第336話 気球、それは平和の象徴

「まずは気球についてご説明いたします。これは――」


 アイザックは、まず気球が危害を加えるためのものではないという事を説明し始めた。

 火を投げ入れるための道具ではなく、空を飛ぶための第一歩だという事を主張する。

 ただ空に浮かぶだけの物であると。


「しかし、ブリジット殿も一緒にいた。魔法によって、この部屋まで誘導する。……という事もできるのでは?」


 皆の疑問を、モーガンが真っ先に尋ねた。

 他の者では「王家への忠誠を疑ったと逆恨みされるかもしれない」と考えて、質問ができないだろうと思ったからだ。

 モーガンとしては、その点をうやむやにするような事はしたくない。

 はっきりと潔白である事を証明するため、身内であるモーガンがあえて聞きにくい事を質問したのだ。


「確かにそう思われるかもしれません。お手数ですが、どなたかそちらの窓から外を見ていただけないでしょうか? 親交の深いクロードさんとブリジットさん以外でお願い致します」


 アイザックはエルフに声をかける。

 見てほしいといった窓の方角は、ウェルロッド侯爵家の屋敷がある南東方向である。

 これは付き合いの浅い者にやってもらわねばならないので、クロードとブリジットを省いた。


「ならば、私がやらせていただきましょう」


 アイザックの呼びかけに、大使のエドモンドが応じた。

 アイザックとしては異論のない相手なので、共に窓際まで移動する。

 そして、遠くに見える自宅を指差した。


「あそこがウェルロッド侯爵家の屋敷です。あそこからこの部屋、この窓を狙って魔法を撃ち込む事は可能でしょうか?」

「ふーむ……」


 エドモンドはアイザックが何を聞きたいのかをすぐに察した。

 だが、わざわざ庇うような事はしない。

 アイザックとの関係も重要だが、リード王国との友好も重要なので正直に話す事にする。


「私では狙い撃つのは非常に困難です。それでも、絶対に無理だという事ではありません。マチアス様のように実戦で攻撃魔法を使いなれた者が何度も魔法を撃てば……、といったところでしょうか。少なくとも、ブリジットのような若輩者では非常に厳しいでしょう」


 ――不可能ではない。


 その発言にアイザックは背筋が凍るような思いをしたが、そのあとの発言で安堵した。

 マチアスのような者が来ていれば嫌でも噂になる。

 屋敷にはクロードとブリジットしかおらず、クロードは王宮の会議室にいた。

 ブリジットのような若者では無理だというのなら、この会議室を狙ったという疑いはかなり晴れる。

 これでわざと・・・ではないとわかってくれるはずだった。


「これで少なくとも、ブリジットさんにはこの一件で責任がないという事が証明されました。ありがとうございます」


 アイザックがエドモンドに礼を言うと、ブリジットが「あんた、この期に及んでまだ人の事を考えているの!」という言葉が含まれたキツイ視線をアイザックに向ける。

 だが、アイザックは優しく微笑んでその視線を受け止めた。


「では次に、この気球がいかに簡素な作りで、特定の場所を狙う事はできないものだという事を説明させていただきます」


 アイザックは気球に近付く。

 パッと見た感じでは、特に損傷はないように見える。

 しかし、それは間違いだった。

 気球の端を持ち上げると、燃料入れの部分が外れ、細い鎖をかける金具部分の布が裂けている事に気付いた。


「そういえば、火を投げ入れられたと騒ぎになっていたはずです。木炭の入っていた網はどうされたのでしょうか?」

「あぁ、それは騎士が危険だからとバルコニーに投げ捨てたはずだ。あの時は驚いたぞ」


 アイザックの質問にエリアスが答えた。

 そして、彼は半笑いで気球が飛び込んできた時の事を話す。


 エルフが会議室の中を冷やしてくれていたが、慣れない冷房に使節団の者達が「具合が悪い」と訴え出した。

 そのため、空気を入れ替えるために窓を開けていた。


 ――そこに、気球が飛び込んできた。


 前線の戦うための城ならば窓も小さかったが、この王宮は戦闘を考慮されていない。

 政治的な運用をメインに考えられているため窓が大きかった。

 窓の広さがあり、しかも偶然開けていたところにピッタリ入り込んでしまったのだ。

 この話を聞いて、アイザックはとんでもない不運が重なった事を知る。


 怪我人がいなかったのは、気球の接近を城壁の見張りが騒いでいたため、会議室にいた近衛騎士が声の聞こえる方に近寄っていたおかげだった。

 気球が部屋に飛び込んできた時、真っ先に近衛騎士団長が気球部分に飛びついて止めた。

 そして、部下が気球に火のついた木炭が吊り下げられている事を見て、すぐさま両手で引きちぎってバルコニーに放り投げた。

 火傷しそうなものだが、籠手のおかげで極短時間なら大丈夫だったらしい。


 気球から燃料を入れる網が引きちぎられていたのは、そういう事情のせいとの事。

 アイザックも、その事に文句を言う気はなかった。


「当たっても死にはしなかったでしょうが、誰かが火傷していたかもしれません。止めてくださってありがとうございました」


 むしろ、止めてくれた事への感謝を述べる。

「エルフがいるから火傷くらい大丈夫」というわけにはいかない。

 怪我をさせたか、させなかったかという事実が重要なのだ。

 未然に防がれたのなら、それに越した事はない。


「この気球というものは布でできています。ですから、気球は危険なものではありません。ですが、ただ浮くだけですので、却って扱いが難しいものです。ロープを付けるはずだったのですが、付け忘れてしまったため、風に乗って移動してしまいました。これは私のミスです」

「布だけでできているというのは嘘ですね。前もって見せてもらいましたが、エルフの技術が使われていました」


 アイザックの反省ではなく、気球に関してドワーフの大使であるヴィリーから待ったがかかった。

 エルフの技術・・・・・・という言葉で、場が騒然とする。

 特にエドモンド達が「我々は空を飛ぶような技術を持っていたのか?」と困惑の表情を見せて顔を見合わせていた。


「それだけではありません。布に取り付けられている金属の小さな輪が、布地を括り付ける際に破れにくくする補強となっています。つまらないもののように見えますが、これは画期的な発明と言えるでしょう。ところどころ使われている技術は最新のもの。なぜ、このような面白そうなものを作るのに誘ってくれなかったのか!」


 ヴィリーがテーブルをドンと叩いて悔しさを精一杯表した。


「言われている事はもっともなものかもしれませんが、後半からはただの私怨――」

「我々は遺憾の意を表明し、エンフィールド公に正式な抗議をします!」


(なんでだよ!)


 話が大きく逸れてしまい、アイザックも戸惑うしかなかった。

 助けを求めてモーガンをチラリと見るが、彼も「えっ、なんでそうなるの?」という表情を見せて固まっていた。

 どうやら助けは期待できそうにない。

 自力でこの場を切り抜けるしかなかった。


「ですが、まだ試作品ですので……。ある程度、形になってから声をかけようとは思っていましたが……」


 アイザックの歯切れは悪い。

 ジークハルトがやってきた時に驚かせようと思っていたので、ヴィリー達に見せるつもりはなかった。

 そもそも、ドワーフの大使を職人として利用しようなんて考えた事すらない。

 他の外交官も同じだ。

 個人的な頼みを持ち込もうなどとは思わなかった。

 しかし、今のはヴィリー個人の反応というわけではなく、他の外交官も同感といった様子を見せている。


「もしかして、手伝いを頼んだ方がよろしかったでしょうか?」

「当然です! 本棚を直してほしいといった程度で声をかけられたら困りますが、こんな面白そうなものなら是非とも誘っていただきたい! 新しいものを試行錯誤しながら作るなど……、考えただけでも最高です!」

「な、なるほど……」


 アイザックはドワーフの事を軽く見過ぎていたようだ。

 大使に選ばれるくらいだから、ドワーフの中でも理性的な人物だと思っていた。

 しかし、物作り好きという本能には勝てなかったらしい。

 気球作りに誘ってくれなかった怒りと悲しみ、切なさが入り混じった表情を見せている。


(こんな事で遺憾の意を表明されるのか?)


 そう思ってしまうが、人種や文化の違いによる壁は高い。

 彼らにとっては、それほど重要な事だったのだろう。

 米糊を使っていたという事もあり、ドワーフだけがのけ者にされたと思ってしまったのも影響しているのかもしれない。


「いつかはドワーフの協力を得ようと思っていました。今後も開発していいという判断が下されれば、お手伝いをお願いします」

「是非ともお願いしたい。それと、その金属の輪は――」

「あの、今は気球自体の説明中ですので、細かい技術に関しては順を追ってご説明させていただきます」


 一方的に質問され続けそうだったので、アイザックは質問を遮った。

 ヴィリーも今の状況を思い出したのか、大人しく我慢してくれた。


(なんだか疲れるな……)


 自分のペースが乱されて、アイザックは精神的な疲労を感じる。

 だが、これは使節団には良い情報だった。


 ――ドワーフは新技術に目がない。


 ドワーフと国境を接している国は、新技術を持ち込んで交流の再開を話し合えるかもしれない。

 接していない国は、取引の材料として利用できる可能性がある。

 大使という立場である者ですら、国際会議の場で熱中するのだ。

 ドワーフ相手にどう接すればいいのか、これ以上ないほどわかりやすい出来事だった。

 日々の暮らしに問題がなければそれでいいというエルフよりも付き合いやすいように見えていた。

 

「それでですね……。えーっと……、そう。気球は浮くだけのものというところまで話しましたね。これは空を飛ぶのが飛行機よりも簡単だと思ったからです」

「その飛行機というものはどのようなものなのだ?」


 今度はエリアスから質問された。

 アイザックはエルフやドワーフに紙飛行機を見せていたが、エリアスには見せていなかった事を思い出す。


「飛行機は鳥のような翼を付けて空を飛ぶための道具です。今は簡素なものしか作れませんが、移動手段としては気球よりも飛行機の方が優れたものになると思います。まずは紙で作ったものをお見せします」


 アイザックは近くの文官から紙を受け取ると、テーブルの端で紙飛行機を折り始めた。

 それを軽く飛ばす。


「紙が飛んだ!」


 紙飛行機を見て、エリアスなど初めて見た者達が驚いたり、感動したりした。

 投げた・・・のではなく、飛ばした・・・・という違いを見て理解したからだ。

 それも風が吹いて紙が飛ぶのではなく、風に乗ったという形で。


「これは紙で作った飛行機です。ですが、飛行機には問題があります」


 アイザックはもう一機の紙飛行機を飛ばす。

 そちらは歪ませて作っているので、大きく曲がりくねって床に落ちた。


「飛行機は綺麗に作らなければ、まっすぐ飛ばないという事です。ドワーフの皆様に頼めばできるでしょうが、人が乗った時にバランスを保てるのかという問題があります。そこで空を飛ぶために違うアプローチをしようと考えました。それが気球です」


 アイザックが床に落ちている気球を指差すと、皆の視線が気球に集まった。


「パッと見た感じでは本体に傷はなさそうなので、実演してみようと思います。そこで、近衛騎士から火の魔法を使える方をお借りしてもよろしいでしょうか? エルフの方に手伝ってもらうにしても、陛下の前で魔法を使うというのは、保安上よろしくないでしょう」

「エドモンド殿の手を煩わせるわけにもいかんしな。いいだろう、手伝わせよう」


 エリアスはすぐさま了承した。

 エルフの魔法も見てみたいところだったが、興味本位で見てみたいというのは失礼になる。

 それに、今はアイザックが作った気球の方に強い興味がある。

 エルフの魔法を見るのは、またの機会にしてもよかったというのもあった。


「じゃあ、みんなも手伝ってくれ」


 アイザックは友人達に声をかける。

 彼らは喜んで手伝ってくれた。

 気球を持ち上げるのも二度目だ。

 しかし、気になる事もあった。


「部屋の中で大丈夫?」

「大丈夫だよ。浮かんでくれればいいからね。天井があるからどこかに飛んでいく心配もないし」

「あぁ、そうだね。またどこかに飛んでいったら大変だ……」


 彼らは、またどこかの屋敷に突っ込んでいく気球の姿を想像した。

 これ以上の問題は起こしたくないので、会議室内で膨らませる事に反対しなかった。

 広さは十分にあるので、室内でも問題がなさそうだったからだ。


「では、気球の下部にある穴に火の魔法で暖かい空気を送り込んでください。気球は布なので、燃えないように気を付けてください」


 アイザックは気球を持ち上げたあと、手伝ってくれる近衛騎士に指示を出す。

 室内で気球が燃え上がれば大惨事だ。

 それだけは絶対に避けたかった。

 だから、燃え移らないようにだけは注意しておく。


 頼まれた近衛騎士は、心の中に複雑な感情を持っていた。

 魔法を使えたため王宮に連れていかれ、王族を守るために必死になって戦闘訓練を施されてきた。

 当然、過酷な訓練を乗り越えてきたという自負もある。

 そんな自分が衆人環視のもと、変な布の下にかがんで火で暖めるという奇妙な行為をするというのは、プライドが大きく傷つくものであった。


(俺の人生、なんだったんだろう……)


 そんな事を考えてしまうくらいに。

 だが、エリアスの「おぉっ」という驚きの声で考えが中断される。

 気球の下にいるので見えないが、反応から察するに上部が膨らんできたらしい。


「火を強くすれば、もっと早く膨らむのか?」


 エリアスの声に嬉しそうな色が混じっている。

「陛下が喜んでくれるなら」と、近衛騎士は自分の存在意義があったのだと気を取り直した。


「当然、火力が強い方が早くなります。しかし、この部屋の中でこれ以上強くするのはおすすめできません」

「確かにそうだな。待とう」


 エリアスの要望を、アイザックがやんわりと断る。

 アイザック達の顔に流れる汗が、その理由を言葉以上に語っていた。

 窓を開けているとはいえ、魔法のせいで周囲が暑くなっている。

 これ以上火力を強めれば、熱中症で倒れる者が出てくるかもしれない。

 エリアスも部屋の中がジワジワと暑くなっている事に気付いているので、無理強いはしなかった。


 ある程度膨んだところでアイザックが手を放す。

 このあと、やる事があったからだ。

 アイザックは周囲を見回し、人数を確認する。


「陛下、矢じりを外した矢を……百本ほど用意していただいてもよろしいでしょうか? このあと説明するのに必要になるのですけど」

「百本!」


 エリアスは驚き、騎士団長に視線を向けて意見を求める。


「矢じりを外すとはいえ、力一杯に突き立てれば凶器となります。もちろん、陛下の身は我らが全力でお守り致しますので、安全ではございますが……」


 彼は言外に「勧められない」という意味を含ませた。

 真っ向から否定しないのは、エリアスからアイザックを信頼しているという態度を感じ取っていたからだ。

 アイザックもこの状況でエリアスに襲い掛かるはずがない。

 そのため真っ向から否定するのではなく、推奨しないという態度で答えた。


「ならば、いいだろう。用意してやれ」

「はっ」


 だが、エリアスの信頼はアイザックに重きを置かれていた。

 あれだけ王国のために働いてきたのだ。

 その信頼は、一度のミスで失われるような軽いものではなかった。

 目の前で膨らみ始めている気球というものに気を取られていたというのもある。

 エリアスには、アイザックが要求するものを用意させるのに抵抗はなかった。


 許可が出た以上は仕方がない。

 騎士団長はエリアスの命令に従い、部下に矢を持ってくるように指示を出す。


「おぉっ! 本当に浮くとは!」


 こうしてやりとりをしている間に、気球が浮き始める。

 エリアスはギリギリのところで歴史的瞬間を見逃さずに済んだ。

 浮き上がった気球は天井にぶつかって止まる。

 室内にいる皆の視線が気球に釘付けになっていた。

 このタイミングでアイザックは説明を始める。


「鍋を火にかける時、なぜ火の上に置くのか? それは、火の横や下では暖まらないからです。そして、火の上ならなぜ暖まるのか? 基本的に暖かいものは上に移動するからです。ですから、僕は暖かい空気を袋の中に閉じ込めたら浮き上がるのではないかと考えました。ならば、一度作ってみようと考えて行動した結果、本当に空に浮かんで風に吹かれて屋敷の敷地から飛び去ってしまいました。良くも悪くも、考えは正しかったという事です」


 ――アイザックの考えは正しかった。

 ――そして、誤ってもいた。


「暖かい空気で空を飛べるのではないか?」という考えは突拍子もないものである。

 だが、それ故にアイザック自身も過ちを犯した。

 常軌を逸した考えであるが故に、結果を見誤ったからだ。

 さすがのアイザックも、本当に空を飛ぶとは思わなかったらしい。

 その油断がロープの付け忘れを生み、今回の事件を引き起こした。


 普段であれば、アイザックのミスは失望されていただろう。

 しかし、今回は違った。

 先ほどブリジット達が庇ってくれたおかげで、アイザックの評価も変わっていた。


 ――何事も冷徹な計算の末に決断を下す冷たい氷のような男から、人間味のある人間へと。


 ロープの付け忘れも人の心を読むのとは違い、未知への挑戦だったので失敗もやむを得ないと思われていた。


「なるほどな。予想よりも上手くいきすぎたから、計算違いが起きてしまったというわけか。……それで、いつになれば人が空を飛べるようになるのだ?」


 そして、エリアスが言うように「気球で人は飛べるのか?」というところが気になり過ぎて、ロープの事など些細な問題にしか思えなかったせいでもある。


「残念ながら、今の段階では何とも言えません。おそらく無理でしょう」

「無理なのか……」


 エリアスだけではなく、話を聞いていた者が露骨に残念そうな表情を浮かべる。

 特にドワーフ達の落胆は顕著だった。


「しかしながら、ドワーフの協力を得られればわかりません」


 アイザックの言葉で、ドワーフ達の目に光が宿る。


「そちらの黒板をお借りしてもよろしいでしょうか? 問題点をわかりやすく説明できるかと思います」

「あぁ、もちろんだ。説明するための黒板だからな」


 アイザックは部屋の奥にある黒板を指し示す。

 そこには、話し合われていたであろう内容が書かれていた。


 ――エルフは「森の中では手に入らないもの」などの物々交換を持ち掛けるのがおすすめ。

 ――ドワーフは「原材料や新しい技術を持ち込む」のがおすすめ。


 といった内容の事が列挙されている。

 エドモンドやヴィリーから意見を聞いていたのだろう。

 アイザックは隅の空いているところを使わせてもらう事にした。


「人を乗せるという事。それは人を空へと持ち上げる上向きの力と、人の重さによる下への力が発生するという事になります」


 アイザックは気球の絵を描き、その横に上向きと下向きの矢印を描く。

 そして、ハンカチを取り出した。


「つまり、気球の布を引っ張る事になります。それも、かなり強く。空に浮かぶ前に球皮部分が破れる可能性もありますし、人が乗る籠の接続部分が壊れたりするかもしれません」

「そのための金属の輪というわけですな」


 ヴィリーは一目見ただけでハトメの役割を見破っていた。

 アイザックは彼の言葉をうなずいて肯定する。


「その通りです。そのパーツはハトメと呼んでいるのですが、ハトメは燃料入れや物を載せる籠を吊り下げても布が破れにくくするために開発したものです。しかし、ハトメを使っても技術力に限度があります」


 アイザックは気球の形から、特に負担がかかりそうな部分に〇を描く。


「大きな力がかかる部分は、どうしても素材の問題で耐久性に不安があります。これが舟であれば金属での補強などで済むでしょう。ですが、気球は空に浮かぶためのものです。重量がかさめば、空に浮かばなくなります。軽く丈夫な素材が必要であり、その上で空気が漏れないように縫い合わせなければなりません」


 ヴィリー達ドワーフは腕を組んで悩む。

 軽さと丈夫さは相反するもの。

 両方を兼ね備えた新素材があればいいのだが、そのようなものは存在しない。

 完全な手探りで色々と試していかねばならないという事だ。

 やり甲斐はあるが、気の長い作業になるだろうと思われる。


「今回は空気を暖めるための木炭を吊り下げるだけでよかったので、このサイズで済んでいました。ですので、既存の布でも耐えられる重量の範囲で収まっています。これ以上のものを作るのは容易ではないでしょう」


 アイザックの言葉は、出席者に大なり小なり同意してもらえるものだった。

 例えば、小舟は水が漏れないように気を付けて作ればいい。

 だが、大きな船は転覆しないように気を付けなければならない。

 家もそうだ。

 犬小屋くらいならば素人でも潰れないものが作れるが、人間が住む家のサイズだと素人では作れない。

 料理も同じ。

 数人分の家庭料理を作るのと、数十人分の宴会料理を作るのとでは勝手が違う。

 サイズの違いによって作成の難易度が大きく変わるという事は、皆にも理解ができるものだった。


 空を飛ぶためのものを作るというのだから、その難しさは想像以上だろう。

 人が飛ぶという事の難しさを皆が理解した。


 会議室に沈黙が訪れたところで、兵士が矢筒を持ってきた。

 アイザックが望んだ矢じりを外した矢が入っている。


(これで最後の仕上げができる)


「各国の代表者の方に三本ずつ配ってください」


 アイザックは兵士に命じながら黒板から離れ、矢を取りに行く。

 矢筒を一つ手に取ると、テーブルの中央に向かう。

 そして、各国の大使や使節団の代表などに矢が配られたのを確認すると話を始める。


「皆様には、この矢の一本一本が人間、エルフ、ドワーフという種族だと考えていただきたい。かつて、人間はエルフやドワーフと決別していました」


 アイザックは矢を一本取り出して折った。

 皆が「何をしているのだろう?」という目でアイザックを見ていた。


「エルフとドワーフは協力関係にありました。ですが、私の知る限り上手く言っているとは言い難い状態でした」


 今度は矢を二本取り出して折った。

 今回はかなり力を入れる必要があった。


「では、三種族が協力し合えばどうでしょう?」


 アイザックは三本の矢を手に取って折ろうとする。

 だが、今度は簡単には折れなかった。


 アイザックの姿を見て、他の者達も真似をする。

 一本では簡単に折れそうだったが、三本まとめてだとかなり折り辛いという事は皆も体感した。


「一本の矢では簡単に折れてしまいます。ですが、三本の矢を束ねれば簡単には折れ――」


 ――バキンッ!


 話している最中に、一方から矢が折れる音がした。

 アイザックがそちらを向くと、ヴィリーが目を泳がせながら両手をテーブルの下に隠していた。

 だが、残念な事にテーブルの下から折れた矢が丸見えだった。


(しまったぁぁぁ! ドワーフの力を忘れていた)


 クロードやブリジットから弓を教わっている時に、アイザックは矢を折って強度を確かめていた。

 アイザックの力で折れるのは二本が限度だったので「これは使える!」と思ったものだ。

 しかし、アイザックよりも圧倒的に力が強いものの存在を忘れていた。

 例えばマットならば、本気を出せば折れるものの空気を読んでおらないという事になっていただろう。

 だが、ドワーフの力はマットのような騎士よりも上。

 空気を読む前に、試した時にあっさりと折れてしまったのだと思われる。

 ヴィリーも折るつもりはなかったはずだったというのは、目に見えて動揺している姿からも窺える。


(フォローしてくれ)


 アイザックは友人達に視線を向け、何度か瞬きをする。

 次に矢筒に向けて、目をパチパチとさせた。

 あとは友人達が理解してくれる事を祈るだけだ。

 アイザックはヴィリーの方を見ないように、エリアスの方を向く。


「一本では折れやすくても、矢を三本まとめれば折れにくい。これは三種族が協力し合えば、より良い世界を作る事ができるという事です。ですが、どんな形でも協力すればいいというものではありません」


 ――アイザックが話している時に動いたのはポールだった。


 カイはブリジットの次に動き、レイモンドは連帯責任を申し出た。

 自分も古くからの友人として、いいところを見せたかったのだ。

 矢筒から三本の矢を取り出すと、テーブルの端に座っているドワーフに渡す。

 そこからは早かった。

 矢を渡されたドワーフは、リレー形式でヴィリーのところまで矢を運ぶ。

 そして、折れた矢もリレー形式でポールのところまで運ばれた。

 折れた矢を受け取ったポールは、できるだけ静かな動作で矢筒に入れる。


 リード王国側の出席者や使節団からは丸見えだったが、皆が空気を読んで何も言わなかった。

 モーガンがアイザックをジッと見つめ、その視線にアイザックが気づいたところで小さくうなずく。

 彼も空気を読んで、アイザックに「交換が終わった」と知らせたのだ。

 アイザックも祖父の意図を読みとり、胸を撫で下ろす。

 今度はエルフの方に向き直った。


「かつてのようにエルフの魔法で砦を作らせ、ドワーフに装備を作らせて人間が戦う。そんな協力の仕方では、またいつか決別の時を迎えるでしょう。では、気球はどうでしょうか? 人が乗る事ができる大きな気球を作るにはドワーフの協力が必要であり、大きな気球を暖めるにはエルフの魔力が必要です」


 アイザックはエリアスの前に歩み寄る。

 そして、彼の前にひざまずき、三本の矢を差し出すように頭上に掲げた。


「後世に語り継ぐには、三つの種族が協力し合ったという象徴が必要だと考えていました。気球を作ろうと考えたのはそのためです。空という未知の領域への挑戦は、陛下のように平和を愛されるお方がおられる時代だからこそできる事。その下準備に挑戦しようとした結果、今回の事件が起きてしまいました。気球に価値がなく、平和の象徴を違う形で作られるというのであれば、この愚か者を処罰してください。気球に価値があると思われるのであれば、今回の一件はただの事故として笑い飛ばしていただきますようお願い申し上げます」


 アイザックは、ここで自分の処罰をどうするか決めるように求めた。

 気球が浮く光景を見て、周囲の心をガッチリ掴んでいるはず。

 この流れで「平和の象徴として気球を作ろうとした事と、エリアスのいる部屋に火のついた木炭を放り込んだ事は別問題では?」という指摘をできる者はいないはずだ。

 誰かがつっこむ前にエリアスから「許す」という言葉を引き出せれば、アイザックの勝ちだ。


「その話を聞かされたあとで、そなたを処罰するべきだと言える者はいないだろう。私もそうだ。気球が部屋に飛び込んできた時は驚いた。だが、三種族の結束を高めるという崇高な目的のためであるならば、多少の怪我をしていても許しただろう。そなたの責任は問わない。これからもエルフやドワーフと協力し、平和な時代を作り上げる手伝いをしてもらいたい」


 エリアスはフフフッと笑って、アイザックから三本の矢を受け取った。

 今回の事件は事故として扱い、友好のためならば多少の事は不問にする意思表示である。

 エリアスがアイザックから矢を受け取った時点で、アイザックの無罪が確定した。

 周囲から一件落着した事を祝う拍手が贈られる。

 アイザックは周囲に頭を下げ、拍手に応えた。

 グダグダになったところもあったが、アイザックは窮地を切り抜ける事に成功した。


 一段落ついたと見て、使節団の中からアイザックに声をかける者がいた。


「ヴィリー様の反応を見る限り、ドワーフとの接触にも使えそうです。完成品を売っていただく事は可能でしょうか?」

「友好のために使われるのであれば、断る理由はありません。この試作品と同じものでよければ、お届けしましょう。なお、気球本体はブラーク商会が、ハトメなどの金属部品はグレイ商会が作成しております」


 気球作成を手伝ってくれた両商会の事を、さり気なく宣伝しておく。


「ヴィリー様がエルフの技術が使われていると仰っていたのは、米糊という米で作ったニカワのようなものです。こちらはエドモンド様の許可があれば教えられます」


 アイザックはエドモンドを見る。


「米糊の作り方くらいは教えてくださってもかまいません。……米糊がどのように使われているのか教えていただいても?」

「暖かい空気を漏らさない事が重要なので、布と布の繋ぎ目に使われています。繋ぎ合わせる役割よりも、空気を通さない役割を重要視して使っているといった感じですね。これは障子と同じだと思います」

「隙間風が通る障子は意味がない。なるほど、そういう使い方でしたか」


 エドモンドは障子を知っている。

 障子紙を半端な貼り方をすると、隙間風が通って障子の意味がなくなるという事も。

 米糊を接着剤としてだけではなく、隙間を埋めるために使ったという説明に納得していた。


 アイザックはヴィリーにも説明が必要だと感じ、そちらに向き直る。


「今は実験段階なので、必要最低限なものを用意して試していただけです。けっしてドワーフの皆さんを軽んじていたわけではございません。今後は協力を求める機会も多くなると思いますので、お力をお借りしてもよろしいでしょうか?」

「う、うむ。もちろん、喜んで協力させていただく。こちらこそ熱くなってしまい申し訳ございませんでした」


 ヴィリーは正式な抗議をすると言った事を詫びる。

 興奮していて、エルフだけが協力を頼まれていると思った事でヒートアップし過ぎていた事を今は反省している。

 その分、アイザックに率先して協力しようと考えていた。




 アイザックの想定とは違う形ではあるが、結果的に各方面から協力を得られそうになっていた。

 ジークハルトの興味を惹き、将来的により多くの支援を受けようとしていたが、ジークハルト以外からも得られそうな勢いである。


 ――そして何よりも、アイザックとジュードの違いを知らしめる事ができたのが大きかった。


 それが今後、どのように影響するのかはまだわからない。

 しかし、自分を取り巻く状況が好転していくだろうという事は、アイザックも何となく感じ取っていた。

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