第368話 ジュディスが見た未来
ウィルメンテ侯爵と話し合ってから三日後。
ジュディスへの謝罪に向かう日が訪れた。
アイザックは比較的楽な気分で起きる事ができた。
ロレッタやアマンダのおかげで、どういう話になるか覚悟できていたからだ。
幸いな事に、ジュディスの状況は他の女の子達と違う。
――アイザックが命を救ったという大きな違いが。
最悪の場合「助けた恩と差し引きゼロでお願いします」という切り札が使えるのだ。
しかも、ランカスター伯爵はモーガンの親友。
祖父の顔に免じてという方法も使える。
心に余裕が生まれるというもの。
とはいえ、紛らわしい事をして申し訳ないという気持ちは持っている。
切り札を使わずに済むように、上手く話を持っていきたいところだった。
ランカスター伯爵家には、モーガンとマーガレットが同行する事になった。
これは切り札を使いやすくするためだ。
両親は善良過ぎるため、切り札を使わせないよう動くかもしれない。
「ロレッタやアマンダの事で心を痛めているから、これ以上心労をかけないため」と言って、留守番をしてもらう事にした。
そうする事が、お互いのためになると信じて。
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応接室で、ランカスター伯爵家の面々と向かい合って座る。
アイザックの向かいにはジュディスが座り、アイザックとジュディスを挟むようにお互いの家族が並んでいた。
あちらは一家勢揃いである。
彼らは困惑や悲しみの表情を浮かべており、平常ではない様子が窺える。
その中でも、アイザックと向かい合って座るジュディスの様子は異様だった。
彼女は以前のように髪を下している。
テーブルの上には封筒と共に髪留めが置かれていた。
まるで決別を伝えようとしているかのようだ。
ジュディスと結婚はできないが、縁を切りたくないアイザックにとって困った状況になってしまったらしい。
この困難な状況を丸く収めねばならない。
「死地に赴くため、心の支えになるものを欲していました。ですが、ジュディスさんの気持ちを考えない行動だったと反省しております。せめてものお詫びとして、こちらの品物をご笑納くださればと思います」
アイザックは、まずお土産を渡す。
他の女の子達にも渡した龍の彫像だ。
あまりの立派さに、ジュディスの兄のジョシュが目を見張る。
だが、ジュディス本人は顔が見えないため、どんな反応をしているのかわからなかった。
黙っているジュディスに代わり、悲しそうな顔をしているランカスター伯爵が口を開く。
「これはこれは、とても立派な彫像ですな。これほどのものをいただけたのなら水に流してもいいところですが……。それも普段であればの話。ハンカチの一件以来、ジュディスが以前のジュディスに戻ってしまいました。おぉ、そんなにショックだったのだな。可哀想に、ジュディス」
ランカスター伯爵は、ジュディスの頭を愛おしそうに撫でる。
それだけなら「孫娘を心配している」で終わる話だが、アイザックの方をチラチラと見ている。
「責任を取る」と言ってくれるのを期待して待っているようだ。
(こんなにわかりやすくて、よく外務大臣なんてできていたな……)
アイザックは、ランカスター伯爵の実力に疑問を感じてしまう。
だが、仕事とプライベートを分けるタイプなら問題のない事でもある。
「ジュードに比べて物足りない」という評価は聞くが「無能」だという話は聞いた事がない。
今はプライベートなので、感情がわかりやすいだけなのだろう。
「ジュディスさんを傷つけてしまった事は――」
ランカスター伯爵の事を考えていても仕方がない。
気にせずに謝罪を続けようとしたが、ジュディスが封筒を差し出してきたので中断する。
「これを読めと?」
「そう……。言いたい事を書きました……」
アイザックの言葉に、ジュディスがうなずきながら答えた。
言葉では伝わりにくいと思ったのだろう。
手紙を受け取り、アイザックは中に目を通し始める。
『ハンカチを受け取ってくれた時は本当に嬉しかった。だって、アイザックくんに受け入れてもらえたんだって思ったんだもん。泣きそうなくらい嬉しかったんだよ。だけど、謁見の間で話を聞いた時は嬉しかった分だけガッカリした。でも、恨んだりはするつもりはなかったの。アイザックくんが助けてくれなかったら、こうして喜んだり、悲しんだりする事もなかったから。私に関する事はなにも言うつもりはない。でも、家族が関係する事は別』
(家族?)
まだ手紙の途中であるが、アイザックはランカスター伯爵達に一度視線を向ける。
彼らを巻き込んだ覚えはない。
しかし、可能性として一つの事が思い浮かんだ。
(あぁ、こうして家族に心配させてしまうのが辛いって事か)
アイザックは「それくらいなら話し合えば解決する」と思うだけだった。
手紙の続きを読み進める。
『お父様とお爺様の未来を占ってみたの。二人の近くにアイザックくんがいて、私がアイザックくんの隣に立っているところが見えたらいいなと思って。アイザックくんの隣に私がいたら、私達が結婚しているって事だからね』
この辺りから、アイザックは嫌な予感がし始める。
最後まで読むまでもない。
ジュディスが変わってしまうような、なにかが見えたのだ。
そして、それはアイザックが恐れていたもののような気がする。
『でも、そういう未来は見えなかった。残念だなぁって思った。でもね、それ以上に残念だった事があるの。お父様が戦場にいる姿が見えたんだ。向かい合った先にはリード王家の旗を掲げた軍隊がいたの』
「げぇっ」
アイザックは踏みつぶされた蛙のような声をあげる。
手紙を読み終えるのを待っていた者達は「何事か!?」とアイザックを見る。
だが、アイザックは反応を返すどころではなかった。
周囲を無視して続きを読み進める。
『お爺様の時は、アイザックくんが玉座に座っていたわ。お爺様は他の貴族達と一緒に臣下の礼を取っていたのが見えたの。とっっってもビックリしたんだよ』
(俺の方がビックリだよ!)
『どうしても、アイザックくんの考えが聞きたいんだ。アイザックくんはお父様達を騙して王家に反旗を翻すつもりなの? 占いでは成功するみたいだけど、お父様達に反逆者の汚名を着せるような事はしてほしくないの。それに……、アイザックくんは恩人だけど……。ううん、恩人だからこそ、裏切り者になんてなってほしくないよ。王家を裏切るような真似をしないで……』
手紙の最後の方は文字が滲んでいた。
水滴がポツポツと落ちたような跡。
涙の跡のように見える。
この手紙を書くのも、彼女なりに思うところがあったのだろう。
髪留めを外しているのも「場合によっては、家族にアイザックと決別させる覚悟もしている」という意思表示なのかもしれない。
いつかは王家に対する忠義が厚い者に道を阻まれると思ってはいたが、まさかそれがジュディスだとはアイザックも考えていない。
――それ以上に、このような形で狙いが暴かれる事を考えていなかった。
(あわわわわ、どうする? どうしよう? だから、占われるなんて嫌だったんだ。こんなところでバレるなんて考えてないぞ)
アイザックは、これまでにないほど動揺する。
こんな事、まったくの想定外だ。
今すぐ逃げ出したいところだが、逃げてもなにも解決しない。
むしろ、悪化するだけだ。
それくらいは動揺していてもわかっている。
だが、どう対応していいのかまでは考えられなかった。
「この事は……、ランカスター伯爵はご存知で?」
そのため、ジュディスに確認するという行動を行う。
この時点で、まったく無関係だと言い張る事ができなくなってしまった。
ジュディスは首を左右に振る。
顔は見えないが、その素振りから悲しんでいるような印象を受けた。
首を振ったあと、うつむいてしまう。
「なにか問題でも?」
当然、名前を出されたランカスター伯爵は、なにがあったのかをアイザックに尋ねる。
しかし、それに答える事はできなかった。
「いえ、ちょっと……。ちょっと時間をください」
アイザックはランカスター伯爵に待ったをかけ、モーガンに手紙を渡す。
「私が読んでも大丈夫なのか?」
「ええ、大丈夫です。それに、嫌でも読んでもらわねばなりません」
「ふむ……」
愛の言葉が書き連ねられていたらジュディスに申し訳ない気分になるだろう。
モーガンは嫌な予感がしたが、渋々読み始める。
「なにっ!」
だが、ジュディスに配慮するどころではなかった。
手紙の内容に、今にも心臓が止まりそうな衝撃を受ける。
震える手でマーガレットに渡す。
彼女も「読んでいいの?」という視線をアイザックに向ける。
アイザックは、ただうなずくだけだった。
そして、彼女もモーガンと似た反応を見せる。
普段は肝の据わっている彼女も、さすがに動揺を見せていた。
「ジュディスさんの占いによって、こういう未来が予知されてしまいました。このままではランカスター伯爵家との間に亀裂が走るかもしれません。ですので、
アイザックは祖父母が手紙を読んでいる間に、この場を切り抜ける方法を考えていた。
これにモーガンも、うなずいて同意する。
他にめぼしい理由が思いつかないからだ。
アイザックならなんとかするだろうと、任せる事にする。
「ランカスター伯。非常に重要な内容の話をする事になります。信頼できる者だけを残して、人払いしていただきたい。信頼していても、話の内容が態度などで表に出るような者も含めてです」
ランカスター伯爵家の中では、ジョシュがまだ若い。
腹芸ができるのかわからないので、彼も含めて出ていかせてほしいとアイザックが要求する。
いつになく深刻な顔をしているアイザックの要求なので、ランカスター伯爵はすぐさま使用人達を出ていかせた。
結局、ジョシュを含めてランカスター伯爵家の面々は残った。
あとは秘書官が二名のみである。
「ジュディスさんが不安に思われている内容に心当たりがあります」
アイザックの言葉に、ジュディスが顔を上げる。
今、最も聞きたくなかった言葉だ。
彼女の体が大きく震え始める。
「実は議会を作りたいと考えています」
「なんだと!?」
ランカスター伯爵の声が室内に響く。
彼は口を大きく開けたままで固まり、驚きがどれほど大きなものだったのかを、その姿から十分に察せられる。
他の者達も同様だった。
反応の仕方は違ったものの、目を大きく見開いてアイザックを注目して「なにを言い出すんだ」と目で語っている。
「ですが、その内容は王権を制限するものではありません。あくまでも、王家のための貴族議会です。その内容は――」
アイザックは、ウィルメンテ侯爵に話したのと同じ内容を説明し始める。
議会といえば、他国のように街の代表者で国の方針を語り合うというイメージを持つ者が多い。
ランカスター伯爵達が驚いたのも、そのイメージが強いからだ。
だから、あくまでも王家の補助的な意味合いしか持たないものだという事をしっかり説明する。
アイザックの話を聞いていくうちに、ランカスター伯爵達の表情も和らいでいった。
王家を廃止するようなものではないとわかったからだ。
ジュディスも理解してくれたようだが、彼女は他の者達とは違い、まだ疑っているようだった。
それもそのはず、王家と戦う未来を見たのだ。
その言葉を信じたかったが、簡単には信じきれなかった。
アイザックも、まだ信じてもらえていない事を察した。
嘘なので信じてもらえなくても仕方ないが、話にもう少し信憑性を持たせねばならないと感じる。
「では、ジュディスさん。先ほどのご家族の反応を思い出してください。内容を聞く前に、
ジュディスはうなずく。
これに関しては、アイザックの言葉にうなずく事しかできなかった。
「それは他の方も同じでしょう。内容を知らず……。いえ、内容に関係なく議会という単語だけで揚げ足を取り、僕を陥れようとする者もいるでしょう。僕は誰にでも好かれるタイプではありませんしね。この機会に亡き者にしてやろうと思う者もいるのかもしれません。小さな火種のようであっても、気付かぬうちに大火となる事もあります。それが、ジュディスさんの占った結果になったのかもしれませんね」
アイザックは――
「あくまでも王家のために議会を提案しようと考えていた」
――と主張し――
「自分を嫌う者が揚げ足取りの材料にして、内戦という状況を作り上げた」
――という方向で、ジュディスを納得させようとする。
だが、ランカスター伯爵がこれに待ったをかける。
「待っていただきたい。ジュディスが占った結果とは? 私達は聞かされていません。不都合がなければ、教えていただきたい」
この質問は厳しいところだった。
ジュディスが話さなかったのも、家族が聞いてどういう反応をするのかわからなかったからだろう。
非常に重要な問題なので、巻き込まれないようにウェルロッド侯爵家と縁を切るかもしれない。
最悪の場合「勝利するんだろう? だったら、協力すればいいじゃないか」と乗り気になると思った可能性もある。
つまり、アイザックの都合のいいように話してしまえば、ジュディスが離れていってしまう。
彼女の心が離れていくだけならまだいいが、王家に密告されたりすれば致命的だ。
ランカスター伯爵を納得させつつ、ジュディスに嫌われない程度の返答を考えねばならなかった。
「アイザックがダニエルと轡を並べて、王家の軍と対峙している未来が見えたそうだ。誤解だと弁明できる段階を過ぎ去ってしまったのだろうな」
アイザックに代わり、モーガンが答えた。
ジュディスは、アイザックの動向に注意が向いている。
自分が言うのと、アイザックが言うのとではジュディスの印象が大きく変わる。
その事を感じ取った彼は、自分が答える事で被害を最小限に抑えようとした。
「王家の軍と……」
ランカスター伯爵はのけ反り、椅子の背もたれに体を預ける。
忠臣と言われるアイザックが王家の軍と対峙しているのだ。
自衛のためなのかもしれないが、とても信じられない未来だった。
だが、アイザックの隣に息子のダニエルがいるのは、彼にとって不思議ではなかった。
アイザックが窮地に陥れば、きっと援軍を出すだろう。
しかも、本人に非がないのならば、ためらう理由はランカスター伯爵にはない。
ジュディスの占いは当たっているのだと思うしかなかった。
「そうか、あの時の占いでそんな未来が見えてしまったのか。だから、ジュディスはどうするべきか迷っていたんだな」
ダニエルも頭を抱えて悩んでいた。
「また戦争になるのか」とは考えていたが、それが王家相手だとは思いもしなかった。
ジュディスが家族を心配して、思い悩んでいた事にも気付けなかった事を悔やむ。
てっきり、アイザックと結婚した未来が見えなかったからショックを受けていたのだと思っていたくらいだ。
王家との戦争になるなど、ジュディス本人以外に誰が思うだろうか。
「実はウィルメンテ侯と議会の話を進めようとしていたところです。王党派の彼を引き入れる事で、王家に対する配慮を忘れてはいないとアピールするつもりだったのですが……。それでは不十分だったようですね」
アイザックは「自分から裏切る気はなかった」と主張し、ジュディスを安心させようとする。
占いの力を持つ彼女は、やはり厄介な存在である。
敵に回したくないので、なんとか誤魔化さなくてはならない。
「ちゃんと内容をわかりやすく伝えるという事が不足していて、いらぬ誤解を生んでしまったのでしょう。ジュディスさんの占いが実現しないよう、今後はよく気を付けていきたいと思います。これほどの問題。誰かに話せば、大きな問題となっていたでしょう。家族にも話さず、僕に直接伝えようとしてくださってありがとうございました。おかげでこれからの事をよく考えて行動するべきだと、気を引き締める事ができました」
アイザックは、ジュディスを非難したりはしない。
優しく微笑み、感謝の気持ちを述べる。
素直に感謝する事で、やましい気持ちはないと思わせるためだった。
アイザックに笑顔を向けられたジュディスは顔を背ける。
不幸なすれ違いによるものなのに、アイザックが野心のままに行動したものだと疑った事を悔いていた。
そのため、アイザックの笑顔を直視できなかったのだ。
「僕は占いの結果を知った。だから、より良い未来のために動く事ができるのです。占いと同じ結果にはならないはずです。僕の事をすぐには信じられないでしょう。ですが、ご家族は信じてあげてください」
「議会の話をする時は、サムにも出席してもらおう。まだ骨子すらできていない状態。今後、いらぬ誤解を招かない内容などを話し合う相手が多い方がいい」
モーガンもアイザックの言葉に乗ってきた。
この流れに乗るしかないと思ったのだろう。
さり気なくランカスター伯爵を巻き込もうとする。
それもそのはず、ジュディスの占いではランカスター伯爵家が味方になっていた。
占いを外さないよう、友人をガッチリ取り込む事が重要だ。
そうすれば、少なくとも自分達が負ける未来にはならない。
ランカスター伯爵も、新政権で重要な地位を得られるはずなので、悪い話ではないはずだった。
「今の話を聞く限り、その方がよさそうだな。案はそちらに任せる。調整が必要そうなところで意見を言おう」
ランカスター伯爵は、モーガンの言葉に賛同する。
アイザックには恩があり、モーガンとは友情がある。
道を踏み外さないよう、指摘する者として協力しようと考えた。
ランカスター伯爵家の力は頼り甲斐があるうえ、前外務大臣としての人脈を持つランカスター伯爵本人の協力も頼もしいものだった。
――王党派であるカニンガム男爵の深読みのおかげで、王家を裏切ろうとしているアイザックが助けられる。
この一連の流れ自体は、アイザックにとって都合のいいもの。
だが、手放しで喜べるものではなかった。
新たな悩みが増えてしまったからだ。
(俺が玉座に着くか……。知りたくなかったな、そんな事……)
――自分の未来を知ってしまった。
そのせいで、却って未来がわからなくなってしまったせいだった。
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