第183話 懐かしの味

 少ししんみりとした雰囲気のまま、昼食は終わった。


「ごちそうさまでした」


 これは本心からの言葉だ。

 アイザックは、エルフの村を訪ねる前に「食事はマチアスさんが食べられる範囲のものでお願いします」と伝えていた。

 さすがに昆虫食を出されたりしたら、ポール達が固まってしまう。

 アイザックもできれば食べたくないので、ちゃんと対応してくれていたようで助かっていた。

 ただ、一つ問題もある。


 ――食事が普通過ぎた。


 バーベキューに多くを求めるのは間違いだとわかっているが、もう少しエルフの特徴を活かした料理を食べたいとアイザックは思っていた。


「とても美味しかったです。醤油や味噌を使った料理にも期待しています」


 さりげない催促。

 だが、それがいけなかった。

 しんみりとした雰囲気から、ぎこちない雰囲気へと変わる。


「味噌汁とか煮物を食べたいのか?」

「はい、食べてみたいです」


 マチアスの問いかけに、アイザックは笑顔で答える。

 しかし、マチアスやアロイスは難しい顔をした。

 アロイスがアイザックに向かって口を開く。


「お恥ずかしながら、そういった料理はこの二百年で多くの者が作り方を忘れてしまいました。食生活に彩りを添える余裕があまりなかったせいでして。うろ覚えで作っても客人に食べさせられる味ではなくなってしまいます。ちゃんと作れる者もおりますが、そういう者はエルフの文化を守ろうとする保守的な者で……」


 アロイスはマチアスに視線を送る。

「あとは任せる」という視線の意味を受け取り、マチアスが続ける。


「昔ながらの料理を忘れていないのは、人間に嫌気が差して人間と関わらない生活を選んでいる者達ばかりだ。過去に色々とあったからな。頼めばちゃんとした料理を出してくれるとは思うが、揉め事になりそうな事は避けておいた方がいいだろう」

「なるほど、そういう事ですか」


 人間にしてみれば、二百年前の事など身に覚えがない。

 だが、当時を生きていたエルフにとっては、まだ忘れられない出来事。

 人間に嫌気が差して、人間やその文化から離れようとしている者がいてもおかしくはない。

 アイザックをそういった者達と接触させたくないという気持ちもわからなくはなかった。


「別にいいんじゃないか? 婆様の事をお袋に言えば喜んで作ってくれるさ」


 クロードが横から口を挟む。


「そうかもしれんがなぁ……」


 マチアスは困った表情をしてアイザックを見る。


「まぁ、聞くだけは聞いておこう。家庭料理だから、あまり期待はせんようにな」


 アイザックには、普段クロードが世話になっている。

 ミシェルの件を考えれば、アイザックのささやかな願いくらいは叶えてやりたいとも思っている。

 息子夫婦に聞いてみるくらいはしてもいいだろうと考えた。


「ありがとうございます。ダメだった場合、醤油や味噌を分けていただけるだけでも助かります」


(調味料さえあれば、自分でどうにかできる)


 醤油は、そのまま料理にかけてもいいし、煮物などにも使える。

 味噌は、内陸部だからかつお節や昆布がないので出汁が取れないが、肉味噌を作ったりできる。

 どちらも手元にあれば使い道がある代物だ。

 前世は腐っても元飲食店店員だった。

 最低限の料理は自分で作れる。

 料理は食べたいが、ダメだったら分けてもらうだけでもいい。


「ご飯食べ終わった? だったら私達とお話ししましょうよ。ウェルロッドにいる時のブリジットの話とか聞いてみたいなぁ」


 食事が終わったと見て、エルフの少女が話しかけてきた。


「ちょっと待って。セリア、私をからかうネタを仕入れたいだけでしょ!」

「そんな事はないわよ。ちょっと人間と話したいだけよ」

「嘘ね。アイザック、あんた達は男の子と遊んでなさい」

「えぇ……」


 ここでアイザックは困る事となった。

 連れてきた友人達が「エルフの女の子とお話ししたい」と、すがるような目で訴えかけてきていたからだ。


(なんで俺が……って思うけど、代表者みたいなもんだししょうがないな)


「食後ですし、遊ぶ前に食休みをした方がいいと思います。ブリジットさんの事を話すかどうかはともかくとして、お話しする時間を取ってもいいじゃないですか」

「お客さんもこう言ってるんだし、お話しタイムって事でいいわね」

「くっ、アイザック! あんた、どっちの味方なのよ!」

「どっちの味方っていうよりも、若者同士で交流する機会を大切にしたいっていうだけですよ。別に悪口を言ったりしないから安心してくださいよ」


 アイザックが話をするつもりだと告げると、ブリジットは「ぐぬぬ」と悔しそうな顔をした。

 彼女とは対照的に、友人のセリアは良い笑顔をしている。

 アイザックの友人達は、彼女の笑顔に見とれていた。



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 話をしたのは女の子だけではなかったが、ひざを突き合わせての会話に一同盛り上がっていた。

 エルフの女の子に興味の薄いアイザックですら、女の子達とのお話しで少しテンションが上がっていたくらいだ。

 もちろん、話をするだけではない。

 魔法を使ってもらったりもしていた。


 風の魔法でベッドを作ってもらったのは、アイザックも非常に楽しかった。

 空中に寝そべるという経験は前世でもできなかった事だ。

 下から風が吹いているわけではなく、見えないウォーターベッドのような物の上に横たわる。

 魔法という超常現象のある世界ならではの経験だった。

 他にも土を使って魔法でアイザック達の石像を作ったりするなど、惜しみなく魔法を使ってみせてくれた。 

 魔法を見せびらかすのは、男の子が多かった。

 やはり、力を持っていると見せるのが楽しいだろう。


 話をしたり、魔法を見せてもらったりしているうちに夕食の時間が来た。

 夕食は昼食とは違い、みんなでワイワイと食べるのではなく、宿舎で食べる事となった。


 ――食事の内容は和食。


 どうやら、マチアスとクロードが上手く説得してくれたようだ。

 エルフ側の同席者はアロイスとマチアス、クロードとブリジットという昼間と同じ面子だった。

 久々の和食に、アイザックは心を躍らせる。


「おおっ!」


(鶏の照り焼きと卵焼き。味噌汁はタマネギとジャガイモか。春の野菜だからかな? 椎茸とコンニャクの煮物。それにたくあんもある。そうそう、こういう家庭料理でいいんだよ)


 箸を添えられているが、ナイフとフォーク、スプーンといった物も用意されている。

 箸に慣れていないと思われるアイザック達のためだろう。

 こういった細やかな気遣いが嬉しい。

 今にも手を出しそうになったが、一応は侯爵家の嫡男としての自覚があるのでじっと我慢する。


「アイザック、俺の両親が一言あるっていうんだがかまわないか?」

「もちろんです。料理を作ってくださったお礼も言いたいですし」


 アイザックがそう答えると、食堂のドアを開けて年配の男女が入ってきた。

 しかし、その表情は明るいものではない。


「父のレオナールと母のメラニーだ。この子はアイザック・ウェルロッド。そしてこの子が――」


 クロードが紹介をしていく。

 紹介が終わったところで、アイザックが口を開いた。


「日頃からクロードさんにはお世話になっておりますアイザックです。料理を作ってくださってありがとうございました。一度食べてみたかったので嬉しいです」


 微笑みながら、柔らかな物腰での挨拶。

 だが、クロードの両親の表情は硬いままだった。


「クロードが世話になっているから作っただけです」


 メラニーが吐き捨てるように言った。

 お世辞にも好意的とは言えない態度だ。

 それはレオナールも同じだった。


「どうせ料理になんて興味はないんだろう? エルフの食事に興味があるフリをして近づき、都合の良いように利用する足掛かりにするつもりなんだろ?」

「二人ともやめんか!」


 マチアスが二人を叱責する。

 だが、レオナールは止まらなかった。


「親父には言われたくない! 人間に媚びを売って戦場で戦い続けていたじゃないか。人間の争いに巻き込まれたいなら一人で行ってくれ。俺はクロードまで戦場に出すような事はしたくはないんだ。なんで人間に関わらせようとする」


 レオナールの言葉に含まれた意味を、アイザックは考えていた。


(大昔、マチアスは戦場で戦っていた。そんな親の姿を見て思うところがあったんだろうな。でも、魔法という強い力を持っているんだから使った方が生活も楽になるのに)


 ――根本的な考え方の違い。


 人間同士でも意見が食い違って妥協できない場合が多い。

 種族が違う相手なら、説得する事も困難だろう。

 戦場で魔法を使わせて敵を一掃させる、という行為はやらせにくいかもしれない。

 まずは「エルフ達も納得の上で戦場へ連れていく方法」を考えて、うやむやのうちに戦わせなければいけないだろうと、アイザックは考える。


(だが、その前にこの場の空気を換えないとな)


「レオナールさん。僕は本当にエルフの料理に興味があってお願いしたんです。利用してやろうという下心はありません」


 アイザックはそう言うと、味噌汁の入ったお椀を持ち上げて口元に持っていく。


「おい、アイザック」


 スープを直接飲もうとする無作法な振る舞いに、隣に座っているレイモンドが注意する。


「大丈夫だよ。これはお椀といって、普通のスープ皿と違って直接飲んでもいいんだ」


 そう答えて、アイザックは味噌汁を一口飲む。

 十三年振りに味わう懐かしい味噌の味が口中に広がった。


「なるほど!」


 一口飲むと、アイザックは驚きの声を上げる。

 その理由は出汁にあった。


「内陸部だから昆布もかつお節もない。出汁をどうするのかと思っていたら、干し椎茸の戻し汁を出汁に使っているんですね!」

「あ、あぁ。そうだ」


 アイザックの認識では「味噌汁の出汁はかつお節と昆布から取る」というものだった。

 だが、この世界の内陸部ではどちらも簡単に手に入らない。

 前世のようにコンビニやスーパーでだしの素を買えるわけでもない。

 現地にあるもので何とかしなければならない中、彼らはあるものでちゃんと対応していた。


(干し椎茸の戻し汁って中華スープとかに使われている印象だったけど、味噌汁でもいけるな)


 味噌汁をもう一口飲むと、お椀を置く。

 今度は箸を手に取って、鶏の照り焼きに向かう。

 ナイフとフォークを用意されているが、アイザックはそのままかぶりついた。

 今度は甘辛い味が口中に広がる。

 その味を噛み締めながら、ご飯も口の中に放り込む。


「照り焼きも美味しいですね。ご飯が進みます」


 食事を始めたアイザックを見て、周囲が凍り付いた。

 そんな中、レイモンドがアイザックに質問する。


「木の棒を使って食べるの?」

「そうだよ。でも、箸を使うのは慣れるまで食べ辛いだろうから、スプーンを使って食べた方がいいと思うよ」

「だったら、なんでアイザックは使えるんだ?」


 もっともな疑問。

 アイザックは一瞬言葉に詰まった。


「……エルフの料理を食べられる日が来た時のために、落ちている枝で練習していたんだ」

「そうなんだ……」

「やっぱり変な奴だな……」

「うん、おかしいよ」


 アイザックの答えを聞いて、友人達が小声で「アイザックはおかしい奴だ」と話し始める。

 これが戦争で「剣の練習をしていた」とかなら理解されたはずだ。

「なんで木の棒を使って食べる練習を?」と不思議に思われても仕方がない。

 まさか「前世で慣れていた」などとは言えないので、アイザックは「おかしな奴」と言われる事を否定できなかった。

 気を取り直して、レオナールとメラニーに向き直る。


「僕はエルフの皆さんに擦り寄るために、この料理を希望したわけではありません。興味があったから希望したんです。僕の友達は興味がありませんが、こうして実際に食べる事によって『どうやって箸を使うんだろう』『エルフの料理はどう作られているんだろう』と興味を持ってもらうきっかけになると思っていただけです。ただ仲良くしたいというだけではなく、相手の文化を知っていく事が真の友好に繋がると僕は信じています。その第一歩としてエルフの料理を食べたいという希望を出させていただいたんですよ」


 本当は、醤油や味噌を使った料理を食べたかっただけだ。

 しかし、せっかくの機会なので立派な事を考えていたような言い訳をする。


「ただし、エルフの戦争利用を考えている事も確かです」

「アイザック!」


 アイザックの爆弾発言に、レイモンドが大きな声を出した。

 いくらなんでも、こういう場で言うべきセリフではなかった。


「エルフの方々には戦場で治療行為を行ってもらいたいと思っています」

「どういう事だ?」


 アイザックの言っている事はわかる。

 だが、その理由がわからなかった。

 レオナールが理由を言えと、アイザックに尋ねた。


「魔法を使って敵を倒すのではなく、敵味方問わず怪我人を治す中立的な存在になってほしいんですよ」

「味方を治すのはわかる。敵まで治すメリットがないだろう。なぜそんな事をする?」

「恨みを減らすためですよ。『前回の戦争では何人殺された。その分今度はやり返そう』と思われるよりも『前回の戦争では何人もの兵士が助けられた。できれば、彼らと戦いたくないな』と思ってもらう方が、今後は戦争が起きにくくなるかもしれないでしょう? 人間が人間である以上、争いはどこかで起きます。ですが、二度目、三度目の戦争を起こしにくくする事は可能です。家族を失って悲しむ人を少しでも減らせますしね」


 アイザックは、国連や赤十字の治療部隊のようなものを考えていた。

 ただし、これは人道によっての考えではなかった。

 兵士が死ねば、新しく徴兵しなくてはならない。

 百人の兵士が死ねば、百人の農民を徴兵する。

 そうすると、百人分の納税者が消えてしまう。

 兵士の損失は死亡者数が増えるというだけではない。

 経済的な損失も増えてしまうのだ。


 そしてもう一つ、大きな理由があった。

 五年後に起こる戦争は内戦となる。

 下手に殺し過ぎたら大きなわだかまりが残ってしまう。

 国家元首が変わった時、貴族だけではなく、平民達にも受け入れてもらわねばならない。

 死者数を減らして国民に恨まれなくしなければいけなかった。

「恨みを減らすため」という言葉自体は嘘ではなかった。


「エルフを治療に専念させて戦わせないだと? にわかには信じられんな」

「過去の事があるので人間を警戒されるのは当然だと思います。それは、これから時間をかけて信用を築いていくしかありません。そのために僕達が来ているんですよ」


 シリアスな場面。

 だが、アイザックは我慢できずにたくあんをボリボリと音を立てて食べ始める。

 この歯応えが懐かしくて涙が出てきそうだった。


「……お前はウェルロッドの何代目だ?」

「順当にいけば二十二代目になる予定です」


 レオナールは指を折って数え始めた。

 そして「あぁ」と一人納得する。

 彼もマチアスと共に人間の街で暮らして時代があったので、ウェルロッド侯爵家・三代の法則については知っていたからだ。


「二十二代目っていうだけで納得されても、釈然としないものがあるんですけど……」


 アイザックは抗議するが、レオナールに鼻で笑い飛ばされる。


「昔のウェルロッドの人間の事を抜きにしても、お前は十分に変な奴だ。なんで自然に飯を食ってるんだ」

「あっ、すみません。忘れていました。いただきます」

「いや、そうじゃない」


 アイザックの行動に、レオナールは苦笑するしかなかった。

 彼が変な奴だと思ったのは、箸を使って食べる姿が自然過ぎたからだ。

 まるで子供の頃から箸を使って食べているかのようにすら見える。

 こんな人間は、初めて出会った。


「エルフを戦争の道具にする気がないというのならそれでいい。だが、俺達は人間と深く関わろうとは思わない。エルフだけで静かに暮らしたい者もいるという事を忘れるな」


 そう言い残して、レオナールはメラニーと共に部屋を出ていこうとする。


「待ってください!」


 出ていこうとする二人を、アイザックが呼び止めた。


「梅干しってありますか? 締めにお茶漬けにして食べたいんですけど」

「ああ、用意しておこう。……お前は本当に変な奴だな」


 レオナールはフフフと笑う。

 人間の料理が好きなマチアスよりも、アイザックの方がエルフの料理に興味を持っているように思える。

 アイザックは本人も意識しないうちに「やはり、ウェルロッドの人間は変な奴だな」という印象を、レオナールとメラニーの心に強く刻み込んでいた。

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