第191話 技術提供
翌日、朝食を終えるとアイザック達はヴィルヘルム商会へと向かう。
アイザック達が客人なので、ルドルフ達に出向いてもらう事も考えられた。
しかし、今回は観光目当てのエルフの村に行った時とは違い、交渉も予定に含まれている。
ホテルで話す場合、ドワーフの代表者であるルドルフを呼び寄せる形になってしまう。
いくらアイザックがドワーフに評価されているとはいえ、さすがにルドルフとは格が違う。
だから、アイザック達が出向く形となった。
行き先はヴィルヘルム商会。
商会を名乗る通り、主に商売を生業としている。
ドワーフ達は自分達で商品を作って売る者が多い。
しかし、みんながみんな好き勝手に物を作っていても商品が売れるはずがない。
――供給過多となった商品を他の街に持っていって売り、需要のある商品を仕入れてくる。
そんな普通の商売をやっているだけで、ヴィルヘルム商会はザルツシュタットで一番大きな組織になった。
商人の競争相手が少ないドワーフならではの事情だろう。
この商会は昔からザルツシュタットの経済を支えてきた老舗だった。
だから、ルドルフも彼らの面子を重んじて、ザルツシュタットでは人間向けの商品をメインに扱い、ドワーフ向けの商品は取り扱っていない。
商人としては間違っているように思えるが、街の経済を混乱させてまで儲けようとはルドルフも考えていない。
むしろ、この機会に版図を拡張しようとするジークハルトを抑えていたくらいだ。
彼も制御の難しい孫を持って大変だろう。
アイザックも少しだけ同情する。
だが、同情で判断を鈍らされるわけにはいかない。
これから行われる交渉では、アイザックの友人達も見学する事になっている。
社会科見学というやつだ。
せっかく同行しているのだから、将来のためにも勉強させておこうという事となった。
彼らの前で「格好良いところを見せたい」という思いと「恰好ではなく、中身を伴った内容にしないとダメだ」という思いとが、アイザックの心の中でせめぎ合っていた。
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交渉に参加するのは、ノーマン達同行している秘書官とグレン。
あとはアドバイザーとしてクロードが参加するのみ。
ポールやレイモンド達はアイザックの背後に並んで座っていた。
ドワーフ側の出席者はルドルフ。
ルドルフと同じくらいの筋肉量がありそうな高齢の女性ドワーフ。
二人よりもやや華奢――人間から見れば十分にゴツイ――な壮年の男性ドワーフ。
そして、末席にジークハルトが座っている。
その他、雑用や見学者らしき者達がルドルフ達の背後に座っていた。
「まずは出席者の紹介をしよう。こちらはワシと同じ評議会議員のザーラだ」
「洗濯バサミを考えた主婦の味方を見てみたくってねぇ。来させてもらったよ」
「気に入っていただけて何よりです」
(主婦? 家事をやってる姿が想像できねぇ)
ホテルで働いていた女性ドワーフは、大柄ではあったがどこか柔らかさを感じる体付きだった。
だが、ザーラは違う。
乙女ゲームの世界だからか、細マッチョくらいしか筋肉のない人間の騎士よりもずっと体が分厚い。
主婦よりも職人だと言われた方が納得できた。
「次はヘルムート。彼はこの場を用意してくれているヴィルヘルム商会の商会長だ」
「ザルツシュタットが、突然人間と取引をする最前線になったので戸惑っています。お手柔らかにお願いします」
「こちらこそよろしくお願い致します」
ヘルムートは物腰柔らかな態度だった。
しかし、態度で本心を隠すのは基本中の基本。
商人である以上、ジークハルトのようにしたたかな一面があったりするかもしれない。
油断はできなかった。
商会長の名前と商会名が違うのは、工房とは違う命名基準があるからだ。
工房は今の代表者の名前を名乗るが、商会は創設者の名前を使う。
これはドワーフならではの風習だった。
「代表者――および、その弟子――に仕事を依頼する」という職人で選ぶ工房と、代表者が誰でもいい商会の差かもしれない。
「僕はアイザック・ウェルロッド。皆様には外務大臣であるモーガン・ウェルロッドの孫だと言った方がわかりやすいかもしれません。ですが、正式な使者というわけではありませんので、観光に来た子供として扱ってください」
アイザックは、まず自分の事を名乗る。
そして、順番に同席者を紹介していった。
紹介が終わったところで、ルドルフが口を開く。
「昨日は本当に申し訳ない。だが、鉄道というものを見て抑えきれなかったのだ。あれがあれば、街と街との間で物を運ぶのがずっと楽になる。そして何よりも、大規模な仕事という事でやり甲斐がある。素晴らしいアイデアをもらった。対価として何を支払えばいいのか見当もつかん」
ルドルフの言葉に、ザーラやヘルムートもうなずいていた。
これだけ喜んでくれているという事は、昨日の酔い潰れている姿を見てわかっていた。
しかし、彼らに辛い現実を付き付けねばならない。
黙っていても、どうせすぐに気付く事。
ならば、ちゃんと自分の口から言っておいた方が「騙したな」とならない分だけいいはずだ。
「実は鉄道ですが、一つ解決しないといけない問題がございます。線路の繋ぎ目です。上手く繋ぎ合わせないと台車が脱線してしまい、大惨事を引き起こすかもしれません」
アイザック自身、前世で線路の繋ぎ目なんてよく見た覚えがない。
いや、見ていたかもしれないが、覚えているほど印象的なものではなかった。
「溶接かな?」と考えたが、この世界に溶接技術などない。
もしかしたらエルフに頼めばなんとかなるのかもしれないが、それはやってみないとわからない。
この問題は、技術者とよく協議した上で解決していくしかないと、アイザックは考えていた。
――意を決したアイザックの発言。
その返答は、ドワーフ達の呆れ顔だった。
「何を言ってるんだい? そんなもん、繋ぎ目部分を鉄板で固定すればいいだけじゃないか。ボルトとナットはそのために作らせていたんじゃないのかい?」
「えっ……」
――あまりにも呆気ない解決。
アイザックなりに真剣に悩んでいた問題が、ザーラの一言で解決してしまった。
「釘じゃ鉄板を固定しにくいから、ネジとかボルトを作ったんじゃないのかい?」
「あ、いえ。それはそうですが、あったら便利だなーと思っただけでして……。鉄道関連の事は、そのあと思いついたのでボルトやナットを使ってというのは考えていませんでした」
アイザックは正直に話した。
アイデアはあるが、技術的な事はサッパリわからない。
「友達が見ているから見栄を張りたい」という気持ちもあったが、ドワーフ側から技術的なアドバイスを得る事を優先する。
「なるほど、新しいアイデアは思いつく。しかし、職人ではないので経験が足りず、どう使用するかまでは思いつけるだけの土台が足りないというわけですか」
ヘルムートがアイザックを興味深そうに見つめながら言った。
素晴らしいアイデアを出せるのに、使用方法に関してはズブの素人。
アイザックの歪さの理由を彼なりに導き出したようだ。
その考えに、他の者達も同意していた。
「だったら、一年ほど職人修行してみない? 厳しくしない特別待遇で迎えるよ」
「男爵家の次男、三男とかだったら考えるんだけど、侯爵家の嫡男が職人修行はできないかな」
「それは残念」
ただの軽口かと思ったが、ジークハルトは本気で悔しがっていた。
アイザックが職人としての知識を身に着けた時、どんなアイデアを出してくれるのか気になっていたのだろう。
だが、アイザックもさすがに今から職人修行を始めるつもりなどない。
これからが本番なのだ。
一年も寄り道している余裕などなかった。
「しかし、線路の繋ぎ目の解決方法があっさり見つかるとは……」
「他に欲しい物は何かないのか? 鉄道と蒸気機関という研究し甲斐のある新技術を教えてもらった。奮発するぞ」
ルドルフの「奮発する」という言葉。
アイザックはその言葉を信じ、かつて断られた技術を要求してみる事にした。
「では、石炭の使い方を教えてくださいませんか? コークスという物の作り方や、石炭を使った製鉄のやり方などをです。教えていただければ鉄の生産量も増え、線路を敷設するのに必要な原料も確保しやすくなりますよ」
「コークスか……」
ここでルドルフは悩み始める。
アイザックの言うように、鉄の生産量が増えるのは良い事だ。
線路を造り始めるのなら、ノイアイゼンで手に入る鉄だけではなく、リード王国からも鉄を輸入したい。
しかし、直接武器を渡すわけではないとはいえ、重要な技術を教えてもいいものか……。
だが、教えれば線路を敷設しやすくなる。
悩ましいところだった。
――ここで流れを変えたのは、またしてもザーラだった。
「何迷ってんだい。貰うもん貰って、こっちは出し渋るなんて男らしくない。ここは気持ちよく教えてあげなよ」
「ザーラ殿の言われている事は暴論ではありますが、今後への投資と考えれば悪くないと思います。鉄道だけではなく、アイザック殿への投資という意味でね」
ヘルムートもザーラの意見に同調する。
同じ評議会議員のザーラの意見とあって、ルドルフも考えが揺らぎ始める。
それは「技術を渡しても、自分一人の責任ではなくなった」という安心感からかもしれない。
「そうだな。石炭をコークスに加工する方法と、高炉の作り方は教えてもいいだろう。そもそも、人間とは体の作りが違う。我らの鎧を打ち砕く事のできる武器は取り扱えないはずだ。教えても問題はないはずだ。そうだろう?」
ルドルフは自分を言い聞かせるように喋る。
その最後の言葉は、何故かアイザックに向けられていた。
「その通りです。鉄の生産量が増えるだけでしょう。僕も人間の限界を越える方法なんて思いつきませんので」
しかし、これから数百年後。
銃や戦車が存在する世界になれば、分厚い鎧など時代遅れの産物になる。
だが、そんな事はアイザックの知った事ではない。
アイザックだって「なんでドワーフに蒸気機関を教えた」と非難されるリスクを冒している。
「ヒヤヒヤしているのはお互い様だよ」というのが、アイザックの思いだった。
「しかし、そうなると人間の国も煙たくなるな」
ここでクロードが呟く。
石炭がリード王国にまで広がると、エルフには生き辛い場所になるからだ。
「当面の間はウォリック侯爵領とブランダー伯爵領で使われるだけなので、ウェルロッド侯爵領では影響はありませんよ」
「でも、いつかは広まるんだろう?」
「まぁいつかは……。ですが、十年、二十年という間隔ではなく、もっと長い時間を掛けて広まっていくと思いますので、それまでの間に対策を考えていけば大丈夫かと思います」
「そういうものかな……。まぁ、アイザックなら何とかしてくれるんだろう」
クロードは「アイザックが言うのなら」と納得してくれたが、アイザックに考えなどなかった。
今の言葉は、ただの気休め。
「工場の排気フィルター」という物の存在は知っていても、それがどんな物なのかは知らないからだ。
しばらくは環境汚染上等という状態になるだろう。
せめてウェルロッド侯爵領から離れた場所で稼働させるという程度しか案が思い浮かばなかった。
「ところで、もう一つ質問があるんです。技術的に可能かを教えてくれるだけでも助かるんですが」
――アイザックの質問。
これにドワーフ側の出席者が身を乗り出した。
どんな面白い事を言ってくれるのか気になっているのだろう。
「エルフの魔力を貯めておく装置があるそうですけど、小さな物の大きさはどれくらいでしょうか?」
「魔力タンクか。幅と高さは大体これくらいだな」
ルドルフが手で一メートルほどの幅を作る。
アイザックは「これくらいの幅なら、望んでいる物を作れるかもしれない」と思った。
「その魔力タンクは石炭に火を付けたりするのに使っているんですよね?」
「そうだ。だが、さすがに魔力タンクの製造方法までは教えられんぞ」
「いえ、それはいいんです。火をつけるのとは逆に、物を冷やしたりはできますか? 水を氷にする程度冷えればいいんですが」
「燃やすのではなく、冷やす方にか……」
ルドルフはザーラの方を見る。
ザーラはルドルフの視線にうなずいて答えた。
「技術的には可能だね」
「手間はかかるがな。それがどうした?」
アイザックはノーマンから紙と鉛筆を受けとり、簡単に冷蔵庫の絵を描いた。
上段に冷凍庫、下段に冷蔵庫というオールドスタイルだ。
「冷たい空気は低いところへ移動します。だから、魔力を使って上段を水が凍り付くくらい冷やします。そして板に小さな隙間を作って下段に冷気がいくようにする。これで上段では氷が、下段では冷たい飲み物や食べ物が保存できるようになります」
「それは良さそうですね」
この話に最初に乗ってきたのはヘルムートだった。
「これから暑くなる季節。そんな時期に氷を入れた蒸留酒を飲んだり、冷やしたエールを飲むのは美味しそうだ。一々エルフに魔法で氷を出してもらわなくてもいいという気楽さがある」
ドワーフらしく酒基準で考えてはいるものの、彼の言っている事はアイザックが話そうとしていた事でもあった。
「しかも、全体を冷やすんじゃなく、上段だけを冷やすだけでいいってところが特にいいね。求められる機能を発揮しつつ、魔力の消費量を減らせる。アイザックらしいアイデアだと思うよ」
ジークハルトもヘルムートに負けじと、冷蔵庫の事を褒める。
彼はヘルムートに先を越されて少し不機嫌そうな顔をしていた。
「国王陛下への献上品として、この冷蔵庫を魔力タンク付きで一つ売ってほしいんです。人間にも魔法を使える者がいますので、おそらく魔力の補充は大丈夫だと思います。どうでしょうか? 作る事ができれば、ドワーフの皆さんにとっても便利な商品だと思いますよ」
もちろん、これはエリアスへの忠誠心でやっているわけではない。
かつて大叔父のハンスがフローズンヨーグルトを食べながら「こんな贅沢は陛下もした事がないだろう」と言っていた事を思い出したからやっている事だ。
魔法を使える近衛騎士は、能力と忠誠心で選ばれたごく一握りのエリート。
そんな者達が「魔力の補充係」なんていう雑用をやらされれば、多少なりともプライドが傷つくはず。
――忠臣のフリをして毒を盛る。
まずは小さな一歩から。
命懸けでエリアスを守るという忠誠心に、ほんのちょっと傷を付ける事を目的として冷蔵庫を注文していた。
「確かに悪くはない。だが、今日明日中にできる事でもない。とりあえず試しに作ってみて様子見する時間が欲しい」
「もちろんです。ご検討いただけるだけでも嬉しい限りです」
アイザックは笑顔を見せる。
なんとなく、ドワーフ達が冷蔵庫を作ってくれそうな気がしていたからだ。
このあとは、ノーマンやグレン達がコークス炉や高炉の設計図受け渡しについて話を詰め始める。
実務的な話は彼らの分野だ。
手持ち無沙汰になったアイザックは、後ろに座る友人達に話しかける。
「僕もまだまだ子供だからね。交渉といっても物々交換をするだけなんだ」
アイザックは謙遜した。
さすがに「言葉の裏を取られないようにする交渉術」など使っていない交渉で、友人達に自慢をするつもりはなかった。
だが、今回の交渉を見ている友人達は違う印象を持っていた。
「いや、ドワーフ相手に新しい物のアイデアを提示するっていうだけでも凄いよ」
「本当、アイザックは頭だけはいいよな」
「確かに頭はいい」
「どうやったらあんな事が思いつくんだろう」
「頭の良さはさすがだね」
「なーんか、引っ掛かる言い方だなぁ……」
褒めてくれているが、一向に褒められている気にならない。
アイザックは釈然としないものを胸に抱える事となった。
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