第151話 バネ付きの馬車
ウェルロッドに戻ると、アイザックとモーガンはウェルロッド侯爵領南部の街、アルスターへ向かった。
ドワーフとの調印式は、アルスターとザルツシュタットの中継地で行われるので、先に行って式の準備を確認する必要があったからだ。
アイザックは、ジークハルトから話したい事があると手紙をもらったので同行していた。
ランドルフは、エリアス達を出迎える役目があるのでウェルロッドで待機している。
中継地はエルフの魔法によって建てられた四角い宿泊施設と、柵があるだけだった。
エルフ相手の取引はティリーヒルの東に作られた交易所で行われていたが、ドワーフ相手の取引はザルツシュタットまで出向く事になっている。
これはアルスターとザルツシュタットの間に作られた道が、荒野のど真ん中を通っている事が影響している。
この地域の地下水は、西の山の岩塩が溶け込んでいるせいで塩辛くて使えない。
食料だけではなく水も運ばなくてはいけないので、定住するには不向きな土地だった。
だから、商隊のために野宿よりはマシ程度の施設が用意されているだけだ。
式の準備自体は留守居役のフランシス達が用意をしてくれていたので、モーガンは最終確認をするだけ。
あとはドワーフ側と式の打ち合わせをしたりしていた。
ノーマンもそちらの手伝いをしている。
アイザックは、ジークハルトと友好を深めるという重要な仕事を行っていた。
「へぇ、ネジかぁ」
ジークハルトは、ネジを使って木切れを繋ぎ合わせたりしていた。
「釘を使うと、間違って手を叩いたりして痛い事があるからね。こっちの方が安全かなと思ってさ」
「確かにそうだね。初めて釘を打った時に自分の指を叩いた事があるよ」
やはり身に覚えがあるのだろう。
ジークハルトは昔を思い出して笑う。
アイザックも今世では物を作ったりはしていないが、前世で工作をしている時に身に覚えがある。
一緒に笑った。
しかし、ジークハルトはすぐに顔を曇らせる。
「便利だとは思うけど、ドワーフにはどうかな。見習いでも、職人を目指している人は釘を上手く打てるからね……」
「釘と違って外すのが楽とか色々利点はあるよ。実際に使っていくうちにドワーフでも便利だと思えるようになるかもしれないよ」
アイザックはネジの良さをアピールする。
前世では、プロの職人が釘しか使わないなどという事は聞いた事がない。
状況によって使い分けできるという事が強みだと思っていた。
「ねぇねぇ、私にもやらせて」
ここでブリジットが口を挟んできた。
ジークハルトも来る事がわかっていたので、各種族の若者の交流という事を考えて彼女も同行していた。
ジークハルトから木切れを受け取ると、ドライバーでネジを回し始める。
「本当、簡単に取ったりできるし便利ね。私は誰にでも使えるっていうのはいいと思うわよ」
ブリジットはジークハルトとは違い、ネジを高く評価した。
「釘があればそれで十分」という、技量に自信があるかないかの差かもしれない。
「ドワーフにネジが必要かどうかはともかく、似たような仕組みでこういうのを作ってみてほしいんだ」
アイザックは、ジークハルトに一枚の設計図を見せる。
そこには設計図というには稚拙ではあるが、ボルトとナットの絵が描かれていた。
「釘とかと違って先に穴を開ける必要があるけど、両方からギュッと押さえ込む事ができるから、物を組み立てたりするのに便利だと思うよ」
「うーん、簡単に言ってくれるね……」
ジークハルトは、設計図を見ながら眉をひそめる。
彼は一目でボルトとナットを作る事の難しさに気付いていた。
「このボルトとナット、二つのパーツの溝がピッタリ合わないといけないんだよね? しかも、使用用途を考えると、一つや二つじゃなくて大量生産しなくちゃいけない。そうなると、一対のパーツを作るんじゃなくて、別々のボルトとナットでも使えるように規格化をしないとダメだ。高度な生産技術を必要とするね」
なんて無茶振りを、とジークハルトは溜息を吐く。
これが「最高品質の武器が欲しい」というワンオフの注文であれば、難しいものでも挑戦し甲斐がある。
だが、大量生産する事を前提にした部品で、地味に難しい注文を受けるのは困ったものだ。
しかしながら、その使用方法には興味を引かれるものがある。
「できるかどうかはやってみなくちゃわからないけど、とりあえず職人に聞いてみるよ」
「ありがとう」
「アイザックは、便利そうな物をどんどん思いつくんだね。新しいアイデアがこれだけ浮かぶなんて羨ましいよ」
「いやぁ、偶然だよ。偶然」
そう言って、アイザックは誤魔化すように笑う。
「前世で完成形を知っていたから」などとは口が裂けても言えない。
ただの頭がおかしい奴にしか思われないからだ。
どこに「ゲームの世界に生まれ変わった」と言って信じてくれる者がいるだろうか。
いたとすれば、その相手もきっと同じように生まれ変わった転生者くらいだろう。
「僕の方も君に言われたバネを使った馬車を用意しているんだよ。試しに乗ってみる?」
「えっ、本当! もうできたんだ。さすがドワーフ」
「バネを使った馬車自体は簡単だったんだけどね。バネに使う剛性と弾力性、耐久性を兼ね揃えた素材を作る事が一番苦労したよ」
ジークハルトは、やれやれと首を横に振る。
バネは簡単そうで地味に難しいという厄介なものだった。
あれば便利そうな物だが、それを作るためにかなりの苦労をした。
素材を開発する苦労に見合ったものになって欲しいものだと、ジークハルトは願っていた。
「ブリジットさんも、試しに乗ってみますか?」
「いいの? 乗る乗る」
ジークハルトが誘わなければ、ブリジットから乗りたいと言っていたところだ。
それだけ、彼女も新しい馬車に興味を引かれていた。
「うわぁ……」
アイザックとブリジットが同時に声を漏らす。
だが、二人が声を漏らした理由は違う。
ブリジットは、感嘆の声だった。
初めて見るバネを使った馬車に素直に驚いていた。
しかし、アイザックは違う意味で声を漏らしていた。
思っていたのとは違う形の馬車に、半ば引いていたからだ。
(なんだこれ……。本当になんだこれ……)
アイザックは、車輪の近くにバネを取りつけたものを想像していた。
だが、目の前にある馬車は想定外の作り方だった。
見た目は普通の馬車だが、底の部分が二重になっている。
車輪が取り付けられた板の上に無数のバネがあり、そのバネの上に御者台や客室が取り付けられていた。
(バネを使って揺れを抑える方法に、こんなやり方をするとは思わなかったな……。言わなかった俺も悪いけど)
――振動を吸収するために、バネの上に載せておけばいい。
ドワーフがそんな単純な方法を取るとは、アイザックも思わなかった。
バネを多く使うので、生産効率が悪そうに思える。
(まぁ、仕方ないか。何事も黎明期は試行錯誤の繰り返しだ。時代が進めば、もっと効率のいい物が作られるようになるだろう)
そんな事を考えながら、アイザックは馬車に乗る。
ブリジットもあとに続く。
だが、ジークハルトは乗ってこなかった。
「あれ、乗らないの?」
「僕はいいよ。感想を聞かせてくれたらいいからさ」
「そう?」
アイザックは不思議に思うが、それ以上は何も言わなかった。
だが、もっと疑問に思うべきだった。
御者台に乗ったドワーフの表情を見れていれば、アイザックもジークハルトが乗らなかった理由に気付いたかもしれない。
しかし、残念な事に、客室からは御者の顔が見られなかった。
アイザックとブリジットが馬車に乗り込み、扉が閉められると馬車が動き出した。
「おっ、これは……」
「なんだか楽しい」
動き出して、アイザックはすぐに気付いた。
だが、ブリジットは何が起きているのか気付かなかった。
小刻みに起きる揺れが何を引き起こすのかを――。
周囲を軽く一周し、ジークハルトの前に馬車が止まった。
すると、中から馬車の扉が開かれた。
アイザックとブリジットが勢いよく飛び出してくる。
「オロロロロロ――」
外に出ると同時に、二人は激しく嘔吐する。
いや、二人だけではない。
御者台にいたドワーフも転げ落ちるように降り、胃の内容物を地面にぶちまけていた。
これは激しい乗り物酔いのせいだった。
バネが揺れを抑えるどころか、揺れを大きく増幅させてしまっていたせいだ。
「あー……、やっぱり人間やエルフでもダメだったんだ」
「やっぱりって……」
「殴るわよ……」
ジークハルトの呟きに、アイザックとブリジットが抗議の視線を向ける。
これにジークハルトは苦笑いで返した。
「いや、アイザックがバネを使った馬車を作ってほしいっていうからさ。人間は大丈夫なのかなーって思ってたんだよ。やっぱり、この揺れってきついよね」
「実験台かよ」
「拷問されている気分だったわ」
アイザックは地面に横たわる。
揺るぎない大地を感じられる事が、どれだけ素晴らしい事なのかを、こんなところで実感するとは思わなかった。
ブリジットも同じように、地面に横たわっている。
アイザックは「魔法で乗り物酔いを治してくれないかな」と思っていたが、ブリジットが自分自身を治そうとしていないので、乗り物酔いを治す魔法はないのだろう。
あまりの苦しみに、思わず神を呪う。
「そこでさ、僕達も何とかできないか考えたんだ。バネを使った馬車だと、石に乗り上げても揺れが少なくなる。効果自体は確かにある。だから、バネと同じ作用をする物で代用したらどうかってね。おーい、そっちの馬車持ってきて」
ジークハルトが、少し離れたところにいたドワーフに声を掛ける。
馬車はすぐに運んで来られた。
見た目はバネの馬車のような奇抜なものではない。
普通の馬車のようだった。
だが、車軸の部分に何か見慣れないパーツを取りつけられていた。
「色々試すうちに、実は弓もバネの一種なんだってわかったんだ。だからそこに目を付けた。弓のような物を車軸と本体の間に取り付けたら、それがバネの代わりになって揺れを抑えてくれるんじゃないかってね。これが大成功。僕達は板バネって呼んでるけど、これのお陰で揺れが大幅に減ったよ。乗り物酔いになるような微妙な揺れもないし、良い乗り物ができたよ!」
ジークハルトが熱の籠った説明を始める。
しかし、話を聞かされているアイザックとブリジットは、聞けば聞くほど冷めていった。
「じゃあ、そっちを先に出してよ」
恨めしそうな声でアイザックは抗議する。
だが、ジークハルトには効いていない。
「でも、自分が考えたバネの馬車にも乗ってみたいって思ったろ?」
「うっ……、そりゃまぁ……」
考えていた馬車はこんなゲテモノではなかったが、酔うとわかっていても一度くらいは試しに乗っていたかもしれない。
こんな面白そうな馬車など、技術が進歩する前にしか乗る機会がないからだ。
「それにさ、板バネの馬車は国王陛下への贈り物だから、最初は国王陛下に乗ってもらわないとね。僕達子供が勝手に乗り回していいものじゃないんだ」
「なるほど……」
アイザックはジークハルトの言い分に理解を示す。
しかし、素直に認められない者もいた。
「でも、私は関係ないじゃない。乗る前に一言注意してよ」
息も絶え絶えに地面に横たわったままだが、ブリジットの目には力が籠っている。
まるで視線に魔力を籠めて、呪いでもかけているかのように見えた。
「ごめんね、エルフが乗るとどうなるのかも確かめたかったんだ」
――マッドサイエンティスト。
正確な表現ではないかもしれないが、そんな言葉がアイザックの頭の中をよぎる。
(あぁ、こいつもドワーフの端くれ。作るだけじゃなくて、使ったらどうなるのか気になって仕方がなかったんだろうなぁ……)
長年商人としてやってきた大人のドワーフなら、もっと違う対応だったのかもしれない。
だが、ジークハルトはまだ若く、正規の商人ではない。
商人としての才能の有無はともかくとして、まだ職人として育てられていた頃のクセや、ドワーフとしての本能的な部分が制御できていないのだろう。
「話を持ち掛ける相手が悪かったのかもしれない」と、アイザックは少し後悔し始める。
(エルフよりも、ドワーフの方が相手をするのに苦労するかもしれない)
――良くも悪くもドワーフは欲が深い。
これは物欲ではなく、知識欲などの欲望の強さだ。
エルフはかなり淡泊な方だが、ドワーフは物作りが好きなためか探求心が旺盛だ。
あまり関係を深く持ちすぎると、振り回されるハメになるかもしれない。
どうやって“ほどよい距離感を保とうか”と、乗り物酔いに苦しみながらアイザックは考えていた。
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