であれば、こんなに悩む事なく好きだと思えたのに」と考えてしまう。


「ありがとう。チャールズに最後の告白・・・・・をしてくるね」


 ティファニーは笑顔を見せて去っていった。


 ――もし今回チャールズに拒絶されれば、次はきっとアイザックの気持ちに応えてあげられる。


 彼女は、そんな予感がしていた。


 当然ながら、アイザックにはそのような予感などない。

 ただ「ひとまずは安心」という思いで胸が一杯だった。

 しかし、波乱はまだ始まったばかりである。


「ティファニーは、チャールズくんの事が忘れられないみたいだね……」


 ――アマンダが動いた。


 彼女は、アイザックが・・・・・・愛している・・・・・ティファニー・・・・・・の順番が先だと思っていた。

 だから彼女は告白を控えていた。

 アイザックとの関係が深いティファニーが告白するのを、ずっと待っていたのだった。


「ねぇ、アイザックくん――」


 アマンダが何かを言おうとした時、遠くから複数の女子生徒が駆け寄ってきた。

 走るのではなく、あくまでも優雅に歩くような姿である。

 だが、その速度は優雅といえるものではなかった。

 歩いているのに、早送りでもしているかのような速度で迫ってくる。


(怖っ!?)


 ――廊下を走らない。

 ――貴族にふさわしくない姿を見せない。


 この二つを兼ね備えた姿ではあったが、感動よりも不気味さが勝る。

 何よりも、その集団が自分目掛けて近寄ってくるのが恐ろしかった。

 アイザックは逃げようとする。

 だが彼女らに最初に反応したのは、アマンダだった。


「みんな! 力を貸して!」


 彼女の言葉に反応して、アマンダの友人達が廊下に壁を作った。

 学生最後のバレンタインデーとはいえ、みんながみんなこの時期まで婚約者が決まっていないというわけではない。

 すでに相手が決まっている者の方が多い。

 相手が決まっていない者は、男女合わせても全体の一割以下である。

 焦る必要のない者の方が多いので、迫りくる集団よりも壁役の方が数が多くなっていた。

 告白を焦る女子生徒達の勢いも、二重、三重の防壁の前では無力だった。


「アイザック、この状況はマズイんじゃないか?」


 カイがそっとアイザックに耳打ちする。


「なんでだ?」

「よく見ろ。アマンダさんの友達が女子を防いでくれている。でも、少し見方を変えればどうなる?」

「……孤立させられている!?」

「そうだ」


 アイザックは、アマンダに守られているのではない。

 アマンダが告白しやすいように、場を整えられているとも見る事ができる。

 アイザックの背に冷や汗が流れる。

 周囲の生徒は「なんだなんだ」と楽しそうに見物していた。


「今日は女にとって一世一代の冒険を行う日だ。下手な断り方をしたらしこりを残すぞ。ここは俺に任せて、お前はもう帰れ。レイモンドは念のためについていけ」

「ありがとう」


 カイには、アマンダと婚約する気がないと話していた。

 だからだろう。

 彼はアイザックの壁となってくれるらしい。


 アイザックも「厄介事を避けられるなら」と逃げる事にした。

 人間の壁と反対方向の廊下に向かって走り出した。


「あっ、アイザックくん!」

「おっと、そこまで」


 アイザックの逃走に気付いたアマンダが追いかけようとする。

 だが、彼女の前にカイが立ちふさがった。


「ルーカス達も手伝ってくれ」


 カイはクラスメイトにも声をかける。

 彼らは事態を飲み込めていないが、とりあえずアイザックのために廊下に壁を作った。

 今度はアマンダが壁の中で孤立する形となる。


「あいつは甘いところがある。バレンタインデーという大事な日に、アマンダさんから告白されたら断り切れないかもしれない。あいつには他に好きな子がいるようなんだ。だから、今日だけは告白させるわけにはいかない。悪いね」

「……わかってるよ、そんな事は。アイザックくんに好きな人がいなければ、ボクと婚約してくれていてもおかしくなかった。例えそれが、政略結婚だったとしてもね。アイザックくんには好きな人がいる。でも、ボクだって誰にも負けないくらいアイザックくんの事が好きなんだ。行かせてもらうよ」


 アマンダは強行突破の構えを見せる。

 アイザックを見失う前に追わねばならない。

 とはいえ、カイを突破するのは厳しそうだった。


 アマンダは強いが、それは女子としての範囲での話である。

 男子にも勝てるだけの力を持つが、それは身体能力を戦闘技術で大きく上回れる一般的な男子相手の話である。

 本格的に戦闘技術を鍛えているカイが相手では厳しい。

 なんとか隙を見てカイを突破し、その背後の男子の壁も越えなければならなかった。


「ちょっとどいてよ! カイくんにハンカチを渡せないじゃない!」

「そうよ! アマンダさんはアイザックくんの事が好きなんでしょう? 邪魔しないでよ!」

「えっ?」

「えっ?」


 女子生徒達が、壁の向こう側から口々に不満を述べる。

 その内容は、場の状況を一変させるのに十分なものだった。

 カイとアマンダは顔を見合わせる。

 しばしの間、無言の時が訪れた。


「みんな、通してあげて!」

「アマンダさん、ちょっと待って!」


 カイの制止も空しく、アマンダは道を開かせた。


「カイくーん!」

「ずっと好きでした!」

「私と婚約してぇ!」

「待て、落ち着け! 誰か、誰か助けてくれ!」


 ――ドワーフとの交易拠点となる都市を任されているので資産がある。

 ――子爵家で資産があるので、第二夫人を娶ってもおかしくない。

 ――近年、戦争で手柄を立てた数少ない男。


 彼はアイザックの心配をできるような立場ではなかった。

 自分自身も女子に迫られる立場だったのだ。


 アイザックはロレッタ、アマンダ、ジュディスと強敵揃い。

 それに対し、カイはちょうどいい立場だった。

 結婚したあとも、圧倒的な権力を持つ第一夫人に押さえつけられる事もない。


 ――本命に挑戦する前に、カイにチャレンジしてみよう。


 そう思う女子の数は多かった。

 女子生徒に囲まれ、カイは身動きが取れなくなる。

 アマンダはアイザックを追おうとするが、ルーカス達の壁に阻まれる。


「どいてくれる?」

「いや、あの……」


 カイに言われるがままに壁を作ったが、ルーカスは事態が飲み込めずにうろたえていた。

 しかし、他の男子生徒がアマンダの迫力に押されて道を開けてしまう。


「どいてくれる?」

「……はい」


 ルーカスも自分一人ではアマンダに敵わない。

 大人しく退いてしまった。

 アイザックがアマンダ達と婚約する気がまったくないと知らないため、必死になってアマンダを止める理由がなかったからだ。

 アマンダは、ニコリと笑う。


「ありがと」


 邪魔者がいなくなったので、アマンダはアイザックを追いかけ始めた。

 彼女の背中を見送りながら、ルーカスは「カイを助けた方がいいのかな?」と悩み始める。

 しかし、今日はバレンタインデーである。

 女子の告白を積極的に邪魔する気分にはなれず「揉めるような事があれば仲裁に入ろう」と見守る事にした。

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