第248話 ティファニーの悩み
入学から一ヵ月が経った。
この頃になると、アイザックは少し焦り始める。
(男友達、ルーカスくらいしか増えなかったなぁ……)
理由はアイザックもわかっている。
男子生徒に話しかける暇がなかったからだ。
女子生徒が休み時間になると、ひっきりなしに話しかけてきてくれるせいだった。
話しかけてきてくれるのは嬉しいが、女子が群がっていると男子がアイザックに話しかけにくい空気になってしまう。
もちろん、女の子と親しくなれるのは嬉しい。
交流範囲を広げるという点では、彼女達と親しくなるのも良い事だからだ。
しかし、男友達は少ないまま。
前世であれば踊って喜びを表す状況であるが、今世では素直に喜ぶ事ができない。
立場が変わるだけで欲しいものが180度変わってしまう。
人生とはままならないものである。
「ねぇ、ティファニー。今日は部活どうする?」
「……やめとく」
人生がままならないと言えば、ティファニーの人生も上手くいっていないようだ。
最近は口数が少なく、露骨に落ち込んでいる姿がよく見られるようになった。
悩みがあるのだろうが、友達に話せるようなものではないのだろう。
本来なら真っ先に相談したい両親や祖父母はウェルロッドに帰っているので、王都の屋敷には使用人しかいない。
相談できる大人が必要そうに見えた。
そこでアイザックは、ティファニーに声をかける事にする。
「なぁ、ティファニー。お婆様がティファニーからも学校の様子とかを聞いてみたいんだって。部活に行かないんだったら、屋敷に寄っていってよ」
「マーガレット様が? ……わかった。そういう事なら寄っていく」
アイザックは、マーガレットの名を出してティファニーを屋敷に誘った。
普通に「屋敷に来いよ」と誘えば、話が聞こえていた他の子達も「私も行きたい」と言い出すかもしれない。
それに、従姉妹とはいえ婚約者持ちの女の子を自宅に連れ込むのは世間の目が怖い。
そこでアイザックは、安全確実に呼ぶために祖母の名を使った。
「マーガレットに呼び出された」となれば、ティファニーは傘下の貴族の娘として出向かねばならない。
他の女の子達も「一緒に行きたい」などとは言い出さない良い考えだった。
この日、アイザックは部活に顔を出したりせず、ティファニーを連れて屋敷へと帰っていった。
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「……私はティファニーを呼び出す口実に使われたって事ね」
「すみません。ですが、相談に乗れる大人が必要な状況だと思ったのも事実なんです。使用人には相談できないでしょうしね」
不機嫌そうなマーガレットに、アイザックは状況を説明する。
屋敷で働く使用人に相談して、弱いところを見せるのは貴族としてよろしくない。
それに、マーガレットなら侯爵夫人として人生経験豊富だ。
相談内容にもよるが、アイザックが話を聞くよりは上手く対応できる可能性が高い。
「ティファニー。騙し討ちのような形で呼び出したし、誰にも相談したくない悩みかもしれない。でも、誰か頼れる人に相談できる機会が必要なんじゃないかと思ったんだ。よけいなお節介かもしれないけど、よかったら悩んでいる事を話してくれないか? 話すだけでも気が楽になるかもしれないよ」
「……そうね。でも、マーガレット様に相談するほどたいした事じゃないのだけれど……」
ティファニーは話したいようだが、相談するかどうかをまだ迷っているようだ。
幼い頃から知っている相手とはいえ、侯爵夫人のマーガレットに相談する事に気が引けているらしい。
しかし、本当につまらない悩みだったら、彼女もここまで落ち込んだりはしないはず。
それなりに大きな悩みだが、マーガレットに相談するほどではないといったところだろうとアイザックは考えていた。
「実は……、チャールズの事なんです」
(あぁ、そういえばあいつもニコルと同じクラスだったな……)
チャールズの名前が出た事により、アイザックはティファニーの悩みがどのようなものであるか見抜いた。
「最近チャールズと話をすると、いつもニコルさんの話ばかり。いつか捨てられそうな気がして心配なんです」
(当たりだ! パメラといい、女の直感って鋭いな!)
変なところでアイザックは感心する。
だが、同時に申し訳ないという気持ちが心の奥底から湧き上がる。
ティファニーが苦しんでいるのは、アイザックがニコルを放置しているせいだ。
いや、放置どころか子供の頃から経済的な支援をしている黒幕である。
金銭の支援がなければ、まだニコルの学力は低いままで、チャールズも興味を持たなかったはずだ。
アイザックのせいで彼女が苦しんでいるとも言える。
泣き始めたティファニーを見て、アイザックは居心地の悪さを感じていた。
だが、マーガレットは違う。
堂々とした態度で、顔には微笑みをたたえていた。
「ニコルさんに夢中になってしまっているのね。可愛らしいお嬢さんだからわからないでもないけど。でもね、捨てられるというのは、ただの杞憂よ」
「そうでしょうか?」
「そうよ」
マーガレットがクスクスと笑う。
どこか意地悪そうな印象を受ける笑いだった。
「あなた達は子供の頃からの婚約者でしょう? 子供の頃から婚約者がいる場合、学院に入ったら他の異性に目を奪われる人も多いのよ。見慣れている相手と違って、目新しさを感じるからでしょうね。チャールズも一時的な熱病に罹っているだけよ。あなたとの婚約を解消するような事はないから心配する事などありません」
「……そうでしょうか?」
ティファニーは同じ言葉を繰り返す。
だが、二度目は「マーガレットの言葉を信じたい」という感情が籠められているようだ。
マーガレットはその感情を感じ取り、ティファニーのためにもう一押ししてやる。
「あなたの隣に座っているのは誰?」
マーガレットはアイザックに視線を向けながら、ティファニーに問いかける。
「アイザックです」
「そう、アイザック・ウェルロッド・エンフィールド公爵よ。リード王国とファーティル王国の英雄でもある。そして、そのアイザックはあなたの従兄弟でもあるのよ。普通の貴族なら、あなたと縁を切るような真似はしないわ」
マーガレットは、アイザックと血縁であるという事を強調した。
ティファニーと結婚すれば、自然とアイザックとも親類になる。
それほどまでに、アイザックと誼を通じたいと思うものは多い。
マーガレットもチャールズの人となりは噂で聞いている。
「ティファニーの婚約者」という美味しい立場を捨てるような愚か者ではないはずだ。
ニコルに夢中になっているからといって、ティファニーとの関係を断ち切るような真似をするはずがなかった。
「でも、なんて言えばいいのかわからないんですが、それだけでは不安で……。本当に今のチャールズは普通ではないような気がするんです。誤った答えを選んでしまいそうな気がして……」
しかし、ティファニーはまだまだ不安なようだ。
それだけニコルの事を脅威に感じているんだろう。
アイザックにはわからないが、絶世の美女というだけあって、その分女性に強い危機感を持たせているのかもしれない。
だが、マーガレットは違う事を感じ取ったようだ。
険しい目つきでティファニーを睨みつける。
「そう、彼を引き留める自信がないのね。でもね、それはあなたのせいよ」
「えっ、どういう事ですか?」
ティファニーに責任があるという祖母の言葉にアイザックが反応する。
「アイザックは気付かないの? ティファニー、櫛で髪をとかすのを手抜きしているでしょう」
「それは、三つ編みにするからいいかなって……」
「だめよ。見る人が見ればわかるのよ。三つ編みにしているからって、手を抜いていいわけじゃないわよ。そういう細かいところを手抜きすると、男の人も感じとってしまうものよ」
「でも、チャールズは賢い人が好きって言うから、勉強で忙しくって」
「でもじゃありません!」
マーガレットがピシャリとティファニーの意見を跳ね除ける。
「男の言う『賢い人が好き』っていうのはね。頭に『可愛くて』が付くのよ。本当に賢いだけじゃだめなの。男の言葉通りに受け取らず、自分を磨く努力をしないといけません! あなたもどこかでそれがわかっているから、自分に自信が持てないんでしょう?」
「そうかもしれません……」
マーガレットの言葉にティファニーが納得する。
ついでに、アイザックも納得していた。
(俺も胸の大きな子が好きだけど、身だしなみとかもしっかりしている子の方がいいしな。可愛いかどうかも大事だけど、身綺麗さとかの見た目の印象は大切だよな)
アイザックから見れば十分身なりが整って見えるティファニーも、マーガレットの目から見れば甘いところがあるのだろう。
「髪をとかすのに時間はかからないわ。朝、少しだけ早く起きるくらいできるでしょう。勉強して賢くなれば好かれるという考えも悪くはないけど、婚約者の心を離したくないならもうひと頑張りなさい」
「わかりました。明日からそうします」
マーガレットと話したおかげで、ティファニーは少し気が楽になったようだ。
やはり「チャールズの心を引き留めるためにできる事」という目標ができた事が大きい。
目標ができれば、それを目指して進む事ができる。
何もわからず泣き崩れているよりも、ずっと心が楽になる。
こうしてマーガレットに相談できたのは、ティファニーにとってプラスになったはずだ。
「マーガレット様、話を聞いてくださってありがとうございます。アイザックも誘ってくれてありがとう」
「気にしなくていいよ。お婆様が相談に乗っただけで、僕は何もしていないし」
(裏で色々やってるけどな……)
ニコルの成長を促し、自分の都合のために放置している後ろめたさもある。
自分が何かをしてやれたという気は微塵もなかった。
それどころか、罪悪感が増すばかりだ。
(ニコルを放置していたら、チャールズとかにも飛び火する事はわかっていたはずだ。なのに、何もしなかった。よけいにたちが悪いかもしれないな)
ジェイソンやフレッドだけを狙わせる事ができればいいのだが、ニコルは操縦不能だ。
下手に近付けば自分が大やけどをさせられるかもしれない。
彼女の働きは頼もしいが、ティファニーを悲しませるような事はしてほしくない。
(ニコルともどこかで一度は話さないとダメかな。いやだけど)
ニコルと接触したくはないが、彼女による被害範囲は最小限に抑えておきたい。
アイザックは、一度だけでも話そうと覚悟を決める。
「ハリファックス子爵家の屋敷に使いを出しておくわ。今日は夕食を食べていきなさい。そんな泣き腫らした目のまま屋敷には帰れないでしょう」
「ありがとうございます」
アイザックが思い悩んでいる間も話は進んでいく。
マーガレットがティファニーを夕食に誘っていた。
これは同情ではなく配慮だ。
ハリファックス子爵家の屋敷で働く使用人に情けない姿を見せるのはよくないだろうと思って、落ち着く時間を与えてやった。
「まずは顔を洗ってらっしゃい。それから、今後の事をもう少し話しましょう」
「はい、失礼します」
そう言い残してティファニーは部屋を出ていった。
すると、マーガレットはアイザックをジッと見る。
「ねぇ、アイザック」
「なんでしょうか?」
静かな声だ。
まるで怒られる直前のような気がして、アイザックは背筋を伸ばして姿勢を正してしまう。
「学院の事は噂で聞いているわ。女の子に人気があるようね」
「そのようですね」
「なのに、学生になってから屋敷に連れてきた子はティファニーだけ。他の子も連れてきなさい」
「ですが、女の子を屋敷に呼ぶというのも、あまりよくない気がして」
アイザックの返事を聞いて、マーガレットは溜息を吐く。
「そうね。でも、あなたは婚約者がいないのよ。将来の事を考えて、親しい相手を作っておく事も必要よ。本命の相手が見つかれば、その子は側室という事にしてもいいのよ。それとも、紹介しにくい子に唾を付けているのかしら?」
「それはっ!?」
(やばい、見抜かれてる)
アイザックは唾をゴクリと飲み込んだ。
パメラを「好きな人です」とは紹介できない。
何と言っても相手は王子の婚約者。
まだ狙い続けている事を気付かれているのなら、それを邪魔しようとしてくるはずだ。
祖母に邪魔されるのは、アイザックとしても避けたかった。
「やっぱりね。その反応を見ればわかるわ」
「……お婆様には隠せませんか」
アイザックは観念した。
邪魔されるくらいなら、いっそすべてを打ち明けて味方にしようかと考え始める。
「そりゃあそうよ。毎年ウェルロッドに帰る前に『良い縁談はありませんか?』と聞いてくるリサが、今年は何も聞いてこなかったんだもの。何かあったのは丸わかりよ」
「へっ……。あぁ、それはその……」
「ダメだとは言わないわ。でも、あの子もいい年なんだから、途中で心変わりをしたら可哀想よ。責任を持って引き取ってあげなさい」
「はい、母上やメリンダ夫人のような事にならないように考えています。その辺りは、もう少し時間が必要ですが」
リサの行動でマーガレットにどういう関係になったのか筒抜けだったのは予想外だったが、いつかは話さないといけない事だった。
この機会に話題になって、祖母の許可を得る事ができたのはアイザックにとって大きな収穫となる。
ティファニーのために行動した結果、自分のためにもなった。
しかし、リサの件とは比べ物にならない本当の障害は、これから現れる。
アイザックには、まだまだ安心している余裕などなかった。
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