第116話 ニコルの意外な設定
(ふぅ……)
挨拶に来る者達の波が収まり、アイザックは空いていた近くの椅子に座る。
こんな人前でだらしない姿は見せられない。
周囲に人がいなくなっても、疲れたという思いを顔に出したりはしない程度の分別はあった。
一息ついているアイザックの前に、ジュースの入ったコップが差し出される。
「お疲れさま」
飲み物を持ってきてくれたのはポールだった。
「ありがとう」
アイザックはお礼を言ってコップを受け取る。
ジュースを一口飲むと、思っていたよりも喉が渇いている事に気付く。
二口、三口と飲んで一息ついた。
「ポールは挨拶終わったの?」
「うん、大体の相手にはね。最後はアイザックだよ」
「そうかい。なら、終わりだね」
ポールがアイザックの隣に座った。
彼もジュースを飲んで一服する。
何かあったのか、不満そうな顔をして口を開く。
「挨拶が終わってから食べ物を見に行ったら、もう目ぼしい物が残ってなかったんだ。みんな、挨拶をしながらどうやって食べてたんだろう」
「王宮の食べ物に興味があったんだろうね。でも、本当にいつ食べていたんだろう」
アイザックは挨拶を受ける側。
ポールは挨拶をする側。
双方違う立場なのに、二人とも食べる暇がなかった。
しかも、かなりの量が用意されていたので、それを食べ尽くすだけの人数が食事をしていたはずだ。
いつ、そんな余裕ができていたのか不思議で仕方がなかった。
(そういえば、アマンダはお菓子を食べていたな)
チョコレート菓子を食べていたアマンダの事を思い出す。
もしかすると、アイザックは最初に挨拶しようと必死になり過ぎていたのかもしれない。
社交慣れしていれば、パーティーが始まった早い段階で先に食べ物をキープしたりしていただろう。
アイザックは今まで大規模なパーティーに出た経験が一度しかなかった。
それも家族と一緒にだ。
食べ物や飲み物は母が用意してくれたので、いつ取ってくればいいのかわからなかった。
経験の少ない子供達はこういう事を経験して、次のパーティーに活かしていくのだろう。
「そういうのに慣れていくしかないんだろうね」
「本当にそうだね」
二人は乾いた笑い声を上げる。
まさか、パーティーで食べ物をキープするタイミングまで学ばねばならないとは思っていなかった。
ポールも慣れていないようなので、今回の事には面食らったようだ。
二人でぶつくさと愚痴を言い合う。
そこへ、一組のカップルが訪れた。
「アイザック……」
「やぁ、ダミアン。久し振りだね」
アイザックは笑顔で応対するが、ダミアンは気まずそうだった。
ダミアンは、ルシアの友人であるキャサリンの息子。
かつて、アイザックとも遊んだ事がある。
だが、家庭の都合でフレッドの友人となり、そのままなりゆきでネイサンの友人になってしまった。
ネイサンの友達になった事が気まずかったのだろう。
挨拶に訪れたダミアンは浮かない表情をしていた。
「久し振り……」
ダミアンはボソリと呟く。
その背中を、頭一つ分背の高い女の子がバシンと叩く。
「知り合いだったとしても、ちゃんと挨拶しないとダメじゃないか。ウェリントン子爵家ブライアンの娘ジャネットです。よろしく」
「ウェルロッド侯爵家ランドルフの息子、アイザックです。はじめまして」
その様子を見れば一目でわかる。
俗に言う「女の尻に敷かれている」というやつだ。
二人の設定を知らない者でも、二人の力関係は簡単に理解できるはずだ。
ダミアンは入学時点で小柄な体型をしている可愛い弟系キャラ。
それに対し、ジャネットは身長180cmの大柄な姉御キャラだった。
正反対の二人。
ダミアンは背の高いジャネットにコンプレックスを持っている。
だが、それ故にもっとも攻略が簡単なキャラに設定されていた。
ダミアンは同世代の男の子よりも背が低く、頭脳や体力も人並み。
努力しても実らない。
フレッドの友人という事もあり――
「こいつよりは俺の方が頭が良い。剣だって俺が本気を出せば勝てるんだ」
――と「本当の自分はフレッドよりも上だ。今はフレッドの顔を立てるためにわざとダメな奴を演じているだけだ」と思い込む事で、自分のプライドを保っていた。
そうでもしないと、すぐ近くに高身長で姉御肌のジャネットがいるせいで、心が挫けてしまいそうだったからだ。
おかげでニコルが「辛かったわね」と、何度か苦労話を聞くだけで心を開くチョロイ男に成長してしまう。
簡単なキャラだからか、ジャネットはトゥルーエンドでも酷い目には遭わない。
公衆の面前で罵倒され、婚約を破棄されるだけだ。
酷い事は酷いが、命に係わるようなものではないだけマシだろう。
「ダミアン、君が兄上の友達だったという事は知っている。フレッドからも色々と吹き込まれているだろう。でも、せっかく母親同士が友達なんだ。仲良くやろうよ」
「うん、そうだね」
アイザックは立ち上がり、手を差し出した。
その手を、ダミアンが握り返す。
二人の様子を見て、ジャネットは満足そうな顔をしていた。
彼女は「ダミアンはアイザックの友達候補だったが、フレッドの友達になってアイザックの友達にはならなかった」という事情を知っている。
ダミアンを受け入れたアイザックの懐の大きさに感心していた。
「あんたも、こんな器の大きな人間になりなよ」
「……うん、そうだね」
アイザックはこのやり取りが気になった。
(他人を高く評価するのは良い事だし、されて嬉しいけど……。こういう何気ない言葉の一つ一つがダミアンを傷つけているんじゃあ……)
アイザックはそのように考えてしまった。
「自分の婚約者だから、立派になってほしい」という思いから、ジャネットはダミアンに少し厳しくなっているのかもしれない。
だが、誰もが人の期待に応えられるわけではない。
過度の期待は負担にしかならないのだ。
(でも、今は何も言えないよなぁ……)
下手に注意をして、二人が仲良くなってしまうのも困る。
アマンダとフレッドの事だけでも、将来にどう影響するのかわからない。
利己的な考えではあるが、自分の夢のためにジャネットに注意したりはしなかった。
ジャネットとも軽く話をしてから、二人を見送る。
「婚約者ができても、ああいう気の強そうなタイプはちょっとなぁ……」
ポールが呟く。
彼も大人しいタイプだ。
同じように大人しいタイプの女の子と仲良くなりたいのだろう。
「でもさ、ああいう子に引っ張ってもらった方が良い場合もあるよ」
「それもわかるんだけどさ……。あぁ、大人しくて可愛い子がいないかなぁ……」
(そんな子はとっくに婚約者が決まっているような気がするけどな)
さすがにアイザックもそれを口にしたりはしない。
夢を壊すような事を言う必要はないし、この世界の貴族社会なら売れ残っている可能性もある。
もしかしたら、男爵家の次女、三女といった立場の女の子なら、結婚する事の旨みがないと思われて残っているかもしれない。
「とりあえず、学院に入れば出会いがあるんじゃないかな」
「かもしれないけど、それはそれで自信がないなぁ……」
婚約者が決まっていないのはポールだけではない。
実家の力関係で、婚約者がまだ決まっていない子供はまだまだ多い。
人気のある男の子に女の子が集まって、自分は決まらないという結果も考えられる。
「自分が女の子にモテる」と言い切れる男がどれだけいるだろうか。
ポールが不安になるのも仕方がない。
(その気持ちは俺もよくわかる)
前世では恋人なんてできなかった。
好きな女の子ができても「告白して断られたら、普通に話す事もできなくなるかもしれない」と告白する事ができなかった。
まだ十歳の子に共感するのも複雑な思いがするが、彼の気持ちはよくわかった。
ポールと腰を据えて話をしようとしたら、また一人アイザックに話しかけてくる者が来た。
「アイザックくん、久し振りだねっ」
アイザックが声のした方を振り向くと、そこにはニコルがいた。
ベージュの地味な色合いのドレスだったが、心持ち良い生地のようだ。
ニコルに会ったせいで、心を強く揺さぶられる。
(違う、俺はこんな女なんとも思っていない!)
一度心の中で叫ぶ事で、アイザックは自分を落ち着かせる。
「久し振りですね。ニコルさんも……。いえ、ネトルホールズ女男爵もお元気そうで何よりです」
そう、ニコルはネトルホールズ男爵家を継いでいた。
彼女の父が死に、祖父も亡くなった。
母は生きてはいるが、彼女は嫁いできた身。
家を継ぐ資格がなかった。
そのため、ニコルが若くして男爵家を継承したのだ。
女性が当主になった場合は「女男爵」と呼ばれる。
「男爵」という爵位の呼び方を考えた者が、女が家を継ぐ事を想定していなかったのだろう。
実際、女性が家を継ぐ事は珍しいので「女男爵」という取って付けたような呼び方が定着していた。
「うん、アイザックくんのお陰だよ。お爺ちゃんが亡くなってどうなる事かと思ったけど、生活も大分楽になったし」
「いえいえ、ニコルさんのお陰でこちらも助かっていますのでお気になさらず」
ニコルにはチョコレートの売り上げから、毎月数%を支払っている。
単価が高いので、それでも十分な金額が支払われていた。
それに、貴族年金も支払われている。
年金は貴族として見栄を張らなければ生きていけるだけの金額。
浪費家のニコルの父が死んだ今、金に困る事はないはずだった。
(これで入学前から学力を底上げできるはず。しかも、アルバイトに使う時間をキャラの攻略に使う事ができる。せっかくの好待遇だ。頑張ってくれよ)
アイザックは笑顔の裏で、そんな事を考えていた。
「アイザックくんは大変だったみたいだけれど、怪我とかはしなかったの?」
「ええ、この通り無傷です。何も問題はありませんでしたよ」
家庭内では問題があったものの、そんな事まで話す必要はない。
ただ、自分は無事だったという事だけを話した。
アイザックの返事を聞き、ニコルはホッと胸を撫で下ろした。
「よかった」
そう言って、ニコルはアイザックを濡れた瞳で上目遣いの視線で見つめる。
心配そうな目で見られて、アイザックは一瞬ドキリとした。
(クソッ、主人公補正め!)
ニコルはアイザックの好みではない。
しかし、魂が惹かれるような気持ちになってしまう。
パメラへの思いを汚されるような気がして、それがアイザックには不快だった。
「元気だったらいいの。それが確かめたかっただけだから。それじゃあ、また学院でね」
そう言い残すと、ニコルは顔を赤らめさせて去っていった。
彼女の反応を見れば、アイザックにだってニコルにどう思われているかよくわかる。
(あぁ、ちくしょう。あれ絶対、俺も攻略しようって思われたよな。俺の事なんて放っておいてくれよ。侯爵家の息子ならフレッドもフリーだぞ)
前世ならば、ニコル相手でも良かった。
しかし、今は周囲に美人だらけだ。
極端な話、街を歩いている平民Aのモブ顔の女の子の方がニコルよりも可愛いと思ってしまう。
絶世の美女というのでもない限り、ニコルのような超肉食系女子を選ぶのを避けたかった。
気を取り直して、アイザックはポールとの話に戻ろうとする。
だが、そのポールの様子がおかしかった。
ニコルが去っていった方を見て、呆けた表情をしていた。
「……ポール?」
「えっ、あぁ……。あっ」
アイザックに名前を呼ばれ、ポールは現実に戻る。
そして、アイザックの顔を見て、またニコルが去った方を見て何かを察した反応をする。
「なんだい?」
ポールの反応が気になり、アイザックは質問する。
「アイザックがさ、なんで婚約者を作らなかったのかわかったよ……。男爵家の女の子だもんね。家族を説得するのに時間が必要なんだ」
「……いったい何の事を言っているのかさっぱりわからないんだけど」
「あの子の事が好きなんだよね? あんな可愛い子初めてみたよ」
「えっ! 可愛い!?」
アイザックは驚く。
そして、ポールはなんでアイザックが驚くのかわからない様子だった。
「可愛いじゃないか。ウォリック侯爵家のアマンダさんとの婚約かって噂があったけど、断っているっていう事はニコルさんを狙っているんだろ? あぁ、良いなぁ。やっぱり侯爵家の御曹司ともなれば、あんな可愛い子と知り合えるんだ……」
「何を……」
――何を言っているんだ。
そう言いたくなったが、アイザックは途中で一つの可能性に気付いた。
(そうか、そうだったのか!)
アイザックはこの世界の事に一つ気付いた。
(この世界は美男美女ばっかり。だから、ニコルのような顔が個性を発揮して可愛いとか思われるんだ!)
衝撃的な事実である。
皆が美男美女を見慣れているからこそ、少し変わった顔がもてはやされる。
「興味が無いから」とニコルのキャラ紹介を飛ばし読みしていたせいで、その事に今まで気付けなかった。
(そりゃそうだよな。この世界では美女っていう設定でもないと、わざわざニコルを選ぶ理由がない)
ニコルが攻略キャラの心の隙間を埋めたとしても、それだけでは攻略キャラの周囲を納得させられない。
「この子を選ぶのなら仕方ない」と思わせる何かがあったはずだ。
それが美人設定だったのだろう。
アイザックの感性では理解できない事だが、この世界の設定がそうなっているのであれば否定できない。
(いや、ポールがブス専な可能性も……)
アイザックはそう思ったが、ブリジットにも見惚れていたので、おそらく一般的な感性を持っているはず。
ポールの反応が世間一般の反応だと思われた。
(そうなると俺が間違っているのか? いやまぁ、前世の価値観を引きずってはいるけども……)
まさかの「ニコル美人設定」にアイザックは戸惑ってしまう。
最後の最後にとんでもない事実を知ってしまい、アイザックはモヤモヤしたものを胸に抱えながら帰宅する事になってしまった。
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