第361話 アマンダの待ち伏せ

 テストは問題なく解き進める事ができた。

 採点は、次のテストをやっている間に行われる。

 結果、アイザックもニコラスも百点が続く。

 だが、最後のテストである社会科で、ニコラスは九十五点を取ってしまった。

 その時、彼はすかさず一束の書類をカバンから取り出す。


「そういえば、レポートの提出を忘れていました。同行した者から見た、エンフィールド公の姿をまとめたものです。これはこれで歴史的な価値があるはずです」


 それはアイザックが検閲したニコラスの日記を、レポート形式に直したものだった。

 ある程度詳しく時系列に沿って書かれているので、どんな事があったか知りたい者には喉から手が出るほど欲しいものである。

 社会科の教師は、パラパラと内容を確認して笑みを浮かべた。


「課外授業ではレポート課題という形式もある。テストの点数は成績には関係しないものだが、このレポートだけでも百点分の価値はある。どうせ記録には残らないんだ。今回の点数は百点としておこう」

「ありがとうございます」


 ニコラスの賄賂は、咎められる事なく受け取ってもらえたようだ。

 抜け目のない行動に、アイザックは呆れる。


「アイザックくんは……、どうかな?」

「僕は何もありませんね。学校にレポートを提出するのは、まず報告書を仕上げてからになるでしょう」

「そうかい……。なら、できるだけ早く頼むよ」


 アイザック本人のレポートがあれば、ニコラスのものと合わせて精度の高い事実を知る事ができたはずだ。

 知識欲を満たせなかったので、教師は残念がる。

 しかし、すぐに気を取り直す。

 後日、レポートを提出してもらえるという。

 すぐに知りたいと思う気持ちは強いが、少しの間だけ我慢すればいい。

 今はニコラスのレポートがあるだけマシだと、前向きに考え始めたからだ。


「それじゃあ、これで今日は終わりだ。明後日には文化祭がある。みんなと準備をしたりして思い出作りはできなかったが、それ以上の思い出を二人は作る事ができただろう。今日はゆっくり休むといい。そして、明後日から友人達との思い出作りに励みなさい」

「はい、先生」


 アイザックは教師に返事をしたあと、ニコラスと共に教室を出る。

 そして、廊下で彼に話しかける。


「このあとどうするんだ?」

「僕は部活に顔を出していきます。彼らと顔を合わせておきたいので」

「そうか、ならまた明日か明後日だね。長旅のあとだから無茶をしないように気を付けて」


 ニコラスが部活にいくのなら、部活のないアイザックはこのまま帰るだけだ。

 彼が明日同席するかわからないので「また明後日」とも言っておく。


 アイザックは、ニコラスと別れると昇降口へ向かう。

 ニコラスと同じようにクラスメイトに会いに行くべきなのかもしれないが、アマンダと会ってしまう可能性があった。

 それでは学院長の配慮を無駄にしてしまうので、今日は真っ直ぐ帰る事にした。


「あっ、アイザック。お帰り」

「怪我がなくて何よりだよ」


 昇降口ではレイモンドとルーカスが待っていた。

 彼らが「アイザック」と言ったので、帰ろうとしていた生徒達の視線もアイザックに集まった。


「やぁ、久し振り。帰ってきたら、いきなりテストを受けさせられて驚いたよ。こうなるとわかっていたら、もっと勉強を頑張っていたのにさ」


 アイザックは笑顔で返事をする。

 これは作り笑いでも、雰囲気を誤魔化そうとする笑顔ではない。

 本心からの笑顔だった。

 こうして彼らと顔を合わせると、日常生活に戻ってこられたのだと実感できる。

 それが何よりも嬉しかった。


「このあと用事はあるの?」

「旅の話を聞かせてよ」

「いいよ。じゃあ、いつもの店に行こうか」


 アイザックは自分の店に行こうと誘う。

 あそこなら学校から近い。

 帰りにちょっと寄ってお喋りするというのには最適だった。

 

 下校しようとすると、見知らぬ生徒からも「お帰りなさい」と声をかけられる。

 アイザックはまるで漫画やゲームに出てくる人気者になったような気分になり、上機嫌で彼らに返事をしたり、笑顔を向けたりして応える。

 上機嫌だった彼が、突然顔を凍り付かせる。

 それは、校門で待っていた女子生徒の姿が原因だった。


 ――一人はアイザックと変わらない背丈の生徒で、もう一人は子供と見間違えそうな小柄な生徒。


 そんなデコボココンビは一組しか知らない。

 一瞬「裏門から出よう」と考えるが、それはできなかった。

 アイザックの姿に気付いたアマンダが、手を振ってきたからだ。

 恋する乙女の瞳は、その対象を見つけるのが早かった。

 アイザックは泣きそうな気分になるが、笑顔のまま彼女達に近付く。


「アマンダさん、昨日は失礼いたしました。屋敷に帰ってから使者を出そうと思っていたところです。ちゃんとお話するのに都合のいい日がございますか? 後程ウォリック侯爵にも予定を伺うつもりですけど」


 アイザックは機先を制して話しかけた。

 帰ろうとしていた理由を説明しなければならない。

 絶対に「友達とお茶を飲みに行くつもりだった」などとは言えない状況である。


「うん、実はその事で話があったんだ。もしよかったら、今日話せないかな? ボクの気持ちがはっきりしているうちに話したいんだ。もちろん、用事があるなら違う日でもいいけど……」


 アマンダは、レイモンドとルーカスをチラリと見る。

 友達の大切さは彼女もよくわかっている。

 アイザックが彼らと過ごしたいというのなら、後日にしてもよかった。

 ただ、やはり「強い気持ちが胸の中に残っているうちに、アイザックに気持ちを打ち明けたい」という思いがあるため、校門で待つという行動を取ってしまった。


(予定を決めるって言ってたのに、こうやって催促するなんて……。落ち着きのない女だなって思われたりしないかな……)


 感情の赴くままに動いてしまったが、アイザックは「話をしない」などとは言っていない。

「後日、予定を決めて話す」と言っていた。

 アマンダは自分の行動を恥じて、アイザックから視線を逸らす。 


 その行動が、アイザックにアマンダの考えに確信を持たせる。


(ひえぇぇぇ、怒ってる。怒ってるよ。そりゃそうだよな。男友達と遊ぶ暇があったら、自分に謝りにこいって思うよな。せめて、教室に寄っていくくらいはしろって思っても仕方ない。やばい、やらかした)


 アイザックは、彼女が視線を逸らしたのは怒りによるものだと思っていた。

 その理由は至って簡単。

 アマンダから逃げるかのように、早く家に帰ろうとしていたからだ。

 アイザックの持つ後ろめたさが、アマンダに咎められているという印象を与えていた。


「大丈夫ですよ。彼らと話す事はいつでもできますが、アマンダさんへの謝罪と説明は何よりも優先しなくてはいけないと思っています。喜んでご説明させていただきます」


 ――死を必すれば則ち生き、生を幸(こいねが)えば則ち死す。


 安全な道を選ぶのもいいが、それでは縮こまって必要な行動を取れなくなってしまう。

 死を覚悟して前に進む事で、全力を尽くさなければならない状況にした方が生き残れる。

 戦場ではなく、アマンダとの話し合いでここまでの覚悟をすることになるとは、以前なら考えもしなかった。

 しかし、今は覚悟を決めて行動せねばならぬ時である。

 貴族として、一人の男としての名誉がかかっている。

 今後のために、格好をつけねばならなかった。

 最初に逃げようと考えていなければ、少しは格好よかったかもしれない。


 アマンダは、どのように話題を切り出そうか迷っていた。

 催促する事でアイザックに嫌われたりしないか心配だったからだ。

 だが、アイザックの方から話を切り出してくれたので、助かった気分だった。

 今のアイザックが公爵という立場を使って「あれは仕方がなかった事だ。もう忘れろ」とでも言えば、説明を求める事すら難しい。

 しかし、アイザックは立場を利用して逃げたりしなかった。

 アマンダには、男らしい姿を見せるアイザックが格好よく見えていた。


「ウォリック侯爵も気になられているはず。本日はご在宅でしょうか?」

「う、うん。今日は屋敷にいるって言ってたよ! アイザックくんのご家族は誰か一緒に来るのかな?」

「今回は謝罪という事もあり、当主であるウェルロッド侯が同行するべきなのでしょうが、仕事でまだ帰ってこないでしょうし……。他の者の予定が空いていれば同行するかもしれません。ですが、僕一人で謝罪に伺うという場合もあるでしょう。その時はウォリック侯爵家を軽んじていると思わないでいただけると助かります」

「大丈夫、聞いてみただけだから。軽んじているとかは思わないよ」


 言葉通り、アマンダは聞いてみただけだ。


 本当は家族揃って――


「娘さんとの婚約を認めてください」


 ――と言いに来てくれる事を期待していた。


 謝罪に来るだけではなく、期待させた事の責任を取ると言ってくれるかもしれないと。

 謁見の間でアイザックが言っていた事を考えればありえない話だが、どうしてもそんな夢を見てしまう。

 こうなると「日を改めて家族と一緒にきて」と言ったほうがいいように思えてくる。

 だが、アイザックが「行く」と言っている以上「やっぱり延期で」などとは言えない。


「……ボクの方からウェルロッド侯爵家の屋敷に行ってもいいんだけど」


 仕方ないと諦めるのは簡単だが、その前にアマンダは自分が出向くと言うだけ言ってみた。


「いえいえ、謝罪をしなくてはいけないのは僕の方です。謝る側が出向くのは当然の事。公爵だからといって、ふんぞり返るような真似はしたくありません。こちらから伺わせていただきます」


 だが、アイザックの誠実な態度がアマンダの試みをふいにする。

 とはいえ、ダメで元々だったのでダメージは少ない。


「うん、わかった。それじゃあ、屋敷で待ってるね」


 そう言い残すと、アマンダはジャネットと共に帰っていった。

 アイザックは友人達を見る。


「悪いけど、話すのはまた今度という事で」

「うん、そりゃそうだよね」

「どうなるかわからないけど、頑張って」


 彼らもどちらを優先すべきかなど、考えるまでもなくわかっている。

 むしろ「友達と話したいから」と断られる方が迷惑だった。

 さすがに公爵家と侯爵家の問題に首を突っ込みたくはない。

 アイザックを心配しているものの、どうぞどうぞという気持ちで見送る。


 アイザックは彼らに別れを告げて、自宅へ帰る。

 その足取りは、登校時と同じく重いものだった。



 ----------



 屋敷には両親と祖母がいた。

 本当なら、みんな一緒にきてほしいとアイザックは思っていた。

 だが、マーガレットに――


「謝りに行くのに、母親連れでは恥ずかしいでしょう。ウォリック侯爵もいるのなら、あちらに合わせてランドルフと二人で行きなさい」


 ――と言われてしまう。


 当事者と父親の二人での話し合いをしろと言うのだ。

 そんな事を言われてしまっては「ママー、付いてきて」などとは絶対に言えない。

 確認の使者が帰ってきてから、ランドルフと二人でお土産を持ってウォリック侯爵家の屋敷へと向かう。


 屋敷に着くと、ウォリック侯爵の秘書官が出迎えてくれた。

 謝罪するために訪れたので、ウォリック侯爵が歓迎しないのは当然だ。

 とはいえ、執事などの使用人ではなく、側近に出迎えさせているのでまだマシだ。

 少なくとも「絶対に許さない。絶縁だ!」という態度ではない。

 それくらい怒っているなら、公爵相手でも使用人に出迎えさせるくらいはするだろう。


 しかし、ウォリック侯爵の態度に甘える事はできない。

 相手の態度に甘えた時点で、謝罪の意味がなくなってしまう。

 申し訳ないという気持ちはあるので、できる範囲で精一杯の謝罪をするべきである。

 アイザックは、ウォリック侯爵に会う前に気を引き締め直す。


 案内された部屋には、ウォリック侯爵とアマンダの二人が待っていた。

 さすがにアマンダの親友でも、ジャネットは今回同席しなかったらしい。

 完全に家同士・・・の話し合いという事だろう。

 アイザックは緊張して、ゴクリと唾を飲み込む。

「父はどうなのだろうか?」とチラリと見る。

 ランドルフも、やはり緊張しているようだ。

 しかし、真っ先に動いたのはランドルフだった。


「この度は、誠に申し訳ございませんでした。言葉もございませんが、まずは不快な思いをさせてしまったことをお詫びしたく、親子共々伺わせていただきました。息子に謝罪と事情の説明をさせていただきたく存じます」


 彼は「自分の息子」という事を主張する。

 エンフィールド公爵という立場であれば、アイザックも肩書きが邪魔をして素直に謝れないかもしれない。

 それに、こうしておけば「公爵が侯爵に頭を下げた」ではなく「ウェルロッド侯爵家の子供が頭を下げた」といった印象をウォリック侯爵に与えられるかもしれない。

 これが通じるかどうかはわからないが、これもアイザックのキャリアのため。

 この場に限り「エンフィールド公爵」ではなく「ウェルロッド侯爵家次期当主の息子」という立場にしてやろうと、彼なりに精一杯考えていた。


「アマンダさんの気持ちを、もてあそぶようなつもりはありませんでした。しかし、後先を考えない愚かな行動により傷つけてしまいました事を心よりお詫び申し上げます。このような事になった事情をご説明致しますので、ご不明な点がございましたら何なりとお申し付けください」


 先手を父に取られたが、呆気に取られている場合ではない。

 本人が謝らねば意味がないのだ。

 アイザックもランドルフに続く。


 二人の言葉を聞いても、ウォリック侯爵の表情は硬い。

「娘を騙したな」という思いもあったが、それ以上に駆け引きのためである。

 あえて厳しい表情をする事で、アイザックに譲歩させようと考えていた。

 しかも、同行者がランドルフである。

 戦場ならばともかく、交渉の席ならば勝ち目が見えている。

「アマンダと婚約させてしまえば、こっちのものだ」と思い、有利な状況を作り出そうとしていた。


「どうぞ、お座りください」


 言葉自体は普通のものだが、どこか棘がある声色だった。

 アイザック達は演技だとは思えず、ウォリック侯爵が怒っているのだと考えて顔を強張らせながら、勧められるがまま席に着く。


「ハンカチを受け取ったのは、謁見の間で話した内容だけではありません。他にも理由があったんです」


 アイザックは深刻な表情をしながら話し始める。


 ――ハンカチを受け取ったのは、お守りとして心の頼りが欲しかったから。

 ――余裕のある態度を取っていたのは、みっともない姿を最後に見せたくなかったから。

 ――自信がなかったので、成功した時の事を考える余裕がなかった。


 これらの内容は、ティファニーに話した事と同じである。

 一度話した事なので、話の整合性を保つためにも同じ事を話す必要があったのだ。


「後先を考えない行動で期待をさせてしまった事を反省しております。アマンダさんには、心からお詫び申し上げます」


 アイザックは、ただひたすらに頭を下げる事しかできない。

 そんなアイザックの姿を見て、アマンダは悲しそうな表情を浮かべる。


「本当はね。『責任を取って婚約する』とか言ってくれるんじゃないかと期待していたんだ」


 アマンダは、心中を吐露する。

 アイザックは体を震わせた。


「でも、謁見の間で話していた事を考えると、そんな事は言わないだろうなともわかっていたんだ。例えボクがアイザックくんの事を好きだとわかっていても、そういう形では婚約しないって。責任を取って婚約をするんじゃあ、結婚したあともずっとボクが思い悩むかもしれないって心配するだろうしね」


 アマンダの瞳が潤み始める。

 彼女を心配して、ウォリック侯爵が声をかける。


「アマンダ……」

「お父さん、ボクに話させて。お願い」

「……わかった」


 ウォリック侯爵は、アマンダの好きにさせる事にした。

 同行者がランドルフだけという好機ではあるが、アイザック本人がもっとも厄介な相手だ。

 下手に責任を追及するより、アマンダの話を聞かせる方が有効かもしれない。

 女性の気持ちを大事にするなら、無視はできないはずだからだ。


「フレッドとの婚約が破談になったあと、アイザックくんがボクの婚約者として有力だって噂され始めた。最初はエルフと仲良くできる頭の良い子とボクが合うのかなって、ずっと不安に思ってた。そのあと、自分の手でお兄さんを殺したって聞いて怖かったんだ。そんな人と婚約したくないって」


(あれ? その話って聞いた事あるぞ……)


 アイザックは父をチラリと見る。

 まるでランドルフとメリンダの時のような関係だった。

 交流範囲が狭かったアイザックの耳に入らなかっただけで、アマンダには噂が届いていたのだろう。

 彼女が自分を意識し始めた理由がわかったような気がした。


「でも違った。十歳式で会ったアイザックくんは、噂とは違って優しい人だった。お爺様を思い出すような話の流れになったら、気まずそうにその場を去っていったんだもの。他人の痛みを理解できる人なんだってわかったんだ。噂で聞く恐ろしい人の姿はそこにはなかった」


 アマンダは自分の太ももに視線を落とす。

 正面を向いて、この先を話すのが恥ずかしかったからだ。


「それに、初めて屋敷を訪ねてきた時に花束をくれたよね? あの時は本当に嬉しかったんだ。初めて男の人に花束をもらったからね。ボクの事をちゃんと女扱いしてくれる人がいるんだって、本当に嬉しかった。あの時から、本気でアイザックくんの事を好きになったんだよ」


 ――アマンダの告白。


 それはアイザックに大きな衝撃を与えた。


(フレッドォォォ! お前のせいかよ! 何やってんだよ! 婚約者に花束くらい贈れよ! とんでもない事になってんじゃねぇか!)


 花束を贈るという行為に関して、アイザックは深く考えていなかった。

 他の貴族にも贈っていたので、花束一つで大事になるなどとは思わなかった。

 あくまでも「手ぶらでいきたくない」という時に持っていくための手土産だとしか考えていなかったのだ。

 フレッドがアマンダにプレゼントしておけば「初めて男の子に花束をプレゼントされた」などとは思われなかっただろう。

 気絶するまで殴ってやりたい気分だった。


「実はアイザックくんにお願いがあるんだ」


 今度は顔を上げて、アマンダはアイザックの目をジッと見つめる。


「リサさんやティファニーと結婚するならしてもいい。ボクを選んで欲しいとは言わない。だけど、ロレッタ殿下だけは選ばないでほしいんだ」

「それはなぜでしょう?」


 ――自分と結婚しなくてもいい。


 そう言うのならば、ロレッタとの婚約にも文句はないはずだ。

 ニコルとは違い、嫌ったり嫌われたりするような事もなかったように思われる。

 彼女が嫌がる理由が、アイザックにはさっぱりわからなかった。


「前に言ってたよね? 嫡男だから嫁を迎える方がいいんだろうけど、妹がいるから婿入りする事になってもかまわないって」

「……言っていましたね。嫡男である僕が家を継ぐべきなのでしょうが、状況によっては、どこかに婿入りしなくてはならない可能性もあると思っていましたので」


 しかし、それは表向きの事。

 実際は「ウィンザー侯爵家に婿入りするなら、パメラとの結婚を考えると言われた場合」を想定しての発言だったが、そんな事は言えないので、もっともらしい理由を答える。

 だが、それがよくなかった。


「その『状況によっては』というところだよ。場合によっては、ファーティル王国に婿入りしたりする可能性もあるんだよね? ……嫌だよ。アイザックくんが遠くに行っちゃうなんて嫌だよ。耐えられないよ……」


 アマンダの両目から大粒の涙が流れ始める。

 彼女は「アイザックにどこにも行ってほしくない」という事を、ずっと言いたかった。

 ロレッタを止めたのも、それが理由だった。

 リサやティファニーと結婚しても、リード王国の貴族である以上は会おうと思えば会える。


 ――では、ファーティル王国の王女と結婚して、移住してしまえばどうなるか?


 外交官でもない者が会うのは難しくなるだろう。

 パーティー会場で顔を見る事もできなくなる。

 そう思うと、耐えられなくなるほど辛かった。


「ハンカチを受け取ったんだから、ちゃんと婚約してほしいとか言わない。他の人と婚約しても文句は言わない。でも、他の国に行ったりはしないでほしいんだ。お願いだから……行かないで……」


 アマンダの言葉に、アイザックは衝撃を受け続けた。

 予想もしなかった事ばかりだったからだ。


(ちょっと待って。えっ、なに? そこまで本気で俺の事が好きだったの? どこを?)


 ここで「ハンカチを受け取った責任を取れ」と言われるのならわかる。

 しかし、アマンダはそんな事を言わなかった。

「ゲームで一番男らしいキャラ」と言われた彼女らしく、ネチネチと嫌みを言ったりもしなかった。


 だが、そんな彼女でも――


「アイザックと離れたくないから、ロレッタと結婚してファーティル王国に行かないで」


 ――と言ってしまうほど、愛されている。


 その事が、アイザックには信じられなかった。

 前世ではまったくモテなかったのだ。

 そんな自分が、ここまで真剣に愛されているとは思えなかった。

 嬉しくはあるが、それ以上に「どうしよう」という動揺がアイザックの中で渦巻いていた。


「……約束はできません」


 アイザックの返事を聞いて、アマンダがビクリを体を大きく震わせる。

 せめてものお願いが、あっさり拒否されたと思ったからだ。


「正直なところ、僕自身にもこれからどうなるかわからないんです。例えば、ロレッタ殿下と婚約しなければならない事態になる事もあるかもしれません」


 これは事実である。

 ジェイソンの目が覚めて、ニコルと別れてしまえば、パメラを諦めるしかない。

 アイザックの計画は、ジェイソンの信用が地に落ちる事が前提だからだ。

 そうなると、ロレッタかアマンダのどちらかを選ぶのが立場上自然な流れとなる。

 二人を天秤にかけた時、国家間の友好などの面を考えてロレッタを選ばなくてはならなくなる場合もあるだろう。

「絶対にアマンダを選ぶ」とは言い切れない状況だった。

 そう言ってやるべきだとはわかっていたが、できない約束はしたくはなかった。


「ですが、できるだけ国内に残れる道を探す事はお約束します。ロレッタ殿下と婚約する事になっても、嫁入りしてもらえるように提案もします。アマンダさんを妻として迎え入れると断言できれば、それが一番いいのでしょうが……」

「ううん、いいの。昔と違って、アイザックくんは凄い立場になっちゃったもんね。自分一人の考えでは動けなくなったのは仕方ないよ。まだ一年あるんだし、その間に結婚したいと思わせるようになればいいだけだからね」


 アマンダは泣きながらも笑顔を見せる。

 その気丈さに、アイザックは救われた思いだった。


「いいのか?」


 ウォリック侯爵が心配そうに尋ねた。

 今回の一件は、上手くやれば婚約にまでこぎ着けそうな状況だった。

 この状況を利用しようとしないアマンダに、念の為確認をしておきたかった。


「いいの。ハンカチを受け取ったんだから、結婚してって要求してもお互いに幸せになれないよ。アイザックくんが言ったように『こんな人だとは思わなかった』とあとで失望されるのは、ボクだって嫌だしね。はい、ハンカチの件はこれでおしまい。お土産があるんだよね。その中身次第では、完全に忘れてあげる」


 言葉とは違い、彼女自身も未練があるのだろう。

 強引に話を終わらせようとする。

 アイザックの前で泣いてしまったので、これ以上みっともない姿を見せたくないと思っているのかもしれない。


 しかし、アイザックには助かる流れだ。

 お土産には自信があるので、いくらか機嫌を直してもらえるかもしれない。

 ウォリック侯爵家の使用人に預けていたお土産を持ってこさせる。

 アマンダの前で箱が開封され、緩衝材の中からドラゴンの彫像が取り出された。


「これって、もしかして本物の鱗?」

「そうです。褒美として賜った鱗を小さく割って、彫像に貼り付けたものです。ハンカチのお礼として、これなら見劣りはしないだろうと思いましたので」

「うん、素晴らしい彫像だよ。ありがとう、大切にするね」


 アマンダが彫像の表面に貼り付けられた鱗を優しく撫でる。

 彼女の表情は、言いたかった事を言ってスッキリしているように見えた。

 その姿は、アイザックの心を大きく揺さぶり続けていた。

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