第317話 奇跡のネタバラシ

 教会を出ると、ランカスター伯爵家の騎士達がジュディスのもとに集まる。

 彼らはジュディスの無事を喜ぶと、すぐにアイザックやモーガンに感謝の気持ちを伝える。

 本格的な戦闘にならずに済んだのは、ランカスター伯爵家にとっても歓迎すべき事だからだ。

 ジュディスだけではなく、ランカスター伯爵家自体を救ったともいえる。

 だが、モーガンは片手を挙げて彼らを制した。


「今はやるべき事をやろう。誰か、あそこにいる者の中に顔見知りの者はいるか?」


 モーガンが遠巻きにこちらの様子を見ていたブランダー伯爵家の騎士達を指差す。


「私が主立った者を存じております。かの家のマイケル様は当家のお嬢様の婚約者、そのため先方の騎士との交流もございましたので……」


 名乗り出た者は悔しそうだった。

「一緒にジュディスやマイケルを守っていこう」と話していた相手が処刑を止めるのを邪魔してきたのだ。

 今までの言葉はなんだったのかという思いが表情に滲み出ていた。


「ならばよし。この者の意見を参考に、隊長格を二、三人捕らえて王宮に連れていけ。ブランダー伯爵家がこの一件に関わっていたという証拠になる」


 モーガンが王家の騎士に命令を出す。

 本来はモーガンに彼らの命令権はないのだが、今回は事情が事情である。

 身柄を確保しておけという頼みくらいは聞いてくれた。


「……このために彼らを連れてきていたのですか?」


 アイザックがモーガンに尋ねる。

 ブランダー伯爵家が深く関わっていたという証拠を確保されるとまずい。

「グラハムが死んだ時点で、さっさと帰ってくれていたらよかったのに」と思わずにはいられない。


 とはいえ、モーガンもこんな状況になっているとは思わなかった。

 彼が王家から騎士を借りてきたのは違う理由だ。


「いや、どんな状況になるかわからなかったから、頭数を水増しするために陛下からお借りしたのだ。それが今では証拠の確保に役立ってくれていたのだから、何がどう役に立つかわからんものだな」


 ――彼らはモーガンの命令に従い戦う事はない。


 王家の騎士は見ているだけだ。

 教会と揉めても、実際に戦うのはモーガンが護衛として連れているウェルロッド侯爵家の騎士だけ。

 モーガンに危険が及んだら、大臣である彼を安全圏に逃がすくらいは手を貸してくれるかもしれない。

 だが、それだけだ。

 数で威圧するのに利用されるまでは良しとしても、ジュディスを助け出す事にまで手を貸す理由はない。


 ――そんな彼らも、証拠の確保には役立つ。


 ウェルロッド侯爵家やランカスター伯爵家の騎士が、ブランダー伯爵家の騎士を捕らえても「私はブランダー伯爵家の騎士です」と自白させるために用意した偽者だと見なされるかもしれない。

 しかし、王家の騎士が現行犯で確保すれば別だ。

 第三者である彼らがブランダー伯爵家の騎士を確保すれば、証人として通用する。

 仮にブランダー伯爵が「そいつらは確かに我が家で働いていたが、かなり前にクビにした奴らだ」と言い訳しようが、ブランダー伯爵家の紋章が入った鎧を着て、ジュディスの処刑を手伝っていた時点で否定される事になる。

 戦闘要員としては頼れなかったが、立会人としては最適な者達だった。


 ブランダー伯爵家の騎士から数名を選ぶと、彼らを王家の騎士に任せる事になった。

 証人の確保を確認したところで、アイザックはジュディスを馬車に乗せる。

 教会の馬車に乗るのは怖いだろうと思われたので、モーガンが乗ってきた馬車でランカスター伯爵家の屋敷まで送る予定となっている。


「……こういう時は、女性を馬の前か後ろに乗せた方が絵になるだろうに」


 その姿を見て、モーガンがポツリと呟く。

 ジュディスをエスコートして乗車させるアイザックの姿が、どこか物足りなく感じたからだ。

 祖父の呟きが耳に入り、アイザックは照れ臭く笑いながら答える。


「乗馬服に着替えていたらよかったんですけど……。制服のままだとちょっときついので」


 アイザックは、またずれの痛みがある事を主張した。

 ちょっとだけ、本当にちょっとだけ制服姿のジュディスを乗せてみたかったという思いもある。


 ――女子の制服は膝丈のスカートだからだ!


 しかし、手綱を曳いて歩くならともかく、一緒に乗れば肝心な未知の領域が見えない。

 見知らぬ者にサービスをしてやる義理もないので、大人しく馬車に乗せる事にした――というだけではなかった。

 一応、これはアイザックなりに考えがあっての事だ。

 少々恥ずかしいが、馬は誰かに曳いてもらい、アイザックも馬車に乗るための理由付けだった。

 だが、その前にやるべき事があった。


「マット、ハリファックス子爵家に伝令を送れ。用件は『ウェルロッド侯も認めているから、ティファニーに是非とも今晩泊まりに来てほしい』だ。屋敷にも『客人が泊まりに来るから、同行する使用人の分も含めて客室を用意しておくように』と伝えておいてくれ」

「かしこまりました」


 アイザックに命じられたマットが、すぐさま部下に指示を出して伝令に向かわせる。

 この命令は、モーガンも許可していた。

 ジュディスのためにティファニーを呼ぼうと言ったのは彼だ。

 何も問題は感じられない。


「王宮に戻る前にランカスター伯爵邸に立ち寄る。ランカスター伯爵家の騎士は先導を、エンフィールド公爵とウェルロッド侯爵家の騎士は後からついてくるように。王家の騎士はブランダー伯爵家の騎士を連行しておくように。頼んだぞ」


 最後にモーガンが指示を出すと、馬車に乗り込む。

 この時、アイザックも同乗した。

 とはいえ、ジュディスの隣には座らず、モーガンの隣に座る。

 至福の時間は終わりだ。

 自分の婚約者ではないので、いつまでも彼女の感触を楽しむ事はできない。


 馬車が動き始める。

 今では王家だけではなく、大臣クラスにもドワーフ製の馬車が支給されているので、かなり揺れが抑えられていた。

 とはいえ、車輪が回る音がガラガラと鳴っているので、周囲に聞かれる心配をせずに話す事が可能になっている。


「実は大事な話があります」

「だろうな」


 モーガンはアイザックが「またずれが痛いから馬車に乗せてほしい」という理由で同乗したわけではないと思っていた。

 そのため、アイザックが話を切り出しても不思議には思わなかった。


「特にジュディスさんには知っておいてほしい事ですね。自分が聖女だと勘違いして、人生を踏み外してほしくはないですから」


 モーガンと違い、ジュディスは何を言いたいのかわからなかった。

 首をかしげて、わからないという意思表示をしていた。


「お爺様、このナイフを自分の手に刺してみてください。怪我はしないのでご安心を」


 アイザックがナイフをモーガンに渡す。

 最初は「手を刺せ」と言われて戸惑っていたが、ナイフを受け取った時点で不思議な感覚を覚えた。


「これは……、普通のナイフではないな」


 モーガンもナイフの扱いには慣れている。

 このナイフが普通ではない事を持てばわかった。


 ――柄側が明らかに軽い。


 本来ならば刀身の柄に固定する部分があり、柄も簡単に割れたりしないよう、十分な強度を保つためにしっかりと作られているので重いはずだった。

 しかし、このナイフはまるで中身がからっぽのようで、不気味なほど軽い。

 十分な強度どころか、最低限の強度すらあるのか疑問である。

 他にも疑問点があった。


「この刃では何も切れんだろう」


 そう、刃先が問題だった。

 ナイフというより、ナイフの形をした鈍器といった方が近いかもしれない。

 実際、手のひらに押し付けても皮膚すら傷つけられない。


 ちょっと力を入れても、何も変化は――


「あっ!?」


 ――あった。


 だが、皮膚を切り裂き、肉を貫いて手のひらを突き抜けるという、誰もが予想する結果ではなかった。

 逆にナイフの方が皮膚に負け、柄の方に押し戻されていた。

 この光景に驚いたジュディスも、モーガンの手を凝視していた。


「どうなっている!」

「柄の中身が空洞になってばねが入っています。ケンドラのために作ったばね仕掛けのおもちゃですから」

「なんだと!?」


 アイザックがネタばらしをすると、モーガンはもっと深くまで刺そうとした。

 本来なら刀身が手を突き抜けて見えるはずだが、刀身はどんどん柄の中に埋もれていく。

 これではナイフとしての役割を果たせない。

 確かにおもちゃでしかないだろう。


「なるほど。お前が本当に神がジュディスを助けると信じて行動したわけではないと思っていたが……。こんな仕掛けがあったとは」


 モーガンが力の抜けた乾いた笑い声を出す。

 ハンスに「たまには礼拝に来い」と言われるくらいに、アイザックの信仰心は薄い。

 そんな彼が神頼みでジュディスを助けようとするとは思えなかったが、こんな小道具を用意していたとは考えもしなかった。

 モーガンはナイフをジュディスに渡す。

 彼女も興味深そうにナイフを見ていた。


「僕は偽物だとわかっていましたが、ジュディスさんは知らなかったので本当に刺されると思って恐ろしかったでしょう。怖がらせてすみませんでした。ですが、今後の安全も確保できるやり方となるとこれくらいしか思い浮かばなかったのです」


 ただ助け出すだけなら、公爵の肩書きを利用して強引に助ければよかった。

 しかし、それでは今後も命を狙われ続ける。

 聖女扱いをすれば、これからは逆に身の安全を教会が守ってくれるようになる。

 安全という点では、このやり方が一番よかったと今でも思っている。

 ジュディスの表情は見えないが、コクリとうなずいたので理解してくれたのだろう。


「これでは神器として渡せないはずだ。しかし、なぜ大司教猊下に打ち明けなかった?」

「教会関係者の反応がわからなかったというのが大きいですね。『神の奇跡を演出するとは何事か!』と激昂される可能性を考えると、正直には話せなかったんです」

「大司教猊下やハンスならば大丈夫なような気もするが……。他の者がどう反応するかまでは読めんな。ジュディスの安全を考えれば、黙っているのが正解だったかもしれん。しかしなぁ……」


 モーガンも、これがいいという答えが頭に浮かばなかった。

 聖女という偶像を作り上げてしまった以上、どう対応するのが正解かすぐにはわからない。

 これから時間をかけて考えていかねばならない事だと思っていた。


「神器として提供してほしいと言われているが、それはどうするつもりだ?」

「これから同じ形のナイフを作らせて、そちらを本物の神器として提供します。騙す形にはなりますが、子供向けのおもちゃを渡すよりはマシでしょう。それで提案なんですが、僕が屋敷に戻ったら、貴族派に所属する貴族達にランカスター伯爵家への協力を呼びかける使者を送ろうと思っています。それはよろしいでしょうか?」

「かまわん。それで?」


 モーガンは、アイザックの考えがそれだけではないと思っていた。

 だから、続きを促す。


「使者を送るどさくさに紛れて、ノーマンをグレイ商会に行かせようと思っています。偽物を作らせるのと、おもちゃのナイフを作った職人に口止めするために」

「何もせずにノーマンを行かせると不審がる者もいるだろうが、使者の一人の振りをして屋敷を出れば怪しまれない。良い手だと思う」


 アイザックの提案をモーガンは支持した。

 それならば、こそこそと屋敷から出さずに、堂々と正面からノーマンを行かせられる。

 だが、それだけでは物足りないと感じていた。


「ならば、ウィンザー侯爵家への使者にするといい。王宮に戻ったらウィンザー侯と直接話すが、やはり使者を出しておいた方がいいだろう。エンフィールド公の筆頭秘書官ならば、ウィンザー侯爵家への使者として出向いても疑われない。ちゃんと使者として出ていったというアリバイになるだろう」

「そうします」


 これなら「モーガンが直接ウィンザー侯爵に話しているので、使者といってもおまけでしかない」という状況のおかげで「ウィンザー侯爵家をアリバイ工作に利用するなどどういうつもりだ」と問題になったりはしない。

 あくまでもウェルロッド侯爵家当主であるモーガンの説明がメイン。

 ノーマンはウィンザー侯爵家に対する補助的な連絡員に過ぎない。

 それであれば多少寄り道してもいいだろう、というモーガンによる隠蔽工作の支援であった。


「ジュディスも今の話は聞かなかった事にしておいてもらおう。もちろん、サムが王都に来れば説明する。だが、その時までは秘密にな。悪いようにはせん」

「わかり、ました……」


 ジュディスも重要な話を聞いてしまったと理解しているので、口止めされなくとも誰かに話すつもりはなかった。

 自分の命に関わる事だ。

 余計な事を喋って、自分の首を絞めるような真似をする必要はない。


「ところで、このナイフはいくつ作らせたんだ?」


 モーガンが気になる点を確認する。

 多くあるのなら、その分証拠隠滅も困難だからだ。


「試作品の一本だけです。本当はケンドラにあげようと思ったんですけど、子供のうちから人をナイフで刺す癖が付くのは教育上悪いと思ったので、生産は中止させました」

「妥当だな」


 おもちゃのナイフならいいが、本物のナイフでも大丈夫だと思って人を刺すかもしれない。

 その可能性を考えれば、こんなおもちゃなどない方がいい。


「なら、そちらの件は上手くやっておいてくれ。私は陛下に、ランカスター伯爵家とブランダー伯爵家の話し合いの立会人となっていただけないか伺っておく。しかし、バネを使ったおもちゃが人を救う事になるとはな……」


 モーガンは深い溜息を吐く。

 どんなものでも使い方次第とはいえ、おもちゃで神の奇跡を起こすなど想像の範囲外だ。

 とことん想像の斜め上をいくアイザックに、これからも尻拭いをさせられるような予感をさせられていた。



 ----------



 ランカスター伯爵家に到着すると、モーガンは自分の護衛を連れて王宮へ帰っていった。

 アイザックは応接間へ通され、お茶を出される。

 ジュディスがお泊りセットを用意している間は、屋敷の警備隊長が相手をしてくれていた。


「エンフィールド公。お嬢様をお助けくださった事、我らは決して忘れません。誠にありがとうございました!」


 警備隊長が深く頭を下げる。


「本当は邪魔をするブランダー伯爵家の騎士を切り捨ててでもお助けしたかったのですが、我らがそのような行動に出れば、ランカスター伯爵家全体に迷惑がかかるやも知れず。ランカスター伯爵家とお嬢様を天秤にかけ――」

「それ以上は言わなくてもいいよ。ジュディスさんは助かったんだしね。君の立場は理解しているつもりだ。僕も君の立場だったら、行動に移すのは難しかっただろう」


 懺悔を聞きたいわけではないし、口に出してしまえば取り消せない。

「ランカスター伯爵家のためにジュディスを見捨てる選択も考えていた」など、屋敷の警護隊長に言わせる必要もない。

 アイザックは彼に最後まで話させなかった。


「僕には公爵という肩書きがあって、君にはない。それだけだよ。僕も公爵じゃなかったら、何もできなかっただろう」


 アイザックは出されたお茶を一口飲む。

 本当に気にしていないという態度が、警備隊長に深い感謝の念を抱かせる事になる。

 だが「公爵じゃなくても、あなたならなんとかしてたんじゃないのか?」と、アイザックの言葉に内心で首をかしげる。


「ところで、広場に集まるのが早かったみたいだけど、ランカスター伯爵家にも教会から使者が来ていたのかい?」

「屋敷の近くでお嬢様が教会の馬車に連れ込まれるのを見た使用人がいました。そのため、急いで人を集めて駆けつけた次第であります」

「なるほど、そういう事だったんだ」


 自分達が着く前に到着し、ブランダー伯爵家の騎士と揉めていた理由がわかった。

 疑問が一つ解消し、少しだけ気分がスッキリする。


「屋敷に戻ったら、貴族派の諸侯にランカスター伯爵家の支援をしてくれるよう使者を出すつもりだ。そちらもランカスター伯に伝令を出しておいてほしい」

「すでに三騎出しております。ですが、今回の一連の騒動については非常に説明が難しいので、ランカスター伯が王都に到着した際にエンフィールド公からご説明いただければ助かります」


 三騎出したのは、ブランダー伯爵家の妨害の可能性を考えてだろう。


「もちろん、やらせてもらおう。当事者としてね」


 ジュディスを聖女扱いしたのは自分なので、説明する事に異論はない。

 それに、本当の事も話さなくてはならない。

 ランカスター伯爵と会うのにいい機会だ。


「ちなみに、僕も上手く説明する自信がないよ。神が奇跡を起こされたという以外に、どう説明すればいいのかさっぱりだ」


 アイザックは肩をすくめておどけてみせる。

 今まで公爵としての態度を取っていたので、そのギャップに警備隊長はクスリと笑う。


「エンフィールド公にも、わからない事があるのですね」

「いっぱいあるよ。今回は自分が当事者なだけに、どうしてああなったのかさっぱりわからない」


 アイザックは「マジックナイフなんて使ってません」という事をアピールするため「奇跡が起きて不思議だね」という方向性で話していた。

 この件だけは、絶対にしらばっくれなければならない。

 本願寺戦のように長年一向一揆に悩まされるような事態は真っ平ごめんだ。

 セスが調子に乗らないよう頭を押さえつつ、顔を立ててやらねばいけなくなったので、その対策も考えないといけない。


(おかしい。問題を解決したのに、なんで問題が増えてるんだ?)


 ジュディスに関連する事だけではなく、自分のためにやらねばならない問題がどんどん増えていく。

 どうしてこうなったと考えてしまう。

 気が落ち込みそうになるのを警備隊長との雑談で誤魔化そうとしていた。


 しばらく話していると、ドアをノックする音が聞こえた。

 ジュディスの用意ができたのだろう。

 ドアが開かれると、制服から私服に着替えたジュディスが立っていた。

 彼女が着ているのは、やはり黒一色のドレス。

 喪服を連想させるので、魔女扱いされるのも仕方ないような気がする。

 そこでアイザックは一つの事に気付いた。


(ハッ! やべぇ、やべぇよ……。今日は早めにトイレに行く事を心掛けよう)


 ジュディスの胸の魅力に負けてはいたが、基本的に「夜中に暗い廊下で出くわしたら漏らしてしまいそうな相手」という点には変わりはない。

 彼女が泊まりに来るという事は、偶然廊下で出くわす可能性があるという事だ。

 暗いロウソクの灯りで照らし出されたジュディスは、可愛い・・・とかエロい・・・よりも怖い・・という感想しか出てこないだろう。

 明るい蛍光灯を発明してくれる発明家の登場が待ち望まれる。

 アイザックは、望んでいないホラー映画の世界を体験する権利を得てしまった。

 テレビのない世界なので、まだよかったのかもしれない。


「ご家族が到着するまで何泊でもしていってください。問題が起きれば、マット達が対処します。どんな手段を使おうともね」


 もちろん、ランカスター伯爵家からも護衛の騎士が同行する。

 だが、彼らが同行するのはジュディスを守る壁としての役割を果たすためだ。

 手出しをすれば問題が起きるかもしれないので、アイザックの配下であるエンフィールド公爵家の騎士達が物理的な排除を担う事になる。


「……ありがとう」


 ジュディスはモジモジとしている。


(やっぱり男の家に泊まるっていうのが恥ずかしかったのかな?)


 見た目はアレだが、彼女も年頃の女の子だ。

 自分の発言を思い返すと恥ずかしいところもあったのかもしれない。


「屋敷には見た目は年の近いブリジットさんがいますし、おそらくティファニーも来てくれているでしょう。色々と思うところがあるかもしれませんが、年頃の近い同性と話し合えば落ち着けるでしょう。なんなら、ジュディスさんのお友達も呼びますか?」


 ジュディスに配慮して友達を呼ぶか尋ねたが、彼女は首を横に振る。

 こういう時こそ筆談がいいのだろうが、それはウェルロッド侯爵家の屋敷に着いた時でもいい。


「では、行きましょうか」


 家族と話をしないといけないし、ノーマンにも指示を出さなければいけない。

 アイザックは立ち上がると、エスコートするためにさり気なく肘を曲げる。

 すると、ジュディスはアイザックの腕に手を添えた。


 ――そう、添えただけだった。


(落ち着きを取り戻したら、もう無理か……)


 彼女が腕に抱き着いていたのは、怖がっていたり動揺したりしていたからというだけ。

 好きで胸を押し付けていたわけではない。

 サービスタイムが終わった事に、アイザックは心底悔しがった。



 ----------



 一方、ハリファックス子爵家では混乱が起きていた。


「アイザックがそんな事を……」

「はい、伝令からはそのように伝えられました」


 ――ウェルロッド侯も認めているから、ティファニーに是非とも今晩泊まりに来てほしい。


 こんな誘いを受ければ、それがどういう意味かはみんな理解した。

 ティファニーもそうだ。


「でも、今日学校で会った時はそんな素振りは見せなかったけど……」

「エンフィールド公を同年代の若者と同じだと思ってはいけません。何か特別な事情が起きたのでしょう。だから、急いでいるのではないかと思われます」


 ティファニーの疑問に、執事長が首を横に振って答える。

 この世界では、婚前交渉は基本的に禁止されている。

 主に全年齢のゲームだったからという理由であるが、宗教観などでそのように決められていた。

 だが、よほどの事情があれば別である。

 アイザックですら上手く対応できない、そのよほどの事・・・・・が起きたのだろうと考えられていた。


「お嬢様、汗を流しましょう」


 メイドがティファニーを風呂へ誘う。

 しかし、肝心のティファニーが動こうとしない。

 緊張で動けなかったのだ。


「で、でも、勘違いかもしれないし」


 彼女は勘違いだという事に一縷の望みを託した。

 アイザックがこんな強引に体を求めるとは思えなかったという事もある。

 だが、メイドはそれを認めなかった。


「いずれにせよ、ウェルロッド侯爵家を訪ねるのであれば、汗を流しておいた方がいいですよ」


 ティファニーは自分の腕の匂いを嗅ぐ。

 汗ばむ季節というのもあるが、今日は体育があった。

 運動しているので汗臭いのは確かである。


「お断りするっていうのも――」

「それはできません」


 断るという選択肢を口にしたティファニーを、執事長が即座に否定する。


「エンフィールド公が求めて、ウェルロッド侯が認めておられる事。親族とはいえ、さすがに拒否はできません」

「うぅ……。いきなりこんなのって困るなぁ……」


 その事はティファニーも理解していた。

 それでも、言いたい気分だったのだ。

 アイザックの事は嫌いではない。

 どちらかと言えば好きだが、異性としての好きではなく、家族や友人としての好きである。


(学校で自分の口から言ってくれればよかったのに……)


 ティファニーは、直接何も言わなかったアイザックに不満を持つ。


 ――こんな事になったのは、すべてアイザックの誘い方が悪いせいだ。


 モーガンも「ジュディスのために」という一言を加えさせるべきだった。

 だが、彼も一人の人間である。

 一連の流れで興奮しており、そこまで気が回らなかった。

 アイザックもモーガンも、ティファニーを誘うのは「ジュディスのため」という考えが根底にあったため、ティファニーがどう思うかまでは気が回らなかった。


 また、伝令も「教会でこんな事があったよ」と世間話をするタイプであれば違っただろう。

 だが、今回の伝令は生真面目なタイプ。

 命じられた言伝を伝えると、すぐに帰っていった。


 不幸なすれ違いが続いたせいで、ティファニーは無用の決意をさせられる事になってしまったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る