第41話 ネイサンの初恋
アイザック達は街道の整備初日が終わるのを見届けてからウェルロッドに帰る。
3kmの整備作業にかかった時間は一時間程度だった。
100mの道を作り終える時間よりも、次の作業現場である100m先まで歩いていく時間の方が長いくらいだ。
次々にできていく道に、ランドルフだけではなくアイザックまでもが驚いていた。
――さすがに科学技術には負けるだろう。
そう思っていたのにもかかわらず、3kmの道が瞬く間に出来上がっていくのを見て、魔法というものの恐ろしさを知った。
エルフ達との雑談で「戦争利用しようとしないのは気に入った」と言われた意味をようやく理解する。
確かにこれだけの効果があるのなら「火の魔法で敵を焼き払ってくれ」と頼みたくなる。
前もって「道の整備方法は何かないかな」と考えていなければ、戦争に利用できないかという考えが先に浮かんだはずだ。
貴族達の懐柔手段を考えていた事が功を奏した。
だが、良い事ばかりではない。
異種族との交流再開という、せっかくの歴史的出来事なのに、なぜ王都に招かないかという事も理解できた。
――一歩間違えれば、この魔法が自分に向けられる。
そう思うと、皆が警戒するのもわかる。
ゲームや漫画で「エルフは大体味方」という印象があったアイザックですら、魔法の凄さを目の当たりにして恐れを抱いた。
戦争して以来交流の無かった未知の相手と仲良くしようとするなど、他の者からすれば狂気の沙汰でしかない。
実際に交流が再開されてから、アイザックはその事にようやく気付いた。
しかし、今となってはもう手遅れだ。
ここで「やっぱりやーめた」などと言っては、よけいに関係がこじれる。
上手くいくように、成り行きに任せるしかなかった。
(ウェルロッドまで街道の整備が終わったら、フランシス達にボーナスを弾んでやろう)
さすがにアイザックが付きっ切りで、エルフ達と寝食をともにする事までは許されない。
現場監督を任された秘書官のフランシスや、その他雑用としてエルフの出稼ぎ集団のもとへ向かったノーマン達若手官僚。
彼らが上手くやってくれるのを祈る事しかなかった。
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屋敷に戻ると、そこには先触れによりアイザック達の帰りを知らされたルシア達が出迎えに待っていた。
これはアイザック達の帰りを待つというよりは、クロードとブリジットを出迎えるためだ。
メリンダやネイサンも最前列で待っている。
ランドルフはともかく、アイザックを出迎えるのは気に入らないだろうが、領主代理の妻として客人は出迎えなければならない。
そういう事をちゃんとこなすあたり、貴族として必要な事がちゃんと身に付いているのだろう。
「ただいま」
「おかえりなさいませ」
ランドルフとアイザックが馬車から降り、一同が深く頭を下げて出迎える。
こういう出迎えはどこか気恥ずかしく思うが、同時に偉くなったような気分になれてアイザックは気に入っていた。
「先触れによって知っていると思うが、今回はエルフの客人を連れて来ている。これから共に暮らす事になるので、よろしく頼む」
ランドルフの言葉に合わせて後続の馬車のドアが開かれる。
「まぁ……」
メイドの誰かが感嘆の声を漏らす。
最初に降りてきたクロードは、若さと渋さを兼ね備えたナイスミドル。
野外での活動で日に焼けた肌がロココ調の貴族服とミスマッチのようだが、それはそれで不思議な魅力を引き出していた。
クロードを見たメイド達の目の色が変わる。
「エルフが恐ろしい存在」という認識はどこへ行ってしまったのだろう。
そんな女達の反応を男の使用人達は鼻で笑う。
――自分達の職務を忘れ、客人に見とれるなど使用人失格だ。
――貴族の中でも侯爵家という上位貴族に仕えるプロとしての意識が欠如している。
というのが表向きの理由。
実際は他の男に見とれている姿が気に入らなかっただけだ。
メイドの一人に気があった使用人などは、クロードに見とれている姿を見て恋心を打ち砕かれていた。
しかし、そんな男達も次に降りてきたブリジットを見て態度が変わる。
クロードに手を添えられて降りてくる姿は、まるで異国の王女のように可憐な姿であった。
ウェルロッド家によって用意されたワンピースのドレスが、ブリジットの魅力を引き出していた。
長い髪はオールバックにして、首の後ろでバレッタで留めただけだった。
だが、それはそれで“女としての魅力”を持ち始めた年頃のブリジットに似合っているように思われた。
「おぉ……」
今度は男の使用人達から感嘆の声が漏れる。
可愛いは正義だ。
しかし、女達からは“簡単に見惚れる情けない男”として軽蔑された。
どっちもどっちである。
これはアイザックがランドルフと相談して決めた事だ。
人間は第一印象を引きずるものだ。
「エルフは怖い」という知識を持っている以上、初めて実物を見た時にそれを塗り替えるインパクトを与えなければならない。
――いつもの作務衣のような服ではなく、あえて人間の服を着せて美形を際立たせる。
という目的で、貴族服やワンピースのドレスを着てもらった。
作務衣を着たままでは“やはり文化の違う異種族”という認識を持たれてしまう。
人間の服を着せる事で「自分達とさして変わらぬ存在」という親近感を抱かせようという目的もあった。
その狙いは成功だったようだ。
……しかし、効果がありすぎて、使用人の男女間に亀裂ができたような気がしないでもない。
「皆さん、初めまして。私はクロード、こちらはブリジットと申します。エルフと人間の友好のため、そして何よりもお互いを知るためにこちらに滞在する事になりました。文化や常識の違いにより、礼を失する事もあるでしょう。その時は是非とも教えていただきたい。教えていただくために来たのですから、忌憚のないご意見を歓迎しております。これからよろしくお願いします」
「よろしくねー」
クロードが真面目に挨拶をし、45度の角度でお辞儀をする。
それに対し、ブリジットは軽い挨拶と、笑顔で手を振るだけだった。
しかし、その反応は好評であった。
クロードの挨拶は女の使用人達に「やだっ、ワイルドそうな人だと思ったら紳士的」と受け取られた。
ブリジットの挨拶は男の使用人達に「天真爛漫で明るい可愛い子じゃないか」と受け取られた。
見た目の重要性が思い知らされる。
だが、一番効果があったのは予想外の人物だった。
――ネイサンだ。
ネイサンはブリジットを見つめて、頬を染めながら呆けたように口を半開きにしていた。
二人がルシアやメリンダと話し始めたが、その視線はブリジットに釘付けだった。
(おいおい、マジかよ。あいつ一目惚れしちゃってるよ)
七歳のネイサンが年上のお姉さんに一目惚れしているのを発見し、アイザックは驚愕する。
確かに見た目だけは悪くないが、ズボラな一面とかを知った時どうなる事か……。
(ハッ! これ何かに使えそう!)
他人の恋心を利用するのは気が引けるが、相手はネイサンだ。
「どうせ排除する相手なら良いだろう」と、恋心を利用するという選択肢が増えた事を喜ぶ。
「君がアイザックのお兄ちゃんのネイサン? よろしくね」
ブリジットが膝を曲げて、ネイサンと顔の高さを合わせて挨拶すると、ネイサンはメリンダの背後に隠れてしまった。
「よ、よろしく」
ネイサンはスカートの陰から挨拶をした。
顔を合わせて話すのが恥ずかしいようだ。
この反応を見て、アイザックはネイサンがブリジットに惚れていると確信した。
だが、同時に「その恋心を利用してもいいのか?」という自分の中にある思いにも気が付いた。
確かに気に入らないところもあるが、自分と違って相手は本物の子供だ。
メリンダの影響でアイザックに厳しく当たるのであって、本人に責任があるのかと考えてしまう。
それに、自分自身もパメラとの事で苦しい思いをした。
少しだけ後ろめたさを感じる。
(恋心を利用するまでしなくても……。今までの計画でいいかもな……)
アイザックの計画は恋心を利用しなくても、八割方成功しそうだった。
恋心を利用しても、八割五分や九割になる程度だろう。
ならば、ネイサンをそこまで苦しめなくても良いのではないかという思いが湧き出てくる。
(でも、権力を握るためには情を捨てるのも大切なんだろうな……。どうすればいいんだ……)
ひとまずは問題を先送りにする事にした。
状況を見極め、必要に応じて臨機応変な対応をしようと決めた。
……ただの行き当たりばったりを言い換えただけである。
わざわざ狙って行わずとも、暮らしていくうちに自然とそういうチャンスは訪れるはずだ。
積極的に恋心を利用してネイサンを陥れようとするほど、今のアイザックは非情になり切れなかった。
排除しようと考えている事は変わらないが、それはそれ、これはこれである。
(それに、ブリジットが利用されたとわかるとブリジットだけじゃなく、クロードにも反感を持たれるかもしれない。エルフの関係者は家督争いに使わないでおこう)
人間同士の争いは人間だけで終わらせる。
そう考える事で、アイザックはブリジットを利用する事を諦めようとした。
(けど、お袋もメリンダもクロードに見とれない……、か。親父もやるじゃないか)
アイザックは特にランドルフに感心した。
恋愛結婚のルシアはランドルフを愛している。
そして、メリンダもランドルフの事を愛しているのだろう。
他の女達と違ってクロードに見とれたりしていない。
政略結婚の割に、他の男に見向きもさせないほど惚れさせるのは素晴らしい事だと思う。
もっとも、二人の妻を持つしわ寄せがアイザックに来ているので、その点は褒められたものではなかったが。
「お父様。お話しするなら中でしませんか?」
いつまでもクロードとブリジットを見世物のようにしておくわけにはいかない。
予想以上の効果があった顔合わせを終わらせ、一度中へ入ろうと申し出た。
「そうだな。皆も疲れているだろうし、中へ入ろうか。どうぞ、こちらへ」
ランドルフはクロードとブリジットの先導をして屋敷へ入る。
気が付けば、ネイサンは抜け目なくブリジットの横に付いて歩いていた。
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