第122話 リサとの別れ

 四月に入ると、リサが荷物を持って屋敷に引っ越してきた。

 引っ越しと言っても、屋敷に家具は揃っている。

 彼女が持ってきたのは、服や小物といった物が中心だった。

 部屋もルシアとケンドラのいる部屋に近い場所。


 と、ここまで聞くとかなり優遇されているように見える。

 しかし、部屋が近いという事は、呼び出しもされやすいという事。


 ――学校から帰ってきて、ホッと一息ついている時に呼び出される。


 なんていう事も普通にあるだろう。

 住み込みで働く以上、プライベートな時間が大幅に制限されてしまう。

 信頼されているから仕事を任されるのだが、それはそれで面倒そうにアイザックには思えた。


「どう? これが学院の制服よ」


 リサがアイザックに制服を着て見せている。

 女子の制服は、ブレザーに膝丈のスカートだった。


「リサお姉ちゃんに似合ってるよ」


 アイザックはそう答えたが――


(なんだか世界観壊れるなぁ……)


 ――と思ってもいた。


 リサが制服を着ているのを見ると、外国人の女子高生といった感じにしか見えなかった。

 中世っぽい世界観なのに、学生服だけ一気に時間が進んでしまったかのように思える。

 ゲームのパッケージで見た時は違和感がなかったが、実際に見てみるとやはり「何か違う」というような違和感を覚えてしまっていた。


「へー、結構スカートが短いのね」

「ブリジットさん! あんまり、ジロジロ見ないで。恥ずかしいから」


 リサがスカートの裾を抑える。

 この世界の女性は、一般的にくるぶしくらいまで長さのあるスカートを履いている。

 いきなり膝丈のスカートを履くというのは、一種の冒険をしているようなものだった。


「何よー。見せるために着てきたんでしょ? 見てあげるのが礼儀ってもんよ。ほら、アイザックも見てあげなさい」

「いや、本人が恥ずかしがっているのをジロジロ見るのは……」


 アイザックはそうは言うが、自然と目がそちらに向かってしまいそうだった。

 それを――本人にとっては――驚異的な意思の力で抑え込む。

「年頃の娘の生足が見える」というのは魅力的ではあったが、リサはアイザックの中で「家族枠」に入っている。

 あまり性的な目で興味深げに見るのはできなかったという事もある。

 決して興味がないというわけではない。


「なるほど。女の足をじっくり見る事の意味を知っているっていう事ね」


 ブリジットがニヤニヤとしてアイザックを見る。

 からかわれる事の方が多いので、これは彼女にとって貴重なやり返す機会だった。


「そうなの?」

「違うよ。リサお姉ちゃんが恥ずかしそうだから見ないっていうだけだよ」

「そ、そうだよね」


 リサの問いかけに、アイザックは即座に否定する。

 しかし、その必死に弁解する様が「性的な目で見る意味を知っています」と語っているようなものだった。

 純粋な子供でないだけに、どうしても後ろめたさが表に出てしまっていた。

 その事に気付いてしまったリサは、お姉さんとして気付かない振りをしてやる。


「でも、リサが学生になって離れ離れになっちゃうのよね。しかも、三年後には結婚してどこかに行っちゃうなんてねぇ……」


 ブリジットがしみじみと話す。

 たった三年で色々と変わる。

 人間とエルフが過ごす時間は同じなのに、そこまで環境が変わるという事が彼女には信じられなかった。


「大丈夫よ。子供は私だけだから、家を継ぐために婿を迎える予定なの。結婚した相手は、お父さんが倒れるまでウェルロッド侯爵家の官僚として働くので、結婚しても会う事は簡単だと思います」

「また会えるならいいわ。突然、さよならじゃ寂しいものね。あっ、結婚式は呼んでね」

「もう、まだ相手が決まってないのに気が早いですよ」


 二人の少女が笑う。

 しかし、アイザックはイマイチ笑えなかった。

 ブリジットとは違い、アイザックにとって三年は長い。

 その間、ずっとそばに居てくれた人と離れるのは寂しかった。

 だが、いつかは別れの時が来る。

 それを受け入れなければいけないという事はわかっている。

 決別の決意として、アイザックは前もって用意していたプレゼントを差し出す。


「リサお姉ちゃん、これ入学のお祝い」


 かつてカーマイン商会を脅かすために店に行った時、リサのために買っておいた物だ。

 店に訪れる理由だけではなく、ちゃんと渡すための物だった。


「ありがとう! 見てもいい?」

「もちろん」


 リサはアイザックから小さな箱を受け取ると、中身を確認する。


「真珠のイヤリングじゃない! 貰ってもいいの?」

「うん、リサお姉ちゃんには困った時に助けられたから……」

「しかも、ちゃんと気を使ってくれてるのね」


 男爵家の娘が、派手な宝石を付けるわけにはいかない。

 パーティーでの服装は、上位の貴族よりも派手になり過ぎないように気を付ける必要があるからだ。

 もちろん「絶対にダメ」というわけではないが、周囲からは決して良い目で見られない。

 派手になり過ぎず価値もある。

 そんなイヤリングをアイザックが選んでくれた事をリサは喜んでいた。


「学校には付けていっちゃダメだけどね」

「もちろん、わかってるわ。パーティーとかで使わせてもらうわね。ありがとう」


 リサがアイザックを抱き締める。

 年相応に成長し始めたリサの膨らみに、アイザックは顔を挟まれる。

 だが、その柔らかい感触を喜ぶ気持ちよりも、この温もりを与えてくれるリサと離れてしまう悲しみの方が勝っていた。

 彼女は一番辛い時にそばに居てくれた。

 心の支えとしてこれからもずっとそばに居てほしいが、彼女には彼女の人生がある。

 アイザックは快く送り出す事にした。


「リサお姉ちゃん、良い人を見つけて幸せになってね」

「ええ、良い人を見つけて驚かせてあげるわ」


(そんな事を言われると『えっ、これと結婚するの!』っていうハズレを引いて、驚かされそうだからやめてくれ。けどまぁ、リサは家族と離れて暮らすから、爺ちゃん達が婚約者をチェックするから大丈――ダメかもしれない)


 リサの両親は領地に戻る。

 その代わりに、リサの面倒はモーガンが見る事になる。

 だからこそ、アイザックは不安になる。


(いや、今の爺ちゃんなら大丈夫だ。それに婆ちゃんもいる。婆ちゃんなら……、婚約者をどんな基準で選ぶのか想像できないな……)


 去年までなら「祖父母に任せれば大丈夫だ」と言い切れたのに、色々あった今となっては簡単には言い切れない。

 家族にも問題があったからだ。

 リサには、自分で良い人を見付けてほしいと願うばかりだった。

 リサがアイザックから腕を離す。


「アイザックも元気でね」

「うん」


 二人は涙ぐんだ目で見つめ合う。

 兄弟同然に育った二人の人生の道が分かつ時が来た。

 わかっていた事だが、やはり寂しい。


 そんな二人に向かって、ブリジットが空気を読まない一言を言った。


「別に今生の別れってわけでもないんでしょ? どうせ来年会えるんだし」

「うん……、まぁ……」

「そうだけど……。一つの節目としてね……」

「だったら、湿っぽい別れをするより、笑って別れた方が良いじゃない」


 ブリジットの言い分も、もっともなものだった。

 空気を読まないのは困りものだが、笑って別れる方が良いに決まっている。

 アイザックが笑顔で見上げると、リサも同じ事を考えていたようだ。

 彼女の顔も笑顔になっている。


「そうね。また来年会いましょう」

「うん、ケンドラの事をよろしくね」


 リサはアイザックを抱き締めていた腕を離した。

 離れてしまえば、それはそれでアイザックは名残惜しい気持ちになる。


「ねぇねぇ、ところで私のプレゼントはないの?」

「ないよ。ブリジットさんとお別れする時にはあげるけどね。もしかして、大使をやめて村に帰るの?」

「まだ帰らないわよ。あんたも男だったらさぁ、気を使わないとね」


 ブリジットがアイザックの頭にポンと手を置く。

 その手をアイザックが払い除けた。


「仕方ないでしょう。『誰にでもプレゼントする』なんて価値が下がるじゃないですか」

「私は気にしないわよ」

「こっちが気にするんです。ブリジットさんも、そろそろプレゼントをくれる相手を見つけた方が良いんじゃないですか?」

「プレゼントをくれる人くらいいるわよ。けれど、下心見え見えだからあんまり嬉しくないのよねー」


 ――王宮にいるエルフより、ウェルロッド侯爵家に滞在するエルフの方が会いやすいから挨拶だけでもしておこう。


 という名目で会いに来て、ブリジットを口説こうとする貴族が一定数いる。

 当然、みんなブリジットに下心を見破られているので、深い仲になったりはしていない。

 男と知り合う機会がないというより、まともな相手と知り合う機会がブリジットにはなかっただけだ。


「わかりました。では、僕から心のこもった花束をプレゼントします」

「ありがとう。けど、もっと良い物でもいいのよ?」

「そこまでは無理です」


 二人のやり取りを、リサは笑顔のまま悲しそうな目で見ていた。


 ――こういう他愛のない話をいつまでできるのか。


 そう思うと、どうしても悲しくなってしまう。

 リサにも友達がいるので、楽しい話はできる。

 だが、アイザックやエルフであるブリジットと話をするような刺激は、今後は無くなるだろう。

「今が人生でもっとも貴重な時なのかもしれない」と、リサはこの時を過ごせる幸せを噛み締めていた。



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 リサの入学式も終わり、アイザックはランドルフと共にウェルロッドへ戻る。

 ルシアは、まだ幼いケンドラがいるので王都の屋敷に滞在する事になった。

 とはいえ、帰り道はきっと騒がしいものになる。

 アロイスやマチアスといった、エルフの集団も一緒に帰るからだ。


「お久し振りです。王宮はどうでしたか?」


 アイザックはアロイスに話しかける。


「以前にも来た事があったし、王宮の人達は親切だったが……。長老衆と一緒に長期の滞在はもうごめんだな。正直疲れたよ」


 アロイスは深い溜息を吐く。

 これはアロイスだけではない。

 若いエルフは「ブリジットの様子を見る」と言って、ウェルロッド侯爵家の屋敷で息抜きができたが、それでも疲れているように見える。

 そんな中、アロイスだけは息抜きができなかった。

 長老衆の見張りだけではなく、村長なので代表者としての役割もある。

 気苦労の絶えない滞在だったはずだ。


 一方のマチアス達長老衆は元気そのもの。

 エルフの中では「またか」とウンザリとした顔をされる年寄りの昔話も、エリアス達は喜んで聞いてくれた。

 食事も昔食べた事のある料理や、新しい料理を存分に味わっている。

 長老衆は王宮での生活を満喫していた。


「自分は過去のリード王国に貢献してきた」という意識があって遠慮のない年寄り。

「暮らしていた覚えはあるが、国に何かをしたりされたりした覚えがない」という若者。

 二つの世代間で、大きな意識の差があった。

 その事をクロードから聞かされていたアイザックは、アロイスに同情の視線を送る。


「今年は殿下が十歳になられ、一つの節目を迎える年でした。毎年のように一緒に祝ってほしいと言われたりはしないと思います」

「そう願う。まぁ、長老衆と一緒でなければ、そこまで神経を擦り減らすという事もないので問題はないのだがな」

「いや、まぁ……。それはその……、ハハハ」


 さすがに「そうですね」などと答えるのは失礼極まりない。

 アイザックは愛想笑いで答える事しかできなかった。


「お前の顔を見られるのが嬉しい時が来るとは思わなかったぞ」


 クロードがアイザックに話しかけてきた。

 彼は少し晴れやかな表情をしている。


「でも、マチアスさんはお爺さんなんですよね? 今まで一緒に暮らしていたんじゃないんですか?」

「村で一緒に暮らすのと、客人として呼ばれた状態とでは全く違う。歓迎してくれるのは嬉しいが、歓迎され過ぎるとこっちが気を使ってしまうから、正直なところやめてほしいところだ」


 今回は「ジェイソンの十歳式に出てほしい」と、リード王国の側からエルフに要請した。

 そのため、以前よりも丁重な対応をされていたらしい。

 特に何もした覚えがないクロード達若いエルフは、王国側の丁重な扱いが却って窮屈だった。

「ようやく解放される」という思いが強い。


「マチアスさんは建国の時からいらっしゃる方なので特別ですよ。他の村の長老達も同じくらいの歳なんですよね? だったら、やっぱり特別扱いになるのもわかる気がします」

「やれやれ、寿命が長いというのも良い事ばかりではないな。将来『アイザックはどんな奴だったか』なんて聞かれるような事はしてくれるなよ」

「も、もちろんだよ」


 ただの雑談だとはわかっているが、クロードに痛いところを突かれてしまった。


(俺のやろうとしている事を考えると、成功しても失敗しても絶対聞かれると思うな。ごめんな)


 未来の事はわからないが、アイザックは心の中で謝った。

 だが、彼らはわかっていない。

 今の時点でアイザックは「人間とエルフの友好の懸け橋となっている」ので、将来クロードが「アイザックってどんな人だったの?」と、子供達に質問されるのは確定となっているという事を。


「それではみなさん、そろそろ出発しましょう」


 ランドルフが声をかける。

 あまり時間をかけては、日が暮れるまでに宿泊施設まで間に合わなくなるかもしれない。

 適度なところで話を切り上げる必要があった。


「僕は家族に挨拶してきます。失礼します」


 アイザックはアロイスとクロードに一言残して、家族のもとへ向かう。

 別れは済ませているが、やはり出発前に話しておきたかったからだ。


「お母様、それではしばらくの間お別れです。お元気で」

「あなたも元気でね。お父様と仲良くしてね」


 アイザックはまずルシアのもとへ向かった。

 その理由はわかりやすい。

 ルシアが抱いているケンドラを見るためだ。


「ケンドラも元気でな」


 返事はないが、指を差し出すと小さな手で握り返してくれた。

 それだけで、アイザックの顔がほころぶ。


「お爺様とはもっとお話ししたかったのですが、また王都に来た時にお願いします」


 次にモーガンに話しかける。

 少しずつではあるが、貴族の心得のようなものを教えてもらい始めていた。


「別に今年くらいは王都に残ってもいいのではないか?」

「いえ、お父様一人では寂しいでしょうから、僕も一緒に行きます」


 アイザックも祖父からもっと学びたかったが、アイザックにはウェルロッド侯爵領に戻ってやりたい事がある。

 そのためにも、父と一緒に帰る事を選んだ。

 少なくとも、考えもなく王都に残るよりはプラスになるはずだった。


「そうか、元気でな」

「お爺様もお元気でいてください」


 次にアイザックは祖母マーガレットに視線を移す。


「お婆様、妹の事をお願いします」

「ええ、任せてちょうだい」


 ――ケンドラの事を任せる。


 これは二人にだけわかる事だった。


 ――ケンドラに侯爵家の娘として必要な教育を任せる。


 これは当然の事だが、それだけではない。

 アイザックは言葉に「ケンドラは女の子だからよけいな事は考えないでくれよ」という意味を含めていた。

 マーガレットも、アイザックの言葉を曲解する事なく受け取った。

 今の彼女は、アイザックが後継者になる事を認めている。

 言われるまでもない事だった。


「風邪を引いたりしないようにね」

「はい、健康には気を付けます」


 一通り挨拶を終え、アイザックはランドルフのもとへ向かう。


「それじゃあ、行こうか」

「はい、お父様」


 馬車に乗り込み、窓から家族に向かって手を振る。

 半年ほどのお別れだ。


(親父と二人っていうのは気まずいけど……。まぁ、それはそれで少し自由度もあるって事だな)


 ルシアがいれば、どうしてもアイザックの行動が親の目に留まってしまう。

 ランドルフが仕事をしている最中は、少しだけ自由度が上がる。

 そういった時間を上手く使えればいいなと、アイザックは思っていた。


 去年だけではなく、今年の始まりもアイザックにとって大きな動きのあった一年だった。

 これからは良い意味で事態を動かしたいと、アイザックは馬車に揺られながら考えていた。

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