第131話 リサの学生生活

「ケンドラ、お兄ちゃんだよー」


 今からまたウェルロッドに戻っても、一ヵ月ほどで王都に出発しなくてはならない。

 片道二週間を掛けて戻って、またすぐ王都に出発などしたくはない。

 そのため、今年はこのまま王都に残る事にした。

 ポールやレイモンドといった同年代の子供はまだウェルロッド領にいるので、暇があれば妹の傍にいる事が多くなっていた。

 最近のケンドラは物を掴めば歩けるようになっている。

 今はアイザックの顔を珍しそうに触っているところだ。


「やっぱり、お兄ちゃんだってわかるのかな? 私は慣れてもらうのに半年くらい掛かったわよ」


 久し振りに会ったリサが、羨ましそうに二人を見ている。


「そういえば、リサお姉ちゃん学校は?」


 まだ朝なので、リサが家にいる事をアイザックは疑問に思った。

 ケンドラの面倒を見るために学業がおろそかになるのはよろしくない。


「今日は日曜日じゃない。学校もさすがに休みよ」


 リサは呆れたような顔で答えた。


「あー、なるほど」


(子供だから曜日の感覚がなくなっていたみたいだ。曜日の感覚がなくなるようじゃダメだな)


 アイザックは一瞬、前世の事を思い出した。

 飲食店で働いていると「土日に休む」という感覚が消え去ってしまう。

 逆に「絶対に働く日」として体に刻み込まれてしまうからだ。


「リサお姉ちゃんは学校に慣れた?」

「それなりかな。色んな人と同じクラスになって楽しいけれど、男爵家や子爵家の子が侯爵家とか伯爵家の親族っていう事があって気を使うのがしんどいかなぁ。血縁関係を覚えるのが大変よ」


 リサは何かを思い出すような感じで呟いた。

 気安く声をかけた相手が上位貴族の親族で、気まずい思いをしたのだろう。

 だが、ここでアイザックは一つの疑問を抱いた。


「学校って身分は関係ないんじゃないの?」


 これは王立学院を設立した当時の国王が――


「身分に関係無く交流し、見聞を広めるように。これは王族も例外ではない。学生の間は身分を気にする必要はない」


 ――と、校内では身分を気にしなくていいという校則を決めていた。


 これは誰もが知っている基本的な決め事だ。

 そうでないと、男爵家のニコルが気楽に王太子であるジェイソンに話しかけられるはずがない。


 ――誰もが対等な立場。


 そのはずなのに、学内で身分を気にするリサの事が不思議だった。


「何言ってるのよ。それは学生の間・・・・だけでしょ。卒業後の事を考えたら失礼な態度は取れないわよ」

「あー、そうか」


 少し考えればわかる事だった。

 前世では店に来た客で上司らしき男が「今日は無礼講だ」と言った口で、すぐに「口の利き方をわきまえろ、馬鹿!」と怒る姿を何度も見た事がある。

 建て前を真に受けてはいけないという事だ。


(そう考えると、ニコルは凄いアグレッシブな奴だったんだな。それくらいの行動力があったからこそ、ジェイソン達を攻略できたんだろうけどさ)


「けれど、そんな事を気にしない人も一部いるけどね。気にしない態度が許される身分の人か、真に受けて『みんな対等だ』と信じ込んでいる人のどっちかだけどね」

「あぁ、やっぱりそういう人がいるんだ」


 一部の者は真に受けてしまっているらしい。

 アイザックは気にしなくていい側の人間だが、男爵家や子爵家の子息だと卒業後肩身の狭い思いをするだろう。

 本当は身分を越えた関係を築いてほしかったのだろう。

 だが、校則を決めた者の思いとは裏腹に、校則は上手く機能していなかった。


「アイザックは気にしなくてもいいから……。あぁ、そういえば殿下と同じ年代だったわね。じゃあ、殿下以外には気を使わなくていいから楽ね」

「リサお姉ちゃんも、そこそこ良い立場なんじゃないの?」


 アイザックは気になった事を質問する。

 リサはアイザックの乳兄弟。

 ウェルロッド侯爵家という権力の後ろ盾を多少なりとも感じる者もいるはずだ。

 男爵家の娘とはいえ、学校内でそこそこの立場にいるものだとアイザックは思っていた。


「確かに地方貴族の娘の割には扱いは悪くないわね。その事にはアイザックの乳母になったお母さんに感謝してるけど……」

「けど?」

「近寄ってくる男の子がねぇ……。私じゃなくて、バートン男爵家の後継ぎの座とか、ウェルロッド侯爵家との繋がりばっかり見てるような子ばっかりなのが残念なのよねぇ……」

「あぁ、それは……。なんというか……」


 リサは一人っ子なので、結婚相手はバートン男爵家を継ぐ事ができる。

 しかも、リサはアイザックの乳兄弟なので、夫になればウェルロッド領内では良い待遇を期待できる。

 それだけに近寄る男達はリサ本人ではなく、貴族としての立場だけを見てしまうのだろう。

 しかし、その状況はリサにとって面白いものではない。

 アイザックの乳兄弟になってしまったせいで、恋愛を楽しめなくなっていた。

 恋心多い年頃の娘には少々辛い事かもしれない。


「まっ、それで恨み言を言うつもりはないわよ。選んじゃダメそうな男を振るい落とすのに役立ってるから、感謝してるくらいだし」


 リサの言葉でアイザックは胸を撫で下ろす。

 色々と世話になっているリサには幸せになってもらいたい。

 不幸になる可能性を減らせているのなら良い事だった。

 リサがニヤリと笑う。

 なんとなくアイザックは嫌な予感を覚える。


「ところで、あんたの方は誰かいい子が見つかった? やっぱり、ウォリック侯爵家のアマンダちゃん?」


 アイザックの予感は的中した。

 リサに近寄る男の話題になった時から、この話題になる可能性はあった。

 あまりこの話題には触れたくなかったが、リサはノリノリのようだ。


「そういう噂もあるみたいだけど、アマンダさんとはなんでもないよ」

「へー。侯爵家同士、話が早く決まりそうだけどね。……やっぱり、あの子の事を引きずってるの?」


 一番、触れてほしくなかったところにリサが触れる。

 アイザックは動揺を見せないよう、自分を落ち着かせながら答えた。


「いい人がいればと思っているだけだよ。僕よりもリサお姉ちゃんの方が年齢的に急がなくちゃいけないんじゃないの?」


 ストレートな質問を返す事で、アイザックはパメラの事から話を逸らそうとする。


「いい人がいれば、婚約はすぐにでもしたいんだけどねぇ……」


 ――いい人がいれば。


 そんな事を口にしている間は、まだまだ婚約者が見つかりそうにはなかった。


「あー」


 ケンドラがアイザックの体をペチペチと叩く。


「ちょっと話をしていただけで、お前を忘れていたわけじゃないさ」


 アイザックはケンドラの頭を撫でる。

 彼女の髪の色は、母親似の暗い赤色だ。

 ケンドラを見ると、前世の妹の事を思い出してしまった。


(そういえば、昌美はどうなったんだろうな。やっぱり死んじまったのか? オープンカーなんて買うんじゃなかったな……)


 妹の相手をしていると、アイザックは前世の妹の事を思い出した。


(俺があいつのプレイしていたゲームの世界に来たって事は、あいつは俺がプレイしていたゲームの世界に行ったりしてるのか? エロゲーならともかく、ホラーゲームの世界とかだったら悲惨だな。……いや、エロゲーの世界も女には厳しいか)


 アイザックは「同じ世界に生まれ変わっているかもしれない」という可能性は考えもしなかった。

「そんな偶然、あるはずがない」という考えが根底にあるからだった。



 ----------


 

 九月に入る頃には、噂を聞き付けた貴族達がウェルロッド侯爵家を訪ね始めた。

 ドワーフとの交流が再開されるとなれば、その利益はエルフとは比べるまでもない。

 まずはドワーフの国と隣接するウェルロッド侯爵家が取引を行うと見て、挨拶参りに訪れる貴族が多かった。


 エルフとの交流再開の時もアイザックを訪ねる者が多かったが、彼らは数年で消え去った。

 その理由は「エルフとの取引は利益にならない」からだ。

 商品はお友達価格で高く買い、そこそこ値下げをして売っている。

 出稼ぎエルフによる街道整備、治水工事などは助かるが、数字に出てわかりやすい結果が残るわけではない。

 それどころか、王家による支援があるとはいえ、エルフに日当を支払わなければならない。

 エルフの女をはべらせる事もできないので「エルフとの取引は魅力的ではない」と思い始めていた。


 だが、ドワーフとの取引は別。

 彼らの物作り好きは有名だ。

 エルフよりも商品の取引量が多くなる事は確実だった。

 何よりも、ドワーフ製の物は商品価値が高い。

 彼らが利益のおこぼれに与ろうとするのも当然だった。

 そして、それは貴族だけではない。


「えっ、アポなしの客が来るの?」


 自室で寛いでいたアイザックは嫌そうな顔をする。

 友達が王都に来ていない事もあり、最近は祖父母と一緒に客の応対をする事が多かった。

 予定外の客など迷惑でしかない。

 知らせに来たノーマンは悪くないが、つい迷惑そうな目で見てしまう。


「そんな目で見ないでくださいよ。それに、悪い相手じゃありませんよ。グレイ商会の商会長ラルフ、ワイト商会の商会長ケネス、レイドカラー商会長のジェイコブの三名がパトリックを連れて、まもなく屋敷に来るそうです」

「あの三人がパトリックを?」

「どうやらウェルロッドからこちらに来る時に、ランドルフ様に預けられたようです」

「なるほどね。それは嬉しいな」


 ケンドラは赤子で、リサは学校がある。

 遊び相手としてパトリックを連れて来てくれたのは助かるところだった。


「他の用件は?」

「重要な話があるとしか」

「まぁ、この時期に来るなら一つしかないよね」


 ――ドワーフとの取引。


 どこからか、その話を聞いたのだろう。

 まだ王都に来る季節ではないのに、商会長が雁首並べて訪ねてきたのだ。

 何らかの陳情に違いない。


「いいよ、会おう。彼らには仕事を頼みたかったところだ。早く会えるのなら、それに越した事はない」

「では、応接の用意をしておきます。パトリックは部屋で休ませておけばいいですか?」

「そうだね。そうしておいてよ」

「かしこまりました」


 ノーマンは使用人達に命令を出すために部屋を出ていった。


(さて、俺も用意するか。……でも、これで大丈夫かな?)


 アイザックは前もって描いていた一枚の絵を机から取り出す。

 母の手ほどきにより、絵を練習する前よりは上手になっていた。

 だから、絵が下手だという心配ではない。

 絵に描かれた装置が上手く作動してくれるかの心配だった。




「いやー、アイザック様もお人が悪い。ドワーフとの取引とあらば、我らにお声を掛けてくださってもよろしいではないですか」


 ラルフが揉み手をしながらアイザックを言った。


「まだ正式には何も決まってないからね。ところで、どこでその話を聞いたの?」

「アルスターに出入りしている商人からです。そう遠くないうちに王都にまで噂は広まるでしょう」

「あぁ、なるほど」


「どこで知ったか」など、わざわざ聞くまでもない事だった。

 元々採掘場で働く者達がドワーフと出会い、そのあとアルスターまで移動してもらいホテルに滞在してもらっていた。

 インターネットのない世界とはいえ、ドワーフに関する噂話なんて最高のネタが広まらないはずがない。

 商人同士の横の繋がりで瞬く間に広がったのだろう。


「パトリックを連れてきてくれてありがとう。陛下に報告するために急いでいたから連れてこられなかったんだ。会えて嬉しいよ」


 アイザックはお礼を言う。

「下の者が上に立つ者のために働くのは当然」などという態度を取るより、礼を言うべきところは言う。

 貴族としては間違っているかもしれないが、その方が「次もこの人のために働こう」と思ってくれるはずだ。

 少なくとも、前世でのアイザックはそうだった。


「みんなが心配している事だけど……」


 そこで言葉を切る。

 三人がゴクリと唾を呑み込む音が、アイザックにまで聞こえてきそうだった。


「ドワーフとの取引をする場合、エルフとの取引の実績がある商会に任せるべきだと陛下に提案しました。すると陛下は『実績のある者に任せるというのは良い案だ』と仰っていましたよ」

「おぉ!」

「ありがたい!」

「感謝致します!」


 アイザックに会って早々、最高の知らせを聞かされた彼らの喜びようはかなりのものだ。

 それもそのはず、エルフとの交易は利益が出ているとは言い難い。

「エルフと取引をしている」という肩書きを得られているだけだ。

 新しい市場を開拓できるのは商人として嬉しいところだった。


「ですが、ドワーフとの交流を再開できるようにするため、皆さんにやっていただきたいこともあります」

「はい」


 ――ドワーフとの交流を再開できるようにするため。


 その一言で、彼らの喜びが吹き飛んだ。

 アイザックの事だ。

 どんな無理難題を押し付けられるのかわからない。

 重要な仕事を任される喜びよりも、何をやらされるのかという恐怖の方が上回っていた。


「まず、グレイ商会にはこれを作ってほしいんです」


 アイザックは一枚の紙を差し出す。


「なんですか、これは?」

「蒸留器という物です。注意点は書いてますので、まずは一つ作ってきてくれませんか?」


 大きなヤカンの注ぎ口が細長く伸び、バスタブのような大きな水桶の中を通って、その先にある入れ物に繋がる。


 ――お酒を入れて沸騰させ、気化したアルコールを水中を通るパイプ部分で冷やし、液体に戻したアルコールを貯める。


 前世で小学校か中学校の理科の授業でやった蒸留の実験を思い出し、うろ覚えで描いたものだった。

 これで上手くいくかわからないが、ダメでも試行錯誤を繰り返して成功させるつもりだ。

 春までに半年ほどある。

 試す時間はまだまだあった。


「構いませんが、何に使うのですか? 使用用途によって素材を選ぶ必要があります」

「ドワーフに喜んでもらえそうなお酒作りにかな。火を使って暖めたりするんだ」

「暖めるのでしたら、銅とかの方がいいかもしれませんね。支店の職人と話してみます。とりあえず一月ほど時間をください」

「これが一番大切だからね。よろしく頼むよ」


 一番大切だと言われて、ラルフは目に見えて緊張する。


「ワイト商会にはワインを集める用意をしてほしいんです。どこか一ヵ所で買い占めとかすると迷惑だから、広い範囲で買うっていう感じでお願いします」


 この申し出にケネスは眉をひそめる。


「ワインですか? アイザック様はまだ子供。飲酒をなさるお年ではありません。どうしてもと言われるのであれば、ウェルロッド侯にご相談せざるを得ません」

「飲むわけじゃない。実験に使うだけだよ。平民向けの安ワインをとりあえず百本ほど屋敷に納品してよ。あとは大量に仕入れる用意だけしておいて」

「……かしこまりました。ですが、絶対にお飲みになられてはいけませんよ」

「わかってるって。それに、どうせ飲むなら安酒じゃなくて、屋敷のワインセラーにある高そうなお酒を飲みますよ。納品はグレイ商会の商品と同じ日にお願いします」


(本当に飲酒に厳しい世界だな。葉巻とかも吸ってる奴見かけないし……。でも、人は死ぬとか、メーカーの自主規制の範囲がわけわかんねぇな)


 ケネスの反応を見て、この世界の設定というものにウンザリする。


「レイドカラー商会は、装飾品のデザインを頑張ってください」

「デザインですか?」


 他の商会は商品を作るように頼まれたり、集めたりする事を頼まれている。

 なのに、自分のところはデザインを頼まれただけ。

 ジェイコブは不思議そうに首を傾げる。


「装飾品を作る技術や宝石の加工技術も、きっとドワーフの方が上。でも、デザインなら負けはしません。技術力で勝てないなら、発想力で勝ちましょう」

「なるほど、そういう事ならばやってみましょう」


 人間はエルフのように魔法を使えない。

 ドワーフのように力もなく、技術力もない。

 だが、一番繁栄しているのは人間だった。

 これは数の差もあるが、何かに特化した才能を持たない代わりに、工夫する力によって人間は繁栄していた。

 アイザックが言ったように、身体能力や魔法を使う能力に関係のない発想力は人間が得意とする分野だった。


「ただ、全てはドワーフとの会談がどうなるか次第。ぬか喜びになるかもしれないから、決まったものだとは思わないでください」

「はいっ!」


 言った事を理解しているのか、アイザックが不安になるほど元気の良い返事だった。


(国王のお墨付きみたいに言ったのが不味かったかな。けど、俺だって成功させたいんだ。期待に応えられるように頑張ってやるさ)


 彼らはアイザックに従っている。

 ならば、エサを与えてやらなければならない。


 ――誰が見ても、優遇されているとわかるくらいに。


 従う者には飴を与える。

 そう広く知らしめる必要があった。

 ジュードは恐怖オンリーだったが「リード王国のために働いているお方だから我慢しよう」と周囲が耐えていた。

 だが、アイザックはリード王国に牙を剥く。


 ――リード王国よりアイザックに従った方が良い思いができる。


 そのように思わせなければならない。

 彼らを優遇するのは親切心だけではなく、広告費として甘い汁を吸わせてやるつもりだ。

 モーガン達が望んだ形ではないが、アイザックも力技以外の方法を学びつつあった。

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