第397話 悪魔のささやき

 フェリクスの処遇について残っているが、学生である以上は学校に行かねばならない。

 彼の扱いは宙ぶらりんのまま、アイザックは登校する。

 今のところ、ジェイソンやフレッドがニコルに言い寄る気配はない。

 今学期の出だしは、学校に限定するなら穏やかなものかと思えた。


「アイザック! また、会えないかな……」


 ――フレッドに言い寄られるまでは。


 肩を掴んでくるフレッドの手を、アイザックは嫌そうな顔で払う。


「そういう言い方はやめろよ。余計な誤解をされたらどうするんだ?」

「誤解って、どういう誤解をされるっていうんだ? ただフォード伯爵に会いたいってだけじゃないか」


 彼は「どういう誤解をされるか」という事に、まったく気がついていなかった。

 せめて周囲の視線の意味には気付いてほしいところである。


「フェリクスさんは伯爵じゃないよ。息子に家督を譲って隠居の身だ」

「そこは重要じゃないんだよ。フォード元帥の曾孫だぞ。しかも、一緒に戦場に出ていたんだ。フォード元帥の話を聞けるいいチャンスじゃないか! 会わせてくれよ。あと、あの騎士トムの剣技を受け継いでいるだろうから、手合わせを頼みたい」


 どうやら、手合わせをしたいというのが本音なのだろう。

 ウィルメンテ侯爵家なら他国の武官とも交流があるはずだ。

 だから、様々な者からフォード元帥の話くらいは聞いているはずだ。

 トムから剣を教わったであろうフェリクスと手合わせをしたい。

 それがメインなのだろうとしか、アイザックには思えなかった。


 とはいえ、アイザックに断る気はない。

 ないが、了承できない理由があった。


「会わせてもいいんだけどねぇ……。しばらくは無理かな」

「あぁ、わかっているとも。こっちで暮らす準備とかあるもんな。落ち着いたら教えてくれ」

「落ち着いたらね」



 ----------



「申し訳ございませんでした」


 フェリクスが落ち着くのには三日かかった。

「あの時残っていれば」という後悔の念から立ち直るのは容易ではなかった。

 たった三日で立ち直れたと評価するべきか判断が難しいところだった。


「うん、いいよ。夕食の時に触れる会話ではなかったね。ちゃんと心の整理がついてから話すべき事だった」


 フェリクスがショックを受けたのは、アイザックに本当に仕える事になったという動揺も作用しているはずだ。

 落ち着いてから話していれば、三日も塞ぎ込まなかっただろう。

 話のネタに困り、ソーニクロフトでの戦闘について触れてしまったのが間違いだった。

 アイザックも「ちょっとだけタイミングが悪かったな」と反省していた。


 今回は会議室を使い、アイザックの正面にフェリクス。

 アイザックの左右に主だった部下達が並んで座っている。


「さて、まずは紹介から始めようか。彼はノーマンだ。必要なものがあれば、彼に言えば用意してくれる」


 ノーマンや部下の秘書官見習いが、当面の間フェリクスのリード王国での生活を支援していく。

 アイザックよりも接触が多くなるので、最初に彼を紹介する。


「それと、そちらにいるのがエンフィールド公爵家の騎士団長のカービー男爵に副団長のヘンリー男爵。小隊長のアーヴィンとハキムだ」


 フェリクスは、マットとトミーに対して複雑な視線を向ける。

 彼らは曾祖父と母の仇だ。

 そんな彼らと共に働く事になるというのは、簡単には受け入れ難いものだった。


「フェリクスさんには、彼らの教育をしてもらいます。公爵家の騎士団といえば立派そうに聞こえますが、総勢五十人もいません。いつかはウェルロッド侯爵家の騎士団と合流するでしょう。その時に大勢を率いる経験を積ませますが、それまでに知識も身に付けておいた方がいいと思うんですよ。まずは一年間、どこまでやれるかを見ましょう」

「……必要な事を真面目に教えないという可能性も考えないのですか?」


 フェリクスは、アイザックに信じられている事を疑問に思った。

 普通であれば、家族の仇に嫌がらせをすると思ってもおかしくない場面である。

 実際、フェリクスは「当たり障りのない、一般的な事だけ教えればいい」と考えていた。

 嘘を教えるつもりはないが、真剣に教えるつもりもなかった。


 だが、アイザックには、フェリクスがしっかり教えてくれるはずだという確信があった。

 それ故に、手抜きをするとは思っていない。

 だからこそ、平然とした態度を取っていた。


「だから、一年契約なんですよ。専門書に載っているような当たり障りのない事しか教えないようなら契約は終了。国に帰ってもらう事になるでしょう」

「国に帰らせていただけるのですか? 処罰もせずに?」

「ええ、そうですよ」


 ――処罰もしない。

 ――国へ帰らせる。


 益々もって尋常ではない対応だ。

「アイザックが優しい」のではなく「アイザックは怪しい」という印象を、フェリクスに強く植え付ける。


「四人への指導は、おまけみたいなものですから。本当にやってほしい事は他にあります」


(きたっ!)


 そもそも、自分を雇うというところからおかしかったのだ。

 部下の指導というのもうさんくさい。

 本当の目的が他にあるというのはわかりきった事だった。


(国に帰って、陛下の暗殺など命じられなければいいのだが……)


 アイザックなら「まさかそんな事を」と思う事を命じてきてもおかしくない。

 フェリクスは身構える。


「今のロックウェル王国は軍を縮小し、予算や人材を経済政策へ振り分け始めた。それは事実ですよね?」

「……その通りです」


 これは隠すような事ではない。

 ロックウェル王国は、軍を縮小しても問題ないという特殊な状況に置かれている。

 それは周辺国に侵略される心配がないというものだった。

 直接統治すれば民への責任が発生するが、他国の領土・・・・・ならば責任は発生しない。

 占領するよりは、ロックウェル王家に統治させていた方が手間がかからないのだ。

 だから、周辺国はロックウェル王国に攻め込んだりしない。


 ビュイック侯爵は、その方針を逆手に取った。

 金食い虫の軍を縮小し、浮いた人員を第一次産業や第二次産業に振り分けようとしていた。


 ――支出を減らし、収入を増やす。


 他国が攻め込んでこないとわかっていても、簡単にはできない大胆な手法である。

 この思い切りの良さが理由となり、ビュイック侯爵に嫌がらせをしてやろうとアイザックは思ったのだった。

 これは他国には到底隠しきれない大規模な動きなので、フェリクスも国の動きを素直に認めた。


「兵士は新たな仕事がある。軍政畑の人材も最初は苦労するでしょうが、仕事に慣れれば上手くやっていけるでしょう。では、戦う事しかできない者達は? もちろん、軍も優先して残すはずです。ですが、どうしても役職からあぶれる者も出てくるでしょうし、治安維持を主目的にした軍の編成に不満を持つ者も出てくると考えています。その点、どうでしょう? 知り合いにいませんか?」


 フェリクスは、アイザックが何をしようとしているのか察し始めていた。

 この返答が与える影響は大きい。


 ――国にも、人にも。


 アイザックは、おそらく引き抜きをかけようとしている。

 これはロックウェル王国にはマイナスとなり、仕事に困った者にはプラスとなる。 

 それがわかっているだけに判断が困る。


「さて、どうでしたか。皆、ロックウェル王国のために必死に働いていたという事しか覚えがありませんね」


 だからこそ、フェリクスはとぼけた。

 軽々しく国を売るような事はできなかったのだ。

 例え国に捨てられようとも、今まで誓ってきた忠誠を捨てられなかった。

 簡単に寝返るような真似をしろという教育は受けていない。

 これでアイザックに切り捨てられようとも、誇りを持って前のめりに死ぬ覚悟をしていた。


「まぁ、そう答えるだろうとは思っていました」


 アイザックとしても「へへっ、旦那。良い男がいますよ」と、あっさり同僚を売り込んでくるような男はお断りである。

 まずは事情を説明しようと考える。


「実はですね、ウェルロッド侯爵家では士官が不足しているんですよ。ここ数年大規模な軍備拡張をしているので、兵士はいても率いる指揮官が足りないんです」

「リード王国も武官は十分な数がいるのではありませんか?」

「数はいます。実際『頭角を現す機会がなかったものの、優秀な人材だから雇ってくれ』という申し込みはあります。ですが、そのほとんどが戦争未経験の若手です。適度に経験者を混ぜて、軍としての強さを補強したいと考えています。軍のポストを若手に譲りたいと思っている者達。もしくは譲らされた者達に、もう一度チャンスを与えてあげてもいいのではないでしょうか? 雑兵として使い捨てるわけではないので、悪い話ではないですよ」


 ――軍の拡張による人材不足。


 指揮官は兵士のように武器の扱い方や隊列を組む訓練をすればいいというものではない。

 兵士と比べ物にならないくらいに、育成には時間がかかる。

 アイザックは、指揮官の不足による弱さを火薬兵器で補おうと考えていたが、指揮官を他国から得られるのならそうしようと考えた。

 なにせ相手はロックウェル王国の軍人だ。

 リード王国に恩義などない。

 ちなみにアイザックに対しては、恩義がないどころか恨みを持たれている可能性があるので、従わせるのには苦労するはずだ。


「……若手だからといって、使い物にならないわけではありません。いざ戦場に立てば頭角を現す者も出てくるのではないでしょうか?」


 悪い話ではないと言われても、フェリクスには簡単に認められなかった。

 アイザックを諫める方針で動く。

 今、目の前に若くして頭角を現した男がいるのだ。

「若いから」というだけで軽んじるべきではないと答える。

 そんな彼の答えを、アイザックは言い辛いといった表情で聞いていた。


「確かにその通りです。ですが、それほどの者なら袋の中にきりを入れた時のように、頭一つ抜け出しているはずです。そして、そういった者達は、どこも手放さないでしょう。飛びぬけて優秀ではないものの無能でもない。紹介しても当たり障りのない者ばかりだと考えています」

「彼らも袋に入れられる機会がなかっただけかもしれませんよ」


 なぜかフェリクスが、リード王国の若手武官を庇うという不思議な状況になっていた。

 しかし、それは言われずともわかっている事だった。


「もちろん機会は与えますよ。でも、過度の期待はよろしくない。成長する時間を与えないといけません。彼らが成長するまでの間、補佐したり教育したりする人材の確保が必要なのです。その点、ロックウェル王国はファーティル王国との戦争の他に、ファラガット共和国やグリッドレイ公国と国境で小競り合いをしています。これは周辺を同盟国で囲まれたリード王国ではありえない事です。積んだ経験を誰にも伝えられずに引退しなくてはいけないというのは、可哀想だと思いませんか? それに、これはあなたのためでもあるのですよ」


 フェリクスの決意が固いとわかったので揺さぶりにかかる。

 

「もし、ギャレット陛下がソーニクロフト解放戦の事実を知られたらどう思われるでしょう?」


 アイザックの言葉に、フェリクスは息を呑んだ。


 ――もしも国元に知られたら?


 考えるまでもない。

 あの時、フェリクスが戦場に残って戦っていれば、リード王国軍を打ち破る事ができていたはずだった。

 本当の元凶だとして、徹底的に非難されるだろう。

 王家が家族の生活は保障してくれているが、貴族達に殺されたりするかもしれない。

 それほどまでに危険な情報だった。


「へ、陛下は理解してくださるはずです。あの状況では、ああするしかなかったと」


 さすがにフェリクスも動揺を隠せなかった。

 緊張が言葉に含まれていた。


「そうでしょう、そうでしょう。ギャレット陛下は聡明なお方。ご理解いただけるかもしれませんね。では、僕に好待遇で雇われたという情報をコリンズ伯から聞いたあとならどうでしょう?」

「……私が内通していたと疑うという事でしょうか? それはありえません。あの戦争に勝っていれば、フォード伯爵家は侯爵家に陞爵されていたはずです。しかも、ファーティル王国内に領地もいただけたでしょう。あの段階で裏切る理由はございません。それは陛下もよくわかっておいでです」


 考えるのも恐ろしいアイザックの言葉だったが、フェリクスはなんとか否定する。

 エリアスのように賢王と呼ばれはしないが、ギャレットもなかなかの人物だ。

 簡単に疑ったりはしないと、彼は信じていた。


「確かにあの段階で裏切る理由はないですね。ですが、僕が以前言ったように、真実なんてどうでもいいんですよ。例えば、功臣の子孫という得難い駒を無駄に消費してしまった者なんかは、批判の矛先を逸らすために必死になるでしょうね。真実など無視して」


 フェリクスも今回は返事ができなかった。

 可能性としては否定できない。

 ギャレットを信じる事はできるが、ビュイック侯爵は信用できない。

 自分をリード王国に送った人物なのだ。

 できるはずがない。

 そんな彼の様子から「もう一押しだ」と見て取ったアイザックは、間髪入れずに追撃を行う。


「あなたを送り出す決定を下した時、ギャレット陛下は『申し訳ない』とか後ろめたいと感じている様子はありませんでしたか?」

「それは、まぁ……」

「おや、いけませんねぇ。後ろめたさを感じている人間は、心に救いを求めて言い訳を探してしまうものです。待ち合わせに遅れた時に、つい『道が混んでいた』とか言い訳してしまうでしょう? ギャレット陛下は国が混迷を極める時に、最も重圧のかかる位置におられます。敗戦の責任を誰かに押し付けて、楽になってしまおうと思っても不思議ではないはずです。陛下も人間ですからね。疲れから判断を誤り、正しい答えを選べない可能性だってあります」


 フェリクスは押し黙り、うつむいてしまった。

 現実に起こり得る事ではなく、可能性の話をされては否定しきれない。

 しかもアイザックの話は、現実味を帯びた想像もしたくない話だった。

 そんな話を突きつけられ、思考が追い付かなくなってしまう。


 アイザックは椅子から立ち上がり、テーブルを回ってフェリクスの背後に立った。

 彼の肩に手を置き、耳元に口を近づける。


「大丈夫です。これは最悪のパターン。リード王国側が苦戦したという事実は、他国向けの資料には含まれていません。知らされているのはリード王国の貴族だけですから、ロックウェル王国にまで漏れ伝わるまで、まだ時間がかかるでしょう。安心してください」

「安心……、できるはずがないでしょう。リード王国にいては家族を守れません。いったいどういう事になるのか……」

「だから大丈夫なんです。今、あなたは誰の下で働いているかを思い出してください。僕の部下、その家族に対してロックウェル王国が危害を加えようと思うでしょうか? フォード伯爵家という国に多大な貢献をしてきた家の当主を隠居させ、人身御供に差し出してまで機嫌を取りたい相手の部下をね」

「それは……」


 フェリクスの体が震え始める。

 自分が取れる選択が、実質的に二つに絞られてしまったからだ。


 ――アイザックのために働くか。

 ――ギャレットを信じ、アイザックへの協力を最低限にするか。


 前者は彼にとって楽な道だった。

 一度は捨てられた身である。

 仕える主君を変えても、心理的負担は少ない。

 それに若くして他国すら手のひらの上で踊らせる頭脳を持っている。

 踊らされる側にならずに済む分だけ、心理的・肉体的負担も少ない。


 後者は厳しい道だった。

 フェリクスが撤退した事が敗戦に決定的な影響を与えた。

 その事が国元に伝わると、世間のフォード伯爵家を見る目は厳しいものとなる。

 それはギャレットも同じだろう。

 自分の失態を誤魔化そうとするビュイック侯爵の「フォード伯爵家に責任を取らせろ」という言葉を無視できるだろうか?

 残念ながら、ギャレットと絶対的な信頼関係を築ける時間はなかった。

「国を治めるためにはやむを得ない」と、また思われたりしないかという不安があった。


「僕の頼みはロックウェル王国にとって悪影響を与える事はありません。カービー男爵達への指導は、そこまで大きな影響を与えるものではありません。現段階ではウェルロッド侯爵家の一部隊を率いる可能性があるだけですから」


 この言葉に嘘はない。

 マットやトミーは将来的に「将軍にしたい」とエリアスに言われるかもしれないが、今のところは引き抜かれる気配はない。

 アイザックの部下として、ウェルロッド侯爵家の騎士なり兵士なりを率いるだけだろう。


「ロックウェル王国の武官の引き抜きだって良い事なんですよ。あなたの知っている範囲で思い出してください。もうどうなってもいいと、やけになって暴れ出しそうな人はいませんか? 職を失った部下のために行動しなければいけないと悲壮な決意を胸に秘めるような人はいませんか? そういった方々の受け皿になるというだけなんです。人助けになるんですよ」


 アイザックは本当に心配しているかのように、意識して優しい声で語りかけ続ける。


「そもそも、ロックウェル王国との間にはファーティル王国があります。リード王国から戦争を仕掛ける理由もないですし、ロックウェル王国も軍事から経済へシフトしています。武官を引き抜いても困る事なんてありませんよ。それに将軍クラスを引き抜いてほしいと言っているわけではありません。百人程度を率いる事ができる部隊指揮官を誘ってほしいだけなんです。兵士が減った影響を一番受けるポジションですしね。これはみんなのためなんですよ」

「そう……、なのかもしれませんね……」


 フェリクスも迷っている。

 迷ってはいるが「アイザックの提案に従った方がいいのではないか?」という考えに傾き始めていた。


「不満分子を国外に送り出すのは、ロックウェル王国のためにもなります。是非、考えておいてください。悪いようにはしませんから」


 この場で決めてしまいたいところだったが、これ以上攻めるのは無理だと判断したアイザックは一歩退く。

 早ければ早いほどいいが、時間はまだある。

 焦ってしくじる方がもったいない。

 ここはじっくりと説得する事にした。


「かしこまりました。よく考えておきます……」


 フェリクスは返事をするものの、顔色が良くない。

 真剣に悩めば悩むほど、答えが出しにくくなる難問を突き付けられているのだ。

 気分が優れないのも当然である。


「いきなり色々と話し過ぎたようですね。顔合わせも終わりましたし、一度部屋に案内させましょうか」


「部屋」と聞いて、マットが切ない表情を見せた。

 かつて彼が使っていた部屋の事だからだ。

 フェリクスのために屋敷を探している最中なので、ホテルか独身寮の部屋を使ってもらう事になっている。

 屋敷の中には機密情報もあるので、現段階では客室に泊める事はできない。

 屋敷に泊めるのは、ハッキリとアイザックに協力する意思を見せてからとなる。


 アイザックは秘書官見習いに指示を出して、フェリクスを部屋まで案内させる。

 答えを聞くのは、彼が落ち着いてからになるだろう。


(意外と神経が細い? いや、仕方ないか。人生を左右する真実を知ったばかりだしな。強くあれという方が無茶だ)


 アイザックも、フェリクスに「へこむな」とまで言うつもりはなかった。

 辛い事が続けば、辛い事への耐性もなくなってしまうだろう。

 この状態が続くようなら困るが、今だけなら大目に見てやるべきだ。


「閣下、よろしいでしょうか?」


 フェリクスの事を考えていると、ノーマンが話しかけてきた。

 何か進言がある様子だ。


「どうした?」

「その……。先ほどのように相手の背後に立って、ささやくというのはおやめになられた方がよろしいかと愚考致します」


 彼はアイザックの行動に不満があるらしい。

 アイザックは黙って、彼の言葉の続きを待った。


「あれでは悪魔がささやいているようにしか見えません」

「悪魔!?」


 予想外の言葉に、アイザックは驚く。


「優しく話しかけてたんだけど……」

「それがいけません。天使は厳しい言葉で人を正しい道へ導きますが、悪魔は優しい言葉で人を堕落させます。先ほどの閣下は、コリンズ伯との会談をした時の印象も合わさり……。噂でしか存じませんが、まるで先代ウェルロッド侯を彷彿とさせるお姿でした」


 逃げ場をなくして、自分の望む方向に動かそうとするところが、ジュードの姿と重なっていた。

 アイザックはジュードとは違い、恐怖を感じさせないという個性があるので、その美点を活かすべきだとノーマンは考えていた。

 だからこそ、勇気を出してアイザックを諫めようとする。


「ノーマンの言う通りです。閣下は昔と変わらず優しいのかもしれません。ですが、ネイサン様に怪我をさせられた私達にエルフの薬をくださった閣下の優しさと、先ほどの姿は似て非なるもの。目的が違うので一概に悪いとは言えませんが……」


 アーヴィンも、ノーマンの意見に賛同する。

 表面上は優しい言葉をかけていても、周囲で見ている者には恐怖を感じさせる姿だった。

 それが悪いとは言わない。

 頼り甲斐のある上司は歓迎すべき事だからだ。

 だが、少しだけアイザックが変わってしまったという寂しさは感じていた。


「それなんですけどね。わざわざフェリクス殿の背後に立たなくてもよかったんじゃないですか? 座ったまま話していれば、交渉の一環として何も感じなかったと思います。それなら『悪魔のささやき』だなんて誰も思わなかったでしょう」


 ハキムも思った事を述べる。

 彼はアイザックが悪くなったというよりも「悪印象を与える姿だっただけだ」と主張する。

 この意見に、他の者達も同意した。


「なるほど、やり方一つで受ける印象が大違いか」


(「今は悪魔が微笑む時代なんだ」って諭すノリでやってみたけど、あんまり使わない方がいいかな?)


 心に迷いのある相手に効果的な方法だと思ったが、実行するにはタイミングが悪かったようだ。

 ビュイック侯爵に言いがかりをつけたあとなので、悪印象ばかりが目立ってしまうらしい。

 これにはアイザックも反省する。


「わかった。普段はやらないように気を付けよう。僕も周囲に悪い印象を与えたくないしね。でも、曽お爺様のような人に見せたい時は有効みたいだから、状況に応じて使い分けるようにするよ」

「あっ、いえ……。けっして悪い事ではないのですよ。先代ウェルロッド侯のような印象というのは、その……。頼もしいものですから。ただ、驚く者もいるだろうなと思っただけですので」


 ノーマンは慌てて説明し始める。

 できればジュードのようにはなってほしくなかったが、今までのアイザックのイメージと違った行動だっただけで、ジュードが悪いと否定するわけではない。

 貴族としては、ジュードのやり方も正解の一つだったからだ。

 しかし、つい忠言してしまうほど、ジュードのようになってほしくないという思いがあるのも事実。

 やはり、ノーマンも人の子だった。


「驚くか……。たぶん、リサやティファニーは驚くだろうな。慣れないうちに気を付けておくに越した事はない。ありがとう、気を付けるよ。経験がないから色々と試しているところだしね。これからも問題になりそうだと思った事があったら、遠慮なく教えてほしい」


 だが、アイザックはノーマンの考えなど知らない。

 単純に「今までのイメージが壊れる」と忠告してくれているのだとしか思わなかった。


(似たような事をやるにしても、直前に何をしていたかが印象に大きな影響を与えるから、段取りをよく考えてからやるべきだな)


 チャレンジ精神は大事だが、今まで培ってきたイメージも重要だ。

 ノーマン達にすら悪い印象を与えたというのなら、赤の他人ならもっと悪い印象を抱くだろう。

 人を脅したりするにしても「あくどい」という印象を持たれてはマズイ。 

 適度に「脅しながらもフェアなところもある」と思われる程度に抑えなければならない。

 その加減が難しいのだが、こればかりは実地の経験を積むしか解決方法がなかった。

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