第412話 パメラの弁護
ウィンザー侯爵家を訪ねた翌日。
アイザックは、昼前に王宮へと向かった。
次はジェイソンの言い分を聞く番である。
今日は一人で王宮を訪れていた。
エリアスも重要な話だとわかっているのだろう。
「とりあえず、ジェイソンから事情を聞くだけ」と伝えていたのに、彼や王妃のジェシカも同席していた。
使用人も信頼できるであろう一人だけで、他にいるのは側近や近衛騎士のみである。
ノーマン達も控室で待機となっていた。
ウィンザー侯爵とは違い、落ち着きのない態度から焦りが見えていた。
当事者のジェイソンは、どこ吹く風といった態度だった。
一切悪びれた様子がない。
まるでエリアスが悪さをした子供で、ジェイソンが「息子の行動の何が悪い」と開き直った親のように見える。
このおかしな光景を前に、アイザックは何故かこみ上げてくる笑いをこらえていた。
「おはようございます。今回は二人と友人という事で仲介役を任されました。だから、今日はジェイソンと呼ばせてもらうよ。さて、早速だけどジェイソン。君はパメラさんがニコルさんを蹴り落としたと思っているのかい?」
今回は政治的な話をするつもりがないので、フレンドリーな態度で会話を始める。
これには、つい笑顔を見せても問題ないようにするという目的も含まれていた。
問われたジェイソンは、頬がヒクつくアイザックとは違って、憤怒の表情を見せる。
「当然だ! あの状況で他に犯人がいるはずないだろう! それに証人もいる! パメラがやったんだ!」
「ジェイソン、パメラがやるはずがない。なぜ婚約者を信じてやらんのだ」
すでに何度も繰り返したやり取りなのだろう。
エリアスが疲れた顔を見せながら、ジェイソンを諫める。
「陛下、まずはジェイソンの言い分を聞きましょう。焦りは禁物です。お互いの言い分を聞いて、その上で歩み寄る方法を模索するべきなのですよ。意見を聞かず、真っ向から否定してはいけません。まずは言い分を聞き、一つ一つ誤解を解消していくべきなのです」
「むぅ……」
アイザックとしては、このままジェイソンに暴走してもらった方が都合がいい。
エリアスを止め、ジェイソンに考え直す暇を与えようとはしなかった。
渋々、エリアスは口を閉じる。
「じゃあ、ジェイソン。証人はニコルさんの友達だけど、それでも彼女達の言葉を無条件で信じられるのかい?」
「当然だ。彼女らが嘘を吐く理由がない。……アイザック。その口ぶりだと、パメラの側に付いてしまったようだな」
アイザックまで、ジェイソンの攻撃対象になりそうな雰囲気になる。
だが、ジェイソンがニコルを中心とした考えだとわかっているため、彼の追及をいなす方法は考え済みだった。
落ち着いて対処する。
「いいや、どちら側でもないよ。むしろ、これはニコルさんのためになる質問さ。とりあえず、最後まで落ち着いて聞いてくれないか」
「……いいだろう。話してみろ」
アイザックの思った通り、ニコルに関する事は無視できないようだ。
興味を持ってくれた。
これで話を遮られずに話ができる――
「まずはそうだねぇ……。ニコルさんは『パメラさんに蹴られた』って言っていたけど、背後だから見えるはずがない。まぁ、階段の踊り場に二人しかいなかったそうなので、パメラさん以外にはあり得ないのかもしれないけどね」
「そうだ。パメラしかいない」
――と思ったら、しっかりと相槌を打ってきた。
彼は人の話を聞かない子になってしまったようだ。
これでは途中で話を妨げられる可能性がある。
やりにくさを感じるが、彼がこういう状態になる事を望んでいたので受け入れるしかなかった。
やむなく、このまま会話していく形式で話を進めていく事にする。
「でもね、ニコルさんが嘘を吐いている可能性もあるんだよ」
「なにっ! あれほど可憐な女性が嘘を吐く事などあり得ない!」
(顔と性格は別物として考えるべきなんだけど……)
ツッコミたくなるが、一つ一つにツッコんでいては、いつまで経っても話が進まない。
「ジェイソン……。いくら見た目が可愛くても、嘘を吐く人はいるものよ」
代わりにジェシカがツッコむ。
やはり彼女も疲れた表情を見せていた。
息子の変わり果てた姿を見ていると、どうしても精神的に疲れてしまうのだろう。
エリアスと夫婦間でどんな話をしていたのかが気になるところだった。
「嘘だ! ニコルさんは嘘を吐いたりはしない!」
「いや、嘘を吐く事もあるよ。特に今回のような場合はね」
「どういう事だ?」
「ジェイソンに怪我をさせちゃったからね。わざとじゃなくても、王太子に怪我をさせるのは、死罪も視野に入る大罪。ごめんなさいで済む問題じゃない。でも、パメラさんが原因なら? ニコルさんと違って婚約者だから、すぐに死罪とはならない。政治的な配慮で無罪になる可能性が高い。死ぬのは誰だって怖い。つい、あの場にいたパメラさんに責任をなすりつけてしまったのかもしれないよ。友達もニコルさんを助けようとしているだけかもしれない」
アイザックは「ニコルが命惜しさに嘘を吐いているのではないか?」と、ジェイソンに話した。
二人を本当に仲直りさせるつもりはないが、敵意を剥き出しにされたままではパメラが可哀想だ。
それに卒業式まで待たず、早々に行動に出られても厄介である。
適度にジェイソンの敵意を削ぎ、パメラの身の安全を確保する必要をアイザックは感じていた。
「学院内で起きた事とはいえ、ジェイソンが傷つけば陛下も黙ってはいられない。もちろんパメラさんの恨みを買う事になるけど、今すぐ死罪になるよりは、将来的に社交界で肩身の狭い思いをする方がマシ。そう思って行動したのかもしれないよ。それに、それだけじゃない」
話の先が気になるようにして、ジェイソンが話の腰を折ってこないよう先手を打っておく。
「ジェイソンは格好いいからね。頭も良いし、性格も良い。一人の女性として気を惹きたいという思いがあったのかもしれない。だから、君に心配してもらえるような事を言ったんじゃないかなとも思っているんだ」
「ニコルさんが……」
ジェイソンが頬を赤らめる。
今までにもニコルは気がある素振りを見せていたはずだが、自分で思うのと第三者から言われるのとでは大違いなのだろう。
「ニコルはジェイソンに気がある」と言われて嬉しそうにしていた。
「いや、待て。なら、あの靴跡はどうなる? どう考えても蹴られた跡じゃないか」
だが、腐ってもジェイソンである。
その頭脳は完全に停止してはいなかった。
アイザックとしても、説明が面倒なので触れられたくない部分だった。
しかし、重要な箇所でもあるので説明するしかない。
「あの靴跡がパメラさんに付けられたものかどうかわからないよ。パメラさんと話し合う前に、誰かに付けられていたのかもしれない。可愛さに嫉妬した女子に、体育の授業で着替えた時とかにね」
「そんなはずがない。彼女の事はいつも見ていた。朝に会った時から、パメラに呼び出されるまであのような汚れは付いてなかったぞ」
(うわぁ……)
この場にいるジェイソン以外の全員が引いた。
――好きな人の顔を見ていたい。
それならまだわかる。
胸元なども、思春期の若者なら仕方がないと理解できる。
だが、背中まで凝視していたというのは「さすがにそれはどうだろう……」という思いが強くなってしまう。
もしアイザックがジェイソンの立場なら、視線はニコルの胸に集中していただろう。
背中や服の汚れなどよく見なかったはずだ。
ジェイソンのニコルに対する執着を甘く見てしまっていたようだ。
「そ、そうか。なら、教室を出ていったあとに付いたのかもしれないね。でも、やっぱりパメラさんが階段から蹴り落としたという証拠にはならないよ。教室を出て、階段から足を踏み外すまでの間に他の誰かと接触していたかもしれない。それを証明できない限り、パメラさんが犯人だとは限らないよ」
「それは違う! あの時、パメラが蹴り落としたと考えるのが自然だろう! 靴のサイズもピッタリだった! 人を殺そうとするような女など怖気がする!」
「仮にパメラさんが蹴ったとしても、階段から蹴り落としたとは限らないよ。どこかの空き教室で話している時に蹴ったのかもしれない。それに、パメラさんは話し合いをしたかっただけだと言っていた。なのに、殺そうとすると思うかい?」
「どんな話し合いをしていたというのだ?」
今度はエリアスが口を挟んできた。
邪魔をしないで欲しいところだが、彼を無視する事はできない。
アイザックには答えるしか選択がなかった。
「ニコルさんに『殿下の寵愛を受けているのは私』という侮蔑を込めた目で見るのはやめてほしい。それを言うために呼び出したそうですよ」
「っ!?」
エリアスとジェシカが顔をしかめる。
それが事実なら、いわば無礼討ちのような形でニコルを処罰していてもおかしくない。
対話による解決を望んだパメラを責める事などできない状況だからだ。
「その反応を見る限り、ウィンザー侯からは何も聞いておられないのですか?」
「パメラに非はない、なぜあのような事をするのだ、と責められるばかりでな……」
エリアスもジェイソンに非があるとわかっているのだろう。
ウィンザー侯爵に反論できず、肩身の狭い思いをしていたに違いない。
「私がこういう事を言うのもなんだが、エンフィールド公はよくウィンザー侯と話し合えたな。怒り狂うウィンザー侯はなかなか恐ろしかったが……。昨日は落ち着いていたのか?」
「いえ、お茶をかけてくるくらい怒っておられましたよ」
「お茶を!?」
実際はアイザックの発言に憤慨していたのだが、その事を知らないエリアスは「仲裁に入ったアイザックに、お茶をかけるくらい怒っていたのか」と恐れおののいていた。
「よく耐えられたな」
ウィンザー侯爵の怒りを実際にぶつけられた事もあり、エリアスは平然としているアイザックが不思議に思えた。
平常心を保つ秘訣があるのなら、教えてほしいところだった。
もちろん、アイザックが平然としていられるのには理由がある。
「さすがに近くにいるだけで命の危険を感じるドラゴンと比べれば、理性のあるウィンザー侯は怖くありませんよ。話が通じるとわかっているだけで安心感が違いますから」
アイザックは壁際で立っている一人の近衛騎士に視線を向ける。
「そこのあなた。確か、ノイアイゼンに同行していましたよね? どうです? ドラゴンと出会ってから、上司の叱責が怖くなくなったとかありませんか?」
話した事はないので名前は知らないが、アイザックの護衛として同行していた部隊の中隊長クラスで見かけた者がいた。
彼にドラゴンの恐ろしさを経験した感想を聞いてみる。
問われた者は、苦笑交じりに答える。
「魔法を使う危険な訓練も恐れずにできるようになりました。あと、帰りが遅くなった時でも妻が怖くなくなりましたね」
「ドラゴンの恐ろしさはかなりのもの。やはり恐怖に対する耐性は付いていたようですね。私は交渉事に恐れず向かえるようになったのはプラスだと思っています。ただ、奥さんの怒りは敏感に察知できた方がいいような気はしますけどね」
アイザックは軽口を言って場を和ませようとする。
しかし、この程度で和むほど軽い問題ではなかった。
誰も笑顔を見せたりはしない。
アイザックも空気を読み取って、これ以上の軽口は言わずに話を進めようとする。
「さて、見知った顔という事でちょっと協力してもらえませんか? 私と似たような体格の人の協力が必要なので、こちらに来てください。他にも、あと二人ほど手伝っていただけると助かります」
近衛騎士は視線でエリアスに判断を求める。
エリアスはうなずいて、アイザックに従う許可を与えた。
彼は追加で二人を選び、アイザックのもとへ向かう。
「では二人ずつで二列に並びましょう。あなたは私の前に立って、隣の人の肩を支えにしてください」
指示に従い、近衛騎士は素直に並んだ。
アイザックも隣に立った騎士の肩に手を置いて支えとする。
「背中に足を置きます。蹴ったりはしませんが、バランスが崩れて体重がかかるかもしれないので、しっかりと耐えてくださいね。あと靴は脱いでおきますのでご安心を」
「はっ!」
アイザックが何をしようとしているのかがわかり、近衛騎士達はしっかりと身構えた。
アイザックは靴を脱ぎ、近衛騎士の背中に置くように触れる。
正直なところ、支えがないと倒れてしまいそうだった。
「ジェイソン、どうだい? パメラさんが――貴族の令嬢がこんなに足を振り上げて、誰かを蹴り落とすと思うかい?」
足を開く角度は大きい。
バレエでも踊っているかのような足の振り上げ方だった。
ロングスカートならともかく、王立学院の制服だと下着が丸見えになる。
貴族令嬢が、こんなにはしたない真似をするはずがなかった。
「ニコルさんならする。体育の授業中にやっているのを見ていた」
「そ、そうか……」
(何やってんだよ、あいつは!)
パメラを庇おうとすると、ニコルの存在が邪魔をする。
やり辛い事この上ない。
「でも、パメラさんはニコルさんとは違うよ。王妃教育を受けた侯爵令嬢と、受けていない男爵令嬢。この差は大きい。王妃殿下が、こんな風に人を蹴るところが想像できるかい?」
せっかく同席しているので、ジェシカを例えに使ってジェイソンに納得させようとする。
彼女は王妃だけあって、気品を感じるおしとやかな女性だ。
王妃にふさわしい態度が取れるよう、ルシアをグレードアップさせたような感じである。
彼女を例えに使えば、ジェイソンも納得してくれるだろう。
そう考えていた。
「母上なら……、やるだろうね」
「えっ……」
「ジェイソン」
ジェシカは声を荒立てたりはしない。
だが、声に十分な威圧感を含めていた。
アイザックが視線を逸らしたくなる程度には。
この時、アイザックは本気で七割方驚いていた。
残りの三割は嫌がらせで大袈裟に驚くフリをしていた。
ジェイソンと家族の仲を少しでも悪化させておくためだ。
仲が良ければ――
「パメラと別れて、ニコルと結婚したい? まったくもう、仕方ないな。許す」
――などと許可する可能性がわずかでもあるかもしれない。
ちょっとでも悪感情を抱かせ、ニコルとの結婚に反対する摩擦を起こしておかねば心配だった。
そのため、ジェイソンの発言のせいで「アイザックにそういう人だったんだ……と引かれてしまった」という印象を持たせるための演技だった。
アイザックは近衛騎士の背中に当てていた足を降ろす。
そして、鎧をハンカチで拭く。
「靴下は綺麗なものを履いているけど、陛下から下賜された貴重な鎧なので念の為にね」
近衛騎士の鎧を大事に扱う事で、足蹴にしたいわけではなかった事をアピールしつつ、エリアスにも「近衛騎士を尊重する=エリアスの存在も尊重している」と思わせようとしていた。
本当に尊重しているのなら、足を置く相手は使用人でもよかったはずだ。
その事に気付かれないよう、アイザックは話を進めようとする。
「うん、まぁ、その……。陛下、やはりジェイソンと二人で話したいのですがよろしいでしょうか? やはり、家族の前では話し辛い事もあるでしょうし、家族としても聞きたくない話があるかもしれません。重要なのはパメラさんとの仲裁なので、そちらを優先するべきでしょう」
「……そうだな。話の内容が気になるが、パメラとの関係を修復する方が大事だ。結果はあとで教えてくれ」
同席していると、どうしてもエリアスやジェシカが口を挟んでしまう。
その事は彼もわかっていた。
だが、気になるのだから仕方がない。
しかし、それではジェイソンとの話が中断されてしまう。
エリアスは渋々ながらも、ジェイソンと二人で話をさせる事を認めた。
――アイザックが、ジェイソンとパメラを仲直りさせてくれると信じて。
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