第312話 カニンガム男爵の告白

 今のアイザックに面会したい者は、ある程度の身分か理由が必要となっている。

 これは学生の間は学業に専念するためだ。

 もう学生になる前の子供と違って、時間に余裕があるわけではない。

 制限なしで面会希望者と会ったりすれば、アイザックは何もできなくなってしまう。

 それでは学業に支障をきたすという事で、家族と相談の上で制限をするようにしていた。

 大体の場合は、ノーマンなどの秘書官が選別する。


 ――だが、時には彼らでは判断できない者からの申し込みもあった。


「カニンガム男爵から面会の申し込み?」

「重大な用件だそうですが……、いかがなさいますか?」


 ノーマンがアイザックに尋ねる。

 カニンガム男爵個人なら、彼の判断で却下している。

 しかし、彼はウィルメンテ侯爵の親友である。

 もし、重大な用件がウィルメンテ侯爵に関係する事ならば、さすがにノーマンの独断で却下はできない。

 問題はカニンガム男爵が、その用件を詳しく話さない事だ。

 彼の噂を聞く限りでは、自分で行動しようと考える頭がないので、ウィルメンテ侯爵の指示によるものと考えるのが自然である。

 だから、ノーマンはアイザックの判断に委ねる事にした。


「面会の予定を入れていいよ。用件は想像がつく。なら、僕は歓迎だ」


 ノーマンの悩みとは裏腹に、アイザックはあっさりと了承した。


(俺の下で働く気になったみたいだな)


 言葉通り、アイザックには心当たりがあった。

 以前、カニンガム男爵をお菓子作りのアドバイザーとして雇おうとした事がある。

 その時は「ウィルメンテ侯を裏切れない」と言って断られたが、心の折り合いがついたのだろう。

 友人を裏切る事になるかもしれないという不安が混じる決断だ。

 彼にとっては重要な用件だ。

 深刻な用件があるかのように面会を申し込んでくるものおかしくない。


「ノーマン。もしかしたら、カニンガム男爵が僕の下につくかもしれないよ」

「ハハハ、ご冗談を。カニンガム男爵はウィルメンテ侯の親友。そう簡単に鞍替えはしないでしょう」


 アイザックの言葉であっても、さすがに今回ばかりはノーマンも笑い飛ばした。

 いくらなんでもあり得ない事だ。


「じゃあ、その日を楽しみにしておくといいよ」

「いや、まさか……」


 ニヤリと笑うアイザックを見て、ノーマンは「えっ、本当に?」と戸惑いを見せていた。


(カニンガム男爵が俺の下につくのは大きいぞ)


 お菓子アドバイザーという肩書きでもかまわない。

「ウィルメンテ侯爵の親友がアイザックの下についた」という事実があれば、それを皮切りに他の貴族達を支配下に置きやすくなる。

 彼は本人に政治的な価値はなくとも、その立場が価値を持つという良い例だ。

 アイザックは彼と会う日を楽しみにしていた。



 ----------



 カニンガム男爵との面会日は、申し込みのあった週末にした。

 予定が空いていたというのもあるが、少しでも早めに会っておきたいという思いがあったからだ。

 同席するのは、ノーマンとトミーの二人。


 マットには貴族としての勉強をさせていた。

 男爵になったという事もあり、余裕のある時は貴族として必要なものを学ぶ時間を用意させている。

 カニンガム男爵の相手は、信頼のできる護衛としてトミー一人がいれば十分だとアイザックは判断していた。


 ――だが、訪れたのはアイザックが待ち望んでいたカニンガム男爵ではなかった。


「突然の面会を受け入れていただき、誠にありがとうございます」


 言葉自体は何の変哲もないもの。

 しかし、彼の表情が以前とは違った。

 今まではランドルフのような優しさと同時に頼りなさを感じさせるものだった。

 だが、今の彼は使者としてふさわしい、頼もしさを感じさせる表情をしている。

 顔には出さないものの、アイザックは彼の変化に戸惑っていた。


「重要な案件でございますので、お人払いをお願い致します」


 挨拶もそこそこに、カニンガム男爵はいきなり要求をしてきた。


「カニンガム男爵、それは――」


 ノーマンが彼の態度を非難しようとするが、アイザックが手の仕草で制止した。


「いいでしょう。カニンガム男爵が話そうとしている内容を考えれば、できるだけ聞く者を減らしたいと考えるのも当然の事。ですが、ノーマンとトミーは残しますよ。彼らは誰にも話しませんし、知っておいてもらう方が今後の動きがやりやすいですので」

「さすがはエンフィールド公。用件まで見抜かれておられるとは……。誰を残すかは、エンフィールド公の判断にお任せ致します」


 アイザックが信頼している相手であるならば、話を聞かれても問題はない。

 それにそうする事で、自分の覚悟も伝わるというもの。

 アイザックの判断に、カニンガム男爵は異論がなかった。

 カニンガム男爵の反応を見て、アイザックはメイド達を下がらせる。

 これで部屋の中には四人だけとなった。

 カニンガム男爵が話を切り出す。


「すべて見抜かれておられるでしょうが、まずは今まで騙していた事を謝罪致します。申し訳ございませんでした」


 カニンガム男爵が謝罪をする。

 しかし、アイザックにはその理由がさっぱりわからなかった。


(ここで「なんの事ですか?」って聞くのはまずいよな……)


 なぜか「騙していた事を見抜いている」という前提で話されている。

 騙された覚えもないので、アイザックは混乱した。

 一度目を閉じ、深呼吸をする事で心を落ち着かせようとする。

 その姿が周囲には「なんだ。あれでバレていないつもりだったのか?」とでも思っているような堂々とした態度に見えていた。


「ノーマンとトミーは知らない話です。僕から説明するよりも、カニンガム男爵の口から説明した方が二人も信じやすいでしょう。彼らに事情を説明してもらえませんか?」


 アイザックはアイザックなりに状況を理解しようとしていた。

 そこで、このような返事をした。

 二人に対する説明を聞けば、騙していたという内容がわかる。

 内容を理解してから、それっぽい事を言ってこの場を誤魔化すつもりだった。

 だが、カニンガム男爵は苦笑いを浮かべる。


「自分で説明しろとは……、エンフィールド公もなかなかお人が悪い。ですが、自分で説明できないような事をしていたと思われたくはありません。説明させていただきましょう」


 カニンガム男爵は、ノーマンとトミーに視線を移す。


「お二人も私の噂は聞いているはずです。ウィルメンテ侯爵家傘下の貴族の中でも特に目立つ愚か者。ウィルメンテ侯の親友でなければ、とっくの昔に貴族社会の最底辺に落ちているだろうと思われている人生の落後者。しかし、それは仮の姿。私は愚か者の演技をしていたのです」


 彼は丁寧な言葉遣いで説明を始める。

 ノーマンは爵位を持たず、トミーは新参者の男爵。

 本来ならばカニンガム男爵の方が格上である。

 だが、爵位の違いが身分の違いとは限らなかった。


 ノーマンはエンフィールド公爵家の筆頭秘書官であり、家宰でもある。

 公爵は名誉爵位なので、家臣団の規模は爵位に比べれば非常に小さなものだ。

 とはいえ、公爵家の家宰といえば、当主への発言力もかなり大きなものとなる。

 重要な役職に就いていない男爵や子爵などよりも、ずっと大きな力を持つ相手だった。

 しかもノーマンの父親であるベンジャミンは、モーガンの筆頭秘書官。

 爵位はなくとも、機嫌を損ねたくない相手である。


 トミーの方は、至ってシンプルだ。

 彼は男爵になったばかりとはいえ、戦場で大手柄を立てるというわかりやすい活躍をしている。

 公式には何も結果を残していないカニンガム男爵よりも、トミーの方が貴族としての序列は上。

 さらにはエンフィールド公爵家の副騎士団長である。

 決して「若造」と侮ったりする事はできなかった。


「演技……、ですか?」


 ノーマンがカニンガム男爵に尋ねる。

 確かにカニンガム男爵が言う通り、本人が言うような事ではなかった。

 周囲に侮られている者が「俺は馬鹿のフリをしていただけだ。本当は賢いんだ」と言っているようなものである。

 このような状況でなければ、あとで同僚と笑い話にしていたところだ。

 にわかには信じられない言葉である。


 カニンガム男爵本人が、一番その事を理解している。

 だから、よりわかりやすく内容を説明しようとしていた。


「七年前の十歳式で起きた事件。あの事件のあと、ウィルメンテ侯爵家では傘下の貴族を集めて会議を行なっていました。そこでウィルメンテ侯はこのようにおっしゃいました。『ウィルメンテ侯爵家はウェルロッド侯爵家と事を構えるつもりはない』と。その時、私は他の者が発言する前に『ウィルメンテ侯爵家は、ですね』と言いました。ウィルメンテ侯爵家は表立って動けないので、我々が勝手に報復行為を行うつもりだという意味を含んでね」


 この話を聞いて、トミーが剣の柄に手を当てる。

 カニンガム男爵を危険人物と判断したからだ。


「トミー」

「閣下!」


 アイザックがトミーの名前を呼んで制止する。

 だが、当然ながらトミーは不満そうな顔をした。

 ここは安全第一でいくべきところだからだ。

 アイザックは「やれやれ」と首を左右に振る。


「やる気ならとっくにやっている。まずは話を最後まで聞くんだ」

「わかりました」


 トミーは剣から手を放す。

 しかし、何かあったら体を張ってアイザックを守ろうと、今まで以上にカニンガム男爵の動きを注意深く観察するようになった。


「もちろん、私には本気でやる気はありませんでした。すべて演技です。そう発言する事で、みんなの前でウィルメンテ侯の不興を買う事が目的だったからです」


 彼の説明を聞き、ノーマンとトミーが「何を言っているんだ?」と首をかしげる。

 アイザックは表面を取り繕いながら「マゾのカミングアウトか?」と、さらに混乱していた。


「私の発言のあと、ウィルメンテ侯は『何か行動を起こす前に言っておくが、ウェルロッド侯爵家になんらかの行動を取った家は問答無用で絶縁する』とおっしゃいました。実際、ウェルロッド侯爵家に行動を起こす家はなかったはずです」


 カニンガム男爵がアイザックに視線を向ける。

 確認という意味だろう。

 それくらいはアイザックにもわかったので「何もなかった」とうなずいて応える。


「そうか! 他の誰かが口にする前に切り出したのは、カニンガム男爵がウィルメンテ侯と親友だからですね」

「その通りです」


 ここまで話を聞いて、ノーマンがカニンガム男爵が何をしていたのかに気付いた。

 しかし、トミーはまだ理解していない様子なので、カニンガム男爵が説明を続ける。


「他の者が同じ事を発言した場合でも、やはりウィルメンテ侯は叱責するでしょう。そして『叱責された』という事実は心に残る。本人や他の者達にも。ですから、私が貧乏くじを引く事にしたのです。『カニンガム男爵がまた失言をした』『あいつが馬鹿な事を言ってくれるから、ウィルメンテ侯の不興を買わずに助かっている』他の貴族達は、きっとそう思っている事でしょう。私がウィルメンテ侯の親友という事で許されたとしても、特別扱いをされていると不満を持つ者はいないはずです。むしろ、また自分達の盾になってくれると喜んでいるでしょう」


 ここまで説明されて、アイザックとトミーはカニンガム男爵がわざわざ馬鹿と思われてまで務めてきた役割を理解した。


 ――親友のために世間体を捨て、ウィルメンテ侯爵家の安定のために身を張っている。


 世間で噂されている内容とは比べ物にならない立派な人物だった。

 だからこそ、アイザックに疑問が浮かぶ。


(俺はそんな凄い奴だなんて見抜いてなんかないんだけど……。どこで何をどう勘違いしたんだか。お菓子アドバイザーとして雇おうとした事か? そんなにチョコが好きだったのか?)


 考えれば考えるほど不思議に思えてくる。

 クロードもチョコが好きだが、エルフを裏切ろうとまでは考えないだろう。

 カニンガム男爵の考えがまったく理解できないので、ここはしばらく様子を見る事にした。


「なるほど、確かに演技がお上手のようですね。今までは噂通りの方だと思っていました」


 トミーがカニンガム男爵の事を見直したが、それでも警戒は緩めない。

 いや、ただ者ではないという事で、より一層強く警戒するようになっていた。


 最善の答えを考える事は難しいが、最悪の答えを考える事の方がもっと難しい。

 人というものは、どうしても無難な答えを導き出してしまうものだ。


 ――誰よりも早く最悪の答えを考え出し、それを誰よりも早く実行する。


 人並み以上の知能と胆力がなければ、そのような事はできない。

 実は優れた能力を持ったカニンガム男爵が、今まで隠してきた事を暴露した。

 だからこそ、トミーが警戒してしまうのも無理はない。

 そんなトミーの警戒心を見て取ったカニンガム男爵は、懐から一通の封書を取り出す。


「ウィルメンテ侯からの手紙です。今日はこれをお届けする使者として参ったのです。内容は、すでに予想されておられるかもしれませんが……」

「いえ、話の前に確認させていただきましょう。勝手に予測で動いてもロクな事はありません。勘違いだった時に恥をかきたくもないですしね」

「それでは、内容をご確認ください」


 カニンガム男爵は、手紙を読み始めたアイザックの事を「さすがに慎重だな」と思った。

 同時に「実力があり、慎重な行動をする相手にどうやって勝てばいいんだ?」という疑問も浮かぶ。

 だが、その疑問はすぐに捨て去った。

 もうアイザックは、敵にはなり得ないのだから。


「……なるほど。ウィルメンテ侯からの協力の申し出ですか」


 手紙を読んだアイザックは、喜ぶよりも恐怖が胸中を占めていた。


(どこで知ったんだ!)


 手紙の内容は、大雑把にまとめれば「将来、アイザックがやろうとしている事への全面的な協力を約束する」というもの。


 ――なぜ知られたのか?

 ――なぜウィルメンテ侯爵は、リード王家に知らせずに協力を申し出たのか?


 何もかもがわからなかった。

 わかるのは一つ。

「理由は目の前の人物が話してくれるだろう」という事だけだった。

 そのために彼はやってきたのだろうから。

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