第435話 学生、最後のバレンタインデー
(どうして、どうしてこんな事になったんだ……)
アイザックの耳には「助けてくれ」と叫ぶ友の声が残っていた。
走りながら廊下の窓から外を見る。
女子生徒に告白されて、照れながら喜ぶ男子生徒の姿が視界に入った。
(なんであいつはあんな風に喜べるんだ? ちくしょう! なんで俺は学校を休まなかったんだ!)
アイザックが悔やむのには理由があった。
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王国歴五百一年、二月十四日。
この日は学生達にとって最後のバレンタインデーであった。
アイザックは、いつも通りリサに見送られながら登校した。
彼女の心配そうに見送る姿に気付かないまま……。
登校した時にどこか重い雰囲気を感じてはいたものの特に異常はなく、いつも通りの学校だった。
――最初の異変は昼休みに起こった。
いつものように、アマンダ達に囲まれる昼食。
だが、今日はいつも通りではなかった。
緑の襟章を付けているので一年生だろう。
一人の女子生徒が近づいてきた。
「アイザック先輩、もう少しで卒業ですよね。寂しくなります。あの、私……。ずっと先輩の事が――」
「はい、そこまで!」
彼女が告白しようとしたところで、アマンダが割って入る。
「ずっとアイザックくんの事を見ていたけど、君は今までまともに接触していなかったよね? だったら告白していいのは放課後でしょう? 告白のルールは守らないとダメだよ」
アマンダはルール破りが許せなかったようだ。
――バレンタインデーのルール。
アイザックも一度調べ直したので知っている。
基本的に普段から接触のある相手ならば、バレンタインデーにいつでも告白してもいい。
だが、普段から接触のない相手。
片想いで普段は遠くから見守っていた相手などは、放課後になってから告白しなければならないという暗黙の了解がある。
これは「友人だった者達が先に告白できるように」という配慮のためである。
暗黙の了解がない頃に――
幼馴染に告白しようと思っていたのに、見知らぬ相手に横からかっさらわれた。
――という問題が多発し、時には刃傷沙汰にもなったために作られたもの。
アマンダ以外の者達にとっても、見過ごす事のできないルール違反だった。
だが、女子生徒にはルールを無視してもいいだけの名分があった。
「それは普通の相手だったらですよね? アイザック先輩の場合は違うんじゃないですか? アマンダ先輩達の邪魔にはなりませんよ」
彼女は、ずいずいっとアイザックの前へ出る。
「私は第二夫人や第三夫人の座を望んだりしません。アイザック先輩と一緒に居られたら嬉しいんです。だから妾でかまいません。家族も認めているので受け取ってください」
アイザックの前にハンカチが差し出された。
妻ではなく、愛人という立場でいいらしい。
家族としても、アイザックと何らかの関係を結べればいいのだろう。
思い切りのいい事だ。
アイザックも前世なら「えっ、お手当出すだけの関係でもいいんですか?」と、ドキドキしながら詳しく条件を聞いていただろう。
だが、今はそれどころではない。
「受け取れるはずがないだろう」
(受け取ったら、他の子達も「じゃあ私も」ってくるかもしれないじゃないか。受けとれるわけがない)
アマンダ達がいる目の前で手渡されても困るだけである。
卒業式が間近に迫った今、厄介なトラブルはお断りだ。
気持ちはありがたいが、絶対に受け取るわけにはいかない。
見も知らぬ相手に告白されるという体験は貴重なものだったが、アイザックは断った。
「アイザック先輩の言う通りですわ。アイザック先輩の噂も知らないので? 妾を侍らせようなどとは微塵も考えもしないお方ですよ。そのような申し出をする事自体が失礼だと思われなかったのですか?」
ロレッタが女子生徒を責める。
彼女の絶大な信頼が、少しだけアイザックにドキリとさせる。
「そうだよ。アイザックくんは女の子なら誰でも興奮するようなエッチな人じゃないんだからね」
アマンダもロレッタに追従する。
この時、何故かジュディスがアイザックを見て、ニコリと笑う。
(……俺の視線が気付かれてた? いや、気付かれないようにしていたし気のせいだろう)
彼女の視線に嫌なものを感じたが、アイザックは気を使っているつもりなので、気のせいだと思う事にした。
そう思いたかったというのもある。
アイザックは、あえてジュディスの視線を見なかった事にしようとする。
「あーあ、やっぱりダメかぁ。お父様からダメでもいいから言ってみろって言われたから、仕方なく告白してみたんですよ。もちろん、アイザック先輩も格好いい人だとは思っていますけどね。こんなにお似合いの素敵な先輩方が近くにいたんじゃあ、私なんかじゃあ無理ですよね。お邪魔しました」
女子生徒は、アマンダ達へのフォローを忘れなかった。
「アイザックとお似合い」と言われた事で、彼女達は悪い気はせず、女子生徒を引き留めて叱る事ができなかったのだ。
「あなた、凄いわね……」
「よくあの中に入っていけたね」
女子生徒の友人だろう。
遠巻きに見ていたが、自分達のところに戻ってきた女子生徒の度胸を称賛する。
「だって、こういうのは競争だもの。良い相手を捕まえたければ、好きですっていう気持ちに気付いてもらうまで待ってるなんて無駄じゃない。あなた達も良いなと思った相手に告白しないと行き遅れちゃうわよ」
女子生徒は友人達に「恋は競争だ」と語る。
だが、その言葉に反応したのは彼女の友人達ではない。
――アマンダ達だった。
彼女達は、ハッとした表情を見せて勢い良くアイザックに向き直る。
「いや、君達の気持ちはよく伝わってるから……」
あまりにも勢いがよかったので、アイザックはたじろいでしまう。
「あっ、うん。そうだね。アイザックくんには何回も好きだって言ってるもんね」
アマンダが照れながら笑う。
彼女の表情には、切なさも含まれていた。
それは何度も言って、何度も断られているという事でもあるからだ。
「アイザック先輩。私はハンカチを渡そうとは致しません。少なくとも
「えっ、それはいいんですけど……。なぜですか?」
ロレッタの思わぬ言葉に、アイザックはつい聞き返してしまう。
「だって、私はアマンダ先輩やジュディス先輩よりも
これは彼女なりの考えだった。
今年はライバルも多い。
それにアイザックが「リサとの新婚生活に満足したらどうなるか?」を考慮したものだった。
――アイザックが自分達との婚約を拒むのは、リサを大事にしているから。
新婚前の今、邪魔をするような事をしなくてもいい。
恋に焦がれているのならば、結婚し子供を作って落ち着いたところで婚約を申し込めばいい。
アマンダ達は今年で勝負を決めないといけないが、自分はそうではない。
このように落ち着いていられるのも、ロレッタはアマンダ達と違い、一歳下というアドバンテージがあるからだった。
だが、年下という事がアドバンテージとは限らない。
ロレッタより年上という事を利用する者もいる。
「殿下は酷いお方……。私達の事を……行き遅れの年増みたいに……。好きで婚約者に捨てられたわけではないのに……」
ジュディスはさり気なくアイザックの隣に近寄り、腕にすがりついて静かに泣き始めた。
「別にロレッタさんも当てつけで言ったわけではないと思うけど……」
「そうですわ。私は当てつけのつもりで言った覚えはありません。むしろ、今年はジュディス先輩に譲ろうとしただけではありませんか」
アイザックがロレッタを庇うと、彼女もすぐさま弁解した。
普段の反応を見る限り、アイザックは嫌みの応酬を嫌う傾向がある。
意識しなかったと言えば嘘になるかもしれないが、本気で嫌みを言ったわけではない。
「来年があるから今年は譲る」というところではなく「期限間近の年増扱い」と受け取られたのは、ロレッタの誤算だった。
――しかし、ジュディスにも彼女なりの狙いがあった。
ジュディスは泣き止むと、アイザックの腕から離れる。
アイザックは大きな質量を持つ物体を失った喪失感を覚える。
「ごめんなさい、制服を汚してしまって……」
彼女はハンカチをアイザックに差し出した。
アイザックはありがたく受け取ろうとする。
「あぁ、気にしなくて――」
受け取ろうと動かした手を止める。
ハンカチには刺繍が施されていたからだ。
いつもならただの飾りだと思っていただろう。
だが今日はバレンタインデーである。
アイザックは「このハンカチを受け取るのは危険だ」と直感した。
自分のハンカチを取り出し、涙で濡れたところを拭く。
「どうして……」
「どうしても何も、バレンタインデーはハンカチを渡すのが目的じゃなくて、気持ちを伝えるっていうのが目的じゃないですか。そういう騙し討ちのようなやり方をしても意味はないですよ」
「むぅ……」
ジュディスが膨れっ面を見せる。
その表情が、先ほどの涙は嘘泣きだったと語っていた。
(やっぱり、隙あらばと狙っていたか……。危ない、危ない)
涙を拭くために受け取っても、きっと問題はなかったはずだ。
とはいえ、今日は隙を見せるわけにはいかない。
彼女達がアイザックとの婚約を望むのと負けないくらい、アイザックもパメラを第一夫人に迎えたいと思っている。
アマンダかロレッタと先に婚約してしまえば、そちらを優先的に第一夫人にせざるを得ない。
付け入らせないように気を配らねばならなかった。
(でも、これくらいなら想定の範囲内で収まってる。ロレッタは来年に狙いを定め、アマンダも大人しい。ジュディスもこの程度の事しかやってこないなら、バレンタインデーを乗り切るのは簡単だな)
彼女達に告白される事は十分に予測できた。
それにジュディスの仕掛けも可愛らしいものであり、危機感を覚えるようなものではなかった。
アイザックは「何が『あなたに乗り切れるかしら』だ。これくらい余裕だって」と、祖母の忠告を軽く考え始めていた。
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