第87話 アイザックなりの穏便なやり方
アイザックも反省をし、少しは成長し始めている。
一度目と二度目の会議では見学に回り、会議の流れを掴む事を優先した。
そして、三度目の会議では用意していた議題を提案する事になる。
「今日は報告書。特に会計報告書の書式統一について提案したいと思います」
これは幼い頃より暖めていた考えだった。
幼い頃は意見を言えなかったが、今ならば少しは聞いてもらえるようになったと思ったからだ。
領主のところまで上がってくる報告書は、政務官や税務官といった者達がまとめた物だった。
しかし、書式が定まっていないので、まとめるといっても政務官個人のやり方だ。
各人の書類には多少の差異がある。
その差異のせいで、報告を理解し損ねる可能性があった。
そして何よりも、書式を統一する事で官僚達の仕事がスムーズに行くようになる。
これが大きかった。
”内容をまとめ上げるために、様々な書き方をされている報告書を解読する”という手間が省ければ効率的に仕事を進められるようになる。
その分仕事が早くなり、時間に余裕ができた分新しい仕事を割り振る事もできる。
前もって政務官や税務官にひな形を見せたところ、彼らは嬉々として飛びついた。
何も言っていないのに、実用に適した何種類かのひな形を持ってきたくらいだ。
問題があるとすれば、貴族達の受けが悪いという事だろう。
「我が家には代々伝わるやり方がありますので……」
一人の貴族が呟いた。
歯切れが悪いが「伝統的なやり方があるので、新しいやり方は受け入れたくない」と拒否の意思表示をしている。
これは他の者達も同様だった。
――貴族に任じられるような偉大な初代のやり方を尊重する。
伝統を重んじる貴族ならではの考え方だ。
以前モーガンに提案した時に却下されたのもこのせいだ。
しかし、今回は違う。
アイザックもちゃんと用意をしてきた。
「皆さんの考えておられる事はわかります。初代当主のやり方を尊重するというのは良い事だと思います」
アイザックの言葉に「うんうん」と、多くの者がうなずく。
「ですが、すでに建国より五百年が経っています。当時は百人程度の小さな村の村長のようなものだった代官も、今ではいくつかの村をまとめたりしています。人が増え、環境が変わった。ならば、我々も変わらなければならないのではないでしょうか?」
アイザックは、その伝統が作られてから長い年月が経っている事を主張した。
そして、取り巻く環境が変わったという事も。
しかし、あまり受けは良くなかったようだ。
貴族の一人が疑問を口にする。
「今のままでも仕事に支障を来たしていません。無理に変えようとしなくてもいいのではないですか?」
「そうだ、そうだ」と周囲の者達も同意する。
今でも問題がない以上、変える必要がないと思うのは当然の事だ。
だが、アイザックはこの反応を待っていた。
「その通りです。
「教会では書式の統一とまではいかないが、文法作法として似たような事を最初に教わった」
アイザックの話をハンスが補足する。
彼は今回の件について前もって相談されていた。
だからこそできるサポートだ。
「会計報告書だけではなく、普通の報告書でもよりわかりやすくなると思う。アイザックの言うように、今と昔では報告しなくてはいけない情報量も違うので、考慮するに値する提案だと思う」
ハンスは、領主の勉強をしていた時の事を思い出す。
ある程度読み手の事を考えてくれている者の報告書はいいが、日記形式であったり、報告者自身は理解できるが誰かに読ませる事を考慮していない報告書としては不適格な物もあった。
それらの記憶が、ハンスにも「書式の統一をした方がいいだろう」と思わせた。
「教会で書類の作成をした時に戸惑いませんでしたか?」
「最初は戸惑った。だが、一度慣れてしまえば後は楽だった。今までの苦労は何だったのかと思う程度には変わる」
「うーん……」
アイザックが説明していた時とは違い、貴族達は真剣に迷い始めた。
これは言葉の重みの差である。
ハンスは二十歳までウェルロッド侯爵家で育ち、そこからは教会で三十年ほど過ごしている。
両方の事を知っており、これまでの人生で経験を積み上げてきた。
アイザックの前世を合わせた人生よりも長い期間をだ。
そして、今のアイザックはどう見ても九歳の子供だ。
普通の子供とは違うとわかっていても、やはり見た目で軽んじられてしまう。
こればかりはどうしようもない。
しかし、だからといってアイザックも黙って見ているだけではなかった。
「僕達のご先祖様が何をしたのかを思い出してください。ご先祖様は人とは違う事をやったので貴族となりました。当時の平民とは違い、戦場や後方支援で功績を残した。だから、ご先祖様は貴族に任じられました」
拳を握り締めて、熱く語る。
「人と違う事をすればいいというわけではないと承知しています。ですが、僕達もご先祖様を見習って、少し違う事をしてみませんか? ご先祖様が残した物を、良い方向に発展させるのも子孫の役目であると僕は思います。そして、王国史に名を残しましょう。リード王国で最初に書式の統一を図ったのはウェルロッド侯爵領の貴族達であったと!」
アイザックの言葉に反応して、貴族達は自分の周囲をさりげなく見回し始めた。
――最初に書式の統一を図ったのはウェルロッド侯爵領の貴族達である。
これは魅力的な言葉だ。
もちろん、表に名前が大きく出るのはウェルロッド侯爵家となる。
だが、このような事は領内の貴族が一丸にならなくては実現できない。
実現すれば、傘下の貴族達も大なり小なり評価される事になるだろう。
文官の家柄であるウェルロッド侯爵家傘下の貴族も、また文官寄りの者が多い。
文官にとって“前例”というものの存在は非常に大きい。
――自分達が前例を作った。
という名声はなかなか興味を惹かれるものがある。
だが、それでも簡単には賛同できない。
やはり伝統を守りたいという気持ちもあるし、変化を恐れる気持ちもある。
誰かが先に動けば勢いで賛同してもいいが、最初に動くのはどことなく気が引けると考える者が多い。
「私は試してみても良いと思う」
口を開いたのはハリファックス子爵だった。
本当に良い考えだと思っているのか、孫可愛さに援護に回ったのかまでは定かではない。
「今はエルフとの交流再開など時代が動き始めている時期だ。これから先、今まで以上に動くかもしれない。激動の時代を乗り越えるには、仕事の効率化は避けられない問題だ。こうして議題になったのも自然の流れかもしれない」
「確かにその通りです」
「時代に求められているならば仕方ないですな」
周囲の者達も賛同し始める。
――伝統を守りたい。
――新しく仕事を覚えるのは嫌だ。
そんな思いもある。
しかし、それ以上に「名声が欲しい」という気持ちが打ち勝った。
リード王国の国情は安定している。
安定した国では、外国との戦争でも起きなければ名を上げる機会など滅多にない。
そして、ウェルロッド侯爵家とその傘下の貴族は基本的に文官の家系であり、戦争に強くない。
戦場に出ずに済むのならば、それに越した事はない。
賛同する者が出るのはおかしい事ではなかった。
「いいぞ、アイザック。上から命じるだけではなく、今のように本人のやる気を引き出すような話の流れは良かった。それでいいんだ」
この会議の様子を見て、モーガンは満足そうにしていた。
力を誇示して言う事を聞かせるという方法ではなく、最後までちゃんとした話し合いだけで済んだ事を喜んでいる。
「いえ、大叔父様やハリファックス子爵のサポートがあっての事です」
アイザックは謙遜するが、モーガンはかなり嬉しそうだ。
「それでもだ。やればできるじゃないか」
モーガンはアイザックの頭を撫でる。
少し興奮しているのか、やや粗雑な動きだ。
だが、アイザックは褒められて嫌な気はしなかった。
こうして上手くいった時はしっかりと褒めるように勧めたのはハンスだ。
彼は子供の修道士の教育を担当した事もある。
その時に学んだ事は「子供でも褒められているとわかるように褒める。叱る時はしっかりと何がどうダメだったのかを教えて叱る」という内容だった。
大人と子供は違う。
「こう言えばわかるだろう」という思い込みは厳禁だった。
そして何よりも、褒めて伸ばす重要性を学んでいた。
叱るばかりでは委縮してしまう。
子供の成長を促すには、良い事をした時にはしっかりと褒めるべきだという事を経験として知っていた。
もちろん、むやみやたらに褒めるだけでもダメであるので、ほめ過ぎには気を付けなければいけない。
――穏便な解決ができたら褒める。
――暴力的な方法を取ろうとしたら、それがなぜダメなのかを教えていきなり暴力を振るわないように叱る。
これらの事はアイザックの秘められた凶暴性に恐れを抱いたハンスが、モーガンと話し合って決めた事だ。
モーガンも「もっともだ」と、この方針を受け入れた。
家を出て、結婚もしていないハンスの方が子供の扱いに慣れているというのは皮肉な話だった。
「でも、これは練習の会議ですから。皆さんも本気で反対しなかっただけでしょう」
そう、今は会議の練習中だ。
アイザックも今回はその事を忘れていなかった。
「いや、案外悪くないかもしれない。いきなり今年から導入試験というわけにはいかないだろうが、来年以降にもう一度検討してみる価値はある。政務官達にどういう書式で統一するかを検討させておくといいだろう。教会ではどうやっているのかハンスから聞いて参考にしたりするといい」
「はい、そうします!」
練習用に用意していた議題が無駄にならず、未来に繋ぐ事ができた。
ちゃんと話し合えばわかってもらえるという事も知れた。
恐怖を与えずとも、人は動く。
それらの事を知る事ができて、本当に嬉しかった。
アイザックはまだ一歩だけではあるが成長した。
だが、これは練習だ。
あらかじめ用意していた話をしただけ。
突然、思いもしない問題を持ち込まれた時にどう対応できるか。
そんな場面に遭遇して初めて成長したかどうかがわかるというものだ。
アイザックは「まだ浮かれるのは早い」と自分を戒める。
「お前はまだ若い。焦らなくてもいいから、ハンスの仕事振りを見てゆっくり学んでいけばいい」
「はい!」
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会議は穏やかな終わりを迎えた。
領地に戻るまでに、もう一度か二度くらいは行われるだろう。
だが、アイザックには領地に戻る前に終わらせておきたい事があった。
――キンケイド男爵となったバーナードの事だ。
会議が終わった後、ノーマンに声を掛けてもらって別室で個別に話をする事にした。
あまり人前で話したい内容ではないからだ。
まだ「アイザックに忠誠を誓う」と言っていないノーマンも同席を許していない。
二人っきりの話し合いだ。
「こうして二人っきりだと、昔を思い出すね」
「そうですね……」
まるで恋人に語り掛けるような言葉だが、その言葉に含まれている意味合いはドス黒い。
ネイサン派を切り崩すために、キンケイド男爵を利用していた時の事だからだ。
キンケイド男爵にしてみれば、思い出したくない類の思い出だ。
「そういえばさ、バーナー……キンケイド男爵は子供が三人いたよね?」
「……はい」
(子供を人質に差し出せというのか?)
彼がそのように考えてしまうのは当然の事だった。
キンケイド男爵家はネイサンに加担したとして処罰を受けた。
バーナード自身も、アイザックに脅されるまではメリンダの手先として働くつもりだった。
信用されずに、人質を取られるというのは十分に考えられる事だ。
彼が心配してしまうのも無理はない。
だが、アイザックは別の事を考えていた。
「それじゃあ、男爵家の後を継いだばっかりで大変だろうけど、最低でも子供二人には代官としての教育をしておいてね」
「えっ、教育ですか?」
あまりにも予想外の事を言われて、キンケイド男爵の脳が状況を処理できずにいた。
「そう、教育。今回の事件で街が二つ、農村地帯が二つ。代官が居なくなったんだよねぇ」
居なくなった原因はアイザックなのだが、まるで他人事のように話す。
その事にキンケイド男爵は、空恐ろしいものを感じた。
「罪を犯した子爵家や男爵家は親戚が継いで断絶にはならなかったけど、代官は任せられないってなって、しばらくは政務官を派遣して統治させるっていうのは聞いてるよね?」
「はい、その事は聞いております」
「そうなると、いつかは代官を決めないといけない。もちろん、派遣された政務官が代官になるって可能性もあるけどね」
ここでキンケイド男爵は、アイザックが何を言おうとしているのか察した。
しかし、それは彼には理解できない事だった。
「いつになるかわからない。けど、僕が領内の事を自由に差配できるようになった時、空席となった代官の席をキンケイド男爵家に一つプレゼントする。両方を本家が統治するのか、分家した子供に完全に任せるのかの判断は好きにするといい。ただ、任せられるように教育だけはしておいてほしい」
「ありがとうございます。……でも、よろしいのですか?」
キンケイド男爵にしてみれば、アイザックの手助けをした事で贖罪したつもりだった。
褒美を貰えるとは考えた事すらなかった。
「もちろん、よく働いてくれたからね。今思うと、あの時本当に裏切って剣で刺されたりしたら僕は死んでたしね。いやぁ、今思うと本当に無茶したよ」
アイザックが自分の無謀さを笑う。
キンケイド男爵も、それに合わせて愛想笑いをする。
ただ、少しばかり顔が引き攣っていた。
「あの、それではデニスはなぜ……」
思い浮かんだ事を口にするが、すぐに後悔した。
「やっぱり、お前もデニスと同じ扱いにしてやろう」と言われてはたまらないからだ。
だが、アイザックにそのような素振りは見えなかった。
「デニスはお父様をコケにしたからね。お父様に謝ったり、騙し取った金を返そうともしなかった。あんな奴死んで当然だよ」
アイザックは「何をわかりきった事を言ってるんだ?」という表情をする。
「それに、キンケイド男爵がお爺様に『主犯はデニスだ』って言ったんじゃないか。あの時僕だって言わずにいてくれた事を感謝してるんだよ。功の有った者が報奨を貰う。今回は本当にそれだけの事だよ」
「そういう事でしたら、ありがたく頂戴致します」
キンケイド男爵は貰える物は貰っておくつもりだった。
むしろ、断った時にアイザックがどんな反応をするのか予測できないので、大人しく受け取っておこうと考えたのだ。
「これからは領主代理と代官という関係になるけどよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
二人は握手を交わす。
アイザックは満足そうな笑みを浮かべる。
(俺だって、使おうと思えば飴を使えるんだよ)
この話し合いは自分が飴と鞭を使いこなせる事を教えるためだった。
キンケイド男爵は、警備隊長だった時に他の貴族達をアイザックの傘下に加えるために手伝っていた。
代官となった後にも、それらの貴族達と話し合う機会もあるだろう。
情報管理の甘いこの世界だ。
キンケイド男爵は、他の貴族達に「将来アイザック様が領主になられた時に新しい代官職を当家に用意してくれている」と話すだろう。
じわりと口コミで「アイザックのために働けば、ちゃんと褒美が貰える」と広まる事になる。
脅して働かせるというだけではない。
働きに見合った見返りがあると広められる事になる。
しかも、キンケイド男爵一人に褒美を渡すだけで。
誰にでも褒美をばら撒く必要などない。
キーマンとなる者にだけ手厚くしてやればいい。
その方が褒美を貰えなかった者達が「今度は貰えるように頑張ろう」と勝手に奮起してくれるはずだと、アイザックは考えていた。
アイザックも少しは成長した。
恐怖や暴力だけが人を動かす手段ではないと学んだ。
それがリード王国にとって良いか悪いかは、後世の歴史家が決める事になるだろう。
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