第八章 下準備編

第178話 ローランドの事

(やっぱり、ウェルロッドに帰ると落ち着くな)


 王都の屋敷も自宅ではある。

 だが、気分的には全然違う。

 生まれ育ったウェルロッドの屋敷が実家なら、王都の屋敷は田舎の祖父母の家といった感覚だった。

 しかし、王都で生まれ育ったケンドラは、その逆。

 どこか居心地が悪そうだった。


「大丈夫だ。ケンドラの部屋も用意しているし、新しいおもちゃやお人形もあるぞ」

「おもちゃ!」


 ランドルフが新しいおもちゃがあるというと、ケンドラは嬉しそうな顔をする。

 子供らしい反応に、この場に居合わせた者達は頬を緩ませる。


「それじゃあ、お部屋に行きましょうか」

「うん!」


 ルシアも四年振りの帰宅である。

 屋敷がどんな風に変わっているのか、それとも変わっていないのか。

 彼女自身も少し楽しみにしている。


「アイザックはどうする? 一緒にケンドラの部屋に来る?」

「そうですね……。少しパトリックの様子を見てから行きますよ」

「わかった。それじゃあ、あとでね」


 ルシアはケンドラを連れて、別館へと向かっていった。

 ケンドラの部屋の場所はメイドが教えてくれるはずだ。

 ここで、アイザックは一つ疑問に思う。


「お父様は一緒に行かないんですか?」


 真っ先にケンドラの様子を見に行きそうな父が付いていかない。

 その事が不思議だった。


「私もパトリックの様子を見てから行くよ」

「……そうですか」


 今までランドルフがパトリックの様子を気にした事などない。

 自分に話があるのだろうな、とアイザックは察した。


「では、僕達も行きましょうか」

「ああ」


 ----------



 パトリックを部屋まで連れていくと、ベッド代わりにしているクッションに一直線に向かって寝ころんだ。

 やはり、長距離の移動は疲れるのだろう。

 それにここに来るのも、およそ一年半振り。

 過去の自分の匂いを懐かしむように、クッションを嗅ぎ回る。


 すぐにパトリックは、何かを思い出したかのようにおもちゃ箱へ向かう。

 ボールなどが入っている箱の中から、一枚の木皿を取り出した。

 フリスビー代わりに使っていた物だ。

 木皿を咥えて尻尾を振りながら、パトリックはアイザックのもとへやってくる。

「これで遊ぼう」と言っているようだった。

 だが、アイザックは木皿を受け取ると、おもちゃ箱に戻した。

 そしてパトリックを抱き上げてクッションのところへ連れていく。


「思いっきり遊びたいのはわかるけど、今日は休んでおこう」


 言っている事は理解できないが、アイザックの行動でパトリックは理解した。

 クッションに腹這いになった。

 しかし、一緒に遊びたかったのか、寂しそうな鳴き声を漏らす。

 寂しがらせた分、アイザックは優しく撫でてやる。


「犬と気持ちが通じ合うものなんだな」

「もう八年も一緒ですからね。大体はなんとかなりますよ。ケンドラとは激しく遊べなかったんで欲求不満なんでしょう。これまでの分、明日遊んでやりますよ」

「そうだな、そうしてやるといい」


 ケンドラは、まだパトリックと一緒に駆け回ったりできない。

 パトリックにしてみれば「一緒に遊ぶ」というより「子守り」といった気分だったはずだ。

 ウェルロッドに戻ってきた事で、アイザックと一緒に以前のように遊び回れると思っていたのだろう。

 だが、パトリックは八歳。

 人間で言えば、もうおっさんと言える年齢である。

 アイザックは長旅の疲れを取る事を優先させた。

 パトリックをクッションに寝かせ、優しく撫でていくうちにパトリックの目がまどろんでいく。

 ここで、ランドルフが話を切り出した。


「アイザック、ケンドラの婚約は――」

「わかっています。人質のようなものなのでしょう?」


 ランドルフの言葉を、途中でアイザックが遮った。

 だが、ランドルフは嫌そうな顔はしていない。

 むしろ「わかってくれていたか」と安堵の表情を浮かべている。


「そうだ。ケンドラが結婚する頃には、お前は三十手前となっている。すでに領主代理として……。いや、陛下の信任の厚さを考えれば大臣職に就いているかもしれない。そんなお前の手元にローランドを置く事で、フレッドの暴走を防ぐ。そういった意味があるんだ」

「でしょうね」


 アイザックはローランドが婿入りする事に対して、危機感を覚えていなかった。

 十歳という年齢の差は大きい。

 ローランドが成長する前に、アイザックはもっと成長している。

 体の大きさだけではなく、一人の貴族としてもだ。

 ネイサンの時とは違い、ローランドを送り込んで内部からウェルロッド侯爵家の乗っ取りを企んだりはできないはずだった。


「アイザックの子供や孫の世代に年の近い男女が生まれるとは限らない。ウィルメンテ侯爵家でケンドラと同い年の子供が生まれるという偶然が起きたんだ。これを活かさない手はない。だから、婚約の話を進めたんだ」

「お父様、大丈夫です。必要な事だとちゃんとわかっていますよ。ウィルメンテ侯と会って、婚約を破談にしようなどとはしません。安心してください」


 ケンドラとローランドの婚約について、ランドルフが一生懸命に説明をする。

 説明されているアイザックの反応は、思っていたより冷静なものだった。

 ランドルフは、その態度を見て「わかってくれたか」と安心しつつも、どこか不安を感じていた。

 物分かりが良くても、良過ぎると不安になる。

 贅沢な事だとわかってはいるが、そう感じてしまったものは仕方がない。


「僕だって、自分の子供をフレッドの子供と婚約させるとなったら心配で受け入れられないでしょう。関係の修復はいつか必ず必要になる。一番やりやすい時が今だったという事は理解しているつもりです。むしろ、ケンドラをローランドと婚約させないといけない、お父様やお母様の事の方が心配です」

「いや、ケンドラの婚約者はいつかは決めないといけない事だったからな。相手としては悪くないから気にしなくていい」


 ランドルフは「考えすぎだっただけか」と思い、心の中にあった不安が消え去った。


「でも、どうせならウィンザー侯爵家のロイと婚約しても良かったのでは?」


 アイザックは口にしてから後悔した。

 兄妹揃ってウィンザー侯爵家の子供と結婚するのは、どこか気まずい気がする。

 そういう意味では「ケンドラがローランドと婚約してくれて良かったかも」という気がしていた。


「いや、ウィンザー侯爵家との縁談も考えられたが早い段階で取りやめになった」

「なぜですか?」

「貴族派が強くなり過ぎるからだ。殿下とパメラが結婚し、ケンドラがロイと結婚する。そうなると、ウィンザー侯爵家の影響力が大幅に強化される。それは貴族派全体もだ。五年ほど前なら許されただろうが、今の王党派は代表格の者が相次いで亡くなったせいで弱体化しているからな……。取り返しがつかなくなるほど、派閥間の力の差が開いてしまう」


 家格という点では、ウィルメンテ侯爵家やウォリック侯爵家は負けていない。

 だが、当主の経験という点では、ウェルロッド侯爵家とウィンザー侯爵家に負けている。

 ドナルド・ウォリックが不幸な事故で死亡して以来、王党派は弱体化の一途をたどっていた。

 最近では貴族派優勢という流れになっている。


「天秤が一方に傾くのはよろしくない、という事ですね」

「そうだ。一方的になり過ぎると、調子に乗って攻撃し始める者が出てくる。そうなると、形勢が逆転した時に報復されてしまう。報復は報復を呼び、国が乱れる原因となる」

「かつて、公爵家が王位を奪い合って暗殺の応酬をした時のようになる事を恐れているんですね。どちらかが優勢になるのはいいけれど、優勢になり過ぎるのは避けたい。だから、ロイとの婚約はできなかったという事でいいんですか?」

「そういう事だ」


 ランドルフはニコリと笑った。

 アイザックはアイザックなりに今の状況を受け入れようとしている。

 その事が嬉しかった。

 意地になって婚約破棄に動かれていたら途方に暮れていたところだ。

 まずは一安心である。


「こういう複雑な状況になったのは私のせいだ。すまないと思っている」

「いえ、いいんですよ」


 ランドルフがアイザックの頭を撫でる。


 ――こういう時にどう言えばいいのか。


 ランドルフは、思いを上手く言葉にできないもどかしさを感じていた。


「……さぁ、そろそろケンドラのところへ行こうか」

「パトリックがもう少しで眠りそうなので、寝たのを確認してから行きます。先に行っておいてください」


 アイザックは、ウトウトし始めているパトリックを見ながら言った。

 ランドルフも「少しくらいはいいか」と思った。


「わかった、先に行っている。ケンドラも疲れて眠ってしまうかもしれないから早めにな」

「はい」


 ランドルフが部屋から出ていく。

 部屋に誰もいなくなると、アイザックは邪悪な笑みを浮かべていた。


(もう反対なんてしないさ。結婚・・なら困るが、婚約・・だったらどうとでもなるもんな)


 ――なぜアイザックがあっさりとケンドラの婚約話を受け入れたか。


 リサに説得されたからというだけではない。

 アイザックなりに、納得できる要素があったからだ。


 第一に、婚約だけなら問題ないというもの。

 アイザックは五年後に行動を起こす事を考えている。

 その時に、ケンドラはまだ八歳。

 ローランドと仲良くなっていても、せいぜい「仲の良い友達」程度の感覚のはずだ。

 ウィルメンテ侯爵家を叩き潰しても「恋人の喪失感」ではなく「友達がいなくなった」という程度の悲しみで抑えられるだろうと思っていた。

 十年後、二十年後に行動を起こす予定だったら「ケンドラが婚約者を失って悲しむ」と思い、まだごねていただろう。


 ――五年後にウィルメンテ侯爵家と戦う事になっても、ケンドラの悲しみは最低限のものになる。


 そう考えたから、今は婚約の話を大人しく受け入れる事ができた。


 第二に、ウィルメンテ侯爵がローランドを作っていた事だ。

 ウィルメンテ侯爵家は武官の家柄。

 長男が戦死する危険性を考えれば、二人目、三人目の子供を作っていてもおかしくない。

 だが、今まで作っていなかった。


 ――それなのに、なぜ急に作り出したか。


 これはアイザックにも容易に答えを導き出す事ができた。


(きっと、当主のフィリップがフレッドに見切りを付けたんだ)


 フレッドの様子を見る限り、ネイサンとメリンダを殺した時から、ずっとアイザックの事を誹謗中傷していたはずだ。

 もちろん、親として注意しただろうが、フレッドは言う事を聞かない。

「このままではアイザックに、フレッドまで殺される」と思って、急いで子作りに励んだ。

 おそらく「フレッドに言い聞かせるよりも、新しい子供を作った方がいい」と思ったのだろう。

 少なくとも、十歳式のあとで密会した時の様子では、フィリップに争う気はなさそうに見えた。

 だから、フレッドを切り捨てないといけないような非常時を想定して子供予備を作った。

 そう考えると、急に子供を作り始めた事にも納得できた。


 ――そして、ローランドを婿養子としてアイザックの身近なところに置く事で、アイザックに争う意思がない事を証明する。


 これは、フィリップが降伏の意思を示しているようにも見える。

 将来的にどうなるかまだわからないが、上手くやればウィルメンテ侯爵家を敵に回さなくて良くなるかもしれない。

 反乱を起こした時に「意地でも王家につく」という可能性もあるが「ウェルロッド侯爵家とは婚姻関係を結んでいるから」と、中立的な立場をとってくれる可能性も出てきた。

 この事はアイザックにとっても悪い事ではない。

 同格の侯爵家全体を敵に回すよりも、フレッド個人を敵に回す方がずっと楽だからだ。

 もし、友好的な関係を築けるのなら、ケンドラとの婚約を認めてやってもいいと思っていた。

 もちろん、これは「ローランドが良い男に成長していたら」という前提条件付きではあったが。


(でも、これはまだ仮説の段階。今度王都に行ったら、ウィルメンテ侯と接触して反応を見てみないと、実際のところはわからないな)


 だが、会おうとすれば止められるだろう。

 以前のように、コッソリと会わなければいけない。

 しかし、フィリップの意思は確認しておかねばならない事だ。

 どうにかして接触する必要があった。


(朗報だ、と喜んでばかりもいられない。全部偶然が重なっただけで、俺の勘違いって事もあるんだからな)


 先代当主のディーンが突然死んだ事により、ウィルメンテ侯爵家の男子の数に不安を感じたから子作りしただけ、という可能性も十分にある。

 まだ楽観はできない。

 それでも、婚約の事は受け入れられるつもりだった。

 婚約を利用して邪魔をしてくるようならば、ローランドごとウィルメンテ侯爵家を攻撃するだけでいい。


 やはり「五年経ってもケンドラが色恋沙汰に没頭する年頃ではない」という事が大きかった。

 だから、まだ我慢していられる。


(とりあえず、ウィルメンテなんて関係なく、勝てる状況作りをしていれば間違いはない)


 アイザックは眠ったパトリックから手を放し、そっと離れた。

 このあと、ケンドラの部屋に行かねばならないからだ。

 妹の部屋に入る機会など、今しかない。


 年頃になるにつれて――


「もう、お兄ちゃん。恥ずかしいから入らないでよ」

「用事があるならノックして呼んでよ」

「私の部屋に入ろうとしたら『兄にセクハラされている』ってネットに流すからね!」


 ――と言って、部屋に入らせてくれなくなるからだ。


 後ろめたい事をする気などないというのにだ。

 いつかはケンドラも、昌美のようになってしまうかもしれない。

 だから、妹の一番可愛い時期を今のうちに堪能しておきたかった。

 これは今のアイザックにとって、何よりも優先すべき事だった。

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