第110話 騒動の原因は・・・

「どうかなされましたか?」


 ランドルフの泣き声が廊下にまで聞こえていたのか、心配したメイドがドアの向こうから声をかける。


「大丈夫だよ。しばらく放っておいて」


(これは涙だ。きっと涙だ)


 自分の頭上に垂れ落ちる何かの液体。

 その感触を感じながら、泣いているランドルフに代わり、アイザックが答えた。

 鼻をすする音が聞こえるので、鼻水は垂れ落ちていないと信じていたい。

 抱き締められているので、逃げようがないのが残念だった。


(さて、話はしたけど、これからどうしよう……)


 まだ話したい事はたくさんある。

 しかし、まだ精神的に不安定な父に多くを聞きすぎて、また会ってくれなくなっても困る。

 十歳式という、子供にとって大きなイベントも控えている。


(とりあえず、保留かな……)


「今はまだ根掘り葉掘り聞く時ではない」と、アイザックは判断した。

 自分の十歳式に出たり、妹のケンドラと過ごす日々で心の落ち着きを取り戻させる。

 そして、落ち着いてから話せばいいと考えたからだ。


 これは利己的な考えによって出された答えでもある。

 今のアイザックは忙しい。

 同年代の子供との交流だけでも、かなりの時間を使っている。

 今年も領主代理を任されたりしたら、将来に備える時間が無くなってしまう。

 アイザックは「領主代理を任せられる程度には回復してほしい」と切望していた。


 抱き締められて身動きのできないアイザックにできる事はない。

 今は父が泣き止むまで、大人しくしているしかなかった。




 しばらくして、ランドルフが泣き止み、アイザックを放した。

 自由になったので、アイザックは頭頂部に手をやった。

 ネチャリと粘着質な感触が手に触れる。


「アイザック、お前には苦労を掛けてすまなかった……。私がもっとしっかりしていれば……。すまない」

「そうですね。とりあえず、今はこの惨状を招いた事を謝ってください」


 ――この惨状を招いた。


 その一言がランドルフの心を抉る。

 彼は唇を噛み締め、うつむく。

 その時、アイザックが手のひらを見せている事に気付いた。


「なんだ?」

「なんだ? って……。これはお父様の鼻水でしょう?」


 アイザックが今度は頭を見せる。

 アイザックを抱き締めて泣いていたせいで、頭の上が濡れている。


「惨状ってそれの事か……。ちょっと待ってろ」


 ――家族で殺し合った事ではなかった。


 その事を責められているのではないとわかり、ランドルフは一瞬ホッとする。

 だが、すぐに気を引き締めた。

 いつかは責任を取らねばならない事だ。

 アイザックの頭をハンカチで拭いてやりながら、ランドルフの気が重くなっていく。


「お父様にお願いがあります」

「どんな事だ?」

「一緒に十歳式に行ってほしいんですが……」


 アイザックはチラリと上目遣いで父を見る。

 その目を見て、ランドルフはまた泣きそうになってしまう。


「行くとも。ああ、絶対行くとも」


 ランドルフは事件以来、アイザックの事を「ジュードのような子供」だと思っていた。

 しかし、それが間違いだったと、今思った。

 アイザックも年相応の子供。

「家族との仲」を気にしているのだと気付いた。

 自分の行動が逆に「家族の仲を破壊していた」という事に、ランドルフは気付いてしまった。


「まさか、お前にも同じ思いをさせていたとはな……。本当にすまない」


 ランドルフはアイザックをもう一度抱き締める。

 彼も家族との関係で寂しい思いをしていた。

「自分が親になった時は、そんな事にならないようにする」と決意していた。

 だが、結果はその逆。

 子供同士が争うという最悪の結果になってしまった。

 己の不甲斐なさを悔いる。


 ランドルフがまた泣き出しそうになっていた時、ドアがノックされる。


「夕食の用意ができました。お持ちしてもよろしいでしょうか?」


 今までランドルフはアイザックと顔を合わせないよう、自室で食事を取っていた。

 しかし、これからは違う。


「いや、これからは食堂でみんなと食べる事にする。もう持ってこなくていい」

「か、かしこまりました」


 突然の変化にメイドは驚いていた。

 昼食から夕食の間に何があったのか、彼女には理解不能だろう。


 ランドルフはアイザックの顔を見る。


「一緒に食事をしよう。顔を洗ってから行くから、先に行っててくれ」

「はい、お待ちしてます」


 アイザックは言われた通り、先に食堂へ向かう。

 ランドルフとの仲直りの第一歩。

 メリンダが初恋の相手など、驚きの事実を知ったが、少しは進展があった事に満足していた。


(クロードにお礼を言っておかないとな)


 食堂へ向かう途中、アイザックはそのような事を考えていた。



 ----------



 食堂には家族とエルフ達が揃っていた。

 クロードがアイザックに話しかけてくる。


「どうだった?」

「お陰様で話ができました。ありがとうございます」

「ウェルロッド侯爵家には世話になっているし、何よりも個人的な感情で話をしただけだ。気にするな」


 クロードはそう言うが、アイザックからすればランドルフと話をするいいきっかけを作ってくれた。

 その事に深く感謝している。


(何かあった時にお礼をしっかりするとしよう)


 今はクロードが「気にするな」と言ってくれている。

 すぐにお礼をするのではなく、落ち着いた頃合いを見計らってお礼をしようとアイザックは思った。


「えっ、何々。何かあったの?」


 アイザックがランドルフに会いに行っていた事を知らないブリジットが、何があったのかを尋ねる。


「同じ大使でもクロードとは違うな……。俺が代わろうか?」


 その姿を見て、エルフの一人が溜息混じりに言った。

 まだ若いブリジットに任せるという事に不安を感じているのも確かだが、どちらかといえばからかいの色が強い。

 だが、言われたブリジットは気が気ではなかった。

 大使でなくなってしまえば、快適な暮らしとおさらばしなければならない。

 それは避けたかった。


「そ、そんな事ないわよ。ねぇ、アイザック言ってやってよ」

「えっ、僕が!?」


 自分に話を振られて、アイザックは困惑する。


(ここで「チェンジ」とか言ってみたい……。けど、ティファニーとの事で協力してくれたんだよなぁ……)


 その場の面白さを選ぶか、恩義を選ぶか。

 散々迷ったアイザックだったが、ここは恩義を選んだ。


「そうですね。ブリジットさんの方がいいと思います」

「ほらね。私だって大使として役立っているわけよ」


 どこをどうすれば、今の会話で大使として役に立っているのかが不明だが、ブリジットは胸を張って答えた。


「それで、何の話だったの?」

「お父様が一緒に食事をします」


 アイザックの言葉にウェルロッド侯爵家の者達が驚く。

 今までアイザックを避けていた。

 なのに、突然一緒に食卓を囲むという。

 これはブリジットも少し驚いていた。


 事情がわからないのは休憩に来たエルフ達だ。

 彼らは不思議そうにしている。


「一緒にご飯を食べるだけなのに、なんで驚いているの?」


 エルフの女がクロードに質問する。

 これにはクロードもどこまで話して良いのか困った。


「そうだな……。規模の大きい親子喧嘩をして以来、今まで食事をバラバラにしていたんだ。だから、みんな驚いているんだ」

「へー、親子喧嘩ね。まぁ、親子喧嘩もしない家庭よりはマシでしょ」

「ウチんとこのガキも反抗期でな。よく言い合ってるぞ」

「俺も昔は親父と殴り合いの喧嘩はやってたな」


 エルフ達が親子喧嘩の話をし始める。

 その話を聞いて、一番気まずい思いをしているのはモーガンだ。

 彼は父親と喧嘩をした事がないし、息子とも喧嘩をした事がない。

「親子喧嘩もしない家庭よりはマシ」という言葉が心にクリティカルヒットしていた。

 喧嘩をしなかったのは家族仲が上手くいっていたのではなく、親子の交流すら避けていたので揉め事に発展しなかっただけなのだから。


 アイザックが自分の席に座ると、ルシアが話しかけてきた。


「あの人とどんな話をしたの?」

「苦労をかけてすまなかったと謝られたのと、メリンダ夫人と結婚した経緯です」

「そう」


 ルシアは親子関係が少し修復した事を喜ぶ。


「お母様はご存じだったのですか?」

「もちろんよ。優しい人だから、そういう事もあるかなと覚悟はしていたんだけれどね……」


 今度は少し悲しそうな顔をした。

 その顔を見て、アイザックは少し察する事ができた。


(そうか、実家の格だけじゃない。親父がメリンダを好きだった時期があると知って、お袋は自分から一歩引いてたんだ)


 ルシアは自分を強く押し出す性格ではない。

 勝手にランドルフに配慮して、自分の意思でメリンダに一歩譲っていたのだろうと、アイザックは考えた。


 ――もし、メリンダがランドルフの初恋の相手だと知らなければ。

 ――もし、ルシアが負けず嫌いな性格をしていれば。


 ルシアが第一夫人としての立場を確固たるものにしていたかもしれない。

 その場合、ランドルフに「先に自分との間に子供を作れ」と要求する事もできただろう。

 先にルシアが男子を産んでいれば、マーガレットもルシアの支援に回ったかもしれない。

 ほんの少しのズレがたくさん重なり、その歪みが表に出てきてしまった。


(まぁ、最後は俺のせいだけどさ)


 だが、アイザックも今は後悔していない。

 家族の問題は、アイザックの行動によって浮き彫りになってしまっただけ。

 どうせいつかは表沙汰になる事だった。

 今のアイザックは「学院卒業前に混乱するよりはマシだった」と前向きに考えていた。


「お待たせしました。客人も来られているというのに申し訳ありません」


 顔を洗ったランドルフが食堂に入ってきた。

 席に着くと、クロードに話しかける。


「クロードさんにはお世話になりました」

「なに、年長者からの助言だ」


 二人は顔を見合わせ、クロードがフッと笑う。


 ――食事がまずくなるような、湿っぽい会話など不要。


 クロードのその気持ちが伝わったのか、一礼だけしてランドルフもそれ以上は何も言わなかった。


 ウェルロッド侯爵家では久し振りに家族が揃って食卓についた。

 客人がいたので、この日は賑やかな夕食となる。

 少しずつではあるが、ウェルロッド侯爵家は家族という形を取り戻しつつあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る