第365話 ダミアンは明日から本気を出す

 校庭に向かうと、すでに人だかりができていた。

 人の壁で見えないが、すでに模擬戦が始まってしまっているようだ。

 しかし、アイザック達には関係ない。

 アイザック達が見学にきたとわかると、人だかりが割れる。


 今回はアイザックとランドルフのコンビである。

 年老いたモーガンと違い、今後二十年、三十年と貴族社会で付き合っていく相手だ。

 ちょっとしたすれ違いで機嫌を損ね、長い間冷や飯を食わされるような事は御免被る事態である。

 たかが模擬戦のために、ウェルロッド侯爵家一行の前を塞ぐような真似をする者などいなかった。


 アイザックは「こういう時には肩書きって便利だな」と思うものの、不便なところもある。

 見やすい最前列は、自然と高位貴族が集まる場所となる。

 当然、他の侯爵家の者もいるという事だ。

 今回は、ウィルメンテ侯爵が家族を連れていた。

 フレッドが出るので、当然とも言える。

 だが、アイザックとしては嬉しくない事もある。


「これはこれは、エンフィールド公にサンダース子爵も模擬戦の見学ですか?」


 ――ウィルメンテ侯爵と出会ってしまった事だ。


 最前列の見やすい場所。

 という事は、当然他の高位貴族もいるという事である。

 もっとも、今のアイザックにとって、ランカスター伯爵と出会うよりはマシのはず。

 それでも、彼とは会いたくなかった。

 いや、正確に言えば、彼が連れている家族と出会いたくなかったと言うべきか。


「みなさん、お久し振りです」


 アイザックが最も恐れる男。


 ――ローランドだった。


 ケンドラがリサやブリジットから手を放し「久し振りー」と彼のもとへと近づいていった。

 その姿はアイザックに未来の姿を想像させ、同時に絶望させる。


(もっと早く処理しておくべきだったか……)


 今は自分の事で精一杯という状況である。

 ローランドを、どうにかする事など考える余裕などない。

 余裕のある時期に、二人の仲を引き裂かなかった自分の判断が悔やまれる。

 二人の姿をジッと見つめる。


 そんなアイザックの姿を見て、ウィルメンテ侯爵は焦る。

 彼は「アイザックがメリンダの時のような事が起きるのを警戒している」と思っている。

 そのため、アイザックがローランドの事をジッと見ているのも「将来、ローランドが行動を起こした時にどうやって処分してやろうか」と考えているのだと受け取った。

 一通り挨拶が済んでから、彼は行動に出る。


「ドラゴンとの交渉成立、おめでとうございます。さすがはエンフィールド公といったところですな。色々と・・・忙しそうだったので先週は控えておりましたが、今週末にでも家族揃ってお祝いに伺わせていただきます。未来の親族として」


 ウィルメンテ侯爵の言葉に、アイザックが鋭く目を光らせる。

 その反応を見て「本当に話したい内容に気が付いたのだな」とウィルメンテ侯爵は思った。


 ――アイザックとカニンガム男爵が話した議会設立に関する内容。


 それに触れた事で、鋭く目が光らせたのだと考えたからだ。

 これは王国の未来に関する重要な内容である。

 週末に屋敷を訪ねると言っておけば、モーガンも予定を空けて待っているはず。

 まずは身内・・で、計画の骨子を話しておく。

 そうする事で、ウィルメンテ侯爵家も最低限の立ち位置を最初から確保しておけるからだった。

 

 しかし、アイザックが目を光らせたのは、話したい内容に気付いたからではない。

 ローランドの事を考えていたところなので、未来の親族・・・・・というところに過剰反応したからである。

 とはいえ、すぐに「カニンガム男爵と話した事を、ウィルメンテ侯爵が直接話せる機会を作ってくれたんだ」と気付いた。


「それはいいですね。ケンドラにもローランドと話す機会をできるだけ作ってやりたいので歓迎致します」


 答えたのは、アイザックではなくランドルフだった。

 親同士という立場を考えれば不思議ではない。

 彼はウィルメンテ侯爵の言葉を、そのままの意味で受け取っていた。


「ネイサンの友達だったフレッドも思うところはあるでしょうが……。そろそろ連れてきてくださっても良い頃ではないでしょうか」


 そして、余計な提案までしてしまう。

 これはウィルメンテ侯爵も迷った。

 最近は落ち着いてきたが、フレッドがアイザックを嫌っているのは変わりない。

 ランドルフの提案を、アイザックがどう思っているのかチラリと見る。

 アイザックは「えっ、何言ってるの?」という表情をして、ランドルフを見ていた。

 その姿を見て、ウィルメンテ侯爵は決断する。


「そうだな、フレッドも連れていこう。遺恨があるとはいえ、弟と義妹の関係を祝福できるようになってもらわねば困る。意識を変えさせるいい機会だろうからな」


 これは「アイザックがどう反応するのか見たい」という気持ちも含まれている。

 あのアイザックが露骨なまでに嫌そうな反応を見せたのだ。

 逆に「連れてこい」という意思表示なのかもしれない。

「ウィルメンテ侯爵が俺の顔色を窺って配慮した」という反応を見るための演技という可能性だってある。

 ならば、見下されないためにも、ただ前に進むだけだ。


 本当に嫌がっていたのなら、それは自分でなんとかすればいい。

 ドラゴンですら説得できたアイザックだ。

 フレッド一人くらい、いなせないはずがない。

 ランドルフからの要請なので、正当な申し出に正当な返答をしただけである。

 アイザックに非難されるいわれもない。

 彼にとって、アイザックを試せるいい機会でしかなかった。


「ところで、学生生活を通じてフレッドとエンフィールド公との関係も変わりましたか?」

「クラスが違いますし、放課後の過ごし方も違うので話す機会がありません。一度、王家のためを思うのなら、王家を支える僕らがいがみ合う事はないという話を去年させていただきました」

「去年、あぁなるほど」


 フレッドがうざかったので、適当にその場しのぎの話を一年生の時にした事がある。

 その時、自宅でもいくらか変化があったのだろう。

 ウィルメンテ侯爵が思い当たる事があるといった様子を見せる。


「ならば週末は安心ですね。念のために大人しくしているようには言っておきましょう」


 そう言って、ウィルメンテ侯爵はランドルフと雑談を始める。


 内容は――


「学生達の前で槍捌きを披露してみては?」

「いやいや、そんな恥ずかしい真似はできませんよ」


 ――といったものだった。


 ルシアは、ウィルメンテ侯爵夫人のナンシーと子供に関する話を始めている。

 そうなると、アイザックの周囲には手持ち無沙汰になった者が集まる。


「兜を被ってたら、誰が誰だかわかんないな」


 ブリジットが不満をつぶやく。

 クロードはエドモンド達と共に来賓席に向かったが、彼女はアイザックに付いてきていた。

 アイザックによる解説を望んでいたのだろうが、今回はルーカスが答える。


「鎧を着ている場合は紋章で判断するといいですよ。順番を見る限り、次がカイとフレッドくんの模擬戦になりそうですね」

「……そうなんだ、ありがとう」


 お礼を言うが、ブリジットはまだ少し不満そうだった。

 アイザックが答えてくれるのを期待していたのに、ルーカスに答えられたからだ。

 とはいえ、教えてくれた事は事実なので、お礼を言うだけの冷静さはあった。


「ブリジットさんもリード王国に住むようになっているのですから、紋章を覚えておいた方がいいかもしれませんね」


 リサがブリジットをフォローする。

 せっかくルーカスが答えてくれたのに不満そうな態度を見せていれば、当然教えたルーカスにも不満が残る。

 だから「ルーカスが教えたから」ではなく「紋章なんてわからないよ」という意味の不満だったという事にしようとしていた。


「リサは全部の紋章を覚えているの?」

「高位貴族の家と、ある程度付き合いのある家なら……」


 ブリジットに悪意はなかったが、彼女の質問はリサにとっても聞かれたくないものだった。

 すべての紋章を暗記できる頭脳があれば、勉強で苦労などしない。

 あくまでも一般論として述べただけだった。

 二人のやり取りを見て、アイザックが小さく笑う。


「僕だって全部の紋章を覚えてないですよ。紋章を覚える専門の役職があるくらいです。簡単には覚えられませんよ。リサのように、普段付き合いのある家くらいは紋章を覚えておくくらいはした方がいいですけど」


 すべての紋章を覚えているのは、紋章を管理する紋章官である。

 あとは秘書官であったり、戦場で偵察を任される騎士が紋章を人より多めに覚えているくらいだろう。

 ほとんどの者がリサと同じように、限定された範囲内でしか覚えていない。


「ルーカスは文官を目指しているから、秘書官に任命された時のために色々と覚えているみたいだね」

「自分の適性がわからないから、文官になったあとの選択肢を広められるようにしておいた方がいいからね」


 どんな部署に割り振られるかわからない以上、幅広く対応できるようにしておいた方がいいに決まっている。

 アイザックとは違う形ではあるが、ルーカスも将来の事をしっかり考えていた。

 紋章の事で軽く雑談をしていると、カイとフレッドの出番となった。


(カイも手柄を立てたせいで可哀想な立場になったなぁ……)


 フレッドに対して、周囲が自主的に配慮をしてしまっている事は、アイザックもよく知っている。

 下手に勝とうものなら、フレッドの不興を買ってしまう。

 だから、フレッドの相手はカイに任されるのだ。

 カイならばフレッドに勝ってしまっても、彼に恥を掻かせなくてすむ。

 すでに戦場で手柄を立てているので、見物人も「仕方ない」と思ってくれるからだ。


 それに、フレッドやウィルメンテ侯爵家の不興を買っても問題ない立場である。

 カイはアイザックの友人であり、ウェルロッド侯爵家にとっても貴重な人材だからだ。

 彼ならば閑職に回される心配がない。

 そのため、フレッドの対戦相手としてカイが最適だった。

 カイ本人にとっては、迷惑極まりない事だろう。

 その事がわかっているアイザックは、カイに同情していた。


 二人の試合は、去年と同じような内容だった。

 カイが自分の力を見せつつも、最後はフレッドに勝利を譲るという予定調和の結末である。

 去年よりも負ける姿に慣れを感じるのが切なさを感じさせる。


 ポールは上級生との試合だった。

 こちらは順当に成長を感じさせる試合展開になっていた。

 カイも適度に抑えながら戦うという実力が必要な芸当を見せてくれたが、やはり本気で戦う試合の方がアイザックにはわかりやすい。

 上級生共々、将来性を感じさせる内容だった。


 友人達の試合は問題のないものだった。


 ――しかし、問題はこのあとに起こる。


 去年同様、ニコルがダミアンとの試合に臨んだ。

 だが、今年は勝ってしまったのだ。

 しかも、あっさりと。

 ダミアンは負けたあと、体育館裏の方へ走り去っていった。

 これはアイザックにとって、大きなショックを受ける出来事だった。


(なんでだよ! なんで勝ったりしたんだ? なにがお前を変えてしまったんだ……)


 ニコルは、チャールズやマイケルをたぶらかしていた。

 つまり、逆ハーレムエンド一直線の行動を取っていると思われていた。

 だが「ここでダミアンに恥を掻かせてしまっていいものか?」という疑問が浮かぶ。


 ――逆ハーレムエンドをぶち壊すような行動になってしまっていないか?

 ――ジェイソンの攻略をやめるきっかけにならないか?


 そう思うと、アイザックは落ち着いてはいられなかった。

 幸いな事に、ルシアもオロオロとしていた。

 友人の息子が、衆目の前で恥を掻いたのだ。

 彼女も平静ではいられない。


「母上、ちょっとダミアンの様子を見てきます」

「ええ、そうね。そうしてくれると助かるわ」


 どうなるのかが気になっていたので、ダミアンの様子を見るという口実を作った。

 アイザック自身も顔見知りではあるが、友人や親友と呼べるような関係ではない。

 そのため、ルシアの心配を利用させてもらった。


「僕も付いていくよ」


 ルーカスが同行を申し出てきた。

 その事をアイザックは不思議に思う。


「普通の人は、アイザックに心配されても『成功者に失敗した人間の気持ちがわかるのか?』と反発してしまうものさ。僕みたいな凡人の言葉の方が耳を傾けやすいはずだよ」


 アイザックが理由を尋ねる前に、ルーカスが説明してくれた。


(俺も失敗はしてるんだけどなぁ……)


 そうは思うものの、同世代には真似のできない大きな成功をいくつも収めている。

 成功者というイメージが強いのは事実だろう。

 ルーカスもダミアンとの付き合いはないはずなので、アイザックのために同行を申し出てくれている。

 その気持ちはありがたいものだった。


「わかった。一緒にきてくれ」

「私もいく」


 ルーカスに同行を頼むと、ブリジットも同行を申し出てきた。

 アイザックよりも付き合いが長いので、むしろ彼女の方が適任なのかもしれない。

 だが、今回ばかりは任せられなかった。


「ブリジットさんはやめておいた方がいいよ。女の子に負けたあと、女の子に慰められるとプライドを傷つけそうだからね。今度会った時に慰めるのもなしで、とりあえず触れないようにしてあげてよ」

「うーん、そういうものかなぁ……。わかった。気を付けるけど、あとでどうなったか教えてよね。私だって心配なんだから」

「話してよさそうなら、ちゃんと教えますよ」


 渋々ながら、ブリジットもわかってくれたようだ。

 結果的にどうなったかを教える事を約束し、ルーカスと共に人混みを抜けてダミアンのもとへ向かった。


 アイザック達が体育館に近付くと、ダミアンの声が聞こえてきた。

 いきなり突入したりせず、アイザックは耳を傾ける。


「そうか、そうだったんだね。ずっと僕の事を馬鹿にしてたんだ。去年だってわざと負けてたんだな! 本当はあんなに強かったなんて……」

「違うわよ。私だって努力したんだよ。でも、ダミアンくんは違うよね?」


 ダミアンが話しているのはニコルだった。

 慰めるためにきているのかと思ったが、そうではないようだ。

 アイザックは動悸が激しくなるのを実感する。


(今、会話に入っていくか? それとも、様子を見た方がいいのか? くそっ、きっとこれは俺のせいだ。ニコルに急いで攻略するなと忠告したせいで、きっとおかしくなってしまったんだ)


 アイザックは、ニコルの方針転換を自分の言葉のせいだと後悔する。

 彼女の行動を変えるきっかけとなれば、それくらいしか思い浮かばなかったからだ。


(きっとダミアンの代わりに、俺をゴメンズに選ぶとかそんな理由だろう。ダミアンを助けられてよかったと素直に喜べないのが悲しい……)


 考えが正しいのなら、ダミアンの代わりに自分が狙われているという事だ。

 ダミアンに「よかったね」などとは言えない事態である。

 しかし、アイザックの心配は杞憂となって終わる。


「フレッドくんにでも遠慮して、本気を出そうとしていないじゃない。ダミアンくんは本気を出して頑張ったら、もっとやれる人だと私は思っているんだよ。周囲に配慮できる人は、それはそれでいいと思うよ。でも、配慮を理由に本気を出さない人って私は嫌いだな。才能のある人が才能を無駄にしているなんて、もったいないじゃない。もっと頑張りなさいよ」


 ニコルの言葉を聞いて、ダミアンの表情が変わる。

 まるで「本当の自分の理解者に巡り合えた」と言わんばかりの驚きの表情だった。


「本当の僕に気付くなんてね、フフフッ」


 そして、観念したかのような表情に変わった。


「わかった、明日から本気を出す」

「ならよかった。恥を掻かせてごめんね。でも、これくらいしないと本気を出してくれないと思ったの」


 どうやら、ダミアンを模擬戦で負かす事がイベント進行のフラグだったらしい。

 ニコルはニコルだったとわかり、アイザックは安心する。


(でもさ、お前に本気出せって俺も言ったじゃないか。なんで、初めて言われたみたいな反応をしているんだよ)


 安心したので、そんな事を考える余裕も出てきた。


「無駄な心配だったみたいだね。戻ろうか」

「そうだね」


 ルーカスに小声で話しかけて、家族のもとへ戻ろうと伝えた。

 彼も心配はないと思ったらしく、あっさりと同意する。

 道中、アイザックはダミアンのいた方向を何度か振り返っていた。

 だが、ルーカスにはダミアンの事など気にする素振りなどなく、アイザックの様子をジッと見ているだけだった。

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