第294話 嬉しいプレゼント

 二月十四日。

 この日、アイザックは世界を呪っていた。


(クソッ、なんでだよ。そりゃあ、義理チョコという風習のない世界だけどさ。何ももらえなかったなんて……)


 ――顔、身分、財力、人脈。


 同世代の中ならジェイソンと一、二を争う良物件だったはずだ。

 だが、何ももらえなかった。

 これでは前世と同じである。

 従姉妹のティファニーからはお情けで何かもらえるかもと期待していたが、彼女からももらえなかった。

 チャールズの事もあったので、それどころではないとわかっているものの、やはり寂しい気持ちになる。


(モテないのって俺の性格のせいなのかな? こんな良い顔と体格なのに……)


 ――前世とは比べ物にならないほど恵まれた体。


 だが、それをもってしてもモテないのは、自分の性格にあるのではないかと考える。


(女の子の扱いには気を使っているつもりなんだけどなぁ……。まぁ、この世界に義理チョコみたいな文化がなくてよかった。やっぱり、悪しき風習は広めちゃダメだな。そういう文化がないとわかっているから、まだ耐えられる)


「義理チョコのようなものをもらえるかも?」と思っていたが、実際に何ももらえないとダメージが大きい。

 期待するから絶望する。

 義理チョコ文化がなかったのは、この世界の優しさだったのかもしれない。

 失意のまま、アイザックは自宅へ帰る。



 ----------



 肩を落としながら帰宅したアイザックだったが、彼に救いの手を差し伸べてくれる者がいた。


「アイザック様のためにパンケーキを用意いたしました」


 ――リサだ。


 今はまだアイザックとの間に正式な何かがあるわけではない。

 なので、さすがにアイザックだけ・・・・・・・というのは気が引けたのだろう。

 クロードとブリジットも呼んでいた。


「わたしもてつだったんだよ」


 ――そして、ケンドラも。


「バレンタインデーが好きな人に贈り物をする日だとお聞きになったケンドラ様が、アイザック様に何かプレゼントしたいと仰ったので、生地を混ぜるのを手伝っていただきました」


 ケンドラがどう手伝ったのかを、リサが教えてくれた。

 実質的にリサが全部作ったようなものだ。

 だが、ケンドラの気持ちが嬉しくて、アイザックは涙が出そうになる。


「ありがとう、嬉しいよ」


 アイザックは、ケンドラを抱き上げて頬ずりをする。

 プレゼントが嬉しいというのもあるが「好きな人に贈り物をしたい」と思うほど成長している事も嬉しかった。


「こんどはローランドにもつくってあげるの」

「それはダメだよ。ローランドには、もっと大きくなってからでいいから」


 ケンドラの成長に感動していたものの、今度は即座に否定した。

 これにはブリジットとクロードも黙って見ていられなかった。


「ちょっと、子供に嫉妬するのは見苦しいわよ」

「親が子離れできないというのは聞くが、兄が妹離れできないというのはどうかと思うぞ」

「だって、こんなに可愛いじゃないですか。どこの馬の骨かわからない男に渡せませんよ」

「相手はこの国で五指に入る名家の息子じゃないか……」

 

 さすがにブリジットとクロードがアイザックの態度に呆れる。

 父親が「ウチの娘はどこにもやらん」と言うのはわかるが、兄がここまで妹を可愛がるのはあまり聞いた事がない。

 だが、二人はそれを深く追及する事はなかった。


 ――過去に兄弟間での争いがあったので、今度は妹と仲良くやろうという気持ちが強く出てしまっている。


 そういう理由があるのだろうと思ったからだ。

 兄妹仲が良いのは問題のない事。

 むしろ、推奨すべき事だ。

 問題があるとすれば、気持ちが強すぎるというところだろう。

 とはいえ、まだ六歳でしかない妹の婚約者に嫉妬するのは酷すぎる。

 そういうところは、許容しきれなかった。


「なにをつけてたべる?」


 ケンドラがアイザックに尋ねた。

 ジャムやチョコレートなどの他に、小さく切られた果物が用意されている。


「ジャムかな」


 アイザックは夕食の事を考え、ジャムだけを選んだ。

 すると、ケンドラがパンケーキにジャムを塗ってくれた。

 本人は本気で頑張ってくれているのだろうが、アイザックにはおままごとの延長のように見えた。

 幼い頃にリサやティファニーとおままごとをやっていた事を思い出し、微笑ましい気持ちになる。

 クロードはチョコレート、ブリジットは生クリームとイチゴのトッピングを頼んでいた。


「おいしいよ。ケンドラも食べてごらん」


 アイザックは一口食べると、ケンドラにも一口サイズに切ったものを食べさせようとする。

 ケンドラは料理を出す側という事もあってか、パンケーキはアイザック達、三人の分しか用意されていない。

 せっかく初めて作ったのだ。

 一口くらいは思い出に食べておいてほしかった。

 ケンドラはアイザックに差し出されたパンケーキを食べると、笑みを浮かべた。


「うん、おいしい!」

「ケンドラがリサと一緒にこれを作ったんだぞ。よくやったな」


 アイザックが褒めると、ケンドラが「えへへ」と笑う。

 その姿が可愛らしくて、アイザックはまた頬ずりをする。


「リサも手伝ってくれてありがとう」


 アイザックはリサに対して感謝の言葉も忘れなかった。

 ケンドラは材料を混ぜただけで、実際にパンケーキを作ったのは彼女だ。

 材料を混ぜるよりも、ほどよく焼く方が難しい。

 ちゃんと食べられるものとして形にしてくれた事に感謝していた。


「そういってくださって嬉しいです」

「子供の頃に出されたものと違って、ちゃんと食べられるものだったから食べやすかったよ」


 昔の事を思い出していたせいだろう。

 アイザックは、リサがバレンタインデーに初めて料理を作ってきてくれた事も思い出していた。

 だが、それはよろしくなかった。

 リサが一つの疑念を抱いてしまったからだ。


「よく覚えていらっしゃいますね。……もしかして、あの時食べなかったのは、食べたくなかったからなのですか?」

「そ、そんな事ないよ。あの時言った言葉に偽りはないよ。だから、今はこうして食べているじゃないか」


 アイザックは、嘘ではない証拠にパクパクとパンケーキを食べる。

 幼い頃にリサが持ってきたパンケーキは真っ黒こげだった。

 確かに食べたくなかったから、さりげなくアデラに押し付けた。

 しかし、それだけではない。

「初めての手料理は婚約者に食べさせるべきだ」という理由も、ちょっとは含まれていた。

 それは今、こうして自分が食べている事で証明していた。


 リサには「婚約者ができなければ、自分の第二夫人に」という話をしている。

 正式に婚約をしたわけではないし、ケンドラの手伝いという形だとはいえ、こうしてバレンタインデーに手料理を食べている。

 リサの手料理を食べる事で、過去の発言が嘘ではないと行動で証明しているはずだった。

 その事は彼女も理解したのか、それ以上「初めての手料理を食べてくれなかった」と責めてくる事はなかった。


 それからは和やかな雰囲気でティータイムを過ごした。

 ここでアイザックは気付かなくてもいい事に気付く。


(あれ? これって、結局身内からしかもらえてないんじゃ……) 


 ケンドラは言うまでもなく妹。

 リサはギリギリ他人と言えなくもないが、乳姉弟なので姉のような存在。

「前世同様に身内からしかバレンタインデーにプレゼントを貰えなかったのでは?」という疑問を持ってしまった。

 こういう事は考えてしまったら負けである。

 残念な気持ちが心の中に湧き出るように溢れてきて、少し寂しくなる。

 失意のアイザックに、ブリジットが照れながら話しかける。


「実はね、私もプレゼントを用意してるんだ」

「へぇ、ブリジットさんも?」

「ちょっと待っててね」


 アイザックには、彼女が何をプレゼントしてくるのかがわからなかった。

 昆虫の詰め合わせとかを出されたら、ケンドラを連れてこの場をダッシュで逃げようと決意を固める。

 彼女が素焼きの壺を持ってきた時点で、警戒レベルがマックスになる。


「前から欲しがってたでしょ? エドモンドさん達が持ってきていたのを分けてもらったの」

「前から?」


(何を欲しがってたっけ?)


 自分がブリジットに何かを求めた事があっただろうか?

 疑問に思いながら壺の蓋を開けると、懐かしい香りが鼻をくすぐる。


「味噌だ!」


 プレゼントの中身は「見た目の評判がよくないから」と、入手を諦めていた味噌だった。

 意外なプレゼントに、アイザックは喜ぶ。


「……泥?」

「違うよ、ケンドラ。これは味噌といって、調味料なんだ。スープに使ったりするんだよ」


 アイザックは妹に味噌の事を教える。

 子供とはいえ、う〇こと言わなかったのは、育ちがいいからだろう。


「ブリジットさん、ありがとうございます。いやぁ、嬉しいなぁ。肉味噌でも作ろうかな。味噌汁は……、ダシが難しいな。ブイヨンでも使ってみるかな」


 牛や豚、鶏の骨を使ったブイヨンを使えば、ダシには困らない。

 味噌汁ではなく、味噌ラーメンのスープに近くなるかもしれないが、それはそれで懐かしい味だ。

 だが、そうなるとそれだけでは物足りない。


「うどんがあればなぁ。味噌煮込みうどんという食べ方もできるのに」

「うどんが食べたいのか? うどんを打てるから、作ってもいいが」

「えっ、クロードさんは作れるんですか?」


 求める人材が意外と身近にいた事にアイザックは驚く。


「親父に教えられたからな。商売にまではできないが、家で食べる分には問題ないだろう。スパゲティを作れる料理人なら打てるんじゃないか?」

「スパゲティとは似て非なるものだよ。そうかぁ、クロードさんはうどんが打てるんだ。女の人だったら結婚を申し込んでいたところだよ」

「ちょっと、お味噌をあげたのは私でしょう! なんでクロードに!」

「クロード様は男性ですよ。結婚なんてとんでもない!」


 この日一番の高評価に、ブリジットとリサが抗議の声を上げる。

 まだ自分達のどちらかが選ばれて負けたのなら納得できていたが、よりにもよって男のクロードに負けたのが悔しかったようだ。

 二人とも険しい目をしている。


「いや、だから女の人だったらって言ったじゃないか。それに、味噌はエドモンドさんが分けてくれたものなんじゃないの?」


 なぜか問い詰められてしまったので、アイザックは慌てながら否定する。

 その様子を見て、クロードが笑う。


「本当におかしな奴だ。たかがうどんでそこまで言うとはな。人間じゃなく、エルフに生まれていた方が幸せだったんじゃないか?」


 エルフの自分達よりも、アイザックの方がうどんなどを好んで食べようとする。

 奇妙な事だが、そんな男だからこそ、エルフやドワーフと仲良くしようと考えたのだろうと思うと、アイザックの事を「ただの変わり者」と一言で表す事はできなかった。


 ブリジットがなぜかブツブツと言う以外は、基本的には和やかな時間が過ぎた。

 今までこんな風に長々と不満を言ったりはしていなかったので、アイザックはどうしたんだろうと不思議に思っていた。


 そろそろティータイムも終わろうとしていた頃。

 門番をしていた兵士がやってきた。


「ご歓談中に失礼いたします。クランというご婦人がアイザック様にお会いしたいと言っておられます。いかがいたしましょうか? 泣いておられたので、用件は伺えませんでした」


 ――泣いている女性がアイザックに会いにきた。


 この報告を聞き、またブリジットの視線が険しくなる。


「なに、女の子を泣かせるような事をしているの?」

「してない、してない。クランっていうのは、学校の先輩だよ。泣かせるどころか、幸せになれるように口利きをしてあげたりしていたくらいだ。身に覚えがないよ」

「本当に?」

「本当だって。女性関係の不祥事は起こした事なんてない」


 アイザックはキッパリと言い切った。

 女性関係で不祥事を起こすほど深い関係になった事もない。

 問題になるとすれば、この世界の女性にノーブラ疑惑が浮かび上がった時に、セクハラ染みた視線をメイドに向けていた事くらいだ。

 この世界では、ギリギリセーフなラインだったはずだ。


「ピストさんの事が好きだったものの、家族の賛同を得られそうになかったので、推薦状を書いてあげたんですよ。今日はバレンタインデーだから、ピストさんに告白したりしたんじゃないですか? それで、ダメだったから泣いているとか」

「あの人は女性に対する配慮とかが甘そうだったな。傷つけるような振り方をしたのかもしれないな」


 クロードがピストの事を思い出しながら、なぜかチラリとアイザックの方を見た。

 アイザックは「なんでこっちを見るんだろう?」と首をかしげる。


「とりあえず、先輩の様子を見にいってくるよ。ケンドラ、リサ、ごちそうさま。ブリジットさんもお味噌をありがとう。今度の休みにクロードさんにうどんを打ってもらって、みんなでお昼ごはんに食べよう」


 アイザックは、そう言い残して席を立つ。


「クラン先輩はどこにいる?」

「泣いている女性を門前で待たせておくのもどうかと思ったので、玄関ホールに案内しております」

「うん、いい気配りだ」


 感謝を込めて、兵士の肩をポンと叩く。

 泣いている女性を門前で待たせておけば、ご近所のいい噂の的になる。

 勝手に屋敷に入れるなと怒るのは簡単だが、怒られる覚悟で配慮ある行動をしてくれるのはありがたい事だ。

 自主的に判断ができる部下を育てている祖父に感謝した。


(それにしても、あの先生もダメだな。あんなにわかりやすい好意に気付かず、告白されてまで断るなんてさ)


 アイザックはピストの鈍感振りに呆れながら、玄関ホールへと向かった。



 ----------



 玄関ホールの壁際に備えられたソファーにクランは座っていた。

 確かに彼女は泣いている。

 遠巻きに手隙のメイド達が「何事か?」と様子を見ている。

 アイザックが来たのを確認すると、蜘蛛の子を散らすように去っていった。


(ううっ、気まずい……。どう慰めればいいんだ)


 フラれた女の子の慰め方などわからない。

 ティファニーの時でさえ、どうすればいいのかわからずリサに放り投げていた。

 今からでもリサを呼び出すかどうか迷ってしまう。

 アイザックが近づいていくと、気がついたクランが駆け寄ってくる。


 ――彼女はそのままスライディング土下座をした!


「ありがとうございます!」

「えっ、……何が?」


 アイザックは今までにないくらい困惑していた。

 泣いている女の子を土下座させて喜ぶ趣味もなければ、土下座して喜ぶ変態とお知り合いになった記憶もない。

 状況に思考が追いついていけなかった。


「先生に告白したところ、ホワイトデーを待たずに『妻としてザルツシュタットに付いてきてくれないか?』という返事をいただきました。エンフィールド公のおかげです。ありがとうございました!」

「あぁ、うん……。役に立ったんならよかった。ご家族はどう言っていたんですか?」

「エンフィールド公の推薦状を見て反対から一転、絶対に結婚しろと言われました。でも、先生に断られると思っていたから嬉しいです!」

「クラン先輩はピストさんとお似合いだから大丈夫だと思っていましたよ」


 アイザックは心底安心する。

 フラれた悲しみで泣いているのではなく、嬉し涙の方だったからだ。


(念のために嫁さんもらった方がいいよと言っておいた効果もあったのかな)


 裏でこっそりピストにさりげないアピールをしておいてよかったとアイザックは思う。


「ピスト先生はこれからのリード王国に必要な人です。一緒に研究に夢中になるのではなく、食事などの健康面にも気を付けてあげてください。特にドワーフの街なので、酒盛りに参加する回数には要注意です。お酒で体を壊したら元も子もないですからね」

「はい、頑張ります! しっかり体調を管理します」


 クランは土下座をしたまま決意を表明する。

 先ほど散っていったメイド達が陰からこっそりと見ている気配がするので、頭を上げてほしいところだ。

 付いてきた門番の兵士が噂という形で真実を話してくれる事を祈るしかない。


(……それにしても、ニコルが静かだな。あいつなら価値の上がっているピストを狙ったりしてもおかしくないのに)


 最近、不気味なほど静かなニコルの事が恐ろしくなる。

 自分が裏で色々と動いているだけに、彼女も何かを狙っているのではないかという気がしてしまう。


(もしかして、実は言われた事を守る素直な女の子? いや、でもだったらパメラとの事をチラつかせてくるか? 何を考えているかわからない不気味な奴だ。油断はできない)


 ピストとクランの事が上手く進んでいるのは嬉しいが、それだけに二人の邪魔をする存在であるニコルの事が気にかかる。

 チャールズの事を考えれば、ダミアンとマイケルくらいは攻略が終わっていそうなものだ。


(ひょっとすると、日時指定のイベントを待っているだけとか? まったく、裏で何を考えているのかわからない奴なんて不気味過ぎるな)


 アイザックは、自分で「ゆっくりやれ」と言いながらも、本当にその通りにされると却って不気味に感じてしまっていた。

 動きが見えない分、何をしているのかわからない。

 時間が欲しいと思っていたが、もしかしたら行動を制限したのは失敗だったのかもしれないとも考え始めていた。

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