第396話 遅効性の毒
モーガンが大使に予約を取ったのは平日だった。
最初はアイザックも「なんで平日?」と不思議がったが、すぐに考え直した。
大使も週末は休みたいはず。
仕事の話は平日に済ませたいのだろうと思ったからだ。
――だが、それは間違いだった。
話し合いの場所はウェルロッド侯爵邸でもなければ、ロックウェル王国の大使館でもない。
王宮に設定されていた。
そして、当日になってすべての謎が解けた。
――エリアスやウィンザー侯爵、フィッツジェラルド元帥らが同席している。
――あとジェイソンも。
エリアスが話を聞いて、興味本位で首を突っ込んできたのは明白である。
「我々は口出ししない。後々問題にならないよう、ただ見届けるだけだ。ジェイソン、エンフィールド公のやる事をよく見ておけ」
「はい」
ジェイソンも同席させているのは、アイザックの働きを見せて学ばせるためらしい。
それはそれで理解できる。
アイザックが理解できないのは、ウィンザー侯爵ら政府の要人まで同席している事だ。
(お前ら、どんだけ暇なんだよ……。こうしている間、政府の仕事が止まってるんだぞ……。まぁ、都合がいいけどさ)
フェリクスを雇おうと思った理由の一つに、リード王国の貴族に器の大きさを見せるというものもある。
政府の要人が集まっているのなら、噂が広まる事を期待する必要はない。
見せたい本人に直接見せられるのだから、宣伝活動としては十分だ。
それに、ロックウェル王国の大使と有利に交渉を進められる。
彼はこの状況に戸惑っているように見える。
外交官が感情を表に出すくらいなのだから、見かけ以上に動揺をしているのだろう。
これもアイザックには好都合だった。
「まずはコリンズ伯に確認しておきたい。貴国の貴族を雇った場合、リード王国の法が適用される。罰せられる場合は文句を言わない。その点はよろしいでしょうか?」
「!? もちろんでございます。誘拐された場合などは別ですが、本人の意思で働いている場合はリード王国の法が適用されます。それらに関しましては締結した条約を批准するものであります」
あまりにも直球な申し出に、彼もさすがに驚いたようだ、
その反応は見物人達も同様である。
アイザックの行動は――
「フェリクスをリード王国の法の名の下に自由にしてもいいんだな?」
――と皆の前で確認したようなもの。
実質的な処刑宣告であり、それをロックウェル王国の大使が認めた形となる。
エリアス達は「そこまでしなくても」と、フェリクスに同情的であった。
フェリクスはフォード元帥の曾孫だ。
レオにジュードの暗殺を命じたのはフォード元帥である以上、仇の曾孫という事でもある。
――祖先の恨みを晴らす機会を与えるために、ロックウェル王国がフェリクスを差し出してきた。
それが皆の統一見解だった。
軍事から経済に舵を切ったロックウェル王国にとって、リード王国の存在は重要となる。
そこで目を付けられたのがアイザックだった。
アイザックは、すでにリード王国のキーマンとなっている。
キーマンを押さえておけば、リード王国を動かしやすくなる。
アイザックにご執心なファーティル王国も、アイザックの対応を見て態度を軟化してくれるかもしれない。
フェリクスを差し出したのは、政争でライバルを処分できるだけではない。
ロックウェル王国を取り巻く状況を好転させる事もできる一石二鳥の策だったのだ。
だが、アイザックは見た事もない宰相だか大臣だかの思惑通りに動くつもりなどない。
差し出されたエサに飛びつく時と飛びつくべきではない時の区別くらいはつく。
今回は自分の利益を優先させるつもりだった。
「では、フェリクスさん。問題が起きないよう、雇用契約書を確認してからサインをお願いします」
アイザックが話し終わると、ノーマンがフェリクスの前に紙をそっと置く。
フェリクスは「雇うというのは、やはりこういう意味だったのか」と、自分の処刑執行命令書にサインを書く気分だった。
しかし、書かれている内容を見て驚きの声が出る。
「なんですか、これは!」
「なんだと言われても……。雇用契約書ですよ」
「それはそうですが、いったい何をお考えなのですか!」
「いや、だから雇うだけですけど」
フェリクスが驚いている契約書の内容が気になり、コリンズ伯爵が横から覗き見る。
書かれている内容を見て、やはり彼も目を見開いて驚いた。
――本物の雇用契約書。
支度金として一億リードに、毎月五百万リードの給与。
家族に会いに帰る、または呼び寄せる場合は路銀を支給。
隠居済みとはいえ、他国の伯爵家当主だったので賓客待遇で迎える。
などなど、処刑を前提とした雇用契約とは思えない好待遇が書き連ねられていた。
これでは本当に雇うだけにしか思えないものだった。
フェリクスやコリンズ伯爵の反応を見て、エリアスが「どうなっているのだ?」と気になっている素振りを見せていた。
「エンフィールド公。どのような内容を書かれたのですか?」
学べと言われたジェイソンならば遠慮せずに聞ける。
父に代わってアイザックに尋ねた。
「本当にただの雇用契約ですよ。支度金や給与の内約や、客賓待遇で迎えるといったものを書いております」
「……雇うだけ? 本当に?」
「ええ、働きたいというので働いてもらう。それだけです」
アイザックの言葉に偽りはない。
あまりにも自然体で言うので、却って「どういう事だ?」と混乱を招く。
落ち着いているのは、前もって話を聞いているモーガンだけだった。
「私はフェリクスさんに感謝しているのですよ。彼のおかげで気付けた事がありましたから」
「気付けた事?」
「ええ、そうです。では、入ってきてもらいましょうか」
アイザックは警備にあたっていた近衛騎士に目配せをする。
すると、騎士は扉から出て行き、すぐに縛られた男を連れてきた。
「コリンズ伯、彼に見覚えがあるでしょう?」
「いや、ないですな」
コリンズ伯爵はよどみのない言葉で答えた。
その表情、言葉は本当に見覚えがないと言っている。
それもそのはずである。
――縛られた男は、コリンズ伯爵とは完全に面識のない男だったからだ。
ウェルロッド侯爵家の使用人達は、貴族の子女ばかりである。
彼らに屋敷内の掃除などは任せるが、井戸から水を汲み上げるような力仕事はさせない。
そういった力仕事は下男、下女といった使用人のための使用人に任される。
この男はウェルロッド侯爵家で使っている下男だったので、使用人と違ってコリンズ伯爵と面識を持つはずがない。
「陛下の前で罪人のふりをするだけで百万リードのボーナスをあげるよ」といって連れてきたのだ。
近衛騎士には「国家安全保障上の問題で必要な演技だから」と伝えて、いたぶったりしないようお願いしていた。
「おや、ないのですか?」
うーん、と唸りながらアイザックはコリンズ伯爵の顔をジッと見る。
「なるほど、スパイは他にいる。もしくは、コリンズ伯以外にスパイの元締めがいるという事ですね」
「さて、私にはわかりかねます」
コリンズ伯爵は知らぬ存ぜぬという態度で通した。
実際にウェルロッド侯爵家の中にスパイがいるのかもしれないし、いないのかもしれない。
一切の動揺を見せないのは、さすがは大使というところか。
だが、それは今のところはどうでもいい。
「アイザックがスパイに気付いている」という事を、コリンズ伯爵に見せつける事が重要だったからだ。
近衛騎士に合図を出して、スパイ役を下がらせる。
長居させてもボロが出るだけだ。
見せるだけ見せたら隠す方がいい。
裏で近衛騎士と「ドッキリ大成功」とでも喜んでいる事だろう。
「フェリクスさんが仕官を求めてきた時、いくつかの理由を考えました。その中の一つが、すでに潜入させているスパイの存在から目を逸らさせるための囮というものです。実際、調べてみるとあっさりと潜入していたものに気付きました。この程度のスパイを守るために、なんて贅沢な使い方なのだろうと驚きましたよ。ですが、簡単には見つからない者もいるのなら、完全に無駄な行為ではなかったのかもしれません」
コリンズ伯爵にだけではなく、エリアス達への説明も含まれていた。
これはすべて、ある人物を貶めるための布石である。
「ですが、私には許せない行為ですね」
アイザックは、コリンズ伯爵をジッと見る。
威厳がない事は自覚しているので、あえて感情を見せない静かな目で見る事を意識していた。
その狙いは成功した。
怒りも蔑みもない目で見られているコリンズ伯爵は、この日初めて動揺を見せる。
アイザックの不興を買ってしまった事に気付き、フェリクスに関する計画は失敗だったと悟ったからだ。
「フェリクスさんをこちらに送ってきた理由とは? 経済を優先し始めたロックウェル王国にとって、リード王国は重要な位置にあります。ドワーフになら相場の値段で鉱石を売る事もできるでしょう。そうなると、商人にファーティル王国の通行許可が必要となるでしょう」
アイザックが、ゆっくりと自分の考えを述べ始める。
「それには、ロレッタ殿下との婚約が有力視されている私の口添えがあった方がやりやすいと考えるのもわかります。正面から頼み込んでも、ファーティル王国は絶対に許可証を出さないでしょうからね」
それは当然である。
ロックウェル王国の商人の手で直接ドワーフに売るのを認めるくらいなら、ファーティル王国が安く買い叩いてドワーフに売った方が儲けが大きいからだ。
通行税などとは比べ物にはならない利益が出せる。
普通ならば許可証など出さない。
救国の英雄であるアイザックの頼みで、ようやく耳を貸すといったところだろう。
「だから、フェリクスさんを送り込んできた。フォード元帥は先代ウェルロッド侯の暗殺を命じた人物。曾孫を相手に仇を取らせようとでも思ったのでしょうね。それだけではありません。フォード伯爵家の名前はまだ強い。今はまだ若いフェリクスさんも、きっと十年後、二十年後には軍部をまとめるような大物になるでしょう。そうなる前に政敵を消す事もできる。お国のためという大義の名の下にね」
「さて、どうでしょう。本国の詳細な事情までは私にはわかりかねます」
コリンズ伯爵は、アイザックの言葉を素知らぬふりをして躱した。
実際は知っているはずだ。
でなければ、フェリクスの仕官という話にもっと驚いていなければ不自然である。
最初から大きな反応を見せないのでわからない。
だが、アイザックには事実はどうでもよかった。
言い掛かりをつける事がメインだからだ。
「学生の身の上で一国の大使を相手に、こういう事を言いたくはないのですが……。正直、貴国の対応は不愉快です」
――アイザックの決定的な言葉。
さすがにファーティル王国との仲介を望めなくなったからか、コリンズ伯爵が一瞬顔を引きつらせる。
「先代ウェルロッド侯が殺された遺恨は、レオ将軍を討ち取った事で解消した。それだけではない。こちらはフォード元帥やシャーリーン・フォードまで討ち取っている。なのに、まだ殺し足りないと思っているとでも? ふざけるな!」
突如、アイザックは語気を荒らげる。
「賢王と名高いエリアス陛下より公爵位を賜った男だぞ! フォード元帥の曾孫を差し出せば、涎を垂らして喜んで殺すとでも思っていたか? 若造だからといって舐めるな!」
「我らは舐めてなどおりません。フェリクス殿もフォード元帥を打ち破ったエンフィールド公だからこそ仕えたいと思っただけ。そこに何の裏もございません。そうだな?」
「はい。ただ働くだけではなく、エンフィールド公から学ぶ事ができればと思い仕官しようと考えました」
動揺を隠せなかったコリンズ伯爵が、フェリクスに同意を求める。
フェリクスもコリンズ伯爵の言葉に同意したものの、二人のやり取りはエリアス達に「取り繕っているだけ」という印象を与えた。
「ビュイック侯爵という者が改革の中心になっているそうだな。伝えておけ。今は学生の身、故に何もできない。する権限がない。いずれ政治の舞台に立った時にはお礼をさせていただくとな」
「本当にそのような意図はなかったはずです……」
「そちらの意図は関係ない。こちらがどう受け取ったかが重要。違うか?」
「……その通りです」
コリンズ伯爵も外交官である以上、相手にいらぬ誤解をさせる事は避けねばならないという事はよくわかっている。
本国の意図はどうあれ、アイザックが「侮られた」と感じてしまった以上、フェリクスの件は失敗だった。
アイザックは、戦後もロックウェル王国の大使であるコリンズ伯爵に対する態度を変えなかった。
今まで通り、誕生日には花や菓子を送り「祖父の事をよろしく頼む」と家族の心配をする好青年だった。
それ故に、コリンズ伯爵にはアイザックの変貌が恐ろしかった。
フェリクスを差し出したのに、戦争で敵対した以上の恨みを買う事になるなど、誰が想像できようか。
「そもそも謀略に使うならもっと他にやり方があっただろう! 平民の前で鞭打ちの刑なり棒打ちの刑なりにして、一族を国外追放にする。その上で私を頼ってきたのならば、こちらも『家族の仇であるにも関わらず、実力を認めて頼ってきてくれた』と喜んで迎える事ができた! 最高の素材を焼いただけで『これで料理だ』と出された気分だ。もっとしっかりやれ!」
コリンズ伯爵は「ん?」と首をひねる。
(もしや、稚拙な企みに怒っておられるのか?)
アイザックならあり得る。
ジュードを殺したフォード元帥やレオ将軍に対しても、恨み言や蔑むような事を話したという噂も聞いた事がない。
一流であったからこそ、曾祖父を殺されても恨まなかった。
それどころか、一定の敬意を持っていたのかもしれない。
そう考えると、アイザックが怒っている事も理解できそうな気がする。
「フェリクスはこちらで雇う。その事について、ロックウェル王国の関与は無用。当然、フォード伯爵家に対する八つ当たり的な仕打ちもしないものと信じてよろしいか?」
「もちろんです。フェリクス殿が
コリンズ伯爵としては、異論を述べるどころではない。
一連の会話を、モーガンが止める気配がまったくなかった。
つまり、先ほどのアイザックの言葉は、ウェルロッド侯爵家の総意であるという事。
これ以上下手を打てば、モーガンが周辺国に働きかけて、ロックウェル王国はより厳しい状況に追い込まれかねない。
平身低頭、謝るしかなかった。
アイザックはコリンズ伯爵の返事を聞き、表情を和らげる。
「それならば結構です。フェリクスさんも安心して働けるでしょう。……雇用契約書に目を通されましたか? 内容を承諾したのであればサインをお願いします」
「えっ、あぁ……。申し訳ございません、今しばらくお時間をいただけますでしょうか?」
「どうぞ」
コリンズ伯爵とのやり取りに気を取られていて、フェリクスは契約書を読むどころではなかった。
話を振られてから慌てて続きを読み始める。
相手がアイザックなので「てにをは」には特に注意しながら確認していく。
だが、怪しいところはなかった。
これ以上疑っても仕方ないと思い、サインを書いてアイザックに渡す。
「ようこそ、エンフィールド公爵家へ。一年契約ではありますが、問題がなければ契約は続けていくつもりです。今後ともよろしくお願い致します」
「こちらこそよろしくお願い致します」
先ほどとは打って変わって穏やかな話の流れである。
フェリクスだけではなく、他の者達も「同一人物か?」と思うくらいの変貌である。
契約を見届けると、コリンズ伯爵は帰っていった。
残された者達は、当然アイザックに聞きたい事があった。
「エンフィールド公。彼を送ってきたであろうビュイック侯爵に対して、やけに厳しいようだったが……。恨みでもあるのか?」
エリアスがアイザックに尋ねる。
あそこまで語気を荒らげるアイザックは初めて見た。
それだけに、よほどの事情があるのだと思ったのだ。
そこが気になって仕方がない。
これは他の者達も同様だった。
この質問に対するアイザックの答えは――
「いえ、ないですよ」
――という非常にあっさりしたものだった。
「ないはずがないだろう。そなたがあのように怒りを表すのは初めて見たぞ」
「恨みなんてないですよ。もしかしたら、向こうから恨まれるかもしれませんけど」
「あちらから? どういう事だ?」
その答えを聞くのが怖いものの、聞きたいという欲が打ち勝つ。
エリアスはアイザックの答えを唾を飲み込む事すら忘れるほど真剣に待つ。
「ファーティル王国を攻め落とし、国家統一は長年の悲願でした。国是を正反対に方針転換したのです。フォード元帥の死や国内の混乱があったとはいえ、簡単にできる事ではありません。ですから、ビュイック侯爵に嫌がらせをする事にしたのですよ」
「嫌がらせだと?」
「そうです。ただの嫌がらせです。国是を変更して『さぁこれからだ!』という時に、方針転換を唱えた人物のせいで躓いたら、ギャレット陛下はどう思うでしょう? ビュイック侯爵の能力に疑問を抱き、改革の動きは鈍るはずです。大幅な改革でも迅速にやれば可能でしょうが、遅々として進まなければ国内の不満は高まり、反発は徐々に大きくなっていくでしょう。ロックウェル王国ではより長く混乱が続き、国家の立て直しが先延ばしになると思います」
「……なるほど、大規模な嫌がらせだな。先ほどの話はコリンズ伯から本国に伝えられるだろう。届いた時、ギャレットはどう思うのだろうな」
ロックウェル王国は国の立て直しのため、経済優先という方針を選んだ。
しかし、国が立ち直れば、数世代後にはまたファーティル王国を狙い始めるだろう。
ロックウェル王国の混乱が長引けば長引くほど、周辺国は安泰のままである。
――改革を遅らせるために、改革の中心人物を狙い撃った。
フェリクスの仕官を利用して、ロックウェル王国に混乱をもたらす。
そのために、アイザックは嘘の怒りを見せたのだった。
「先ほどの話、どこまでが本当なのかな?」
ジェイソンが疑問をぶつける。
ビュイック侯爵への怒りが偽物なら、他の話も怪しいものである。
どこまでが本物なのかが気になるところだ。
「フェリクスさんの雇用契約に関するものと、もっと上手く使えばいいのにという怒りくらいですかね」
「スパイの話も嘘だったのか……」
「ええ、そうです。『ビュイック侯爵が多くの失態を犯した』という事を、コリンズ伯に見せるためでした。あの男は我が家の下男で、他国の諜報活動とは無縁ですよ。今頃、控室で初めて登城できた事や、あのような形でも陛下に拝謁できた事を喜んでいるのではないでしょうか」
「まったく、なんて男だ……」
モーガン以外の者達は呆れたという表情を見せる。
ネタバラシをされれば、真剣に聞いていたのが馬鹿らしく思えてくる。
「ロックウェル王国に、あっさり立ち直られては面倒ですしね。今しばらくは身動きできない状態になっておいてほしかったのです。あぁ、それとやっぱりビュイック侯爵に思うところがありました。政敵になりそうな相手を自分の手で片づけず、他人の手で始末させようと考えるのは虫唾が走ります。やるなら自分の手で殺してほしいところですね」
自分の手で兄を殺したアイザックの言葉だからだろう。
他の者にはない説得力があった。
「私からも一つお聞きしたい事があるのですが……。よろしいでしょうか?」
フェリクスもアイザックに尋ねたい事があるらしい。
皆の視線が彼に向けられる。
「どうぞ、答えられる事であればですが」
「ロックウェル王国は混乱しております。外貨を得るために仕官しようとしていた。そういう可能性もあったはずです。なぜ、私が人身御供だと確信されたのでしょうか?」
「あぁ、その件ですか……」
アイザックは困ったような顔をする。
答えたくはないが、答えられない内容ではないので反応に困る。
だが、答える事にした。
「直感……ですね。フェリクスさんが『一生懸命働くぞ!』という態度ではなく、殺されるのを覚悟していたような態度をしていたというのもありますけど」
「態度ですか……。そうですね、さすがに開き直るような態度は取れませんでした。ですが、それだけでスパイをでっち上げたりするのはやり過ぎではありませんか? 過剰な演技は見破られやすくなると思うのですが」
「それは先ほど言ったように、
「なるほど、そこまでお考えだったとは……」
フェリクスは、母との会話を思い出した。
曾祖父の会話は難解であったが、母を通せば難しいながらも理解できる内容になっていた。
――アイザックは、ビクター・フォードの頭脳とシャーリーン・フォードの理解力を併せ持っている男。
あまりにも偉大過ぎる男に、家族を殺された恨みよりも感心する気持ちが強くなってしまう。
フェリクスは、アイザックが到底手の届かない高みにいる事を思い知らされた。
「ところで、彼のいる前でそこまで話してよかったのか?」
モーガンがアイザックに大きな疑問を投げかける。
他の者達と違い、作戦を前もって聞かされていたので、彼は冷静でいられた。
冷静であったが故に、当然とも言える疑問を言葉にして発していた。
アイザックは軽く目を閉じて押し黙った。
その姿を見て「あれっ、気が緩んで忘れていたのか?」とモーガンは心配になる。
「フェリクスさん、なぜあなたに話しても大丈夫なのか。説明できますか?」
目を開いたアイザックは、フェリクスに話を振る。
この時、この場にいた者は「なるほど、フェリクスがどの程度頭が回るか確認するべきか迷っていたのか」と考えた。
エリアスを含め、国家の重鎮が揃うこの場所。
見当違いの事を言えば、フェリクスは今後「曾祖父の七光りか」と侮られる。
――恥をかかせないようにするか。
――力を見せる機会を与えるか。
判断が難しいところだった。
そこでアイザックは、力を見せる機会を与える方を選んだ。
自然とフェリクスに視線が集まる。
「第一に、私は死を前提とした任務を言い渡されました。ギャレット陛下も心苦しさを感じておられたはずです。私が無事に仕官できたと聞いた時、陛下はどう思われるでしょう? 心苦しさが後ろめたさに変わり、後ろめたさが不信に変わるでしょう。『なぜ、仕官する事ができたのか?』と。私の報告の信憑性は無きものに等しくなりました」
フェリクスの考えは、周囲の理解を得る事ができた。
誰だって「なんでアイザックは、フェリクスを雇ったんだ?」という疑問が頭に浮かぶ。
ビュイック侯爵への嫌がらせだと聞いていなければ、器が大きいか、何か企んでいると考えるだろう。
当然、ロックウェル王国側では「企んでいる」という方向で受け取るはず。
フェリクスの報告など信用できるはずがなかった。
「第二に、雇用契約書の内容をコリンズ伯に見られた事です。私のような若輩者にはあり得ない好条件故に、初めてお会いした時に寝返ったのだと思われた可能性があります。報告の内容にエンフィールド公の手が加わっていると怪しまれるかもしれません。より深く疑心暗鬼に陥らせるための罠だと思われるかもしれません。今日、この席に着いた時点で、私のロックウェル王国における発言力は霧散致しました。今後、ロックウェル王国のためにできる事は、エンフィールド公を暗殺する事くらいでしょう」
フェリクスの不穏な言葉に場がざわつく。
しかし、アイザックは不敵な笑みを浮かべていた。
「さすがにそれはしないでしょう。ロックウェル王国にいる私の協力者を特定しない限りはね」
「私も親です。息子は可愛いし、家を存続させていきたいと思っています。それにエンフィールド公の活躍を見させていただきたいという気持ちもございます。暗殺などという行為はしないと誓いましょう」
この一連の答えで、フェリクスも武一辺倒の猪武者ではないと周囲に知らしめた。
彼は返答に詰まるような事はなかった。
混乱して答えられなくてもおかしくない状態でも、自分を取り巻く状況を把握する能力はある。
少なくとも、考えなしにアイザックを暗殺したりするような愚か者ではなさそうだ。
その事にエリアスは安心する。
「第三に、私を試しているという点です。どのような形であれ、私から仕官を求めた以上は、エンフィールド公に忠誠を誓わねばなりません。仕官する経緯はどうであれ、私の覚悟を見ようとしておられるのでしょう」
「なるほど、そこまで考えていたとはな」
モーガンは、フェリクスの言葉で納得してみせた。
彼はアイザックの考え、そのすべてをエリアスやジェイソンには話せない事はわかっていた。
アイザックなら、もっと深い理由があっただろう。
だが、フェリクスの説明くらいがちょうどいい。
この場は納得してみせて、あとで本当のところをこっそり聞いてみようと考えていた。
「雇うといいましたが、しばらくは私の下で働くより、ウェルロッド侯のところで働いてもらう事が多くなりそうですね。ロックウェル王国に住んでいた貴族の情報は欲しいでしょうから」
「教えてもらえるのなら助かるな。答えられる範囲内でいいから嘘のない話を聞きたいものだ」
「そうですね……。答えられるものなら」
フォード元帥の曾孫という事もあり、重要な情報に触れる機会も多かった。
それらの情報を求めているわけではないだろうとはわかっていた。
ロックウェル王国の貴族の関係など、調べようと思えば調べられるものの、調べるのが面倒くさい。
そういった内容を聞かれるくらいなら、フェリクスも協力するのもやぶさかではない。
これからアイザックの部下になるという事実に比べれば、モーガンに話を聞かれるくらい軽いものだった。
「では、これから後悔するような経験をするかもしれませんが、しっかり働いてもらいますよ」
「後悔はソーニクロフトに置いてきました。もうあれほどの後悔をする事などありません。大丈夫です」
フェリクスは胸を張って答えた。
彼はこのあと、ソーニクロフト解放戦におけるウェルロッド・ランカスター連合軍の状況を知り、テスラ将軍の命令に従って撤退した事を激しく後悔する事になる。
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