第310話 ジュディスの相談

 しばらくの間、ニコルに目立つ動きはなかった。

 勉強会では積極的にマイケルと話したりもしているが、今のところはそれだけだ。


 不安になったアイザックがマイケルにニコルの感想を尋ねたが――


「ニコルさんは魅力的な人だと思うよ。でも、僕の天使はジュディスだけさ。フフフッ」


 ――と答えるだけだった。


 まだ攻略されていないらしい。

 だが、油断はできない。

 ロレッタ達を案内している時に、ニコルのやる気を引き出してしまった。

 あの時の様子を見る限り、マイケルも攻略されてしまうのは時間の問題だろう。

 ゲームと違って「フラグが立ったから態度がコロッと変わる」という事はないと思われるので、彼の変化を監視しておかねばならない。


(マイケルやダミアンの攻略が終わったら、今度は俺かフレッドだ……)


 今はデートに誘う程度の関係まで進展していると思われているので、後回しにされているだけだ。

 マイケル達を落とせば、最後の仕上げとして接触してくるだろう。

 辛いのは、同じクラスというところだった。

 毎日顔を合わせるので、ニコルとの接触を避けようがない。


(そうか、順番にじゃない。並行して攻略しようとする可能性だってあるんだよな)


 ――授業中や休み時間にアイザックと接触し、昼休みや放課後にマイケル達と接触する。


 それが無駄のない攻略方法だろう。

 ゲームと違って「行動回数」が一回とか二回とかの制約がない分、結果が出るのも早いのだろう。

 実際、チャールズの攻略は異常なほど早かった。


 マイケルの攻略が進めば進むほど、自分のタイムリミットが迫っているという事がわかりやすい。

 アイザックは、マイケルに「坑道のカナリア」としての役割を期待していた。


 そんな彼も、当然クロード達との懇談会に招待した。

 パメラを呼び出すための理由だったとはいえ、内容自体は誤ったものではない。

 もっとも、アイザックにとってこちらはジュディスがメインの招待客だったのは言うまでもない。

 ジュディスに関しては、ブリジットも「人間の女の子って凄い成長するのね……」と言ってしまうくらい胸に釘付けだった。

 かなりのインパクトがあったようだ。


 さすがにクロードはジロジロみたりはしていなかったが、彼女が帰ったあとでアイザックが質問すると――


「あの大きさは初めて見たな」


 ――と、素直に驚いたと答えた。


 ――三百年以上生きてきた者でも驚きのスタイル。


 今までクロードは、世間話で女性の体形に触れるような事はなかった。

 エルフにはスレンダーな体型の者が多いだけに、驚きも一際大きなものだったのだろう。

 だから、アイザックに尋ねられて、つい答えてしまったのだと思われる。

 下ネタを話さない者ですら話題にしてしまう魅力。

 それがジュディスにはあった。

 これはニコルも持ち合わせていないものだ。

 マイケルの愛は、まだまだ続くものだとアイザックは思っていた。



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 気温が上がり、汗ばみ始めたある日の事。

 アイザックは廊下でレイモンドやルーカスと共に立ち話をしていた。

 彼らの視線は、校庭で走ったりしている運動部の生徒に向けられている。


「部活がないから勉強会を始めたりできたけど、なかったらなかったで少し寂しいような気がするね」

「仕方ないよ、先生がいなくなったんだし。でも、もっと科学を学んでみたかったなぁ……」


 新入生が入らずに廃部という可能性もあったが、それでもピストがいれば科学部が存続していた可能性の方が高い。

 一人くらいなら新入生は入っただろうし、誰も入らなかったらニコラスあたりを引きずり込んで頭数を揃える事ができていた。

 アイザックとしても、ピストの行動は想定外だったので止められなかったのが悔やまれる。

 だが、部活がなくなったという事以外ではいい結果となっている。


「先生にはドワーフとの懸け橋という役割がある。残念だけど、一学期分だけでも学べた事を喜ぶべきなんだろうね」


 レイモンドは残念がってはいるが、現実を前向きに受け止めていた。

 歴史に名を残しそうなピストを、一時的にとはいえ師と仰ぐ事ができた。

 教養としてはたいした事を身に付けられなくとも、思い出としては十分だ。

 彼は良い時代に生まれる事ができたと満足している。


 一方、不満や不安があるのはアイザックだった。

 報告書によると、ピストは研究施設の注文を遠慮なくしているらしい。

 しかも、ドワーフ達はその注文を二つ返事で引き受けているそうだ。

 秘密保持も兼ねて、侵入者を防ぐために要塞のような縄張りになっているとも書かれていた。

 研究所がどんな風になっているのかわかったものではない。

 クランにブレーキ役を期待したが、さすがにドワーフまでノリノリだと止めきれなかったのだろうと思われる。

 ドワーフ側も建設費を持ってくれるとはいえ、膨大な出費にならないよう自重してほしいところだった。


「でも、こうして愚痴を言える分だけマシだよ。ルーカスは連絡役のために部活に入ってなかったんだから」


 アイザックはルーカスを気遣う。

 彼とシャロンは部活に入っていない。

 これはアイザックとパメラの連絡役を果たすためだ。

 連絡役は、いつでも行動できるように身軽でなければならない。

 パメラのために貧乏くじを引いた形となっていた。


「確かにみんなのようにどこかの部活に入りたいと思った事はあるよ。交流も広がるしね。でも、アイザックと友達になれた事は、それらのメリットよりもずっと大きいと思ってる。だから気にしないでよ」


 だが、ルーカスは笑みを浮かべて、気にするなと答えた。

 それもそのはず、男爵家や子爵家の子供と親しくなるよりも、公爵のアイザックと親しくなった方が価値がある。

 それに、アイザックの周囲には男女問わずに人が集まってくる。

 自然と彼らと知り合う事ができるので、人脈作りという面では部活に入るよりも効率的だった。

 唯一、違った青春を過ごす事ができないという事だけが心残りなところではあった。


「まぁ、将来の事に関しては安心していいよ。ウィンザー侯爵家でダメそうだったら、良い条件で僕が雇うからさ」


 アイザックは、パメラとの懸け橋になってくれているルーカスに報いるつもりだった。

 もちろん、本人が優秀そうだからというのもある。

 実務はやらせてみないとわからないが、学業に関しては学年上位をキープしている。

 まったくダメだという事はないはずだ。

 ちゃんと経験を積ませれば、人並み以上にやってくれそうだという期待があるから、自分が雇ってもいいという気持ちになっていた。

 その考えには友情を考慮していない。

 友情だけで分不相応な地位に就ければ、本人が困るだけだ。

 実力があると思っているからこその評価だった。


「とりあえず、将来を安定させるためにも宿題と予習復習でもしておこうか」

「そうだね」


 いつまでも廊下の窓から運動部の活動を見ていても仕方がない。

 図書室などで勉強をしようとアイザックが誘う。


「ひぇっ……」


 移動しようと振り向いたところで、三人が驚いた。


 ――背後に、ジュディスが立っていたからだ。


 アイザックだけではなく、他の二人も彼女の気配に気付けなかった。

 長い黒髪で顔を隠した彼女が気配もなく立っていたのは、汗ばむ季節を忘れてしまうくらい寒気を感じる出来事だった。

 特にアイザックは、前世でテレビの中から似たような姿の女性が出てくるホラー映画を知っているだけに、驚きは人一倍大きなものとなっていた。

 深夜の遭遇であれば、きっと漏らしていただろう。


 三人は驚きのあまり、最初の一言以外に言葉が出てこない。

 ジュディスも俯いて黙ったままなので、気まずい沈黙が訪れる。


「えっと、その……。何か用かな?」


 勇気を振り絞って、アイザックがジュディスに声をかける。

 彼女の体は小刻みに震えている。

 突然「バァ!」と髪の毛が逆立てて、掴みかかられたりしないかと思ってしまう。

 こういうホラーっぽい要素が、彼女の魅力であり欠点でもある。

 女子生徒には占いで大人気だが、占いに興味がないアイザックには魅力を損なう特徴だった。


「マイケル……」


 ジュディスが小さな声でボソッと呟く。

 聞き取りにくいが、おそらく「マイケルの事で話がある」と言ったのだろう。


(あれ? マイケルは普段通りだったような気がするけど……)


 三日前にマイケルと話した時は、彼女が心配するような不穏な素振りは見えなかった。

 なのに、彼に関して話があるという。


「最近、彼の様子がおかしいところはありませんでしたが……。婚約者のあなただからわかる事……という内容の相談ですか?」


 ジュディスがうなずく。

「婚約者との仲が上手くいっていない」というだけなら、身近にいる友達に相談すればいいだけだ。

 だが、それ以上の何かが起きている場合、解決する力を持つ者に相談する必要がある。

 お互いの祖父が良好な関係にあるというだけではなく、ランカスター伯爵自身がアイザックの外部相談役にもなっている。


 ――相談しやすく、解決する能力がある者。


 彼女にとって、それがアイザックだったというだけだ。

 そして、それはアイザックにも簡単に想像できる事だった。


 ――マイケルがニコルに狙われているのは、わかっている事だったからだ。


 ジュディスがレイモンドとルーカスを見る。

 髪の毛のせいで視線がわからなかったが、頭の動きで彼らを気にしている事がわかる。


「彼らは聞いた秘密をベラベラと喋ったりはしません。信用してくださってもかまいませんよ」


 アイザックは、ジュディスが話を聞かれるのを気にしているのだと思った。

 だから、二人の事を信用できると彼女に伝える。

 しかし、ジュディスは首を横に振る。


「ダメ……」

「そうですか。それは残念ですね。ただ、お互いに婚約者を持つ身。二人っきりで会うというのは避けたいと考えるのはお互い様だと思います」


 ジュディスがうなずく。


「ですので、教室の端で話しましょう。彼らには教室の反対側で待っていてもらいます。大きな声で話さなければ聞かれる事もないでしょう」


 ジュディスは、アイザックの提案をしばらく考えてから受け入れた。

 アイザックと逢引きしていると思われれば、これから相談する事の意味がなくなる。

 わざわざ手間をかけさせないためにも、自分が友人を連れてくるべきだったと反省する。


「二人には悪いけど、しばらく付き合ってくれ」

「いいよ。宿題をやっとくから」


 レイモンドの返事に、ルーカスもうなずいて同意する。

 どうせやる事は同じ。

 場所が教室になっただけだ。

 その事に不満はなかった。


「ありがとう。では、ジュディスさん。お話を聞かせていただきますよ」


 アイザックとしても、マイケルの様子を聞いておきたかったし、彼女はランカスター伯爵の孫娘。

 相談に乗って仲良くなっておくに越したことはない。

 嫌がるどころか、喜んで話を聞かせてもらうつもりだった。


「さて、どのようなご用件ですか?」


 席に座ると、アイザックがジュディスに話をうながす。

 控えめな性格の彼女が話しやすいようにしてやる必要を感じていたからだ。

 それでも、彼女はなかなか話を切り出さない。


「マイケルが……、その……」


 その理由は、話す事が苦手だったからだ。


 ――アイザックに相談したいが、それを上手く言葉にできない。


 そのもどかしい気持ちが、アイザックにも伝わってくる。


(相談に乗ってやりたいけど、これじゃあな……)


 アイザックがどうしようか困って、何かいいものがないか教室を見回す。

 すると、宿題をやり始めた友人達のところで視線が止まる。


(そうか!)


 アイザックは自分のカバンから、鉛筆と紙を取り出し、ジュディスの前に置く。


「言いたい事がたくさんあるのでしょう。ですが、考えがまとまらない。上手く言葉にできないというのであれば、文字にしてみるのもいいですよ。少しずつでもいいので、考えている事を書いてみてください」

「あり、がとう……」


 ジュディスは鉛筆を手に取ると、凄い勢いで文字を書いていく。


(これでよく家族のコミュニケーションが取れて……いなかったっけ)


 彼女がこうして話が苦手になったのは、ランカスター伯爵家での問題が大きい。

 占いの能力にばかり注目せず、もっと話を聞いてやっていれば、こうはならなかったはずだ。

 もしかすると、家庭内では意思疎通が取れているのかもしれないが、普段は不便に違いない。


「書けた……」

「なら、読ませてもらいましょう」


 アイザックはジュディスから紙を受け取ると、早速目を通した。


『いつもマイケルは私に「君は天使のようだ」と言ってくれてたんだけどね。二日前から「ニコルさんこそ本物の天使だ」とか「ニコルさんと話していて楽しい」とか言い出したの。それで不安になって「ニコルさんの事好きなの?」って聞いたら「うん、好きだよ」ってあっさり言われちゃった。凄いショックだったなぁ……。それでね、どうしても心配だからマイケルを占ってみたの。そうしたらさ、なんとマイケルがニコルさんの隣で笑顔で立ってる姿が見えちゃったんだよね。超ビックリ! あんなに私の事を好きだって言ってたのに、あっさり鞍替えしちゃうんだもん。どうかしちゃったんじゃないか心配だよ』


(お前の方が心配だよ!)


 文章ではフランクな言葉遣いをするジュディスの事が気になり過ぎて、アイザックは内容が全然頭に入ってこなかった。

 先ほどとは打って変わって、違う意味で彼女の事が怖くなってくる。


「ええっと……、僕にどうしてほしいの?」

「ニコルさんを……」


 ジュディスは話そうとするが、途中で言葉を区切ってまたしても凄い勢いで文章を書き始める。

 その姿を見て、アイザックは不安を感じる。


(マイケルから引き離してっていうくらいならいいけど、暗殺してほしいとかだったら嫌だなぁ……)


 アイザックはジュディスの事を知らない。

 攻略サイトで見た上っ面だけで、どんな内面かまではまったく知らなかった。

 いったいどんな頼み事をされるのか、不安を感じるなという方が無理というもの。

 彼女の容姿が、アイザックの不安を掻き立てていた。


 ジュディスが書き終わったようなので、紙を受け取って読む。


『ニコルさんを引き離してほしいの。占いではマイケルがニコルさんと一緒にいた。でも、占いは占い。まだ未来は決まっていないの。未来なんていくらでも変えられる。これからマイケルの気持ちを取り戻せば、彼の隣で笑っているのは私に戻るはずなんだよ。だから、彼の心を取り戻すための時間を稼いでほしいんだ。最近ニコルさんと話している姿を見かけるし、彼女と親しいんでしょ? ちょっとだけマイケルから引き離しておいてくれない?』


 彼女の文章を見て、アイザックは一つの疑問を持つ。


「それだけ? マイケルに近付かないよう、僕に注意してほしいとかじゃなくて?」


 アイザックの言葉に、ジュディスはうなずくだけだった。

 彼女はまた紙に言葉を書いて、アイザックに見せる。


『だって、他人の力で解決しても意味ないじゃない。それじゃあ、マイケルの心を取り戻したなんて言えないもん。ただ、彼の心を取り戻す時間がほしいだけなの。マイケルの事は私が自分でなんとかするから、ニコルさんの事だけ手を貸してくれないかな?』


「ふーむ……」


 ここは即答でOKと答えてもいいところだった。

 だが、どうしてもアイザックは考え込んでしまう。


(マイケルの攻略は順調に進んでいるみたいだ。けど、その事自体はいい。問題は、そこで俺が口出ししたらどうなるかだ)


 ニコルの邪魔をする事自体はかまわない。

 しかし、それによってジェイソン攻略にどう影響するのかが問題だった。

 マイケルの攻略にムキになって、ジェイソンの攻略がおろそかになってしまうのは絶対に避けたい。

 それに「よくも邪魔したな」と、邪魔者を先に攻略しようとして、自分の攻略に必死になられるのも嫌だ。


 とはいえ、悪い事ばかりでもない。

「アイザックが邪魔をするから、マイケルやダミアンは諦めてジェイソンに集中しよう」と思ってくれるかもしれない。

 ニコルがそんな性格ではなさそうなので期待はできないが、試してみるのも面白そうに思えた。

 今のところ、ニコル頼りの状況である。

 自分から動かしてみるのも悪くはないように思えたので、ジュディスに協力する事にした。


「わかりました。ニコルさんの興味を逸らしてみましょう。もし、マイケルの事で相談があれば、その時は遠慮なくどうぞ」

「……ありがとう」


 ジュディスが嬉しそうに笑った――かのように見えた。

 表情が見えないので、声色や仕草でそう判断しただけだ。


(見た目で判断できないっていうのは厳しいな。特に彼女の場合は)


 ここまでフランクな性格だったとは知らなかった。

 外見で判断するなら「マイケルとニコルが恨めしい」と恨みつらみを書き連ねていてもおかしくなかったところだ。

 しかも、自分でなんとかしようとする強さも持っている。

 占いの結果があるからとはいえ、こちらも見た目に反した性格だった。

 見た目と中身がここまでかけ離れているのも珍しい。


(俺も負けてはいられないな。ニコルの相手をするのがどれほど大変かわからないが、やるだけやってみよう)


 誰よりもか弱そうに見えたジュディスが強さを見せた。

 そのおかげで、アイザックも一歩を踏み出す勇気を持てるようになった。

 それが良い結果になるか、悪い結果になるかは、これから次第である。

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