第363話 憂鬱な文化祭
「……アイザック、どうするつもりだ?」
屋敷に帰ると、ランドルフが尋ねてきた。
内容は聞くまでもない。
「アマンダやロレッタの想いにどう応えるつもりだ?」というものだろう。
それくらいは、アイザックにもわかる。
「よく考えます。軽々しくは言えない事なので」
だが、アイザックには、これくらいしか答える事ができなかった。
政治的な価値を高める努力をして、パメラを手に入れる土台作りは頑張っていた。
その事は、よく考えて行動していたので理解している。
しかし、副次的効果までは考えが及ばなかった。
女の子に惚れられるなど、想定の範囲外の出来事だったのだ。
一度、考え直す時間がほしかった。
「アイザックの言う通りよ。安易に答えを出せるような問題じゃないもの。ちゃんと選ばないと大変な事になりそうですから」
ルシアがアイザックの肩を持つ。
彼女の顔を見て、ランドルフは顔を曇らせる。
「すまない。私が公の場でメリンダを娶ると言ってしまったばかりに、苦労をかけてしまった……」
「違うわ、その事を言ったんじゃないの。アイザックの相手は、王女殿下と侯爵家のご令嬢。どちらを選ぶにせよ、後を引かないように気を付けないといけないという意味で言ったのよ。だって、私達の時とは比べものにならないほどの規模の問題になるんですもの」
ランドルフが慙愧の念に堪えないという表情をすると、ルシアがすぐさまフォローする。
彼女は本当にアイザックの事を心配して言っただけだ。
当てつけのために言ったわけではない。
ただ、ランドルフが当てつけだと思ってしまう程度には、二人の境遇が似すぎていた。
「とりあえず、家の存続を第一に考えます。ですから、時間をください」
そう言って、アイザックが話を終わらせようとする。
メリンダとネイサンが生きていれば、何か上手くまとめる事ができていたかもしれない。
ランドルフが挽回するチャンスを失ったのは、アイザックが殺してしまったからである。
この話題には、アイザックも触れたくはなかった。
しかし、思うところはある。
(そうだ、親父みたいな事になる可能性だってあるんだ。下手に言質を取られるような事は言えない。……考えて答えが出る問題なのか?)
――他人の好意をどう避けるか。
アイザックには、他人を罠に嵌めるよりも難しい問題に思えた。
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『下手の考え休むに似たり』
どうするか考えてはいたが、答えが出ないまま時間は過ぎる。
アイザックは友人と共に登校する。
今日は文化祭だった。
今回は準備に関わらなかったし、そもそも部活がない。
気球が見世物として用意されているらしいが、準備はレイモンド達がやってくれている。
一学生として楽しめるはずだった。
しかし、楽しめる状況ではない。
同じクラスにはアマンダもいるし、校内にはロレッタやジュディスもいる。
特にパメラと顔を合わせたら、気まずい思いをするだろう。
命の危険がないのに、ドラゴン対策へ向かう時よりも足取りが重く感じていた。
「おはよう」
「おはよう、アイザックくん」
怖いと思っていても、顔を合わせれば挨拶をしなくてはならない。
アイザックからアマンダに声をかけた。
彼女は何もなかったかのように、いつも通りの返事を返してくれる。
だが、表情は以前とは違う。
どこか照れが混じっていた。
とりあえずアイザックは、クラスメイトからパーティーの件で質問の嵐が来る事を覚悟しながら席に着く。
しかし、彼らは「ドラゴンって、どんなのだった?」と聞いてきたくらいである。
アイザックは拍子抜けするが、これはアイザックの隣にアマンダが座っているからだった。
アマンダの前で――
「凱旋パーティー凄かったね! どっちを選ぶの? それとも両方?」
――などと聞く無神経な者などいない。
いくらアイザックと友達だったとしても、ウォリック侯爵家に喧嘩を売ってしまっては、ただでは済まない。
興味があったとしても、貴族の子弟として、人として求められる最低限のマナーで、ドラゴンの話で我慢するべきところだと理解していた。
一応ドラゴンの話も興味はあるので、ロレッタとアマンダの話には触れずに済んでいた。
アイザックは、クラスメイトの質問に答えていく。
その間、アマンダはティファニーと共にアイザックの話を静かに聞いていた。
それは教師が現れるまで続いた。
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朝のホームルームが終わると、生徒達は教室を出ていった。
部活の出し物があるからだ。
アイザックはルーカスに話しかける。
「あれ? 気球を見せるんだよね? 僕達は行かなくてもいいの?」
「気球は先生達が上げてくれるから。保健の先生は火の魔法が苦手だから、近衛騎士まで来て手伝ってくれるんだって。顔を出す必要はあるだろうけど、急がなくても大丈夫だよ」
「へー。なら、レイモンドを誘って行ってみるか」
アイザックは隣のクラスにいるレイモンドを誘おうとする。
だが、その必要はなかった。
誘う前に、本人がやってきた。
「おはよう、アイザック。色々話を聞きたいところだけど、ポールやカイのいる時にまとめての方が楽でいいかな?」
やはり、彼も色々と気になっているようだ。
だが、いきなり「聞かせろ」と言ったりはしない程度の節度を持っている。
何度も同じ事を話すのは面倒だろうと思い、みんなが集まった時に聞かせてほしいと言う。
とはいえ、アイザックに配慮はしつつも「教えてくれ」というところは譲る気はないらしい。
聞く事を前提にして動いている。
これはゴシップ好きなのではなく、アイザックのための行動である。
状況がわからねば、いざという時にフォローに回れない。
アイザックのためにも、情報の伝達はちゃんとしておいてほしいという意味だった。
「そうだね。そうしてくれると助かるかな。でも、歩きながら話せる内容なら大丈夫だよ」
「じゃあ、あのあとアマンダさんとどうなったのか教えて!」
ルーカスが思いっきり食いついてくる。
これにはアイザックも苦笑いを浮かべる。
「やっぱり、そこかぁ。目の前で起きた事だし、やっぱり気になるよね。だけど歩きながら話すには厳しい内容だから、それはまたあとでね。ドラゴンの話なら廊下を歩きながらでも大丈夫だし、そっちにしよう」
そう言って、アイザックは歩きながら土産話を始める。
二人の目の前でアマンダに話したいと言われたのだ。
他の誰よりも、アマンダの件がどうなっているのか気になっているだろう。
だが、誰に聞かれるかわからない状態で話せる内容ではない。
無難なドラゴン関係の話をしながら、気球の準備しているところへ歩いていった。
校庭に出ると、気球が上がっているのが確認できた。
空中に浮いているだけに、遠目でもわかる。
すでに人だかりができている。
まだ気球を見た事のない者達が集まっているようだった。
アイザックが近付くと、拍手で迎えられた。
――気球を考え出した事。
――ドラゴンを大人しくさせた事。
その両方に送られたものだった。
アイザックは照れ笑いを浮かべながら、片手を軽くあげて拍手に応える。
道を開けてくれたので、気球を上げている教師達のもとへ向かう。
「お疲れ様です。何か問題はありましたか?」
「問題はない。気球を見た事がある近衛騎士の方々が手伝ってくれたからね。今後あるとすれば、どうして温かい空気を送り込むだけで浮かぶのかの説明を求められる事かな。こういう時、ピスト先生がいてくれれば上手く説明してくれたんだろうけど……」
教師が苦笑する。
ピストに頼りたいと思う時が来るとは思ってもみなかったからだ。
アイザックも上手く説明する事ができない。
温度変化による空気の膨張などを説明しようにも、まずは気体の説明をしなければいけない。
空気の存在は知られていても、酸素や窒素といったもので構成されていると証明しなければならないからだ。
さすがにそこまで説明できる自信はない。
「校舎のような大きさのドラゴンが空を飛ぶんです。ずっと軽い布と皮の塊が空中に浮かんでも不思議ではないでしょう」
そのため、このように誤魔化す事しかできなかった。
「ドラゴンは魔法を使ってるんじゃないかという学説もあるけど、気球はなぁ……。木炭で飛ぶとか信じられん」
だが、この世界の人間には気球の方が不思議な物のようである。
「魔法なら何が起きても不思議ではない」という認識があるのだろう。
アイザックも「ドラゴンが魔法で飛んでいるなら仕方ないか」と思ってしまう。
「本当はここでみんなに説明をしてほしいところだけど、今回はかまわない。私達でやっておく。家族や友達と一緒に文化祭を見て回るなど自由にするといい」
「ありがとうございます」
ドラゴン相手に交渉した効果は、一般教員にまで影響があったようだ。
長旅から帰ってきたという事もあり、アイザックに配慮してくれている。
もしかしたら、学院長の影響なのかもしれない。
アイザックとしても断る理由がないので、その申し入れをありがたく受け入れる。
「僕は家族を待とうかな。二人はどうする?」
「じゃあ、アビゲイルの様子を見に行こうかな。一度は見に行かないと拗ねそうだし」
「なら、僕はしばらくアイザックといるよ。シャロンはパメラの手伝いをしているみたいだからね」
レイモンドは自分の婚約者に会いに行き、ルーカスはアイザックが家族を待つ間の話し相手として残る事になった。
気球のところにいれば来るだろうと思い、その場で待つ事にする。
残念ながらルーカスと話すよりも、気球の説明を手伝ったりするので忙しかった。
体感で一時間ほど経った頃。
ようやく家族の顔が見えた。
今回は両親にケンドラとリサの四人で、祖父母は来ていないようだった。
家族を見つけると、教師や近衛騎士に声をかけてから、家族のもとへ向かう。
「やっぱり、気球は大人気のようだな」
「ええ、今は珍しいですから」
ルーカスは何度も家に来ているので、今更紹介はしない。
お互いに軽く挨拶を交わすだけだった。
「ちょうどいいわ。一緒に回りましょう。学校でのアイザックの様子とかも聞いてみたいから」
ルシアがとんでもない事を言い出した。
一緒に文化祭を回るのはいいが、学校での様子を聞かれるのは気まずい。
ロレッタやアマンダの事があったので気になるのだろうが、あまり話してほしくない事だった。
それはルーカスも同じである。
アイザック本人がいるので下手な事は言えない。
だが、ルシアは次期ウェルロッド侯爵夫人であり、戦争の英雄のサンダース子爵夫人でもある。
しかも、彼女がアイザック並の謀略家だという噂も流れている。
下手に断ったりして、敵視されたりしたら目も当てられない事態になってしまう。
「わかりました」と答えて、アイザックが怒らない範囲の内容を話すという答えしか選べなかった。
「母上は心配し過ぎです」
「あら。なら、リサにも同じ事が言えるの?」
「それは……」
アイザックはリサを見る。
彼女はいつも通りの表情をしている。
だが、内心はどうだろうか?
ロレッタやアマンダだけではなく、ティファニーやジュディスとの関係も怪しむ状況だ。
心穏やかな状態ではいられないはず。
(安心させる必要があるけど……。今は行動で示すべきか)
そう思い、アイザックはリサに手を差し伸べる。
手を組んで一緒に文化祭を回ろうという意思表示だ。
これならば「自分の婚約者はリサだ。蔑ろにはしない」と、みんなにわかってもらえるはずである。
リサもアイザックの意図を感じ取ったのだろう。
手を取ろうと腕を動かす。
しかし、アイザックの手を先に取った者がいた。
――ケンドラだ。
ここ数日、一緒にいるはずなのにアイザックを含む家族と別行動になってしまっていた。
その寂しさから、アイザックの手を真っ先に握ってしまう事になったのだ。
アイザックも「空気を読め」と言って振り払う事ができなかった。
――ケンドラの右手はアイザック、左手にはリサ。
兄と姉を両手にしたケンドラの笑顔は、とても素晴らしく、とても愛おしいものだったからだ。
リサも少し残念そうな顔を見せるが、すぐに笑顔に変わる。
これはこれで、文化祭を回るのが楽しめそうだと思ったからだった。
将来のいい予行演習になる。
これはメイド達に「ケンドラ様の手を引いて、三人で歩く姿は夫婦みたいに見えていた」と言われた事が影響している。
彼女も婚約者としての意地がある。
だから、まだ見ぬライバル達に、アイザックとの関係を見せつけておきたかったのだ。
――「私達はこれだけ仲がいいんだぞ!」と。
これは婚約者の立場だからできる事だ。
婚約者でなければ、男爵家の娘など簡単にアイザックの近くから弾き飛ばされる。
アイザックが女を大事にするタイプなのは周知の事実。
すでに夫婦のような雰囲気がある事を見せつけていれば、正妻にも酷い扱いはされないだろう。
そんな事をすれば、アイザックに嫌われてしまうからだ。
リサはアイザックに頼るばかりではなく、自分でもできる範囲で身を守ろうと考えていた。
その考えは、一部の女子に衝撃に与える事になった。
二人と手を繋ぐケンドラの姿を見て「えっ、もうあんなに大きな子がいるの!?」と驚かせたからだ。
これはリサが年上の女性だというのが影響している。
「リサと婚約したのは、アイザックが手を出してしまったからでは?」と、つい勘ぐってしまったのだ。
しかし、すぐにアイザックに妹がいた事を思い出し「あれはケンドラだ」と心を落ち着かせる。
――だが、落ち着いたら落ち着いたで、すぐに「自分があの立場になってみせる」と心を燃やし始めた。
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