第107話 パメラとの再会
ウィンザー侯爵家の屋敷へは、ルシアが同伴した。
「子持ちの奥様同士のお喋り」という体裁で、アイザックとパメラを会わせるつもりだ。
これはモーガンやマーガレットがいると、大事に見られかねないという心配からされた配慮だった。
五年振りに訪れたウィンザー侯爵家の屋敷。
ウェルロッド侯爵家の屋敷とさほど変わらないが、今日のアイザックにはどこか神々しく見えた。
今日は起きた時から世界が変わって見えている。
それだけ、パメラと会うのを楽しみにしているという事だ。
「いらっしゃい。ルシアさんは子供を産んだ後とは思えないわね。私は去年大変だったわ」
パメラの母であるアリスがアイザック達を出迎えた。
「アリス様も元通り――いえ、もっと良いスタイルになられましたわ」
「ええ、産後に努力してるのに気付いてくれるのは女だけ。男は気付いてくれないのよ」
アリスは口元を隠して笑う。
彼女は去年、パメラの弟のロイを産んでいる。
その事を話題に、ルシアと軽い挨拶をした。
「アイザックも久し振りね」
「三年振りですね。ご無沙汰しております」
アイザックとアリスが出会ったのは三年前。
エルフと新しい協定を結んだ時のパーティでだ。
それ以降、母親同士では交流があったが、アイザックがアリスと会う事はなかった。
そもそも、アイザックがウィンザー侯爵家に近寄る事がなかった。
カーマイン商会の関係で、ウィンザー侯爵と会ったくらいだ。
他にはウィンザー侯爵家の者と出会わなかった。
「さぁ、部屋まで案内するわ。そこでお話ししましょう」
アリスが先導する。
アイザックはルシアと並んで付いていく。
一歩進む毎に、胸の高鳴りも大きくなっていった。
「あっ」
アイザックとパメラが同時に声に出した。
案内された部屋でパメラが待っており、二人が顔を合わせると、言葉を交わさずにそのまま見つめ合ってしまう。
(可愛くなったけど、それだけじゃないな。……そうか、ドリルが増えているんだ)
五年前にパメラと会った時とは違い、髪の毛の縦巻きロールの本数が増えている。
アイザックは「このまま成長したら、アリスのように大きなドリルに合体するのだろうか」と、どうでも良い事を考えてしまっていた。
そんな事でも考えていないと、パメラに抱き付いてしまいそうだからだ。
魂を惹かれるような不思議な感覚も感じている。
身体の奥底から熱くなる。
それはパメラも同じようだ。
アイザックを見て、頬を染めている。
(きっと両想いだ)
言葉を交わさずとも、アイザックはそう確信する。
もし、この反応でまったくの脈無しだったら女性不信に陥ってしまう。
パメラには、アイザックの恋心を利用する理由がない。
「信じてもいいはずだ」と思っていた。
ジッと彼女を目を見つめ続ける。
それだけで、身体の芯から温まるような気持ちになった。
見つめ合う二人を見て、アリスが頬に手を当てて困った顔をする。
「本当、先に会わせておいて良かったわ。こんなところを殿下に見られたと思ったらゾッとするわ」
「ええ、そうですね……」
アリスの言葉にルシアも同意する。
さすがにここまで熱烈な視線を交わしていると、誰かに見られた場合不味い事になる。
ルシアも不味い状態だったのだとわかり、背筋に一筋の汗が流れた。
この場に居合わせた使用人達は、ここで起きた事を漏らさないようウィンザー侯爵が強く言い含めている。
そのような準備をしていなければ、こうして会わせる事を許さなかっただろう。
アイザックとパメラが初めて出会った現場に居合わせた者と、話で聞いただけの者との認識の違いだった。
「アイザック、まずは挨拶なさい」
「あっ、はい」
ルシアがアイザックの肩を揺すって正気にさせる。
挨拶もせずに見つめ合ってしまっていた事を恥じ、さらに顔が紅潮するのを感じた。
「パメラさん、お久し振りです」
「アイザックくんもお元気そうで何よりです」
散々見つめ合っていたのに、今更挨拶をする事になって二人はどこか気恥ずかしさを感じる。
モジモジとしながら、二人はテーブルに着いた。
本来ならば微笑ましい光景なのだが、事情が事情だけに周囲の大人達は“良い事だ”と見守ってやる事ができなかった。
「他の男の子は呼び捨てにするのにパメラったら……」
普段とは違う娘の様子に、アリスは呆れたように溜息を吐く。
「お母様! 私は別に……」
よけいな事を言った母にパメラが抗議する。
しかし、それもアイザックの前なのですぐにトーンダウンしていく。
「まぁ、今日はいいわ。私はルシアさんと話しているから、あなた達は好きに話しなさい。ただし、節度は守ってね」
「はい」
好きに話せと言っても、保護者はそれぞれ自分の子供の隣に座る。
さすがにアイザックとパメラを二人っきりにするような事はしないようだ。
だが、それでもアイザックは良かった。
聞かれて困るような話をするつもりはない。
ただ、親に聞かれて恥ずかしいだけだ。
「元気だった?」
「うん。アイザックくんは大変だったみたいね。大丈夫だった?」
「大丈夫だよ。殺されそうになったけど、返り討ちにしたからね」
表向きは「メリンダとネイサンがアイザックを殺そうとして返り討ちにあった」という事になっている。
その事をパメラも知っていたが、やはり本人の口から聞くと不安そうな表情を浮かべた。
(あっ、女の子に血生臭い話はダメだったか!)
パメラの表情を見てアイザックは動揺した。
ティファニーも、二人を殺したあとはアイザックの事を怖がっていた。
「殺されそうだった」ではなく「騒動があった」程度に表現を抑えておくべきだったかと後悔する。
慌てて話題を変えようとしたアイザックは、とんでもない事を質問してしまう。
「そういえば、パメラさんのところは侯爵家でも第二夫人とかいないんだね」
アイザックは口にしてから「話題に出すような話ではなかった」と後悔する。
父親の女関係など、適切な話題ではないからだ。
「それは私が許さないから」
この話にはアリスが横から口を挟んできた。
ニコニコとしているが、得体の知れない迫力を秘めた笑顔をしている。
(そういえば、アリスが侯爵家の娘で、旦那さんが婿養子だっけ……。そりゃあ、第二夫人とか無理だよな)
男性優位な貴族社会とはいえ、婿養子の立場の弱さは世界が違えど変わらないようだ。
アリスが不倫でもしない限り、ウィンザー侯爵家でウェルロッド侯爵家のような混乱は起きないだろう。
「お母様がお父様の事を好きですから」
「パメラ、そんな事言わなくていいのよ。あなた達の話をしなさい」
パメラの両親の仲は良好のようだ。
ランドルフとルシアの仲も良いのに、どうして差が出てしまったのか。
アイザックは溜息が出そうな思いだった。
「僕達の話……」
アリスにそう言われて、ようやく気付いた。
アイザックはパメラの事を何も知らない。
おそらく、それは彼女の方も同じだろう。
想い合っていても、何が好きなのかさえわからない。
今まで忘れる事が無かったのに、知っておくべき事すら知らない事に今更ながら驚いた。
「僕は花壇で花を育てたり、新しいお菓子を考えるのが好きです。パメラさんはどんな事が好きですか?」
女々しいと思われるかもしれない。
だが「将来、あなたを助ける事を考えたり、国を奪い取る事を考えています」などと言う事はできない。
それは「男らしい」というよりも「頭がどうかしている」と受け取られるはずだ。
今はまだ、子供なら許容されるであろう範囲内の趣味を話す事にした。
「私は刺繍をしたり、ダンスを踊るのが好きです。友達とお話ししたりするのも好きですね」
パメラの答えも無難なものだった。
この世界における、一般的な女性の趣味だ。
しかし、アイザックにはそれで良かった。
「感性が一般的な女性」という事を知る事ができたからだ。
何かプレゼントする時に、身近な者から参考になる意見を聞き出しやすい。
「ところで、チョコレートはアイザックくんが考えたんですか?」
パメラから考えもしなかった質問が投げかけられた。
(いや、新しいお菓子を考えるのが好きだと伝えた時点で覚悟しておくべきだったか)
こればっかりは正直に答える事ができない。
チョコレートの作り方はニコルから聞いた事だ。
将来、パメラを奈落に落とすニコルと繋がりがある事を知られるのはまずい。
できる事なら、パメラには正直に話してやりたかったが、アイザックは誤魔化す事にした。
「いえ、チョコレートを作ったのは他の者です。利益の一部を支払うという契約で、専売契約をしてもらっているだけなんですよ」
「そうなんですか……」
パメラは少し残念そうな顔をする。
それを見たアイザックは「やっぱり、自分で考えたって言えば良かったか」と後悔する。
だが、自分がやったと主張した場合、あとで「ニコルが作った」と知られた時により大きな失望を与えてしまう。
他人の手柄を奪うような男は最低だと思われるだろう。
少しガッカリさせてしまったが、その分は将来彼女を笑顔にする事で償おうと考えていた。
「でも、お菓子は砂糖を控えめにした方が美味しいとかは僕が言い出したんですよ」
――ちょっとした見栄を張りたい。
その思いから、初めてアレクシスにお菓子の作り方に口出しした時の事を持ち出した。
「えっ、あれってアイザックくんが考えたの? 砂糖が一杯使われてるお菓子ってベタベタしてて嫌だったの。ありがとう」
「甘すぎて苦手だったから、砂糖を減らして作ってほしかっただけだよ」
「ううん、それでも凄いわ」
パメラはこの話に食いついた。
彼女も「貴族だから豊かさを証明するために」と、見栄を張るために砂糖をたっぷり使って作られたお菓子にウンザリしていた。
ウェルロッド侯爵家の経営するお菓子屋が砂糖を減らしたお菓子を広め「本当に美味しいお菓子を食べる事こそが豊かさ」という風潮を作った事に感謝していた。
そのきっかけがアイザックであると知り、パメラは嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「やっぱり、ちょうどいい味加減が美味しいですよね」
「ええ、そう思うわ。お料理は美味しいのに、お菓子だけ味加減がおかしかったから」
――パメラも同じ事を考えていた。
そう思うと、心が繋がっているように感じられ、アイザックの心が温かくなる。
それからしばらくの間、二人は食べ物の話題で話を弾ませた。
「アイザック、そろそろお暇しましょう」
ルシアがアイザックに声を掛ける。
窓の外では日が傾き始めているので、かなりの時間話していたようだ。
それだけの時間が過ぎたとは、まったく感じなかった。
楽しい時間は過ぎ、これからは別れの時間だ。
「そうですね、名残惜しいですが……」
パメラも同じ思いなのだろう。
寂しそうな顔をして、アイザックの事を見つめている。
アイザックも彼女の目を見つめ返した。
「でも、こうして話せた事で十歳式では我慢できそうです。ありがとうございました」
アイザックは視線をアリスに移し、お礼を言った。
「いいのよ。パメラも会っておかないとダメだったみたいだしね」
アリスはパメラをチラリと見る。
彼女は生まれた時から婚約者を決められていた娘の事を少し可哀想に思っている。
しかし、王太子であるジェイソンとの結婚は、貴族にとってこれ以上ない名誉だ。
婚約を取りやめて、アイザックと結婚をさせてやろうとまでは思っていない。
「アイザックくん、また会えるよね」
「うん、家族が許してくれたらね。少なくとも、十歳式では会えるよ」
「そうね……」
寂しいが仕方が無い。
別れの握手を交わし、ルシアと共に帰ろうとしたところでアイザックは振り返る。
「婚約はできないかもしれないけど、パメラさんが困った時に助ける事はできる。困った時は頼ってほしい」
「うん、大変な時は助けてね」
「もちろん、どんな手段を使っても助けるよ。それじゃあね」
アイザックは最後に笑顔で別れる。
ドア一枚隔てただけなのに、二人の距離が果てしなく遠く感じられた。
「アイザック、偉いわね。ちゃんとお別れができて」
ルシアがアイザックの頭を撫でる。
彼女は、もっと「離れたくない」と駄々をこねるかと思っていた。
すんなりと別れられたアイザックを褒めていた。
「もう二度と会えないというわけではありませんから」
五年越しの再会。
だが、もう会えないと思っていたパメラと会う事ができた。
もう会えないというわけではないという事がわかった。
十歳式のあとで会えるのはまた五年後、学院に入学する時になるかもしれない。
それでも、また会える。
今はそれだけで良かった。
「とりあえず、十歳式では大丈夫そうです」
「そう……。パメラと婚約は無理でも、友達になるという方法もあるのよ」
「はい、そういう選択もあるという事は理解しているつもりです」
そう、選択はある。
だが、それを選べるかどうかは別だ。
(国を奪い、パメラを助ける。それが最優先だ)
下剋上が最優先。
もし、それがダメだった場合にどうするか。
――国を奪うのをやめて、パメラを助ける事に専念するか。
――全てを諦めて、ただの侯爵家の人間として普通の人生を過ごすか。
おそらく、そのどちらかになるだろう。
失敗する事がわかっていて、死ぬ覚悟を決めてまで反旗を翻すつもりはない。
ダメそうな場合は、アイザックも引く事も考えている。
だが、そうならないよう、地道に策を練るつもりだった。
前回とは違い、今回の帰り道は泣いたりしなかった。
アイザックは、もう泣くだけの子供ではない。
一人の野心家として、成長し始めていた。
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