第313話 重大な誤解

「いくつか聞きたい事があるのですが……。僕が何をやろうとしているのかをどこで知ったんですか?」


 まずは気になる事をカニンガム男爵に尋ねる。

「どこで」と質問してからアイザックは気付いた。


(ひょっとして、この前お菓子屋で会った時か!)


 あの時、カニンガム男爵にはパメラの姿も見られていた。

 そこで何をやろうとしているのか勘付かれたのだろう。

「こいつが本当の馬鹿だったらよかったのに」と、アイザックは絶望する。


「この間、お会いした時です。ウィンザー侯爵家の方と会っておられましたね」


(やっぱりか……)


 個室だからといって油断し過ぎていた。

 カラオケボックスでドリンクを補充しにいった時に「あっ、お前も来てたんだ」と、通路で違う友達と出会うような経験が前世でもあった。

 この世界でも似たような事が起こると覚悟しておくべきだった。

 警戒が甘かったと後悔するが、もう遅い。

 すでに知られてしまったあとだ。


「あの時、気付いたのです。エンフィールド公が何を考えておられるのかを。学院で勉強会として派閥を越えた集まりを開いておられるという事を知っていたのも、良いヒントになりました。エンフィールド公は、リード王国に大きな変化をもたらす事を考えていらっしゃる。そして、その計画を卒業後数年以内に実行されるおつもりですね?」


 アイザックは思わず「はい」と答えそうになってしまう。


(勉強会は露骨過ぎたか……。一つ一つは怪しくなくても、複数の要素を結び付けて答えにまでたどり着かれるとは。エリアスに怪しまれてないからって、他のやつが何も気付かないとは限らないのに……)


 悔しいが、カニンガム男爵が非常に優れた男だと認めざるを得なかった。

 彼に一つのヒントを与えてしまっただけで、すぐに答えを導き出してしまった。

 これから自分がどうなるのか不安で胸が一杯になる。


「その事をウィルメンテ侯に報告したところ『全面的に協力すると伝えてほしい』と命じられました。ですから、本日こうして参ったのです」


 カニンガム男爵は誇るでもなく、淡々と役目を果たそうとしている。

 できる男の姿を見せつけられているように感じて、アイザックはちょっとだけ嫉妬した。

 だが、その内容は嫉妬を塗り潰すほど衝撃的なものだった。


「なるほど……。なぜ王党派筆頭であるウィルメンテ侯が協力を申し出てくださったのですか? ウィルメンテ侯の立場を考えれば、止めようとするのが普通だと思うのですが……。本気で協力を?」


 本来なら「計画を見破られた」と発狂してしまうところだが「協力する」という申し出があるという事実がアイザックの精神を保たせていた。

 しかし、まだ安心はできない。

 味方になるフリをして証拠を集めようとしているだけかもしれないからだ。

 ちゃんと理由を聞いておかねば、不安で夜も眠れなくなってしまう。


「時代の変化というものは、簡単には受け入れ難いものです。それでもウィルメンテ侯は、時流に逆らうよりは流れに任せた方が良いと判断なさったのです。それだけウィルメンテ侯がエンフィールド公の事を買っているという事でもあります」


 カニンガム男爵は、本当の事を話さなかった。

 それっぽい事を言って、少しでも高くウィルメンテ侯爵の協力を売りつけようとしていた。

 それは事実を伝えると、ウィルメンテ侯爵が侮られてしまうからだった。


『あいつとやり合うとか馬鹿のやる事だろ……。周囲に腰抜けなどと陰口を叩かれようとも、仲間になって内部から自重を促すほうが賢いやり方だ』


 という考えで、ウィルメンテ侯爵は協力する事を決めたとカニンガム男爵は手紙で知らされている。

 その事実をアイザックに正直に伝えてしまうと「弱気になっている」と足元を見られてしまうだろう。

 だから、彼は「アイザックを評価しているから、協力を申し出た」という形で伝えていた。

 ウィルメンテ侯爵が協力しようと考えたのは、それだけではない。

 アイザックが反乱・・を考えているのではなく、既存の派閥を越えた・・・・・・・・・政治集団・・・・を作ろうとしていると思っているからだ。

 もし、アイザックの本当の狙いをわかっていたら協力など申し出ず、即座にエリアス達に知らせていただろう。

 カニンガム男爵の報告が「アイザックが既存の派閥を越えた集まりを作ろうとしている」というものだったので、それを基にして考え出した答えである。

 カニンガム男爵の報告を信じたのは、それだけウィルメンテ侯爵の彼への信頼が厚いという証拠だ。


 問題は、答えが間違っているという事だった。

 これはカニンガム男爵の常識によるものが大きい。


 ルーカスとシャロンの仲介をした時、パメラがいたのはウィンザー侯爵家の代表として同席していただけ。

 二人はウィンザー侯爵家の者なので、彼女が同席するのはおかしな事ではない。

 そして何よりも、反乱を考えているなど考えすらしなかった。

 アイザックは忠臣であり、エリアスのお気に入りである。

 宰相だろうが大臣だろうが、役職を望めば自由になる。

 元帥や将軍という武官の地位でも望めば叶うだろう。

 そんな立場の者が、王国に牙を剥くなど常識的に考えてありえない事だったからだ。

 カニンガム男爵が優秀だったからこそ、あり得ない選択を自然と思考から外していた。


 そのアイザックはというと、カニンガム男爵の言葉を聞いて、さらに混乱していた。

 王党派筆頭のウィルメンテ侯爵が、王家を裏切るような事を言っているからだ。


(あれ? 王党派筆頭って……。あぁ、そうか。王党派だからといって王家に忠誠心があるわけじゃない。どの政治形態が国のためになるかという考え方の違いでしかないのか)


 そう考えると、少しは納得ができた。

 元々ウィルメンテ侯爵は、父親を殺してでも家を守ろうとするくらい保身に長けた人物だ。

 しっかりと計算をして「アイザックの方が有利」と判断して味方に付いたのだろう。

 ならば、このような時期に協力を申し出てきた事も理解できる。

 むしろ、自分が有利な状況にあるとわかって嬉しいくらいだ。

 アイザックは、徐々に落ち着きを取り戻していった。


「なるほど、よくご決断してくださいました。ウィルメンテ侯にとって、僕のような若造に協力を申し出るのは難しい決断だったでしょう。侯爵家の中で、一番早く協力を申し出てくださった事実を僕は決して忘れません」


 その言葉を聞き、今日初めてカニンガム男爵の頬が緩んだ。

 アイザックが、ウィルメンテ侯爵の気持ちをちゃんと汲み取ってくれたからだ。


 ――誰よりも早い協力の申し出。


 その誰よりも早い・・・・・・というところに価値があった。

「あっちが有利そうだから、あっちに付こう」という者も無価値ではないが、率先して協力していた者よりも価値が落ちる。

 形勢が決まる前に旗色を決めるのは重要だ。

 しかも、ウィルメンテ侯爵のような大物が味方に付けば、他の者達も雪崩を打つようにアイザック側に付くようになるはずだろう。

 この時点の申し出は、アイザックにとって本当にありがたいもの。

 それに報いようという気持ちがあった。


 もちろん、ウィルメンテ侯爵も利益だけを考えて行動しているわけではない。

 ウィルメンテ侯爵は、メリンダの一件での恨みがまだ残っていると思っている。

「文化祭の時に、まだ幼いローランドを警戒していた」と思っているので、アイザックの恨みが残っている事は確実だと考えていた。

 だから、他の誰よりも先にアイザックの政治活動を応援する事で、心証を和らげようとしたのだ。

 武官だけあって、後手に回る危険性を理解している。

 自身が王都へ行く前に、カニンガム男爵を使者として送りだしたのもそのためだった。


「ありがとうございます。きっとウィルメンテ侯も喜ぶでしょう」


 カニンガム男爵は、自分の役割を果たせた事に安堵する。

 彼は「ウィルメンテ侯爵の協力は必要ない」と断られたらどうしようかと思っていた。

 協力を拒まれた事自体も恥であるし、拒む事自体がウィルメンテ侯爵家を敵視しているという事の証明である。

 だが、これは第一段階。

 ジュードのように「安心させてから始末する」という事も考えられる。

 今後も気を付けていかねばならなかった。


「こちらこそ助かります。おそらく、傘下の貴族にも声をかけられるのでしょうが控えめにお願い致します。今はまだ表沙汰にはできませんので」

「わかっております。特にウェルロッド侯やウィンザー侯は反対されるでしょうから」


 祖父はもとより、ウィンザー侯爵もパメラが死刑になるとは思っていないので反対するだろう。

 カニンガム男爵の返事を聞いて、アイザックは「やっぱり全部バレてるんだ」という確信を持った。 


 だが、彼は本当の事は何もわかっていない。

 モーガンやウィンザー侯爵は安定を望むタイプである。

 貴族派が圧倒的優勢な今でも王党派や中立派を軽んじる事なく、相手の立場に配慮している。

 やり過ぎると国が乱れる元になるからだ。

 アイザックがやろうとしている新しい派閥形成は、どう考えても混乱の元。

 既存の派閥で満足している者にとって余計な行為でしかない。

 だから、二人に反対されると言っただけだ。

「反乱を行うから、二人に反対される」と言ったわけではない。


「幸いにも、私やウィルメンテ侯はウェルロッド侯達よりも若い。新しい事に挑戦しようという柔軟さも持ち合わせているのですよ」

「なるほど……」


 アイザックは、一度ノーマンとトミーを見る。

 彼らは理解不能な内容の会話を聞いてしまい、体が硬直していた。


(こっちにも説明が必要だよなぁ……)


 ――アイザックとウィルメンテ侯爵の協力関係。


 それが何を意味するのか、彼らはわかっていない。


「カニンガム男爵。僕の考えを、どう見破ったのかを教えてください」


 自分の口で説明してやりたいが、おそらく途中で声が震えてしまうだろう。

 彼に見破られたのは、それほどまでに衝撃的な出来事だった。

 この状況で声が震えていれば「こいつ、肝っ玉小さいな」と思われてしまう。

 そのため、カニンガム男爵にどう見破ったのかを話させながら、ノーマン達に説明させる事にした。


 アイザックの頼みを、カニンガム男爵は苦笑いを浮かべたままうなずいて了承した。

 能力があると、まだ証明させるつもりだと思ったからだ。

 しかし、それも仕方がない事だとも思った。

 今までの評価が評価だ。

 ノーマン達も「カニンガム男爵は今まで演技していた」と、にわかには信じられないはず。

 ちゃんと順序立てて説明しておけば、最低限の能力は証明できる。

 カニンガム男爵は面倒だとは思わず、万全を期そうとするアイザックの慎重さを当然の事だと考えた。


「まず、私はエンフィールド公がウィンザー侯爵家の方々と会っている理由について考えました。他家に仕える者の婚約をなぜ仲介するのかを。友人のため? いいえ、それだけなら本人が動く必要などありません。エンフィールド公なら、友人の婚約を仲介する以上のものを狙っている。そう思った時にわかったのです。なぜ他家の問題に口出しするのか? 王立学院で派閥を越えて生徒を集めているのはなぜか? それは将来に備えての予行演習だからなのだと」


 馬鹿のフリをしないで話すなど、友人の前以外では初めてだ。

 自然とカニンガム男爵の言葉に力が入る。


(そうだよ。まったく……)


 ルーカスとシャロンの事はパメラと会うついでではあったが、勉強会は自分の派閥作りの練習。

 強いて言えば、国王になった時に人をまとめられるかの練習であった。

 こうして見破られてみると、杜撰な計画を立てた自分に腹が立ってきた。


「ウェルロッド侯とウィンザー侯は共に高齢。いつ一線を退かれてもおかしくありません。では、お二方のあとを継ぐのは誰か? ウィルメンテ侯やウォリック侯は軍に関係する役職に就かれるでしょう。ならば、サンダース子爵やセオドア様が継ぐのか?」


 カニンガム男爵は、ノーマン達の目を見る。

 言葉に出さずとも、二人ともがそれは違うという反応をしていた。


「サンダース子爵は政治面よりも軍事面で才能を発揮されたお方で、セオドア様は宰相や外務大臣という役職よりも、内政向きのお方。お二人の代わりは務まらないでしょう。では、誰を後任にするのか? 能力、経験、実績。すべてにおいて十分な方がおられます。年齢という問題すら些末な問題と思えるお方がです」


 三人の視線がアイザックに集まる。


「もしかすると、すでに卒業後には宰相か大臣になると内定しているのかもしれません。エンフィールド公が今やっておられる事は、その時のための予行演習。ノーマンさんがウェルロッド侯の下で外務大臣の手伝いをしているだけではなく、ウィンザー侯の下で宰相の仕事を手伝っている事からも、その可能性が極めて高いものだと考えました」

「あっ!」


 ノーマンが思わず驚きの声をあげる。

「アイザックが学生の間、何もしないのはもったいない」という考えで、モーガン達の手伝いをさせられていると思っていたからだ。

 まさか、数年後に本物の宰相か大臣の秘書官として働く事になるなんて考えてもみなかった。

 トミーも驚いて、アイザックとノーマンを交互に見ている。

 そんな中、アイザックだけが違う意味で驚いていた。


(えっ、俺が宰相とか大臣とか何言ってるんだ? 俺の目的を見破ったんじゃないのか?)


 てっきり、カニンガム男爵に反乱を企てている事がバレたと思っていたのに、見当違いの方向に話が向かっている。

 その事に安心するよりも、より強い困惑がアイザックの頭の中を駆け巡る。


「様々な要素を検討した結果、エンフィールド公は宰相か大臣になったあと、リード王国に大きな変革をもたらそうと考えているという結論に至りました。それはウェルロッド侯が現役であれば、強く反対なさるほど大きなもの。だから、今は人に気付かれぬよう、こっそりと活動をされているのだろうと」


 カニンガム男爵の説明に、ノーマン達は理解を示していた。

 アイザックが自分達に説明をしていないのは、宰相に内定したという事が関係しているからのはず。

 エリアスに口止めされているのなら、誰にでも話せるような事ではない。

 話されなかった事を少し寂しく思うが、納得はできるものだった。


「その大きな変革についていくつかの仮説を立てたのですが、有力なものは議会を作るというものです。ノイアイゼンやファラガット共和国のように」

「ほう、なぜそのように考えたのですか?」


 アイザックは混乱から立ち直っていた。

 カニンガム男爵の仮説が間違っているとわかったので、今は余裕の笑みを浮かべている。

 その笑みが、カニンガム男爵には「よくわかったな」と答えているように見えていた。


「派閥や学年を越え、学生を集めて議論させているからです。既存の派閥にこだわらない、新しい集まり。それはまるで議会の話し合いのようだと思ったのです。エンフィールド公はエルフに国中の街道整備を頼むなど、リード王国全体・・・・・・・の事を考えておられました。決めたのがウェルロッド侯なら自領の整備を頼むか、貴族派の領地の整備を頼むだけだったでしょう。普通の貴族であれば、自分と利害関係がある者の事しか考えないものです。ですが、あなたは違った。国中の街道整備を要請するなど、広い視野を持っておられます」

「それがなぜ議会という答えに繋がるのですか?」

「今の政治は、一部の有力者の考えによって動かされています。それは皆さんもよくご存じのはずです」

 

 4Wと呼ばれる侯爵家のような一部の有力者が政治を動かし、力のない者はパーティーで会った時などに陳情する事しかできない。

 その光景はアイザックも今までに見てきた事だ。

 だが、それはそれでこの国では当たり前の事。

 議会になんの関係があるのかわからなかった。


「貴族を集めての議会ならば違います。大勢が意見を交換するので、領主による領地単位の考えから、国単位の政治的意見が語られるようになるでしょう。それはきっとこの国の政治に大きな変革をもたらすはず。変化を嫌う者には邪魔されるでしょうが、エンフィールド公とウィルメンテ侯が協力すれば、きっと成し遂げられるはずです」


 カニンガム男爵は議会というものを知識でしか知らない。

 だから「利害や上下関係を越えて、より良い未来を目指すための話し合いをする場」という理想的なもののように思いこんでいた。

 過去に意見を述べて「男爵家のこせがれが偉そうに」と却下された事もある。

 陳情・・ではなく、誰でも意見・・を述べられる場ができるというのは、彼自身にとっても歓迎するべき事態だった。


 こういった試みはウェルロッド侯爵家傘下の貴族で試してもいい。

 だが、議会は高位貴族の発言力を削ぐものになる。

 おそらく、モーガンが反対するはずだ。

 だから、アイザックが勉強会と称して学生に議論させているのは、こっそりと議会を進める練習をしているものだと思っていた。


 もちろん、議会においても発言力が議論の流れを左右するとわかっている。

 アイザックが勉強会で意見を述べず、自由に議論させているのもそのためだろうという事も。

 そのため、議会での発言力を高めるため、ウィルメンテ侯爵に協力を申し出るよう進言したのだ。


 ――時代の流れに逆らわず、流れに乗って上手く泳げるようにと。


 しかし、それは間違いだった。

 アイザックは議会の設立など考えていない。

 リード王国にもっと大きな変化をもたらす事を考えているのだから。


「なるほど、そこまで見抜いているとは……。さすがはカニンガム男爵」


 アイザックは降参してみせた。

「反乱を企てています」と言えない以上、彼が想像した話を肯定した方が楽だからだ。


「少人数で国の方向性を考えるのは限度があります。より多くの意見が聞ける場を作る事によって、国全体を正しい方向性にもっていけないかと考えていました。ドワーフの評議会というものを調べて、上手く導入できないか考えていたところです。王家の権威を損なう危険があるので、学生で試していたところですね。……ウィルメンテ侯にすべてを承知の上でお力添えいただけるというのはありがたい事です。ノーマン、口述筆記を」

「は、はい!」


 ドンドン大きな話になって硬直していたノーマンだったが、アイザックに命令されて動き出す。

 まず、アイザックはウィルメンテ侯爵向けの手紙を書かせた。

 内容は「協力の申し出に感謝します。事が成就した暁には、相応の立場を用意させていただきます」という内容だった。

 この内容でいいかカニンガム男爵にも確認したところ、彼からもOKが出た。


 ――アイザックは、自分が国王になった時に大臣などの要職を与えるつもりだった。

 ――カニンガム男爵は、議会で重要な立場をもらえると思っていた。


 アイザックは嘘を言っていない。

 勝手にカニンガム男爵が思い込んでいるだけだ。

 そして、アイザックはカニンガム男爵にも一通の手紙を用意させた。

 その内容は、ウィルメンテ侯爵へ送る手紙と同じものだった。


「私にも? よろしいのですか?」

「かまいません。親友のためとはいえ、いつまでも馬鹿のフリをするのは疲れるでしょう。何か役割を与えられたら力を発揮したというのは、きっかけとして周囲に理解されやすいものでしょう。そろそろ本当の力を見せてもいい頃です」


 アイザックがカニンガム男爵にも役職を約束したのは、一種のワイロのようなものだった。

 自分の秘密を知っている者を軽視して不満を持たれるより、懐柔しておいた方がいい。

 それに、このあとにやってもらう事もある。


「ありがとうございます。私の事をそこまで高く評価してくださったのは、ウィルメンテ侯の他にはエンフィールド公が初めてです」


(お菓子アドバイザーとしてだったけどな……)


 感動するカニンガム男爵を見て、アイザックは少しだけ後ろめたい気分になる。

 だが、やる事はやらねばならない。

 三枚目の書類をノーマンに用意させる。

 内容は「ウィルメンテ侯爵はアイザックが何をしようとしているのかを、すべて理解した上で協力する事を申し出た。この事は時が来るまで口外しない」というものだった。


「それでは、こちらにもサインをお願いします」


 アイザックは、二人に送る手紙にサインをしていた。

 当然、カニンガム男爵にも「ウィルメンテ侯爵代理人、ジャック・カニンガム男爵」と連名でサインさせている。

 そして、三枚目の書類は、アイザックが保管するためのもの。

 いざとなったら、彼らを共犯者として道連れにするためだ。

 アイザックが一方的に利益を保証するだけではなく、彼らにもアイザックの行動を保証しておいてもらうつもりだった。


「喜んで」


 モーガンに知られれば、アイザックはきっと止められる。

 議会は国のためになるとしても、高位貴族の権限を損ねるものだからだ。

 モーガンやウィンザー侯爵には、ウィルメンテ侯爵のようにアイザックと仲良くなるために多少の犠牲を覚悟する必要がない。

 口止めを求める気持ちはよくわかる。

 カニンガム男爵は三枚目の書類にもサインした。

 それを見て、アイザックは満足そうな笑みを浮かべた。


(これで修羅の道へ道連れだ)


 このサインはカニンガム男爵が考えているものとは違う。

 アイザックが行動を起こせば、誰もが反乱に賛同していた・・・・・・・・・と思うだろう。

 そして、ウィルメンテ侯爵もそれに気付き、アイザックに協力する道しか残らなくなる。

 本人がどう思おうが、反乱に加担するしかなくなってしまったのだ。

 ちょっとした勘違いで、とんでもない事態になってしまっている。

 だが、悪い事ばかりでもない。

 物事が上手く進めば、その分見返りも大きいのだから。


「ウィルメンテ侯と直接話したいですね」

「はい、ウィルメンテ侯もそう望んでおられます。今動けば怪しまれるので、冬頃まではお待ちいただく事になりますが」

「そういえば、カニンガム男爵はウィルメンテに戻っておられないのですね。あの店で会ったのも、僕を監視するためですか?」


 カニンガム男爵の返事を聞いて、アイザックは一つの疑問を持った。

 彼が王都に滞在している理由だ。

 特に役職を持っていないので、王都に残る理由が他にない。

 しかし、彼はまたしても苦笑いを浮かべる。


「いえ、あの店で会ったのは偶然です。出掛けた際、帰る前にチョコレートを食べて一服するのが好きなんですよ。家族へのお土産を買うのにもいいですしね。もちろん、王都で大きな動きがあった時は報告するようにと申し付けられてはおります」


 お菓子屋で会ったのは、本当に偶然だったようだ。


(なんという不運。……いや、上手くいってるから幸運か? できる事なら、このまま幸運が続いてほしいもんだ)


 パメラの事がバレて不運だと思っていたが、人間万事塞翁が馬。

 何がどうなるかわかったものではない。

 とりあえず、幸運を招いてくれたカニンガム男爵との関係を、これからもキープしておきたいとアイザックは思った。


「カニンガム男爵もチョコレートがお好きなんですよね? でしたら、クロードさんの話し相手になってくれませんか?」

「クロード殿の? なぜでしょうか?」

「クロードさんは知り合いが多いものの、友人と呼べるほど気楽な関係の大人がいないのですよ」


 そう言って、アイザックはカニンガム男爵に説明を始める。

 正式な大使が就任するまで、クロードはエルフの代表だった。

 自由に振る舞うブリジットとは違い、大使として節度ある対応をしていたが、そのせいで誰とも深く踏み込む関係になれなかった。

 そこでチョコレート好き同士、話が合うのではないかとカニンガム男爵に話を持ち掛けたのだと説明する。


「クロードさんはチョコに醤油――大豆の味がついた塩水をかけて食べたりするほど、チャレンジ精神にあふれています。カニンガム男爵のチョコレートを使ったステーキソースという話にも興味を示すでしょう。チョコレートの未来を語り合える相手がいれば、クロードさんにとっても良い事だと思います」


 アイザックは自分のために言っているが、クロードにとっても・・・・・・・・・良い事だと思っていた。

 だが、カニンガム男爵は違う。


クロード殿に・・・・・・とっても・・・・ですか」


 彼には自分・・にも良い事があると、アイザックが言っているように聞こえていた。


「確かにその通りですね。こうしてエンフィールド公にお会いしたり、ウィルメンテ侯に手紙を送ったりしているのを怪しむ者もいるでしょう。ですが、クロード殿とチョコレートの事を話すためなら不自然ではありません。私にとっては重要な案件ですし、エンフィールド公のもとを訪れるのをウィルメンテ侯に相談するのもおかしくない。ウィルメンテ侯との連絡役として、エンフィールド公とお会いしても自然ですね」


 普段・・のカニンガム男爵なら、クロードの話し相手になる事を重要な案件だと言ってもおかしく思われない。

 それだけの事をウィルメンテ侯爵に相談しても不自然ではないので、頻繁に手紙をやり取りしてもかまわない。

 カニンガム男爵の行動を不審に思って調べる者がいても「チョコレートの事か。くだらない」と思うはずだ。

 カモフラージュにはいい案だと、カニンガム男爵は思っていた。


「実際に話してみて、馬が合うかどうかを確かめてみなければわかりませんけどね。今度、話し合いの場を用意するので、クロードさんと会ってみてください」

「わかりました。私としてもエルフと繋がりを持てるのは歓迎です。いくつか案を用意しておきましょう」

「ありがとうございます」


 カニンガム男爵があっさりと受け入れてくれて、アイザックは感謝する。

 クロードも、人間関係が仕事の関係ばかりでは疲れるはずだ。

 気楽に話せる相手ができて、アイザックもカニンガム男爵と自然に接触できる。


 後日、厨房から「あの二人が気持ち悪いものを作るのを止めてくれ」と泣きつかれる事になるが、アイザックにとっては一石二鳥の素晴らしい案だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る