第295話 ピストとクランの結婚式

 三月十四日のホワイトデー。

 この日、ピストとクランの結婚式が行われた。

 通常であれば、この日に「両親から結婚の許可を取れたよ」と女の子にバレンタインデーのお返しをするはずだった。

 だが、ピストは先に許可を取り、ホワイトデーに結婚式を挙げるという行動に出た。

 三学期は三月下旬まであるので、クランは在学中に結婚した事になる。

 彼女の望みは、予想以上に早く叶った。


 この事にアイザックは感動するのではなく――


(あぁ、そんなに早くザルツシュタットに行きたいんだな……)


 ――とドン引きしていた。


 ピストの事を知らなければ「バレンタインデーのお返しとして、ホワイトデーに結婚式を挙げるとか凄いな」と素直に感動していただろう。

 だが、アイザックはピストの事を知っている。

 表面上の事を多少知っているだけで、こんな風に行動の裏が読めるわかりやすい人間というわけだ。

 裏表のない人間と言えば良く聞こえるが、こういう場合は裏があってほしいものである。


 結婚式にはウェルロッド侯爵家の男達が総出で出席していた。

 アイザックは、ピストの生徒としてレイモンドと共に。

 モーガンは、科学がドワーフとの友好の架け橋になる事を期待しているので外務大臣として。

 ランドルフは、ザルツシュタットに向かうピストの支援を領主代理として行うので、顔合わせを兼ねて出席していた。

 この三人に加えて、ドワーフの大使であるヴィリーまで出席するというVIP待遇であった。

 ピストとクランの友人や、ピストのかつて教えた事のある元生徒達は、かつてない緊張の中で二人を祝っていた。


 中でも、ピストの両親は顔面蒼白にして出席しているのが目に付いた。

 本来ならおめでたい事なのだが、彼らにとってそれどころではない理由があったからだ。

 その理由は、アイザックが挨拶に向かった時に判明する。


「おめでとうございます」

「あ、ありがとうございます! なんでもエンフィールド公が直々に推薦状を書いてくださったようで……。息子は結婚できないだろうと思っていたので、本当になんとお礼を申し上げればよいのか」


 ピストの母は、感謝で何度も頭を下げる。

 三十手前まで独身で、科学というものに熱を上げていた。

 いや、今も熱を上げている。

 そんな息子と結婚してくれるという物好きがいるはずがない。

 アイザックがクランを紹介してくれなければ、絶対に結婚ができなかったと思っている。

 心の底から深くアイザックに感謝していた。

 だが、今のところは「好きだ」と言ってくれているクランが、いつ離婚を言い出すのか心配で仕方がなかった。


 一方、ピストの父の方はそうではなかった。

 感謝はしているが、それ以上に心配している事があったからだ。


「あんなに良い子を紹介してくださって感謝しております。こちらからお礼をせねばならない立場なのですが、一つお願いがございます」

「なんでしょう?」

「息子が犯した罪を家族には問わないという公文書をいただけないでしょうか? もちろん、横領などの罪を犯すというわけではありません。ですが、きっとドワーフの不興を買うような事をしでかすでしょう。その時、家族にまで連帯するという事がないようにお願いしたいのです」


 彼の目は「あなたがドワーフと共同の研究所を建てるなんて言い出したんだから、責任はそっちで取ってくれ」という気持ちを語っていた。

 教師をやっているだけでも十分に満足していたのに、ドワーフとの友好の架け橋なんていう無茶な役割を任せてきたのだ。

 ドワーフとの交流はエリアスも乗り気だというのは、心底嬉しそうにパレードを行っていた事でも窺い知る事ができる。

 失敗した時の責任もそれだけ重いはずだ。

 分不相応な役割を任せた以上、アイザックに任命責任というものを果たしてほしいという気持ちがあった。


 アイザックも彼の気持ちがよくわかった。

 しかし、ピストに心配はない。


「わかりました。後日、エンフィールド公爵とウェルロッド侯爵が連名でサインした公文書をお送りしましょう。でも、心配はしなくて大丈夫ですよ。ドワーフの方々はピストさんと気が合います。むしろ、ドワーフの中にいた方が違和感がないのではないでしょうか」

「そ、そうですか。ありがとうございます……」


 アイザックに安全を保証してもらえるのは嬉しいが、息子が人間社会よりドワーフ社会に似合っていると知って複雑なのだろう。

 ピストの父は、何とも表現し難い複雑な笑みを浮かべた。


「他の人と同じように育てるよりも、個性的に育てる方が難しいと思います。強引に矯正しようとせず、才能を伸ばしてきたから今のピストさんがあるんです。あなた方の息子さんは、科学者としてリード王国を代表するほどになりました。気持ちよく見送ってあげましょう」

「エンフィールド公、ありがとうございます」

「息子をよろしくお願いいたします」


 アイザックがピストを褒めると、感極まったのかピストの両親が泣き始める。

 色物扱いから一転して、ドワーフ相手の切り札的存在になったのだ。

 戸惑うばかりで、喜んでいいのかどうかすらわからない状況だったのだろう。

 アイザックに褒められて、ようやく喜んでいいのだと思い、涙腺が緩んだようだ。

 変わり者の親というものの苦労が感じられる。


 一方、クランの両親は能天気だった。


「これがエンフィールド公の推薦状だ。初めて書かれたそうだ」

「そりゃあ、こんなものもらっちまったら、娘を嫁に出すしかないわな」


 アイザックの推薦状を親戚に見せびらかしている。

 それも無理のない事。

 ピストの家もクランの家も、貴族とはいえ傍流。

 嫡流の本家でも、高位貴族との接触は数少ない。

 そんな中、貴族の中では高位も高位。

 公爵のアイザックから推薦状を娘がもらったのだ。

 たかが紙切れ一枚といえども、本家も羨む宝物となっていた。


「科学なんていうわけのわからないものに熱中していて、もう嫁の貰い手がないと思っていたのに……」

「こんないいところに行けるなんてねぇ」


 今までは「うちの娘に何教えてくれてるんだ、コラ!」と憎んでいたピストが、ここまで良物件に変わるなんて思いもしなかった。

 どこにも嫁に行けそうにないと諦めていたので、ちゃんと責任を取ってくれて、良いところに嫁入りできる結果になって喜んでいるようだ。


(いい結婚だったのかな)


 アイザックは、そのように感じた。

 クランが科学と出会わなければ、もしかするとより幸せな人生を歩めたのかもしれない。

 だが、もう科学を知り、ピストを知ってしまったのだからすでに手後れだ。

 こういう形に収まるのが一番良かったのかもしれない。

 そう思うと、ニコルの事を抜きにしても良い仕事をした気分になれた。

 あとは本人達が上手くやってくれるのを願うだけだ。



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 結局、三学期は大きな動きがなかった。

 そのせいで「ひょっとすると、ニコルは話し合えば分かり合えるのではないか?」という考えが、アイザックの脳裏に浮かぶ。

 だが、すぐにその考えを振り払った。

 大きな動きがなかっただけで、ニコルが何もしなかったというわけではない。

 ジェイソン達を攻略していないだけで、接触をやめてはいない。

 今は歩みを緩めただけだ。


 アイザックも、何もしていないというわけではなかった。

 ピストの事はドワーフとの関係を深めるのに必要だった。

 ドワーフとの関係を深めて、より多くの火薬を売ってもらうというのもある。

 しかし、それだけではない。

「ドワーフと繋がりの深いアイザックの味方になれば、おこぼれをもらえるかもしれない」と貴族達に思わせる事が重要だった。

 味方の数は多い方がいい。


 勉強会も順調だった。

 三学期になると、部活を引退した三年生の参加が増えていた。

 社会に出る前に、派閥の事を勉強をしておこうというのだろう。

 新社会人になる彼らの口コミで、来年度は新入生の興味を引く集まりになっているかもしれない。

 一人一人の力は小さくとも、横の繋がりを強化する事で将来に繋がる一歩になってくれるはずだ。

 ニコルのように特定の誰か・・・・・を攻略してはいないが、不特定多数との繋がりを強化している。

 地道にではあるが、前に進んでいるはずだった。


 そう、アイザックは地道にやっている。

 今はそれで満足していた。

 だが、彼の近くで大きな出来事が動き始める。


 アイザックは春休みに入ってすぐ、王宮に呼び出された。

 用件が「ファーティル王国に関する事」というので、また戦争が近いのかと思っていたが、それは違うとすぐに気付かされた。

 見た覚えのある顔があったからだ。


「アイザック様! いえ、エンフィールド公。お久し振りです」

「……お久し振りです。ロレッタ殿下」


 ――ロレッタ・ファーティル。


 彼女の他にソーニクロフト侯爵などの姿もあった。

 この状況に遭遇し、さすがにアイザックも気付く。


(また婚約話を持ち込んできたか。それも本人を連れて……)


 本人を前にすれば、断り辛いだろうと思われたのかもしれない。

 確かに以前会った時よりも魅力的な女性に成長してはいる。

 彼女の父である王太子には娘しかいないので、彼女と結婚すれば未来のファーティル王国国王になれるという魅力もある。

 受けてしまえば、楽に王様になれるルートだという事はわかっている。


 ――だが、アイザックは今までの努力を無駄にはしたくなかった。


 今までの努力があってこそ、こういう話が舞い込んでくるという事もわかっていた。

 前世であれば、ロレッタとの婚約に飛びついていただろう。

 しかし今のアイザックは、妥協してしまうよりも、このまま目指せるところまで上を目指そうという気持ちの方が勝っていた。


(本人を傷つけないよう、どう断ろうか……)


 そのせいか「結婚したい」という気持ちよりも「どう断ろうか」という考えが先に浮かぶ。

 それだけ、パメラへの思いの方が強い。


 アイザックが何かを言う前に、エリアスが先に口を開いた。


「ロレッタ王女は、我が国に留学する事になった。先輩としてエスコートをしてやってほしい」

「留学ですか?」


 これはアイザックの予想外の出来事だった。


 ――婚約ではなく留学。


 アイザックが断るかどうかなど関係のない事だったからだ。


「そうだ、留学だ。ロレッタ王女の曾祖母はリード王家の王女だった。血縁と呼べるのは三代までという暗黙の了解があるが、今回はリード王家の準王族として受け入れる事にした。隣国の王族というよりも、その方が他の生徒達に受け入れられやすいだろうからな」

「ファーティル王国としても、殿下がリード王国に留学なさるというのは歓迎すべき事。王族が分散しているのは、非常時の備えとして有効ですので」


(あー、そうか。王都アスキスまで攻め込まれていたもんな。ロックウェル王国にも、まだまだ戦力は残っている。また同じような事になった時に備えて留学させておこうって考えたのか)


 リード王国は同盟国に囲まれているので安全。

 危険な状態になるとすれば、同盟国が裏切るか内乱が起きるかした時くらいだろう。

 今のリード王国は勢いを増しているので、前者の心配はない。

 過去に粛清の嵐を巻き起こしてきたウェルロッド侯爵家の当たり年であるアイザックが台頭してきているので、後者もまずありえない。


 ――まだ戦後すぐなので、安全な場所に王族を一人だけでも避難させておく。


 ソーニクロフト侯爵の説明で、アイザックは留学の理由を理解したつもりになった。

 本当の狙いは違うところにあったのだが、もっともらしい理由を聞いて、それで納得する。

 しかし、疑問は残る。


「ジェイソン殿下がお相手をなさるのではダメなのですか?」

「最初はそれも考えた。だが、パメラ以外の者がジェイソンに近付くのは危ないのではないかと考えたのだ。仲が深まるのはいいが、深まり過ぎるのはよくない。今からロレッタ王女と婚約するような事になれば、ウェルロッド侯爵家のような混乱が起きるかもしれない。そなたもそれは望まないはずだ」

「その通りです」


 ジェイソンとロレッタが婚約すれば、王女であるロレッタが王妃になるだろう。

 そうなると、王妃になるはずだったパメラや実家のウィンザー侯爵家が不満を持つ。

 火種からどこまで燃え広がるかはわからないが、余計な事はしない方がいいという考えは理解できた。


「そこでだ。友好国の王女の相手をするのに不足のない立場で、婚約者の問題のないそなたに相手をしてもらう事にした。なに、難しい事はない。ただ、異国の地で寂しくないように相手をしてくれるだけでいいのだ」


 エリアスがニヤリと笑う。

 その顔を見て、アイザックはエリアスの本当の狙いに気が付いた。


(こいつ、あわよくば俺に押し付ける気だな! 準王族なんて言い出すからおかしいと思ったんだよ!)


 もちろん、先ほど考えた安全のためという理由もあるだろう。

 だが、エリアスの本当の狙いは、アイザックとの関係強化にあるようだ。

 わざわざ準王族扱いにするというのも、年頃の若い娘がリード王家にいないからだろう。

 ファーティル王国とは同盟を結んでいるので、アイザックがファーティル国王になったとしても少し寂しく思うだけ。

 味方である事には変わりはないと考えているのかもしれない。


 そして「婚約しろ」と命じているわけではないというのが大きい。

 ロレッタの話相手として接しているうちに、自然と親しくなっていくのを期待しているのだと思われる。

 自然な流れに期待しているだけだ。


 ――エリアスは何一つ約束を破っていない。


 約束を破っていないとはいえ、卑劣なやり方にアイザックは不満を持った。


「しかし、ロレッタ殿下がお一人だけで留学されるのですか? さすがにそれでは寂しすぎるでしょう」


 ――他にも友達を用意しろ。


 そう遠回しに要求する事で、自分にだけ押し付けられるのを避けようとした。


「この場に来ていないだけで、お友達は一緒に来てくれています。ソーニクロフト侯爵家からも、ニコラスが婚約者と共に来てくれているのですよ」

「そうですか。ニコラスも」


 ニコラス・ソーニクロフト。

 彼はソーニクロフト侯爵の孫で、クリストファーの三男である。

 援軍に向かった時に少しだけ顔を会わせた事もある相手だ。


「だから、ソーニクロフト侯もいらしていたんですね」

「いえ、私は殿下の護衛兼使者という立場できております。孫の事はついでという事になります」

「あぁ、そういえば複雑な事情がありましたね」


 アイザックは、ソーニクロフト侯爵が使者に出されている理由を思い出した。

 他に信頼できる者がいないからだ。

 外務大臣という要職を任せていたグレンヴィル伯爵が、よりにもよってロックウェル王国に寝返っていた。

 そのせいで、誰を信用していいのかわからなくなり、救国の英雄であるウェルロッド侯爵家と縁のあるソーニクロフト侯爵家しか信じられなくなっていた。

 だから、ソーニクロフト侯爵は財務大臣なのに外交官のような役割を任されているのだった。


「復興の予算編成などは大変なので、息抜きになっていいのですが、国に帰った時にどれだけ書類が積みあがっているのかは不安ですね」

「それはご愁傷様です」


 留守中は誰かに仕事を任せているだろうが、それでも大臣でなければ決裁できないものも多い。

 彼の苦労が容易に想像できた。


「殿下の事をお願いできれば、私も安心して仕事に専念できるのですが……」

「私からもよろしくお願い致します」


 ロレッタとソーニクロフト侯爵の二人に上目遣いで見られ、アイザックは自然とソーニクロフト侯爵から目を背ける。

 おっさんの上目遣いをされるのは、もうウンザリだからだ。


「もちろん、友好国の王族の相手をするという栄誉を預かるのは光栄な事。喜んで引き受けさせていただきます」

「ありがとうございます」


 アイザックは迷ったものの、この申し出を受けた。

 本人を前に断れる頼みではないし、まだ強引に何かをされたわけではない。

 何かされてから対抗手段を考えればいいと思い、ひとまず受け入れる事にした。


「入学するまでに色々と準備がありますので、しばらくは忙しいと思います。入学してからでも相手をしてくださると嬉しいです」

「かしこまりました。何か考えておきましょう」


 ロレッタの頼みを、アイザックは快諾する。

 この問題は、どうにかなる見込みがあると思っていたからだ。

 アイザック自身が望まなければ婚約する事にはならないだろうし、一人で相手をしなくてはならないというわけでもない。


 ――ティファニーやアマンダを誘って、複数人で相手をしてあげれば余計な噂は立たない。


 アイザックは、二人が一緒ならば何も問題が起きないだろうと考えていた。

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